December 2nd, 2009

神山の気づき!2012年12月23日までの準備!

 27日(金)マトリョーシカを制作した後に中丸薫とベンジャミンの新しい本を読む。外は夜中は雨が降っていた。ベンジャミン・Fの本はバチカンにいた人との対談で多くの聖職者がお金のためにバチカンを利用しているという。世界の貧しい人を救うのに富の集中化は避けないといけないので、お二人とも暗殺の危険を冒して組織を糾弾している。中丸薫の本は2012年に生き残るために必要なものは、心の浄化と水と食料のたくわえだという。3日間は電気なども使用できなくなるそうだ。それで、電気に代わる燃料を用意すべきだと。

 28日(土)今日のご飯は隣の人が持ってきてくれた大根がまだ1本残っていたので、東京から持ってきたぶりと一緒に「ぶり大根ご飯」」を炊いた。おしょうゆを少しぶりにつけただけだが、それがおいしかったのよね。仕事をづっとしていて、12月のマトリョーシカ講習に「ノアの箱舟」の写真を見せてほしいということなので庭で撮影をする。


 4時に裏の未亡人のところに行き、P君の縁談についての報告をする。裏の未亡人は今日はP君と新潟まで私の家の雪囲いのためのパーツを買いに出かけたとのことだった。この前もそうだが人の話の中で礼状の大切さを再び話してくれた。心に記憶ある永平寺で車で永平寺まで連れて行ってくれコーヒーと蕨もちなどをごちそうしてくれたままになっていた一件だ。私は金沢のおみやげの「柴舟」と新潟の「柿の種」を持っていったのだが、帰りにスーパーでもらったというサツマイモ1本、白菜4分の1、サトイモ4個もらった。それで、家でサツマイモを薪ストーブにくべたが炭化してしまった。加減がいまだわからない。

神山であう人たち!

 11月30日(日)朝から絵を描いていると、未亡人が昨日私が青い帽子を忘れていったと持ってきてくれた。パンもアンパンとチョコレートパンのかわいいサイズのをもってきてくれて、家にあがってもらった。描きかけのマトリョーシカがテーブルいっぱいにあったせいか、たぶんお昼を一緒に食べようということだったのだと思うけど、急いで迷惑をかけたくないと帰っていった。お孫さんが音大のピアノ専攻で家でビデオで演奏風景を見せてもらったばかりなので、「マリア・コード」を渡した。
それで、制作を続け、お昼を食べた後にバスに乗って、信濃町の唯一残った写真館までいって、デジカメの写真のプリント・アウトをした。おじさんが大きなマトリョーシカの白木の写真に興味を持ったようでいろいろ話しかけてきた。この町は文化程度が高くてなかなかの知識人が多いのだ。

 歩いて「第一スーパー」に行き、マッチ箱、りんご、あぶらげ、サラダ菜を買った。今日の新聞に出ていたので、「ステーキ丼」をつくるつもりなのだ。そして、駅前の「信濃」書店で「西原」の漫画本を買った。投資で1000万円すった話だ。本屋のおかみさんはきれいな人で、隣接の「コーヒー店」に飾ってある音楽の絵の話をしていた。いつも前の席を3つとって、演奏風景を墨絵で描いていた人がオーケストラの人にオーストリアで個展の話をされ、よく売れたようだが、この時節はさっぱりで、本屋の経営もボランティアのようなものだという。
バスに乗って帰ったのがまだ3時ころで、早めに夕飯の支度をした。
お味噌汁にサトイモ、あぶらげ、白菜をいれて、ご飯はたけてから黒胡椒をかける。ベビー・リーフの代わりにアスパラガスで、にんにくとステーキ用の牛肉を黒胡椒と塩でバターいためして、ご飯に載せるだけなのだけどとてもおいしく豪華な感じ。

