January 21st, 2010

おまけブログ 2001年アメリカから帰国以来10年目の介護疲れ!

 7年のボストンでのハードな暮らし。そのうち4年間は娘と母子家庭で私も大学生になって学生ビザで暮らしたので睡眠2時間から3時間で生きていました。それは駐車場が8時になると禁止になりその前に車を動かさないとレッカー車に持っていかれ、およそ1万円取られるのを防ぐためでした。
深夜は12時まで学校でアートをし1時前に帰ってきて、宿題や家事やお風呂など入ると4時ころ眠り、朝は7時前に起きて朝食を食べたり着替えをするわけです。

 2、3時間の睡眠時には「生きているだけでいい」という状態で朦朧としてます。そして金曜日の午後から日曜日の夜までは娘を寮から迎えに行き日本人生活を家でしたのです

 大学生になった娘を置いて帰国して主人と私だけの生活ですが、姑と同居してますので神経は休まるときはないのです。そうこうしているうちに母親が呆けなども出てきて、毎週火曜日に日本橋三越か目黒のイタリアンレストランで待ち合わせ食事や買い物やお芝居などを共にするのが私なりの親孝行でした。

 主人が漆かぶれをしたのと油絵の具のにおいが駄目なので姑に2度隣の家か近くのマンションにアトリエを借りる相談しましたが「方角が悪い」と「土地の所有が多すぎる」とのことで相談したら反対されるのだと悟り、隠れアーティストを3年間、家の隣の向かえのマンションを借りて続けてました。主人も私のアーティストの仕事には協力的ではないので一切自立して隠れて(娘には伝え)家賃も自分で払ってきました。16万2000円ですのでよく払えてきたと思います。その間、娘は夏と冬は休暇で帰ってきました。

 娘が卒業してから帰国して日本の大学院に通うようになって母がクモ膜下で倒れ、中目黒まで洗濯の浴衣を届けたり実家の掃除などでお稽古に通っていた書道や能は全部やめました。体力的に無理になりました。

 しかし、絵だけは父の母の祈りでしたので小規模ながら続けてきました。本当に体はへとへとでした。母が渋谷の松涛の完全介護の病院に行ってからは洗濯物がなくなりましたが、父の家の掃除は週に1度通ってました。娘が自宅にいるので娘と食事をするのが日課で、主人は日曜日は3食一緒ですが普通の日は夜が遅いのでかなり遅めに食べるのでイレギュラーです。

 ブログなるものを知ったのもそんな時で亡くなった女性のブログに書き込みをいれたのが3年前ですね。それで、薦めてくれる人がいて自分のブログも作ってみたのです。

 昨年はコテージを建ててアトリエも作りました。もう時間が無いので絵を描く時間をつくらなければいけないと思ったのと、父がたいそう自慢にしていたいい場所の土地だったので誰かが使わなければいけないと親孝行のつもりでコテージを建てたのです。これがずいぶん予算オーバーでした。
また、維持費がたいへんかかることがこのごろわかりました。
それで16万2000円のマンション部屋を8万3000円の場所に引越しました。そうして東京と長野で制作を続けられるようにしたのでした。

 ☆予想だにしなかったのはこの世界的大不況によるアート業界の低落で、かなりの老舗というか格のある画廊が閉店し始めたのです。それも私にはまったく関係のないことなので風景にしか過ぎなかったのですが、その経営者の女性が、素敵な女性といわれてきた人が自殺したという情報でした。借財をかかえて大きな画廊が自殺するということは今はじまったことではないのです。また、この不況で絵のコレクターも自殺した話もききました

 父や母が倒れ、もとより自立を目標に育てられたのでこどもたちは皆質素で分相応の暮らしに耐えて生きてきたのですが、実家の家業も厳しい状態になり、私のポジションはまったく関係ないものの携わっている長男には生気もなくなっているようで、私の心労もピークになってます。

☆ブログを昨年でやめたのはこのような状況だからです。

 メールで驚いた中には心の寄りすがりのようになさっている方の中止は困るというものでした。

 基本には人間は自立して生きて、余力があれば他人をたすければいいいけれどそれを当てにすることはあってはならないし、つらいときこそ自力で踏ん張って他人に期待しないことが大切だと思うのですよ。

