December 16th, 2009

とうきょうの師走!

 明日、父が退院。どこも悪くなかったと検査の末での退院。

 娘からのメールでまにあわなかったので、自分の部屋の掃除を頼むとあった。3万円くれるという。日ごろ、入らないでというので、入ったこともなかったのだが、すさましいことになっていて、しばし自己嫌悪。4月から地方国立にかようのでしっかりアパート暮らしを教え込まなければ!窓を開けて、しっかり掃除と洗濯を始めたが、あと2日くらいかかりそう!

 留守中に届いていたものはBESS社のカレンダーと10000棟のコテージを建てた記念という2つの写真いれようの額縁だ。トリノの180年前からのチョコレートの老舗のかわいい包みのチョコ。エンジェルの絵の箱に入っていて、キノコ型とかかわいい動物とかの包みが楽しい。これは姑からのクリスマスのお菓子。山谷のホームレスさんたちの山友会とフィリピンのらい病者の村、タラからの寄付依頼。「聖母の騎士」とアマゾンで購入した古本の「刑場に消ゆ」点訳死刑囚。



「マトリョーシカ教室」のあとで絵の具の無駄をしないように徹夜で作ったマトリョーシカ軍団でこれもまだ未完成。ピアノの上と玄関に飾っています。少し写真がぼけましたが。
小さなパンジーの鉢は、五反田東急で先着200名に限り60歳以上は無料でくださるというもので、夕方5時ころだったが100八くらい残っていたものに家の植木鉢にいれて聖母像の横においたもの。

神山の浄化!

 1ヶ月ほど前に、神山からそう遠くでないところに30代後半の子なしの夫婦が越してきた。家賃2万円の古い一軒家に越してきて自由に家を改善というしてよい条件で暮らし始めた。

裏の未亡人が同郷ということで夕食にその夫婦を呼び寄せた。私っも偶然に夕飯をすませて草加煎餅をひとふくろ持って出かけたときだった。
「もうそろそろ貯金がつきたので、そろそろ働かなければ。」という。私が結婚当時主人の収入が少なくて、こどももミルクがいるのだから働いてくださいと空いている時間を働いて収入を増やしてくださいといってから職業を問わずに働くようになった話をしたのだが、未亡人はその話から私を信用するようになったという。

 若い夫婦の奥さんのほうには蕎麦屋が新しくできたので未亡人が紹介してすぐに採用が決まった。週に4度くらいで時給700円くらいの田舎でのことだ。若い主人の方は「片方が決まったからいいんだ。」と未亡人の家に夕食を再び食べに来て言ったという。

訊けば、若い主人は司法試験を受験中に奥さんが働いて食べさせていたという。5、6年たって弁護士の夢をあきらめて、長野のリンゴ園で夫婦して働いた。11年ものことだ。奥さんの実家は結婚に反対して夫婦を家に上げてはくれないという。りんご園を経営するでもなくりんごの剪定師になるわけでもなく黒姫に移り住んだ若夫婦をP君は以前から知っていたという。それで未亡人の家にも来るようになったのだが、未亡人は同じ年頃の息子がいて年に1000万円稼ぐので、自分の娘がもしそのような男と一緒になるのならやはり親としては許せないという。その上、夕飯にありつくことに味をしめて「今夜も行っていいですか?」「私、さもしいの嫌いなのよね。」といっても通じなかったようで、少し周囲の人に愚痴をこぼしたという。

 信濃の婦人たちは働き者である。男が何もせず奥さんに働かせているのは許さないのであった。それで、応援で若い奥さんの働いている新しい蕎麦屋に総勢8人で食事会に行き、おさしみやほかの料理も食べて大いに若奥さんをねぎらい励ましたという。そのとき、いた若い主人(38歳で若いと書くのも抵抗があるが)は一生懸命自分を売り込んでいたが、全員で無視をしたのだという。紹介したP君は世話になっている未亡人に迷惑かけたのが辛かったのだろう。おだやかな人だが「働いてください。」とパンチをかましてしまったのだという。それで若主人は驚いて、早速隣町にスーパーに就職をたずねて働くことになったのだった。

 家の一軒でも買えるように(200万円くらいで買える)貯金して、早くお嫁さんの実家にも安心してもらうことが大切ではないかと未亡人は言うのだ。若いといっても38歳。電話がかかってきて、「ようやく自分の家の台所が修理が終わりましたから、夕飯を食べに行ってもいいですか?」と電話があったので、「何か用事ですか?」と訊ねたものの、自分の家の台所が修理できたなら、ぜひ家で夕食を食べてくださいというのが筋だろうと未亡人はいうのである。しかし、若奥さんはちゃんとお世話になりましたといって、蕎麦屋で2皿を8人の婦人連に出したのだという。

 うん。やはり一所懸命生きないとね。
 愛されないとね。
 それって世界共通のような気がする。

 神山に訪れた若い夫婦はずいぶん幸せになる道を学んだと思います!