December 21st, 2009

愛を実践した小林多喜二の愛した田口瀧の死。

 クリスマスが近づくと人類の永遠の幸福のためになくなったイエス・キリストのことを考える。

 小林多喜二が29歳で権力によって虐殺されてから1昨年75年目になり、「蟹工船」の本がベストセラーになるようになった。時代の不況と格差と派遣の解雇などが起こり「蟹工船」の過酷な暮らしがとおいものではなかったのである。

☆小林多喜二に影響を与えた5歳年下の恋人、田口瀧(たき)が101歳でなくなっていた。週刊新潮の「墓碑銘」に出ていた。

 小林多喜二は本当に素敵な人だ。瀧さんはこのような人にであった幸せな人だと本当に思う。

☆小林多喜二はやはり男なのだ。p129「週刊新潮」12月24日号より
 ふたりが出会ったのは大正13年の秋の小樽。
 北海道拓殖銀行に勤める21歳の多喜二は友人に評判の美人がいると誘われ、酩酒屋を訪れた。
 苦界の女性がいた場所で、16歳の瀧さんもその一人で、明治41年小樽生まれ、父親は喬麦職人だった。商売に失敗、瀧さんは14歳で売られる。



「闇があるから光がある。」という有名なくだりは瀧さんへの最初の恋文
(大正14年3月2日つき)の冒頭の言葉だ。〈そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光のありがたさがわかるんだ。(中略)何時かこの愛で完全に瀧ちゃんを救ってみせる。〉と続く。悲観しないためや教養のために手紙で読書を薦めている。
「瀧さんの存在そのものが影響を与えた。娼婦は社会の矛盾が集中的に現れていると、多くの小説の題材にし始め、社会を問うテーマも広がった」「小林多喜二伝」の著者倉田稔さん〉

 出会った翌年の暮れに大金を工面し、瀧さんを身請け、小林家でともに暮らす。しかし1年もしないうちに瀧さんは家を出た。文学に打ち込む多喜二に迷惑をかけたくない思いと、嫁でもないのに家族に大切にされていることへの気兼ねだった。多喜二は必死に探し、病院で自活する瀧さんを見つけた。

 「蟹工船」が発表された昭和4年、銀行を解雇された多喜二は上京、瀧さんも洋髪技術を学ぶために後を追う。ともに暮らした日々は短い。刑務所の壁に隔てられ、保釈後に多喜二は地下にもぐったからだ。獄中から、〈色々な点で、所詮僕たちの仕事とは離れた処にい、それがわからないために、今度のようなことがあると、まごつく〉のでは困ると言われては気の毒だった。

 地下活動中、多喜二は伊藤ふじ子と行動をともにした。それでも瀧さんに置手紙を残している。瀧さんが次に見た姿は、拷問の傷痕が残る亡骸だった。

☆瀧さんは戦後、横浜の貿易商との良縁に恵まれた。
夫の他界後「私は何ももっておりません。それを恥じて、小林との結婚を辞退した人間です。今となって生き恥をさらしたくありません。」と澤地久枝が手紙を幾度も送った返事に書かれていた。

 小樽文学館副館長の玉川薫さん、「10年前にお目にかかりました。つつましく控えめな方で、多喜二兄さんと呼んで尊敬していた。多喜二さんのお母さんのセキさんの命日に弟さんのバイオリニストの家を訪ねられていた。
孫の相手や家事の手伝いに忙しくされ、6月19日に老衰のため101歳で今年なくなられた。晩年は神奈川県内の老人介護施設で過ごされた。

師走のある日!

 テレビを見ながらアイロンかけをして、娘に届く品物を午前中にひきとり、カレー・ライスで軽くお昼をいただいて、郵便局に4つの支払いに行きました。「釜崎キリスト教」「ユニセフ」「山友会」「イグナチオ・タラ・らい村」。カトリックの教会活動が多いです。今年はどこも資金が厳しいようでいつも分厚い冊子を送ってきた「釜崎キリスト教会」もずいぶん小冊子になりました。私もこれ以上は無理というギリギリの支援を郵送しました。

 それから父の家に行きました。父は元気で自分でうなぎのお弁当を温めて食べてました。それほど汚れてないのですが、寝具替えや床の拭き掃除と掃除機かけや整理整頓をしました。

 夕方でしたので夕焼けがきれいでした。
弟といろいろ雑談して、両親が今年も無難に生きていることに感謝しました。いつものお店でのお買い物はバーゲンで半額になっていたので、娘のパジャマと正規の値段で暖かい部屋着のズボンが買いました。みているだけで暖かそうなミント色のやわらかいズボンは娘に似合うと思ったのですが。

 自宅に着いたので、中華を食べて郵便物を見ると、中部電気からの請求書が、オール電化なので仕方がないのですが、1万円を超えてました。少し長く長野にいたからかな?

