June 22nd, 2009

みなさま、神山のために祈ってください!

 コンピューターのごきげんがよろしくないので相当いつも時間がかかってます。
「マリア・コード」出版のときもそうでしたが、いつも神様のために進むときにちゃちゃがはいるのです。どの聖人に応援を頼もうかと思いましたが、マザー・テレサはすでに福者で聖人になる日も近いので、ブラザー・ゼノさんと蟻の街の北原玲子さんにこの神山での仕事をお願いすることにしました。


 昨晩、読みかけで寝てしまった本が「天使のゼノさん」でした。桑原一利著、聖母文庫刊です。
それは、天使が読みなさいと置いてくれた本です。副題が「日本二十六聖人」の祈りです

 ポーランドのコルベ神父は時代に長崎で殉教されたたぐいまれなる二十六人の信仰に敬意を持たれ、日本に「無原罪の園」を作ろうとブラザー・ゼノさんたちを連れ、長崎においでになったのでした。
 1597年1月2日に太閤秀吉の命令で京都で逮捕されて、寒い季節を900キロメートル近く歩かせられ、長崎まで「十字架の道行き」をしたフランシスコ会の宣教師6人、イエズス会の宣教師3人、日本人伝道師ほか12歳から64歳までの二十六人が大村湾まで船で運ばれて殉教したのでした。アントニオ君やルドビコ君は韓国や中国人との混血でずいぶん差別もあってきたそうです。

 1930年、5月24日、コルベ神父やゼノさんの長崎上陸より1ヵ月後には「聖母の騎士」1万部発行されたのです。日本語も知らず、活版印刷機を安く買ってゼノさんたちは不屈の信仰で聖母への思いを実現しました。
 1945年8月9日、午前11時1分、長崎に原子爆弾が投下されます。
聖母の騎士修道院はコルベ神父さまの判断で山陰に引越ししてミロハナ神父さまも全員無事でした。長崎では73884人亡くなりました。ゼノさんは爆心地に歩き放射能を相当あびたはずですが、無事でした。

 1941年8月14日、長崎で6年いて修道院を作られポーランドに帰られたコルベ神父さまは、アウシュビッツで殉教されていました。脱走兵が出た罰として処刑されるはずの家族のあるユダヤ人の身代わりとなって亡くなられたのでした。キリストの教えを実践されたのでした。


☆☆☆戦後の日本は空襲にもあって孤児たちが町にあふれてました。その孤児たちのために下着や靴をもらい集め長崎までつれて帰ってすさむ心をかえたのがゼノさんでした。ゼノさんはとても器用で大工仕事も買い物の交渉も上手でしたが、神様から語学はあまり上手にならないようにされていたようです。謙遜のためでしょう。
 言問橋のたもとの蟻の街は当時バタヤという貧しいひとたち、屑拾いで生活している人たちの住む場所でした。1950年、12がつには、ゼノさんから声ををかけられ、履物問屋の姉の家を手伝っていた北原怜子さんが一緒に働くようになりました。1951年5月13日には蟻の街に教会ができました。1954年には蟻の街にルルドもできました。
 1958年、北原怜子さんは1月23日午前8時10分天に召されました。
大学教授のおじょうさんでありながら、まずしい人たちとともに暮らし栄養などもいきとどかなかったことや過労で蟻の街の行く末を祈りによってみとどけての死でした。

 1981年2月23日、ローマの司教座から教皇ヨハネ・パウロ2世が羽田空港へ到着されました。ポーランド人の教皇様ですから東京カテドラルの聖マリア大聖堂で車椅子に乗ってパパ様から祝福を受けたゼノさんはとても嬉しかったでしょうね。1982年の10月にはコルベ神父様がヴァチカンで聖人になられました。


 ゼノさんは「ゼノ少年牧場」を創ったり、休まず働き、1982年4月24日午後4時45分に亡くなりました。コルベ神父さまたちと日本に上陸してちょうど52年後の同じ日に亡くなりました。

☆☆☆今、日本ではこころの孤児たちが多いのです。毎日のように人身事故で電車が止まってます。厳しい経済事情から一家心中もあるのです。心の面では戦後よりより厳しい荒廃があるような気がします。

