September 16th, 2009

初秋の旅!

では、エンデの「サーカス物語」を買いました。順に読んでるのです。

 姑といつも食事を一緒にしているわけではないのですが、今回は私が全部作りました。何でも食べてくれるのでたすかりました。もう、かなりすずしいです。毛布は用意しましたが、これからは小ぶりのストーブも入用ですね。でも、姑はたいへんコテージを気に入ってくれて、自宅もそのようにしたいそうです。何はともあれ、みな、よく歩きました!

格差の悲劇!

 15日、小林一茶記念館で「ねこ」の俳句展を見て、駅近くでそばを食べ、3時半には東京駅に着きました。「クリエ」の招待チケットを持っていたので、私だけ有楽町で降りる。

 銀座とおりを部落差別に抗議するデモの人が行進していた。みなが幸福になるのには大きな課題がたくさんある。数件の画廊を見て歩いた。京橋の村上画廊で、あまりにも名の知られている作品の安いのに驚いてします。1000円、2000円からなのだ。額代も入ってない。これでいいのかという感じだ。軽い夕食をとって、「クリエ」でロンドンで25年のロングランのヒット・ミュージカルを看る。イギリスの階級社会を知らないと理解できないようだ。

 ☆ロンドンの庶民の暮らし。ダンス好きな女の子も子供がたくさんできて肝っ玉お母さんとしてたくましく愛情深く生きている。借金で家具も生活食品も彼女の足を出して何とかやりくりしていたが、役所もこれ以上子供が増えれば無理なので、施設に2,3人いれてはと干渉してくる。夫は若い女の子と家を出て行き、家政婦をしながら貧しい世帯をやりくりしている間に双子を妊娠していると知り、不妊のお屋敷の奥様から「ひとりください。」と懇願される。

1960年代のビートルズを生んだリヴァプールの港町が舞台だ。脚本、作詞、作曲のウィリー・ラッセルもこの港町生まれ、1947年生まれで私と同じ年齢だ。リヴァプールの町は昔から貿易で富み栄えた富裕層や地主と貧しい湾岸労働者や農業労働者たちの階級が混ざってできている町だ。

 ☆同じ血から生まれたふたごが、片方は教育を立派に受けてケンブリッジやオクスフォードという大学に行き、出世街道、勝ち組の人生を保障される。もう、片方は教育も満足に受けず下働きの労働者で、不景気になれば首を切られ、住むところも食べるお金もなくなる。

 好きな女の子と結婚し子供が生まれた貧しいミッキーは、豊かな成功者の片割れに援助されて家もあてがわれ生活もできるようになる。しかし、男として屈辱だ。妻が浮気をしているのではないかとかんぐるし、双子だと知らない生い立ちだが、別々に育てられた双子がそれを知ったときに死ぬという迷信が生きるのだ。

みなの幸福まで忍耐強く!

 15日、冷蔵庫の残り物をしっかり食べます。娘と姑がセヴン・イレブンで荷物を郵送している間にゴミ出しや洗濯をして、シーツ類を洗って干したり、掃除をしました。姑は坂を上る体力を惜しんでバス停で1時間くらい待ってました。5分くらいなのですが。
 10時46分のバスで一茶記念館へ。公園ももう色づいたもみじがあって茅葺の屋根に映えました。一茶記念館のこの季節の展示は「ねこ」の句の300以上から100句の俳句を選んだようでした。
 12時47分の電車まで時間があったので、駅近くの蕎麦屋さんでざるそばを食べました。今日も晴れていて歩きやすかったです。3時半には東京駅に着きました。

★イギリスの階級差別は日本でもまったくないわけではないですよね。多くの悲劇がまだあります。この間ののりピー事件のときも生まれというものが過酷に本人の努力に負いかぶさると思ったものでした。五反田駅でいつもの「ビッグ・イシュー」売りのおじさんにあったので1冊買いました。そういえば、「聖母の騎士」の年間購読料の請求が来てました。有楽町でも難病の子供の手術費を1億円の費用がかかるということで募金運動をしてました。
信仰の実践には費用も体力も要るのでした。

日々のさいわい!

 明治チョコレートの山手線に乗る。
「わたしはホロコーストからうまれた」原書房を買う。


父の家の掃除に行く。
留守だったので先に掃除を済ますと、6時半ごろ帰ってくる。
それまで弟といろいろ話す。

渋谷のビッグカメラによって、デジカメのメディアのアダプターを買う。
恵比寿によって、「無印」でトースターとオイル暖房を買って、長野に届けてもらう。家族には千疋屋のケーキを奮発。

☆人生には悲しいこともあるけれどそれでも未来は明るいと思うのだ。
「父と母はアウシュビッツでであった。」バニーズ・アインシュタイン作・画
この本には暗さが微塵もない。1949年カナダで生まれた。ユダヤの文化を愛し、両親を愛し「生き延びたひとびと」を書いている。
父親はなかなかアウシュビッツの体験を語らなかった。
この本に記録されているアウシュビッシュの収容所中はむごい。死体が2メートル積まれていたり、裸にされ髪を全部削がれ、持ち物を没収されたのだ。何の権利があって!
2002年に、母親と作者はアウシュビッツ収容所を訪問する旅に出た。涙を流していた母はようやくむごい体験から開放されたという。
腕には番号の刺青をされたのだ。家畜のように。