 そんなわけで結構な出費になったのでした。

☆掃除を家でもしていたのですが、単調な仕事なので「中村うさぎ」の「うさぎの行き当たりばったり人生」を読んでました。
平成14年11月25日初版発行、角川文庫の小さな本ですが、ブランドの洋服、バッグ、靴などの写真が記載されてました。買い物依存症で購入した高価な毛皮のコートやスーツはたしかにずいぶん素敵なものでした。
この本によると買い物依存症のあとはホスト狂いになりやはりダイナース・カードで月200万円近くの浪費をしていたそうです。

 いくら借金をしても高価な服やバッグをこれほどそろえられるのはやはり収入があるからでしょう。そして、彼女の押さないときの写真も記載されていて、幼稚園の学芸会から主役になれなければ別の力でも目立ってやるという性格があったことを書いてます。

☆「週刊文春」のコラムの欄をよく読んでいるのですが、うさぎさんはとても正直な方です。
 うさぎさんはサラリー・マンの家に生まれ、横浜の「そう真」というプロテスタントの学校から親の転勤で関西に行くことになり同志社の大学の英文科に学ばれたようです。やはりキリスト教の学校ですよね。

 うさぎさんは自虐的とも思えるほどに借金のできるまでに買い物し、ホストに貢ぎ、税務署にマークされながらも体験的冒険的な性や整形美容の実験にも身をさらします。

 うさぎさんはこの間、婚活詐欺殺人で名がでた木嶋佳苗さんと自分は似ているともいうのです。自分をきわめて低いところにおいてるのです。ウサギさんによれば、セレブ志向とかブランドの買い物依存は自分に自信がないからだというのです。木嶋佳苗さんの気持ちはよくわかるというのです。

 でも、うさぎさんのお父様はエリート・サラリーマンですし、うさぎさんは容姿も頭もいいと思いますので、そんなに劣等感があるのが不思議です。

 うさぎさんは容姿も才能も1番出ないというのがつらいそうです。

☆うさぎさんほど自虐的ではないのですが、誰でも普通はそんなになにもかもはよくはないのだと思います。そんなときに耐えられないほど苦しいとか傷つくというのがうさぎさんの優秀性でしょう。ブランドを身に着けることによって、そのブランドの輝きが自分に乗り移るそうです。
しかし、うさぎさんは詐称はしないのです。嘘はつかないというのがポリシーのようです

 人間は「なにもの」でなければならないのでしょうか?
 その他大勢ではいけないのでしょうか?

 そのために努力して
 そのために無理をして
 そのために詐称や他のブランド力を使う。

 そうまでして「なにもの」になるのでしょう?

☆うさぎさんのエッセイが売れるのは、きっと多くの女性に眠る心理が代弁されているのでしょう。

☆私は今日は掃除が主なので1000円で買ったアクリルのオレンジの徳利セーターと1000円で買ったデニムの紺のスカートを着てましたが、惨めではなかったんです。からし色のロンドン・ブーツに濃紺のイタリア製のベストはやはりやや高めでしたが、どちらも定価の半額くらいで買ったものなのでした。水色とグレーと焦げちゃの毛糸の襟巻き。水色のキルト加工のコート。グレーのソフトタイプの帽子でした。

 62歳相応の醜い顔が駅のホームの鏡や窓ガラスに映ります。
これが現実ですから、傷つかずに認めます。

☆「山友会」では、満室のホームレスさんたちが個室でゆっくり人間らしく暮らせるホームを作ったそうです。「人権賞」にも輝いたそうです。
えらいなあと思ったのは、ホームレスさん全員の集合写真が「ありがとうございました。」と添えられてあるのです。

 事実をしっかりと受け止める。
 これはすごいなと思うのです。

うさぎさんも乱雑なマンションの中でブランド製品が踏みにじられ重なりおいてある写真も公開している。

 そういう病だというのです。

☆私は母の集めた人形や陶器のお茶カップなどを見ながら「誰に見せるわけでもなくよく買ったわよね。」と弟に言うと、「買ったことで満足したのではないかな。」というのです。
 でも、ついいさなかわいいものは母と出合って、そして母が手に入れることができて寄せ集まったのです。

 意外と多くの女性に共通のものではないかと思うのでした。

「もっとすごい収集癖を見たけれど、ママのキャビネットが10くらいあって、もっともっとお金がかかっているの。」

☆うさぎさんはそんなに自分を卑下したりせめなくてもいいのではないかと思うのでした