October 12th, 2009

自然の恵み、人の恵みに感謝!

 7日、ロザリオの祝日は父の家の掃除の後に野尻に向かいました。午後7時に長野に着く新幹線ですが接続が悪くて8時過ぎに長野黒姫駅に着きます。台風で上越線は明日の午前中は運行中止です。東京では人身事故が非常に多い日でした。


 8日、「乞食のパラダイス」を読む。台風で外に出れないので、もっぱら読書です。パリの古きよき時代にニューヨーカーの青年が13年ほどパリで自由に生きていた本です。画家でもあり作家でもある人で、面白かったです。

 9日、晴れたので朝起きして妙高の絵を描きました。道具を出すのが結構大変で7往復くらいして絵の具やイーゼル代わりの脚立や椅子を出します。
宅配便の粘土も無事つきました。
3時間してから、郵便局で支払いをするためにバスに乗りました。500円払って、これからの新幹線代を何回でも30%引きにするためのカードを請求するのに必要なのです。向かいの電気屋さんで敷布団用の電気毛布を買いました。それから、黒姫駅まで歩き「ざるそば」を蕎麦屋さんで頂き、唯一のスーパー・マーケットでお肉や野菜などを買いました。接続良くバスに乗って家に帰り裏の未亡人を訪ねました。お見合いを頼まれていたので報告に行ったのです。偶然お見合い相手の彼氏が車で現れました。
感じのいいいい人で、ハンサムでしたよ。50歳で初婚です。結婚を切にもとめているTさんをどうかと思ったのです。

 10日、朝、外で油絵を描いてました。宮崎からステビア米が20キロ届きました。
雨が降ってきたので中断して家に戻りお昼を食べました。それから、長野まで出かけて、東急百貨店の中の美容室でヘア・ダイとカットをしました。
栗のおこわを夜にいただいて夜中の2時まで家の中で風景画の続きの絵を描いてました。

 11日、秋晴れ!掃除と洗濯、ごみ出しを終えて10時46分のバスで帰宅しました。野沢菜プリッツと栗汁粉がお土産です。

無知の涙! 貧困を無くし幸せな人間を創ろう!

 昨晩、10時からテレビで「無知の涙」永山則夫著の物語ドキュメントを1時間半にわたって放映していた。
19歳のときに4人の人を連続殺人した永山は、北海道で生まれ博打打ちの父親の蒸発によって、貧しい家の7番目の子供として生まれ母親が汽車賃がなくておいて置かざるを得なかった子供として極貧で兄弟たちと暮らした。母親は小さな子達を連れて早くお金を作って子供たちを呼び暮らすために青森の郷里に帰ったのである。
 永山は食べるものも食べられず万引きも盗難もした。学校へも満足に行けなかった。渋谷の西川果物店に集団労働で中学出てきてよく働いたが、万引きした過去がわかってその場を去り、経歴の必要のないところを点点と働き渡り歩いた。差別され収入も不安定で住むところもなく、ひどく疲れどうにもないやりきれなさと社会への不満で銃を手に入れて、日本の各地で4人もの人を殺した。

 逮捕されて、あまりの貧しさと生い立ちの過酷さに同情と理解を示す人も現れた。時は東大紛争で若者たちが社会のあり方に疑問と憤りのデモや抗議をしていた時代であった。永山は刑務所内で読書をし、字を覚え文章を書き始めた。それが「無知の涙」であった。社会で評判になった。出版されベストセラーになった。

 アメリカで住んでいた1人の女性が永山と文通し始めた。彼女は沖縄で生まれフィリピンとの混血であったが母親が籍をいれず祖母に育てられた。差別で苦しみ世に憤りを感じていたので永山なら自分を理解してくれると思ったそうだ。彼女は日本に来て、永山と対面し永山の罪を共に背負いたいと思った。彼女はもし祖母がいなかったら、永山と同じように社会に犯罪を犯していたという。彼女たちは獄中結婚して、4人の被害者のうちを訪問して印税を配って歩いた。受け取ってくれた家も拒絶された家もあったが、やがて死刑を執行される人を失う境遇の彼女には被害者の家族の失ったものの大きさが理解できた。

 裁判は、死刑、無期懲役、死刑となら1997年に永山は処刑された。本人の希望で死刑になったときに離婚した。

 彼を支援した弁護士のひとりは東大を中退し、労働者とともに働き貧しい人の側にたって永山を支えた。永山は連合赤軍の永田洋子とも文通して穏やかにやるべき償いを教えた。彼は犯罪者であったが償いの死刑を受け入れ、貧困や福祉の不備が無知をつくり、同じような境遇の人を殺したことに罪を感じた。

 彼の母親もカタカナしか書けなかったが、子供を捨てざるを得ない境遇の自分を責めた。自分も賭博を打つ主人を殺したかったという。当時、福祉で子供たちを発見した役人はその貧しさに驚いたと言う。

 永山は子供のころの暮らしを「木橋」という文にして賞も受賞した。日々、読書と文章書きをしたのだった。

☆愛称「ミミ」の元奥さんの彼女はテレビでいろいろな事実を話したが、実に聡明で正しい行動をする人に見えた。何か貧困に対して、永山とミミさんも大きな使命があって、こうした舞台で生きた気がする。

 豊かであっても、放置された子もいるし、虐待された子もいる。
永山は字も学べ、本も読み、文章も書けたが、知的障害があってそれもできない子もいる。たとえ両親揃って豊かでもそういうハンデもある。

 永山の借りて読んだ本も、出した手紙のカーボンの写しや受け取った手紙も全部残されて保存されている。膨大な数で読んだ本は「資本論」や哲学の難解な本もあって、誰でも彼の本来の頭脳の良さに驚くであろう。


☆私は野尻で太宰治の「斜陽」「晩年」を読んでいた。
太宰は幾度も自殺未遂を繰り返し、地主で貧しい人を搾取している自分の存在を許せなかった。自分が滅びることが太宰の償いだった。
「人間はひとりだけ幸福になることはできない。」

 永山は貧しさのシンボルであり、永山の存在に後ろめたい弁護士もたくさんいた。親から捨てられた子供はどうやって生きたらいいのか?

