April 26th, 2010

おまけロンドン旅行のメッセージ!「ノアの方舟」!

イギリスの初日はフライトの日を待つことだった!

4月19日(月)本来ならば日本に帰国している日だったが、私たちアイルランド巡礼団は、その日を待ち続けるために飛行場近くの安いホテルNOVOTELに宿泊しながら日本へのフライト情報をニュースで観ていた。
 皮肉なほど晴れてるロンドン。
 阪急旅行社からお詫びのためロンドン三越で日本食をごちそうしてくれるということで1人を残して(本人が部屋で休養を取りたいといったため)地下鉄の団体割引き1日チケットを買ってピカデリー・サーカスまで行った。
 地下鉄は数年前(たぶん10年ほど前)に行ったときに比べると数段きれいになっていた。
 ロンドン三越の地下で和食をいただいた。私は刺身定食だったが選択として焼き鳥どんぶりとチラシ寿司があった。
 それから、免税のカードをもらうためにずいぶん長く三越にいて、教会に訪れるものとそのままホテルの帰るものに別れて、行動した。
私と同室のYさんは部屋に帰る組みになって、テームズ川のかかる新しい橋を通って観覧車やロンドン塔などを見ながら川のそばで風にふかれてベンチに座っていた。「ウォ-タールー駅」まで歩いて地下鉄で帰り、駅のスターバックスでアイス・コーヒーを飲んで私は小包みを日本に送るために郵便局に走った。
夕方5時半までで、昨晩のうちにパッケージを郵便局で買っておいたのであった。

 アイルランドで買った重いものを少しとアイルランド観光のための本やパンフレットなど4キロ弱を送ったのだが、5時半を1分ほど前の人が終わってからたったので「明日来い」と言われたが、「明日は飛行機が発つかもしれない」と断り、その日に送ってもらうように交渉したのだが、時間外超過料金ということで60ポンドぐらいも取られた。これからの日程がわからないので少しでも荷物を軽くしようとしていたのだ。行きは19.7キロのスーツケースの重さで23キロまでが許容範囲であるとう。

 その小包みの中にはダブリンで買ったオルゴールもある。「ノアの方舟」の中にアイルランドの美しい音楽が奏でられるようになっているものだ。そういえば、ダブリンの中心街を歩いているときに宝石屋で飾られていた精密な「ノアの方舟」は木と銀でできていたが見事で動物のつがいだけでもずいぶん高くとても手が出るような代物ではなかった。

 夕飯は各自取るということで、アイルランドでボリュームたっぷりのマッシュ・ポテトとソーセージやベーコンの辟易し始めていた私たちは、朝の食事の果物やパンなどの残りもあるので軽くジュースなどを買って部屋でいただいた。ミネラル・ウォーターだけはいつも買って部屋で日本茶や紅茶を沸かして飲んでいた。

 部屋代ももう割引がきかないとのことで2人部屋で2人でわけるとはいえ日常からみれば非日常の出費で少し引きしめねばと誰もが思ったいた。

 そうはいっても、火山灰でフライトが飛べない事実はテレビで「危機」から「カオス」と表現され始めていて、黒い煙に真っ赤な火山の爆発風景と各飛行場でぐったりと休む旅行者の映像は決して明るいものではなくて、ベテランの添乗員も私たちが飽きず不満にならずに。ロンドンに滞在することが可能なように現地の1日ロンドン観光のツアーのあることを紹介し、それぞれ興味のある所に出向くことになった。

 何しろ、おそろしく青空で飛行機雲がないのだ。

4月20日(火)私と同室のYさん、K夫妻、男性のY氏とF氏はヴィクトリア駅から出る「コッツオルズ1日観光」に出かけた。朝9時ころ出発だっただろうか?チャーチルの城やオックス・フォード大学も訪ねるバス旅行で石造りの家並み、小川のせせらぎ、緑の丘、イギリスの中でも最もイギリスらしいとのことだった。

 白鳥やオシドリのいる小川は本当に美しく、チューリップやラッパ水仙の咲き乱れる田園風景も本当にのどかでゆっくりとお茶したいと思ったものだ。お土産に花の種を3袋とカメラの調子が悪いので買ったカードとちいさなオスカー・ワイルドの本。

 チャーチルの城は広大で庭は成田の広さがあるという。貴族の生活の豊かさは階層社会の厳しさを物語るが手入れの行き届いた庭はため息の出るような見事さだ。やや寒い庭のベンチで昼食を取る。
キャッシング・マシーンがあったので試みにカードをいれたらちゃんとポンドが出てきた

 オックス・フォード大学に来れるとは夢にも思わなかったが教会を通り、町の店を歩き紅茶ハウスでお茶をすると学者たちがお茶を飲んでいる風景も落ち着いていてなんだかやっぱりいいのだった。
「おいしいイギリス」でも読んでみるか?

