September 12th, 2009

コツコツ地道に!

 預け先のビルが人手に渡るそうなので、今日と明日とで品物を全部、持ち運ぶ予定だ。プランタン並びなので久しぶりに覗いてみた。傘たてはなくてフランス雑貨の店で自転車のベルとコンパクト形式のヘア・ブラシを買った。

 そこからタクシーの荷台で持ち運べる範囲を運んだ。その前に隣の店で黒い1500円のシンプルな傘立たてを買った。それもついでに乗せた。

 運転手さんといい話をした。教育格差というのをお金で配給することで決して救われないのではないかという話になった。子供のできない夫婦や独身の人が不公平感を持たないかしら?もっと、メンタルな成熟した制度でないとみなが幸福になれないのではないかと

☆ここのところ、持ち歩いていた単行本があるのだが、「藤田つぐ治『異邦人』の生涯」近藤史人 講談社文庫

 ようやく今、読み終わった。
日本人として最も成功した画家だと思うけれど、破格な成功がずいぶん嫉みや誤解で苦しまれたようだ。
森鴎外のような軍医を父に持ち、育ちのいい人である。
女性にももてたし、家からも30歳までは応援があったらしい。類まれな意思と努力でパリ画壇で成功した。女性のモデルがいったので華やかな目立ち方。生涯に結婚は5度で3度はフランス人で最初と最後は日本人。
1886年、東京に生まれる。
1910年、東京美術学校卒業、文展に3度続けて落選。卒業制作の自画像は黒田清輝に酷評される。
1913年から3年の約束で単身フランス留学。前年に結婚した妻は置いていく。27歳
1929年、17年ぶりに帰国、日本の妻と離婚。フェルナンドと結婚。リュシーと3度目の結婚後帰国。
日本で中傷されるが、三越などの個展で成功する。44歳。

 

奇跡はいつも!

 今日は10時から銀座倉庫から荷物の持ち出し。
雨だけど仕方がないでしょ。それでビニール袋をたくさん用意して山手線に!結構本って重いし、あるのでひとつずつくるんで荷台車に乗せて、1階まで持ち出したら、晴れてました!
タクシーさんもいい人だったので運べました。でも、まだ半分ありましたがね。

 ウルトラ・プチ・スタジオなどに分散して運びました。
さて、昨日の『レオナルド・藤田』の続きですが、もっと書き込んでたのに消えてしまいました。
それで、もう1度続きです。

1930年、44歳。パリに戻る。恐慌の影響で美術市場低迷。
1931年、ユキと別れ、マドレーヌ・クーとブラジルに発つ。
1932年、アリゼンチン、ボルビア、ペルー、キューバを経てメキシコに滞在して壁画などを描く。アメリカ経由で日本に帰る。
1936年、マドレーヌ急死。堀内君代と結婚。随筆集『腕1本』出版。
1937年、秋田の平野政吉美術館で『秋田の行事』大壁画を描く。外務省の依頼で映画『現代日本』を監督するも批判される。
1938年、君代と沖縄旅行。海軍省嘱託として漢口攻略戦に従軍。
1939年、君代とともに3回目の渡仏。ドイツ軍のポーランド侵略で第2次世界大戦勃発。
1940年、パリ陥落直前に脱出。おかっぱ頭を丸刈りにする。
1941年、父死去。
1945年、59歳。最後の戦争画を描く。8月15日を藤野で迎える。
GHQ嘱託として、戦争画収集に協力。『美術家の節操』論争、朝日新聞。
1946年、 GHQは軍国主義者の公職追放を指令。藤田を筆頭にした画家の戦争犯罪者リストを作成。
1947年、前年、申請したフランス渡航のビザがなぜか下りなかった。情報が漏れ、新聞・雑誌に『日本脱出失敗』を書かれる。
1949年、羽田からアメリカにたつ。
「日本画壇は早く世界的標準になってください。」と見送りの人に言い残す。ニューヨークの個展でベンシャーンと国吉に抗議を受ける。63歳。
1950年、パリに到着。
1951年、フランス国立美術館に絵を寄贈。日本出国前に『私の部屋』を寄贈を申し出たが、断られていた。スペインで個展。
1953年、モンパルナスの女王キキの葬儀に藤田とエコール・ド・パリの仲間は2人しか参列せず。
 このころ、好んで子供の絵を描く。
1955年、フランス国籍をとり日本国籍を抹消。
1957年、レジオン・ドヌール勲章受賞。
1959年、ランスの大聖堂でカトリック洗礼を受ける。レオナルド・フジタとなる。73歳。
1961年、パリ郊外に隠棲。絵だけ描き近所の子供たちと冗談を楽しむ。
1964年、最後の個展。
1965年、「一生の終止符としてランスの聖堂に『平和の聖母』礼拝堂の建設を企てる
1966年、礼拝堂のフレスコが完成。癌でパリの病院に入院。以降、病院を転々として入退院を繰り返す。
1968年、1月29日。チューリッヒ州立病院で死去。81歳。
日本政府は勲1等瑞宝章を贈ることを決定する。

テレビに充実!

 なんだかんだと洗剤や三角コーナーのシートを買いに駅前に行ったり、娘が遅い日なので「広州市場」でワンタンメンを食べたりして、家の中を片付けてました。
 夕方、チベットから子供たちが命がけでインドに逃げてダライ・ラマのいるインドの学校で寮生活をしているドキュメントをやってました。いつかチベットにけれる日のために文化を学び、音楽や舞踏をしているのでした。もう逃げた子供たち同士が結婚しているそうです。美しいところですね。チベットはさらに清らかでしょう。

 もうひとつは9時から2時間、ゴッホの真実というか伝説の仮説を紹介している番組が濃かったです。
この説によると、耳を切ったのはフェイシングをしていたゴーギャンで、ゴッホは沈黙を守ります。精神病院へいったほどですから真実ならゴーギャンは罪深い男です。タヒチに行ってから毒薬で自殺しているそうですが、未遂に終わりました。ゴッホの「ひまわり」にとても嫉妬を感じたようです。

 また、最後のピストル自殺は弟が結婚し子供も生まれ、ゴッホにしていた仕送り15万円ほどが援助できなくなってくるんでいるうちに、弟のピストルで自分に向け発砲します。撃った場所は詐称していたようで、ピストルはでてこなかったです。また、医師も絵のファンでゴッホには嫉妬心があったそうで、精神科医なのに、外科医を呼んで最後の診療や手術をしてないのが不思議とのことでした。ゴッホがなくなって、下宿先からゴッホの絵を持ち出して全部自宅に持っていったそうです。そんなエピソードも目撃者や手紙が残っているのですね。
 この映像はフランスで実地に撮影しているのですが、ゴッホは類まれな聖人のようです。牧師の息子ですから骨の髄までキリストは浸み込んでいるようです。

 さて、明日は姑と娘と黒姫に行きます。2泊3日のつもりです。
どこにも連れて行ってないので、いい秋旅行になればいいと思ってます。

 今、新聞で「海の聖母」吉田一穂著というのを読みましたが、みな生きることは生活面でも精神面でも大変ですね。
体力面というのも問われるようになる年齢です。