August 18th, 2009

あたりくじ!外れくじ!

 高齢のご主人が高齢の奥さんの介護を30年もされてきて、首をしめて殺人未遂をしてしまった。テレビでみるところ立派な1戸建てで息子さんが様子が変なので警察に通報したという。
 30年も前に脳梗塞で倒れて以来、づっと介護をされていたという。
60歳になる前に妻に倒れられて辛い日々が30年もあったのだ。

 100過ぎて数々の年齢の応じたスポーツ大会で金賞をとったおじいさんが長生きのコツは「いい加減にやること。少しずるをすること。」といっていた。そんな風に屈託なく言えるおじいさんの幸せな顔はいいなと思ったものだ。

 ☆私が心配してるのは高齢化差別なのである。高齢化格差とでも言ったらいいのか。
同じ老人でも経済的な体力的な家族構成や友人構成の差で幸せと不幸せになる。

 「夫がいいだけで。」と羨ましがる奥様もいるだろう。
「あんな美人でお育ちのいい方が、連れ合いが愛人に走ったばっかりで。」という悲惨な老後もあるだろう。
キャリアウーマンも上手に晩年計画をたてる人ばかりでなく、老人ホームでさびしく孫に囲まれたただの主婦をねたましく思う人もいるだろう。

☆私たちは人生で幾度も籤を引く。
生まれたところが良いか悪いか?
しかし、どんなうまれが良くてもそれを生かせない能力しかなければ犯罪者にもなってしまう。
貧しく孤独に育っても、人望ある出世をする人もいる。

 美しい方が意外と幸福でない。
ハンサムな人は見て惚れ惚れとするが、晩年がさびしかったりすると、目に麗しいのも幸福の保証にならないようだ。

 たまたま、最近なくなられた大原麗子さんも山城新吾さんも90過ぎた母親は健在で「もうテレビにでな買ったのだから、騒がなくても。」とおっしゃってられたそうな。
美しい娘やハンサムな息子はたくさんの喜びを親に与えただろう。しかし、先になくなった娘が息子が病で幸福な死とはいえないのを誰よりも深く悲しみ傷ついていることだろう

 凡庸なほどほどのものは親も「まあ、そんなところだろう。」と思うような人生しか生きないのだが、見栄もなく老体をさらし歩けるし、別に顔にしみが出ようがしわが増えようが誰も騒がないのだからこれも別の幸せのうちである。

☆私も主人も61歳である。退職している夫婦もたくさんいるが、あと10年は働くつもりである。私も死ぬまで絵を描くだろう。
あの100歳を過ぎたおじいさんと同じ意見で「嫌になるほどは無理をしない。」主義でなんでも楽しんでできるうちにやるようにしている。
中国語もご無沙汰だが、昨晩テレビを観ていたら中国語講座をしていたので、そろそろ再開を考えた。

☆今日、テレビで覚せい剤の売人がいかに儲かるかの仕組みを見せていた。
若いうちって楽して儲けるのが一番賢いように思うけれど、実際はそんなことは地上ではありえない。人生にはツケというのが晩年に来るのだ。

 節約すれば今までの半分位で暮らせる。
体力の減った分だけ、仕事に時間がかかるが丁寧に仕事をして食べれればそう以上のお金入らないというのが本音だ。

 あぶく銭の不幸をもっともっと若いうちに知るべきだ。

 神様というのはいてもいなくても、自分の心が幸せになることが何より大事だ。沖縄には戦争のときに「心は奪われても魂は自由だ。」というような詩を書いた人がいたようだが、魂が喜ぶ生き方をするのが一番だ。
自分が生きてることでみなが幸福になる生き方。
みなでなくても1人でも幸せになる生き方。
自分がしっかりと幸せになるだけでもずいぶんいい生き方だと思う

街歩き!

 女というものはなんだかんだといってもおでかけが好きなのであろう。

 家でテレビを見ながら家事をしていると、電話がかかってきた。
恵比寿アトレのショップで注文した白い鳩の出てくる振り子時計がもうついたという。
 気になっていた庭園美術館の「Stitch by Stitch」も観た。でも糸と針のアートということで期待していたが、私はつまらなかった。新しくも特別の技術もない現代美術。ミュージアム・ショップをのぞくと、紅茶の入ったマトリョーシカと団扇が売っていたので、やはり売れ筋は同じのようだ。

 それから通帳の記入に行った。心配していた会社も倒産してなくて入金があった。それから恵比寿アトレに行ってかわいいお店に時計を取りに行く。時計って重いです。それでも、恵比寿が歩きたくなって、私は恵比寿から代官山に向かった。食器の店を冷やかし、フランスのお洋服のバーゲンを見て、家庭雑貨のアウトレットでフライ返しを買った。それからまっすぐ歩いて、青葉台を過ぎ、南平台を過ぎ松涛まで行って、いつものフレンチ雑貨に入った。ソルドになっていてお針セットが1000円だったので買った。この前の蚊帳の紐を片付けるまでに補強しようと思うので、大きめの針と強い糸も買おう。大きなはさみや色とりどりの糸やメジャーが3本にマチ針がすごくたくさんついていた。それとお針箱のバスケット。仕切りがあって、前の蝶番が壊れているので850円だったが、直すのは簡単である。ちいさな籠の編み目のあるカップと皿。でもこれはウルトラ・プチ・スタジオ用だ。

 そんな買い物の後におなかが減ったので向かえの「パンの木」でドライカレーとアイス・レモン・ティーと帰りにバナナ・ケーキを3人分切ってもらった。焼き立てでまだ暖かかった。

☆家に帰ったときは誰もいなかったが、娘と主人という順に帰ってきた。
このところ、他人事ながら寂しい事件ばかりで家族というものは大事にする努力を怠ればすぐ壊れるほど危ういものだと知る。

 人生は長いのだ。
 その長い人生の浮き沈みを辛くても苦しくても生きなければならない。
誰でも孤独で誰でもひとりで生きていくのだ。
しかし、そらぞらしいおしゃれの街でかわいいものやしゃれた物を見て楽しんだあとは家族のゆるい暖かさが大事だ。毎日、緊張なんかしてられない。
一生懸命やったって不備だらけの日常生活だけれど、現代美術より確かなのよね。

 今度は21日の朝1の新幹線で6時24分らしいのだけれど、長野に向かいます。娘も行くというのでベッドが届くのは22日なので1晩は寝袋で寝てもらおう。今日、3割引きの切符を買ったが娘は割り引きがないだろうから、高くつく。しかし、娘と旅行できるのもいつまでだろうと思う。
山でも湖畔でも歩かせて鍛えるつもりですが。