September 24th, 2009

行ってきま~す。

 昨晩、父の家を掃除して帰ったのが8時半ごろでした。
その前に買い物と洗濯物を出しにカートを引っ張って、荷物だし2箱をしたので、疲れていたせいかかなりきつかったです。


 そういえば、昨日来た主人の弟夫妻に会ったのですが、いきなり義理の弟のお嫁さんに「あんたって何もしないんだってね。」といわれてびっくりしました。姑も姑かもしれませんね。お子さんは3人いるのですが、連れてくるのは知的障害のある27歳の長男だけです。私はその件では、謙虚にしてなければならないと思っているので何も言いませんでした。「これから、父の家の掃除に行くので、ご一緒できませんが皆様、お元気でいいですね。」と挨拶してひっこみました。

 人間って怖い。
 この前も野尻で、「グリーン・クラブの会費のほかに、祭りの寄付を1万円ね。」と言われ1万円を持って管理人のところに行きました。記名帳を見ると1400戸あるという会員の中から50名支払ったかどうかという感じでした。次に「8月15日に寄付者に名前を書いてくれ。下手でも読めればいいから。」といわれました。「いいですよ。」と言って、当日どんなことがあっても行くつもりでした。そうしたら、隣の下に住む人が「寄付者の名前は書かなくてよくなったから、来なくてもいい。」というので、「来てもらいたくないんだな。」と受け取り、東京にいました。「祭りに協力的ではない。」という空気が感じるんですよね。その後!

 そんなことはたくさんありました。

☆末の弟嫁が「『主人がお父様のところに毎日通っているので、自分も手伝いにお父様のところに行きたい。』とお姉さま(私の妹)に言ったら、お姉さまが、『手伝うって家事のこと?家政婦のような仕事?』って訊いたので、
『まあ、そんなようなことです。』って答えたら、お姉さまから『お金がほしいの?』って言われたので、もう、絶対お父様の家の手伝いはしないと決意した。」と言うのでした
 「私は年だし、ほかの仕事も自分の家の家事もあるので本当にくたくたで倒れそうな日もあるの。手伝ってもらいたいと思う日もあるのよ。」「下のお姉さまに侮辱的なことを言われたので絶対嫌です。」

 個性の面で言うと、下の弟嫁は同じカトリックで霊名が「ベルナデッタ」。お掃除大好きな人間で、小学校の入試試験でちりとりと箒を上手に使ったことが評価されてコネなしで合格したそうです。

 妹は福祉の学者なのですが、専業主婦を下に見て「掃除は博士でない姉さんにさせればいい。」という面白い考え方です。「何で博士号をとらないのだ。」と詰問されたことがありますが、絵描きに冠は要らないというのが私の考えです。また、下座行というのは尊くて、掃除や汚れ仕事をする人が一番偉いと思ってます。それで、「ありがとう。」ひとつ言われたことがありません。掃除をするのは下の人間(こっちのほうが姉なのにね。)と思っているのです。

 私が次に驚いたのは今、病院で倒れている母から「気をつけなさいね。妹はあなたの家庭が壊れるのを待っているよ。」と注意されたことがありました。「えっ?人の家庭が壊れるのを待っているの?」

 私は確かに家庭の主婦としては至らないのです。でも、私の主人は小学校のクラスメートで毎日、ランドセルを置いて家に来ていたので別に妹の彼氏を取ったわけでも、妹のお見合い相手を取ったわけではありません。姑に「ぜひ、来てください。」と土下座されたので、私の両親は幾度も「本当にいいんですか?何もできないし、絵ばかり描いていたので常識もないし、どちらかというと妹のほうがましだと思うので、妹をもらったほうがいいですよ。」といったのでした。妹は独身ですので、妹に譲るべきだったのか今も考えるのです。でも、主人は「妹」を選ばなかったのです。それは私の罪でしょうか?