 ヴィクトリア駅にはドーバーに行ってフランスを観てきたグループも同じころに着いていて、一緒にハーマン・スミス駅近くの韓国と日本料理の店に入り「ちじみ、キムチ、てんぷらうどん」などを食べた。
お寿司やあっかんを食べたグループもあって皆久しぶりの日本食に大満足であったようだ

 個人的にはアイルランドの貧しさとイギリスのある階層の豊かさに貧富の差やオックス・フォード大学の象徴するエリートや「ビッグ・イッシュー」を売るくたびれたホームレスの存在になんだか2012問題の救いのカギがあるように思えて考えていた。

 60以上の参加者の巡礼団12名の疲れも出てきて手持ちの薬が切れたり、腰が痛いなどの症状も出てくる人も増えた。私もひどい咳風邪でアイルランドの薬屋で買ったシロップのほかにみるに見かねて同室のYさんが日本の咳止めの苦い薬も分けてくれたが、なかなか治らないので自分も苦しかったが周りにも迷惑のかけどうしだった。

4月21日(水曜日)は日本にいれば父の家の掃除の日だが、火曜日の4時ころに弟に電話をして事情を説明した。アイルランドに行くことを言っておいたのでアイスランドの火山のため帰国がままにならないことを知っていた。父は安泰のようでそれが安堵だった。春だし家でくつろいでくれているだろう。
ニュースで日本の東京で雪が降ったとか箱根に雪が積もったとか聞いた。12人もいるので情報が聞こえてくるのだ。

 この日も天気で、私たちは昨日と同じメンバーで謎の巨石群ストーンヘンジとお風呂の語源になったバースの町のローマ時代のお風呂の跡を訪ねた。

 この2箇所とも日本語のオーディオが付いていて説明がわかりやすく、古代の文明に圧倒されながらもとても有意義な時間が取れたのだった。お昼は久しぶりに皆でピザを食べてそれがおいしかった。

 ミステリー・ゾーンのストーンヘンジが解説本も日本語が出ていて、あの巨大な石を運ぶのにもずいぶん古代紀元前3000年前に人の叡智にいろいろと考えさせられた。周りの円形の古墳やミステリー・サークルも描かれた写真などを見ると周囲の羊の群れやハイウェイの車の列もなんだか素敵な調和だった。

 7時ころヴィクトリア駅に帰るバスはそれぞれに降ろしてくれたのでハロッズ前に降ろしてもらったのだが、アラブ人がとても多くブランド店の並ぶお店に違和感を感じて、すぐに帰ってきてしまった。
夕食はマックでチーズ・バーガーとコーラを買ってホテルで温かいうちに食べた。

 そういえば、この日は豆腐の入ったヨーグルトのキャンペーンをやっていてヴィクトリア駅でヨーグルト4個とドリンク1箱の紙袋をひとりづつくれて、それを食べるのにいっぱいだった。

 イギリスは2回目、3回目の方も多く疲労も出始めて部屋で1日休まれていた方もいた。しかし、もう空に飛行機雲や飛行機が飛ぶ姿が見えて帰国できる日も近いと思えた。

4月22日(木曜日)日曜日の予定が土曜日に帰国のためにフライトが出ることになりパッキングなどが始まった。
4月23日(金曜日)英国博物館に行くグループがいたが、私は最後のロンドンを美術館巡りの日にした。
 朝10時に開く三越に行き日本の旅行本をチェックして画廊街とテート・モダンの地下鉄駅を確認した。セント・ポール寺院駅で降りてテームズ川を橋で渡りテート・モダンへ

 ☆あまりにもラッキーなことに「アララトの聖母」の絵が回顧展で展示されていた。エドワード・サロヤン(シャルル・アズナブール)は、著名なアルメニア人の映画作家。長い間あたためていた企画―1915 年、聖なる山アララトの麓で起きたアルメニア人虐殺の史実を実現するために撮影でカナダのトロントへやって来る。柘榴(ザクロ)と共に…。

