October 5th, 2009

「メアリー・ブレア展」を観る。

 今日は絶対見たいと思っていた「メアリー・ブレア」展を観た。
11時半には現代美術館に着いた。Y子さんと待ち合わせの12時半まで1時間あったのでオーディオを聴きながら廻った。Y子さんにあってから深川飯を食べにでかけ、竹の和紙の野尻で描いた団扇を12点お見せした。大変気に入ってくれて、1枚だけもらって後は環境を守るために竹で和紙を漉き竹で団扇を作った方たちにも見せてねと渡した。
 深川の町はお豆腐もおでんも専門店がこじんまりしていい味わいで案山子展もやっていて歩いていて楽しかった。

 再入場はできないのだが、事情を説明しておいたのでY子さんと再び「メアリー・ブレア展」へ行く。今度は音のないだけに絵や書かれている文章をよく見たり読んだりした。メアリーのパンフレットには「私は3つの仕事をした。妻であり母であり、プロのアーティストであった」と書かれていた。
私は考えることがあった。
メアリーは私に似ている。
メアリーはファイン・アーティストになりたくて幾度もディスニー社をやめているのだが、不況とアーティスト界の経済的な厳しさで再びも3度も戻ったのだ。あるときは子供のために絵をやめ、あるときはご主人がニューヨークで仕事をしたために、ロスアンジェルスから幾度も通った。建築雑誌に紹介されるほどのニューヨークの家には子守用の部屋も彼女の仕事部屋もあって、ジャクリーン・ケネディのキャロラインが彼女の絵本を愛読していたということで自筆の手紙ももらっていた。最後のトロフィーコーナーには夫の嫉妬で苦しんだが、回復のために彼女は努力をして最後にはふたりでカルフォニアに戻り、銀婚式にはラブリーなティファニーの銀食器の贈り物もしている。そして脳溢血の67歳の死。

 1911年10月21日、オクラハマ州で生まれ、ふたごの姉がいる。
サン・ノゼ大学からロスアンゼルスのシュイナード美術学院に奨学金で入学。23歳でシュイナード美術学院の同級生と結婚。彼もオリンピックのメダルのデザインで金賞をもらうほどのアーティスト。実家で絵を描いていたが27歳ウオルト・ディズニー社に入りコンセプト・アートを描く。
「シンデレラ」「ふしぎな国のアリス」「ピーターパン」などのカラー・スタイリスト。フリーになってからは絵本の挿絵。舞台や広告。「イッツ・ア・スモールワールド」のデザイン。1978年、カルフォニアで67歳で死亡。

 ☆色はとてもきれい。デッサンも凄く確か。
 でも、本当はファイン・アーティストになりたかったのでしょうね。
 アメリカの色。
 ディズニーの夢。
 子供のお母さんとしての子供へメッセージ。
 立派な女性。
 有能な女性。
 そして美しい。

私は記念にカタログと数枚のカードと丸いキャンディー缶を買った。凄い人で幾重もの列を待った。

 Y子さんが来て、友人から「このはなさくや姫」絵本の注文が入ったとメールを見せてくれた。Y子さんからの依頼で青山学院短大の同窓会でマトリョーシカの色塗りをお教えすることになっていて、同窓会誌ももらった。
それから2階でモロッコとベトナムのドリンクとデザートを食べた。

 古い話だが、大阪万博のときにどこかのパビリオンでコンピューターで顔を点でキャッチして「あなたに似た人はウエルト・ディスニー」といわれたことがあった。ハーバート大学でポール・スタッフ教授に娘を描いたデッサンを「ディズニーランドはだめだ。」としかられたのを思い出した。芸術とディズニーは対立しているのか?
否。
ゴールは一緒だ。
大衆の幸福がゴールだ。
ディズニーのアニメはほとんど観ていたので、音楽やアニメーションもメアリーに仕事も必要であのように心を動かされるのだ思うと、多くの名のない線引きや色塗りの仕事にも神が宿っていると思った。

おでんの種を買って帰りました。