 永山は「もし、生きて社会で出られたら、塾をやりたい。」といった。一番できる子が一番できない子を教える塾だと言う。

 私はアメリカで生活保護区域の小学生たちを見たことがある。
学習方法も知らないし、宿題もやってこない。この子たちの親も学校で勉強したことがないので「どう教えたらいいのか?」「どう手伝ってあげたらいいのか?」知らないという

 今、公立の小学校と中学校の一貫校ができ始めたが、私学と同じレベルの教育も可能であるそうだが、欠点は格差がつき6年間続くことだという。

☆私も子供を育てたことがあるので言えるのだが、子供の能力は障害がないかぎりそう、差がない。教育熱心の親が誠実に熱心に子供に関われば、かなり確実にいける場所がある。学校のレベルだったり、社会の会社のランクだったり、伴侶のレベルだったりのことだ

 逆に親が教育に無関心だったり、貧困や病で十分にかまってあげなかったら余程天才的な子供でない限り、負け犬といわれる結果になりやすい。調べるとホームレスも貧困家庭の出が多いのだ。

☆永山が勉強して知った社会の仕組み。
 貧困な子供を救う方法は富める者や普通の生活ができる者は心掛けるのだ。貧しい子に教え、貧しい子供にチャンスを与え、世に不満を抱かせないことだ。

 お金がなくても学べ食べれる給食と命の保障。
永山のお母さんも精一杯働いて生きたのだ。そんな悲しい親をも無くすことがこれからの時代の課題。

☆オバマ大統領がノーベル平和賞も受賞した。
多くの有色人種が希望を持つ。
私たち日本人も有色人種ですよ!

てんてこ舞いの月曜日!体育の日ですって?いい運動しました。

 朝から駈けずりまわってます。
5日間の留守の間に来た請求書などの支払いです。
家賃も米代も牛乳代もついでに払って来ました!

 それから明日からの中国旅行のパッキングです。
山は寒いらしい。それで風が吹いても大丈夫なものとロビーや上海で着て歩いても良さそうなものと墨絵のお道具です。今、気がつきましたがエプロンが要りますね!

 つづく
夕飯が終わってお風呂に入ります。
黒のちりめんのエプロンをリュックに入れてきました。

☆長野で美容院に行きましたが、なんと北京旅行に行った5月から行ってなかったのです。そのくらい美容院嫌いな私です。20センチほど切って肩につくくらいの長さになりました。同行の囲碁の先生と琴の先生が48歳の女盛りの美貌ですから、少しは構わないとね!

 家の中は片付け始めると本当に仕事がいっぱいありますね。
長野から果物をたくさん持って帰ってきたので果物を食べ続けてますが、
秋の恵みの豊かなこと!台風の後に落ちていた松ぼっくりや栗を見ていると
自然界の深い調和に敬服するばかりです。

☆街を歩いていると新婚のときにお隣さんだった婦人が歩いていました。きれいな白髪と少し猫背になった歩き姿。公平にどんな方にも年月は訪れるんですね。

 70歳の裏のおばあさんにいろいろ知恵を授けて貰っているのですが、自分の年金でやりくりしてご主人の残したものには手をつけずに生活しているのだそうです。古いものを大事に。お金にはきれいに。

 その年齢にいってない私は可能な限り自分でというのがスローガンです。
「ゴミを出しに行くの。」と言うと、「私が車で迎えにきたときに一緒に捨ててあげる。」「手紙を出しに行くの。」「私が出してあげる」と親切なおばあさんなんですが、私は5分の坂や10分の歩きができなくて、山で生きていけるかと思うんですよね。

 雪かきも相場が決まっていて、事務所が2500円で、村の人だともう少し安くてといいますが、断じて自分の家の階段くらいは自分で雪かきをしますよ!大きなシャベルを買っておこう!

 自分を甘やかすとそれが癖になるのが人間の世の怖さ。
おばあさんのお姉さんはどんなに貧乏になってもシャンプーは美容院の癖があるそうです。私は美容院のあの長いシャンプーが嫌いです。アミノ酸をつけてくれるので髪の質はいいそうですが。自慢でないけど顔にはクリーム、化粧水は一切使わない安上がりの私です

☆滅多にないことですが、主人より早くお風呂に入りました。ラベンダーの香りで癒されて気持ちがいい風呂上りです。そして、娘と大きな洋ナシを半分ずついただきました。主人は昨晩、自分の分の柿を残しておいてくれなかったので全部食べると洋ナシは半分づつでかなり満腹感が!大きな洋ナシでした。

 主人は忙しくてもう私的には15年近くどこへも旅行へ行ってないのです。雑用があってこき使われているらしい。私も仕事?って言えば仕事なんですけどこんなにいい季節に黄山なんて申し訳ない気がします。
もっと老人になったら、2人で旅行する日がくるのなかなあ?

 何はともあれ、皆が幸福でありますように祈ってます。17日に帰ります。

☆追伸kOdamaさま、友人のところにブログ紹介ありがとうございます。
あなた様のブログは英語なんですね。アート関係ですか?おしゃれな感じですね!