 ですから、これからも絵も描くし介護もするでしょうし、家庭もなんとか皆の幸福のためにがんばるけれどこれは基本的には私の生活でしかないことを確認してほしいなと思いました。

 私も聖母マリアに祈ってもイエスさまに祈っても。どこか距離もあるし願いというより「よりいいほうに」という程度なので裏切られるとか祈りがかなえられないという挫折もないのですよね。悪いことがあれば自分が悪いと思いますし、誰かのせいにもしません。

 今は誰にとっても厳しい時代なのでそれぞれの生活も厳しいでしょうし精神的にも支えがほしいと思うのですが、それは人間には期待すべきではないと思います。

☆ある相談記事に「兄弟がいて片方が1000万円の年収があり、片方が無で、二人とも健康だがこの場合1000万円の収入のある人は無いほうにお金をあげる義務があるか?」というのがありました。答えは「無い」仮に事故で体が不自由とか自然災害で仕事場が使えないのなら別だがとありました。

 コテージに夏からいろいろなお客さんが来てくれましたが、もちろん民宿でないのですから無料なんですがそれぞれの人柄が出ます。
・ものを壊したり汚したりしても何もいわない。壊したと言っても謝らないしもちろん弁償もしない。
・負担をこちらにかける。
 重ければ持ってくれ。高いから払ってくれという具合です。
・自分のシーツや枕カバーを用意してきて迷惑のかける場を少なくする(姑)。
・私が帰りの掃除をしていたら手伝う(娘のボーイフレンド)。娘は2階。私は1階。彼は自分から階段をふかしてほしいといってくれた。

 これだけ差があるのです。
 ある人たちの場合はこちらは睡眠がとれないほど大変です、でも、気に入って春も夏も来るというので「ペンションを紹介します」と言ってしまいました。

 仲良しのテレサさんは修道院に泊まってもその近くの平均代のホテル代は置いてくるそうです。私もそうありたいです。学びました。

 それで、少し反省したのですが善意だけでは理想郷は創れないし、現実に「ただだから行こう」みたいな卑しい心を育てては絶対いけないので少しやり方を考え直したいと思ってます。

☆私は一切の寄付をいただいてないのでコテージは個人財産ですよ。
そして管理費も固定資産税も払っているし電気代や浄化槽代や水道代なども自分で払ってます。そしてこれからもそれを他人に請求する気は無いのです。自分の絵の売り上げや働いている会社の給料をまわしているので自立した空間だと思います。

 ですからブログもやめたら困るというメールを下さった方ややりかけたことを途中でやめるのはいけないという趣旨のメールをくださった方がいて少し戸惑いました。ブログというのはたいそうなものではないです。
私は他人が何かをやめてもその人にクレームをつけません。基本的に自由ですから。

 私にはブログを書かなければいけない義務はないのですよ。
 
 でも、家族や絵のことは義務なんですよね。

☆これからは体力も落ちているので人間付き合いも減らしていくつもりです。若いときは我慢できた辛いことも、もう無理するのはやめていいのではないかと思ってます。極端に言えば引きこもって誰ともつきあわないで絵を描くつもりです。

 絵を描くというのは厳しいもので遊び半分や片手間には私は絵を描きません。

 しかし、「おまけブログ」という形で軽く書くブログはあるでしょう。

☆父や母の様態が予測できないので断定できませんが、今年は他国にいっていると思ってます。そして行く先は明示しないでしょう。

それは健康管理の意味もあるのです。
もう、立っているのもやっとという日もあるので少し状況をお察し下さると助かります。

 付き合いが悪いと思われるかもしれませんが、もともと凄い人間嫌いなんです。ですから何とか無理して人間愛で交際をしてきましたが、体のほうが倒れそうです。このところの不安は両親よりも早く逝ってしまったらどうしようというものでした。娘がまだ一人前ではないので死ぬわけにはいかないんです。掃除もろくにできないのでせめてそのくらいは教えこまないと死んでも死に切れません。ご理解ください。