 その後は買い物に行き、「ブランシュ(白)」という名前の部屋スプレーを買いました。前の住人がタバコを吸っていたらしく、毎日セージを炊いているのですが、なかなかウルトラ・プチ・スタジオの空気の匂いが消えないのです。夕飯は冷しゃぶしゃぶでした。しっかり栄養を取らないと働けませんから良く食べます。その後、ヘアダイをしながら、プチ・スタジオの流しを洗ってました。ウルトラ・プチ・スタジオのお風呂も使う予定がないので良い収納場所になります。野尻湖にも引越しまでに後3度くらいいかなければなりませんので、片付けは余裕をもってやってます。友人のNさんから電話があり、前から戸隠神社に行かれたかった方なので一緒に行きましょうと誘いました。


 テレビで「刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史」をやってました。
どの事件も悲しいです。貧困や障害や欲望でしょうか?ずいぶん寝てしまったので抜けてますが。

天使たちが今たくさん働かれてますよ!心を合わせていきたいものです。

雨ですが天使と一緒に働いてました!

 雨です。6月なんですから当然なんですが!
 今日はプチ・スタジオから出てきた冬もののセーターや主人のワイシャツをクリーニング屋に持って行きました。普段ものですが寒い季節になってもすぐ着れるようにしておきましょう。


 次が保険の支払い半年分とユニセフの寄付を郵便局から払いました。
 次は銀行へ行って長野から振り込めるようにマイナーな信用組合銀行から銀行へ最終支払金を移動しました。100円ショップで梱包用のプチプチ、スポンジなどとごみ袋を買いました。そのまま目黒駅からお昼や夕食の支度をして帰りました。

 家に帰り娘と軽食を食べ洗濯物を干していると(室内)、山谷の山友会から手紙が来ていて、ボストンバッグと男性用下着と靴がほしいとありましたので、ボストンバッグを紙袋に入れて宅配便で送りました。それからダンボール箱を探して歩いてますと、黒猫ヤマトの宅配便店があったので12号6点10号4点を買い、重いのでタクシーで帰りました。雨も降っていて横降りでしたからやや疲れました。

 それから大きな箱には本。ちいさな箱にはセラミックの道具をいれました。
 セラミックのゆうを並べておいた棚も解体し、敷いてあった古くなった畳は処分し、半端なじゅうたんをかがってもらったじゅうたんも絵の具がたくさんついているのでクルクルと巻きました。
ダンボールはもう10箱くらい必要ですが、ずいぶんすっきりしてきました。セラミックの粘土をこねる板がウルトラ・プチ・スタジオの風呂桶の蓋としてはちょうどいいサイズなのでお風呂の中と上にたくさん収納できそうです。

 気がつくと10時でしたので、家に帰りました。
☆セブン・イレブンのスーパーが問題になってました。
 どこのスーパーでもデパートでも時間がたつと生ものは安くなるんですが、セブン・イレブンの契約ではいけないそうです。それでここのスーパー経営者が売れ残りを処分しなくてはならず売り上げの30%が加工食品とかでこの不景気に困って半分の値でも売ってなんとか足しにしようということになったそうです。
 それを経営者が知って脅かしのメールやFAXを送ってテレビでその文面が出てました
小売店はきついらしいのです。テレビで夫婦で出ていた若い人は1ヶ月2人で働いて30万円がやっとで、30万円分加工食品を捨てているそうです。少しでも安くして売らないと生活が苦しいと言ってました。
 そういえば、宅配便を出したスーパーの女の子は風邪を引いてました。きつい労働なのかしら?
☆テレビで子供は親の職業を受けつく場合が多く、医者などは学校へ行くのにも大金がかかるので親が医者が半分くらいの医大も多いそうです。なかなか格差から自由になるのは大変なようです。

 とにかく雨なのでうっとうしいので本をダンボールにいれる作業もきつくややストレスフル!
「黒い福音」松本清張が出てきたので家に持って帰りました。

 あすは晴れるといいですねえ。