☆昨晩から今日にかけて、ずっと片付けと掃除をしていてその功績か?(笑)主人が銀行口座に生活費を振り込んでくれました。
 私も主人がありがたいです。
 野尻に行くことにはクレームをつけません。その分、行く前には洗濯物やアイロンかけを1週間分するのです。

 基本的には他人の自分の生活ぶりを報告する必要はないんです。
ですから、義理の妹や自分の妹が「家事をしてない。」と思おうが私はいいんですが、現実にはそんなことができるわけがないのです。

☆父に「上の弟が会社を潰すって本当?」と訊いたら、「自分が生きてる限りそんな勝手なことはさせないし、潰れない。」と言ってました。
「私もね。勉強してなるべくきちんと採算あうように会社を創る。」と報告しておきました。

☆大田治子さんの太宰とお母様の静子さんのことを書いた本を読みました。「斜陽」のベスト・セラーはお母様の日記を元にして書かれ、そのまま使われている文章も多いそうです。あの時代に静子さんは太宰治に家庭があるのを承知で私生児の治子さんを生んだのでした。
 当事者の治子さんでしか書けなかったでしょうし、太宰治の生誕100年の今年に書かれるべくものでした。

 治子さんは、太宰の男としてのずるさやお母様のお嬢様育ちで医者の娘として大変豊かに育った無垢さを正直に書いておられます。
お母様は自分から私生児を生んだ時点で実家から勘当されたように生きます。「斜陽」を書く芸術のための生贄として日記を渡し、こどもを生んだようです。しかし、その原作代1万円をもらってから太宰が心中したせいもあるのでしょう。太宰の家庭から以後印税を請求しないようにと判を押さされてるのです。子供をつれて賄いの仕事をして、癌にもなったそうです。想像を絶する厳しい人生ではなかったでしょうか?静子さんは太宰は家庭を大事にする人で自分は本を書くために利用されていたとも思ったそうです。小説家にもなりたかったそうで、本も数冊出版なさったようです。でも、厳しいですよね。小説では身をたてれなかったそうです。

☆私も甘い世間知らずのところがありますから、静子さんにも似てますが、私生児を生むほどは勇気はなかったです。
太宰は悪魔という表現もありますが、文壇や美術の世界では芸術至上主義者っているんですよね。そういう人たちは女性あるしは男性を食い物にして這い上がることを悪いとは思ってないようです。せめて、双方の同意があればいいと思うのですが、かなり怖い世界です。

 私もかなり狙われました。

 たとえば、何もそんなことを言ってないのに「結婚しないで愛する人の子を産んで絵をえがけ。」と婦人公論の編集長に言われたことがあります。母は「平凡な幸せをのぞんでいるので。」とその人からの電話できっぱりと応援?をことわったことがありました。

☆☆☆
 でも、どうでしょう?
 芸術のため?神のため?自分の栄光のために他人を犠牲にしていいのか?

 これはいけないのではないかと思います。
 多くの戦争も権力者の利益のために弱いものが殺されるのですよね。


 他人のご主人、または奥さん。
 魅力的だからと言って、盗むのは許されるでしょうか?

 誰も評価しないけれど、じっと我慢して思いを抑制する人のほうが尊いのではないでしょうか?

 美しい人や優秀な人は誰だって好きでしょう。でも、たいていの大人は我慢しますよね

 私はイケ面のプロレスラーのモリソンが先週チャンピオンになったのを知って、かなり満足。カルフォニアで映像を大学で学んだせいかビジュアル的にとても美しい。信じられないくらいきれいな逆三角の体です。なにしろ技が体操の選手みたいなんです。

 私はそんな自分にはないものを持っている人のファンなのですが、このごろの価値観にはついていけないことがたくさんあります。

 変なのかなあ?
 私は!

☆家事も片付けも終わったので荷物をひとつ出して、これから野尻におでかけです。今週もお客様が、12月はアメリカからお客様がきます。

 追伸
 日頃、協力的でない主人が友人のお見舞いに(彼もカトリック信者)、「コノハナサクヤヒメ物語絵本」を持って行ったそうです。そうしたら、快気祝いに退院時に「コーヒー・セット」を送ってきました。

主人ってそういうことをまるで、話さないのですが娘が教えてくれました。
照れ屋なのかな?よくわかりません。でも、コーヒー・パッケは半分野尻に持っていく私です。本代はいいか。

※今日の課題は、いつかは本当のことがわかるっていうことかな?