November 1st, 2009

美しい女性にも危うい世の中!

 1昨晩から読んでいる太宰治と心中した山崎富栄さんにたいして書かれた「恋の蛍」松本侑子著 光文社

 山崎さんは結婚した三井物産のサラリーマンのご主人を結婚して10日もしないうちに戦争でなくされた未亡人。美容学校創立者の娘で美しい島田の写真が記載されているが、本当に美しいお嬢さんだ。ロシア語も英語も堪能で手先も器用で優秀な美容師として銀座の店で働いていた。父親も美容学校も先駆的でその弟子が美智子妃の婚礼の十二単の着付けをするような由緒正しい心ある指導者だった。
30歳で太宰と心中したのちに、心無い文壇のはかりごとで山崎さんは芸者とか知的に遅れた人とか太宰を殺した人として、山崎さんの父親は「人殺しの親」と中傷され失意のうちになくなられた。

 山崎さんが太宰と会ったときからつけられた日記は1級資料として今、太宰文学を知るうえで重要なものになった。「斜陽」も「人間失格」も「グッバイ」も山崎さんの秘書的な献身に助けられ書き上げたものだそうだ。

 「斜陽」の材料を提供した大田静子さん。家庭を守っていた妻。
そのような犠牲と献身でできあがった太宰の文学。犠牲者は山崎さんの父親や家庭。本妻に生ませた子や私生児となって生まれた子。
文学とはそれほどまでして生み出さねばならないものか?


☆千葉大学園芸学部の美しい女子大生が殺された。
裸で致命的な傷を刃物で刺されたあとに布団をかぶせられ、放火されて証拠隠滅を図られた。カードは幾度かキャッシングされた形跡があるという。
教育者の両親の娘。美人で性格もよく皆に愛されて、農業を受け継ぐ算段で学習されていたのだ。上野でスカウトされキャパクラでもバイトをしていたという。週に2度とか。学費の足しにしていたのかもしれない。ちょっとした世間への好奇心かもしれない。

 美しいきれいな笑顔がテレビで出るたびに美しく生まれた哀しみを感じた。このような殺され方をして、両親や兄弟や友人の痛みは消えることはないだろう。

☆☆☆☆☆
 私はこの間のお誕生日に62歳になった。25歳の娘の母親であり、90歳と84歳の両親の娘である私は自分の若かりし日の危うさや怖さを思い出し、自分の運の良さと両親の加護に感謝するのだ。

 18歳のときから志した絵の道。
両親の言うとおり男子学生のいない女子美術。芸術馬鹿にならないデザイン専攻の大学生になった。

 絵の道というのは想像を絶する不良の世界だった。
19歳のときにモダン・アート展に入選して都美術館に展示された時に、審査員からはがきが来て、「午後1時ころと美術館に待っているから来なさい。」とあった。もちろん、初めての世界だから出向いた。その審査員は彫刻家でイサム・野口とか義理の兄弟の人であった。私の作品の写真集をみて「自分よりいいな。」と言った。彼は国立大学の教授でたくさんの作品集が有名新聞社や出版社から出ていた。玉川高島屋につれていかれ夕飯を食べたような。それから言ったのは「今夜は帰れないと思いなさい。私はあなたに新人賞をあげれる力がある。」と言った。
 私は19歳だったが、それが何を意味するかはわかった。「今日は重要な電話があるので帰らなければならないのです。」と帰った。2度とモダン・アート展に出すことはなかった。そうして団体展の賞というものに信用もしなくなった。

 私は1月に5000円の小遣いをもらっていた。それでお昼も絵の具代もまかなった。私は今日まで両親の金銭的なおねだりをしたことはない。足りない分はアルバイトや節約や工夫してやりくりしていた。
しかし、驚くほど経済的な無心があったのが美術の世界であった。
それは高校生活ではなかったことだった。健康で同じ様に教育を受けているものがどうゆうわけか無心するのだ。そして、それを無視すると暴力や苛めがあって、私はそれを免れるためにアルバイトもずいぶんしていたものだ。

 ☆無心の次に閉口したのは当時はその言葉もないセクハラだった。
勝手に、授業中によってくる教師や授業をすっぽかして寄ってくる教授たちに私は大変迷惑をしていたが、感情を壊せば単位をくれなくなるとか成績を低くするという形で応戦され信じられない程度の低い大学だった。

☆☆☆
 自分の救いは自宅が東京だったことだ。
 両親と一緒に住んでいたことだ。
 これが下宿やアパート暮らしだったら千葉大学生のような悲劇も起こりえただろう。

しかし、危険は大学の中だけではなかった。
私は田園調布に住んでいたが、まっ昼間7分くらいの駅までの距離を歩いている間、台湾人の経営するスナックに引きずりこまれ、時給130円で働かされたこともあった。また、自由が丘の目黒通りを夜の8時ころに歩いていたら背の高いきちんとしたスーツ姿の男性2人が暗い路地を指差し、「あそこにいってくれ。」と指示したこともあった。目の前のタクシーを拾って帰ってきたが、今思うと北朝鮮だった気がする。25歳のころだ。
もし、タクシー代がなかったら怖いではないか?
また、たま出版の瓜谷社長が絵に興味あるとも思えない男性の精神病患者や大学生に私の電話番号を勝手に無断に教え、次から次えと電話がかかってきて浄化塾をやることになったが、辛くて毎晩泣いていたものである。真夜中、12時ころやってきて「家にいれてくれ。」という定時制の大学生などにだ。もちろん、ドアをあけませんでいたがね。

 素朴な質問として「断ればいいではないか?無視すればいいではないか?」と思うだろうが。
現実には悪人というのは「断れないようにもって行くのだ。」
「差別されてる気の毒な青年たち」とか「恵まれない人に親切にしなくてはね。」という具合にである。

 絵を描いているのが職業なのに「自分だけ幸福でいいのか?」「絵を描けない境遇の人がいるのに。」とか20代の女性に海千山千の幾度も倒産して泥水をなめてきた人間たちがただ働きをさせるためにいろいろな手を編み出して、この年になって思い出すと「若い女性を食いものにして一生甘い汁をすおう。」と考える男社会の卑しさとならずものさに憤りを感じる。

☆犯罪を許すな犯罪を許すな!
結婚詐欺も1人の犠牲者がでたうちにもっともっと徹底的に調べ次の犠牲者を出さない努力をなぜしなかったのだろう。もう6人も殺されているのだ。

 また、東京芸術大学の教授の教えだそうだが、「女性を食い物にして成功せよ。」と若い前途あるエリートたちに教えるのはやめてほしい。50歳のK君は芸大の彫刻を出て、自分が成功できなかったのはコネがないことと女の人を食いものにできなかったからだと言う。
この教授もこの50才の彫刻家も芸術の崇高さがまるでわかっていない。
そんなに卑しいものではないのだ。