 プリントした写真を整理してちいさなブックレットに収める。そうして、延々と仕事をするのだ。

 聞いてる音楽はピアフのシャンソンで夜読む本は「ランボー」。
ランボーって今から100年以上前になくなった方だけど、すごくやんちゃで純粋で生意気で37歳で全身のがんでアフリカでなくなった。「地獄の季節」しか出版しなかったけど、20すぎて、文学には興味なくなってアフリカで武器商人をしていた。女の人には興味なく厳しいままや妹に看取られて亡くなった。性急に生き、フランスの詩人として不朽の名作を残した。
若いときの感受性は弱いものにやさしく革命の嵐の中で貧しい人たちが人間として立ち上がるのを応援していた。ステーキどんぶりは本当においしくて1人で食べて申し訳なかったくらい。お肉は東京で買って氷で囲ってもっていきましたが、氷も解けてないうちに冷蔵庫にいれておいたもの。

12月1日(月)今日も晴れ。朝はお味噌汁とアサリとしいたけの佃煮とお海苔のご飯。今日は「無印」長野で買ったアメリカからのお客さまようの枕、かけぶとん、敷きぶとん。加湿器。こたつのコタツ布団とかけシーツなどが午前中届く日なので自宅で待機。大きなダンボールがふたつ届きました。お二階に運ぶのも一苦労でしたが、整理しないと1階が手狭なのでもっていきました。
お昼はカレーライス。そして仕事をづっとしていたのですが、郵便局に行って「聖母の騎士」の購読料の振込みに湖近くの郵便局に行った。
きれいな切手が出ていたので、6シートを3種買う。そうしたら、洗濯石鹸と来年のカレンダーをくれとても親切なのですよね。
湖は冬景色で遊覧船も終わってました。それから帰る途中に、私くらいの年齢のなんとなく似た感じの女性とあい「しゃれた喫茶店もないしケーキも買えないわね。」などとお話しているうちに、「家でコーヒーを飲みましょう。」とお連れした。彼女は60歳で独身で、40年ほど持っている父親の別荘を相続して会社も退職し、その別荘をリフォームしたいと考えているようです。薪のストーブにもしたいし、おトイレもポットンはなんとなく香るらしい。ふたりでコーヒーを飲んでいるうちに、清明台に住む彼女の別荘は
高速の通ったところで車が真夜中もうるさく、周囲に永住組みのグループもあって昼間はみないないという。帰りはバスで「黒姫高原行き」に乗るそうで、4時ころお帰りになったと思うけど、18号線の反対側の黒姫高原のほうは熊もよく出て、亡くなった方もいるようだ。
 夜は白いご飯が残っていたのでお味噌汁とあさりしいたけの佃煮とお海苔でおいしくいただいた。

12月2日(火)は夜までには帰ろうと思ったので、掃除をしながらマトリョーシカを描いていたら、昨日コーヒーをお出しした方が大工さんを連れて来られた。ストーブとそとの風景を見られた。今日は帰る日なのでもっぱら掃除とせんたくでいっぱい。食べるものも朝はトーストとフルーツ、コーヒー。
お昼は冷凍庫にあったフランスパンのかけらと紅茶というぐあいで、残り物をみな食べます。あたらしいシーツを2階と1階のベッドにメーキングして、永平寺の方へのお礼に郵便パックに絵本を3冊いれました。いつもより遅めで3時36分のバスで黒姫駅についたのですが、JRのほうは4時21分で時間があるので「信濃」喫茶に行きました。郵便ポストに郵便パックがはいらないので、長野についてから出すことにしました。

 長野駅で乗り換えの際にポストに郵便パックを無事入れて、夕飯は「栗おこわ飯」のつづら容器入りを買い、新幹線の中でいただきました。帰りの日は結構疲れます。ストーブをきれいにしたり、ごみだししたりでやることも多いです。自宅についたのが夜の8時台だったような。

きのこのマトリョーシカの白木はチェルノブイリの被爆者のためのベラルーシ南部、ゴメリ市の被災者や障害者の施設「のぞみ21」福祉工房の製作したものです。この12月にも封書が届いてますが、とにかく被爆者は大変な犠牲を強いられているようです。