July 18th, 2009

哀しみと恵みと!

 黄山ツアーは10月13日から17日までと決まりました。秋は紅葉が美しくもっともいい季節なのでお値段も143000円と高くなったそうです。
同行は美しい中国茶と中国古琴の専門家の高欲生さんで、国際的にも著名な有数な古琴奏者と偶然日本で出会った中国囲碁4段の棋士アオさん。偶然広州の高校の同級生でお二人とも日本人男性と結婚されて、日本語も上手でたくさんの日本人の弟子がいらっしゃいます。48歳とか?

 中国の文人のたしなみは書道、画、囲碁、茶道、琴だそうです。
あのレッドクリフ「三国志」の映画の中で孔明役の金城と周愉役のトニー・レオンが華麗に琴を弾くシーンが出てきますけどあの曲は古典だそうです。そして、美しい妃がお茶を淹れるシーンもありますが香りを楽しむのですね。きれいな平和という書も書いてましたが中国の古典の書は本当にきれいです。水墨画もさらって描くのが教養ある文化人で武芸の傍ら、それなりの人は諸芸を磨かれていたそうです。


 女性の地位は低かったので、現在のように女性が琴を奏でたり囲碁を打つのも貴族に限られていたそうです漢民族の楽器は琴で、二胡や胡弓は満州のものだということです。
高さんのご主人のお兄様の奥様は源氏物語の研究家で著書の時の琴の説明は高さんが受け持たれたそうです。私は隣の品川税務署にささやかな贈与税を支払いに行ったときに高輪プリンスホテルの1階にある中国茶館に「琴伝授」の貼り紙があるのを見つけ入ったのでした。
「宇津保物語」は紫式部が最も愛した物語なのですが、琴の3代記の物語で遣唐使が中国で遭難にあって琴極めることになった半紙ですが、絵本の絵を描くためにその小ぶりの琴を探してどれだけ奔走したことか!芸術とはこうあるべきものという姿勢も語られている素敵な物語も心に強く響いたのでした。

 それで琴を習い始めたのですが、これが宇宙をあらわす哲学的なものなんですね。孔子も琴の達人で楽譜をずいぶん書かれているようです。琴譜というのも孔子が考えたもので易経のマークに似てますね。深いです。

 黄山は山水画で名高く世界遺産です。また、明の時代の家が残っていて本当に風景明媚なところです。テレビで見てましたが、風格のあるいいところで山や雲の風景は絶景でした。その黄山に宿泊してことやお茶を楽しみ、囲碁の相手もしてくれ水墨画も描けるのです。私もハーバート大学の教授夫人たちに墨絵を教授することを所望され1年間外国人にお教えさせていただきましたが、そのときに購入したテキストに黄山の昔の家を描いた現代的な墨絵に強く惹かれたものでした。

 私は自分の運命に畏れています。
 でも、ご縁に恵まれてこのような運びとなりました。
 御一緒に水墨画を楽しみましょう。

☆さて、昨日は大変疲れていたのですが、水曜日にいけなかったものなので父の家の掃除に行きました。父に見せようとデジカメのプリント・アウトや労働着に着替えをして出かけたのは5時過ぎでした。弟は帰り、父の姿は見えなかったのでした。テーブルに鍵の束があったのと、玄関のドアが開いてあったので、父は寝室で寝ているのだと思ったのですがいなかったので弟に電話をしたのでした。「鍵を忘れて出かけてるらしい。」「合鍵があるから大丈夫だ。」それで、掃除を終えたころに、弟嫁から電話があり「お父様が、鍵を無くされたので駅から電話あったので迎えにいってほしい。」とのこと。「それでは。」と中断して、駅に行ったのですが姿が見えませんので、おまわりさんや駅員さんに事情を話し本人がいたら自宅に帰っているように告げて、タクシーで帰ったら自宅の前にいたのです。
 本人は「自宅の前にいるから、鍵を持って弟に来てほしい。」と電話で告げたといい、弟嫁は「よく聞き取れなかった。」と言いながらも「駅前に迎えに来てくれ。」と言われたと聞き、「主人に鍵を持ってきてくれといわれたが、お姉さんのほうが近いところにいるので弟の代わりに駅まで行ってくれ。」と解釈したのでした。
 無事だったのですが、家の前の坂の途中にいた父は弟の車を待っていたのでしょう。ふらふらで腕をとって抱えて坂を一緒に歩きました。お昼から出かけたので疲れもあるでしょう。
「これからは暑いので日射病になるから、なるべく家にいてね。」
無くしたのは合鍵のようでした。弟に電話をして合鍵のコピーを頼むのと、勝手に出かけるのでとめようもないと言うのでした。

 お父さんには中国人が書画を描いた団扇を上げました。そして、中国の囲碁の先生の名刺を見せたり、黄山ツアーにパンフを見せたりコテージの写真を見せました。

 野尻の神山の土地は父が40年も前に買った土地なのです。友人に薦められた時に「あの湖の見える地なら買ってもいい。」と言ったのでした。神山の持ち主が自分たちのために持っていた取って置きの場所を父は手に入れることができましたが、あまりにも交通の便が悪いので長い間土地は放置されていたのでした。それで、私たち兄弟の4人の名義になっていたのでした。兄弟の誰も関心がないので私は3人に土地代を支払って自分の名義にしたのでした。それで、父は神山に私が家を建てるのを楽しみにしているのでした。新幹線もとおり高速も舗装されてずいぶん便利になったのです。

 父の中国趣味が私にもうつり父が喜ぶからと中国に惹かれて来た趣があります。息子たちは男同士というところもあって、私のような無防備な関係ではないところがあります。
弟と電話のやり取りを聞いていた父は少し悲しそうな顔をしてました。鍵を無くしたことも本人はつらいのです。「お父さん、野尻は涼しくて空気がよくて家も住みやすく電化製品もきちんとそろえたので快適ですよ。お年寄りたちは農業をしたり山を散歩したりゆったりと暮らしてます。薬を出さないいい病院もあるそうです。」」ふと、お父さんと野尻で暮らしてもいいなと思ったのでした。しかし、弟に言わせると昨晩会った3人の愛人たちとは会いにくくなりますが。(お友達の方たちも家まで送ってくれるといいですがね。」と私は弟に言ったのでした。