母さん
たとえ僕たちの故郷が滅ぼされても
あなたの手のぬくもりは一生忘れない。
アララトの聖母


その映画に参加することとなったカナダに住む青年、ラフィ(デヴィッド・アルペイ)と、その母、アニ(アーシニー・カンジャン)。きっかけは、アニが美術史家で、アルメニアの画家アーシル・ゴーキー(サイモン・アブカリアン)を研究しており、*1絵画「芸術家と母親」に基づく執筆、出版、講演と一人者であったことから、脚本家のルーベン(エリック・ボゴシアン)から顧問にと依頼されたためだった。

「芸術家と母親」を描いたゴーキーは、虐殺で母をなくしたあと、アメリカに移住し、一生その苦しみから逃れられず若くして亡くなっている。

18歳のラフィは、サロヤンの現場で雑用係として働いていた。映画の中で非道に振舞うトルコ人総督、アリの演技に憎しみをかきたてられ、アルメニアの自由を求めて射殺された父の死に疑問を持ち「父は何のために生き、何のために死んでいったのか」を確かめるために、真実を求めてアララトへ旅立つ。

哀しみの歴史の中で失われた母と子の絆が、時代を越えて再びよみがえる。


20 世紀の歴史上、いまなおトルコが事実として認めようとしない聖なる山アララトの麓で起きたアルメニア人の虐殺。その史実にスポットを当てた映画を作ろうと決断したエゴヤン監督は、「なぜ虐殺が事実と認められないのか、なぜその拒絶は今も続いているのか、そして拒絶を続けることがどんな結果を生むのかという問題を、すべてこの映画で描かなくてはならなかった」と語る。

アルメニアは、監督自身のルーツでもあるそうだ。

母国が永遠に失われたことを物語るように、「芸術家と母親」のキャンバスから削りとられた母の手。そこに虐殺の傷痕の深さを感じ取ったエゴヤン監督は、同じように過去のトラウマを持ち、心が離ればなれになった現代の親子のエピソードを通して、失われた絆の再生を試みていく。

*1:ニューヨークのホイットニー美術館に所蔵
Arshile Gorky's "The Artist and his Mother

☆ゴーキーの原画が観れたのは幸いだった。
アララトはノアの方舟が着陸した山である。
ゴーキーはアルメニアから亡命してボストンやニューヨークに住みニューヨークで現代美術の作家として時代を担った画家である。

 テート・モダンは無料の展示として現代美術の歴史も展示してあり日本では見なかったピカソやルオーやダリ、ミロなどの作品を豊かに見れたのは夢のようだった。

 それからチャイルドホール美術館に行き金曜日は無料とのことで豊かな歴史的作品は発掘品を見て、スターバックスでサンドイッチとコーヒーをいただき、リパブールストリートで画廊を回ったが昔行った時とは画廊がずいぶん違うので少し別の場所に行ったかもしれなかった。
イーストのこの近辺は貧しく少し荒んでいた。市が立っていていろいろなものがあった。
リップ・クリームやお花を咲かせる種ツキのアーティストの作ったボトル状態の作品を買ったりした。
帰りはバスでリパブール駅まで戻り地下鉄で1直線で帰った。5時ころかな?
はやめに髪を洗い乾かしていたら添乗員のY子さんが土曜日の帰国便の日程準備をコピーしてもってきてくれた。

 同室のYさんはベトナム料理を食べて帰られたようで2人でパジャマでぐずぐずしていたらK夫妻の奥さんの方が訪ねてきた。11時半までおしゃべり。シリアスな話にもなったのだけど答えのないことばかりの人生だ。

4月25日(土曜日)朝、部屋でコンチネンタルの食事を済ませた私たちは皆で飛行場に向かう。飛行場に近いホテルなのと、アイルランドからつなぎでロンドンから出発の日本行きとちがい直行なのでずいぶんゆっくりと飛行場で時間を過ごせた。
 心配のスーツケースは20・9キロくらいで、飛行場に計量器があったので急いで手荷物の紙類を入れたのだがいくらの重さでもなかった。

 ヒースローの飛行場で「YO、SUSHI」と言うのを回転すしで食べたがイギリス風であったがまずくはなかった。

 残ったポンドでお菓子を買ったがなかなか小銭は減らないのであった。
途中にキャッシングを2度ほどしたが節約に努めたのでホテル代以外は多額ではない。

 飛行機の隣りは海洋学の学会で仙台にいくイギリス人の若い学者だ。ストーンヘンジの近くのブレヒト大学で研究者をしていて2歳の子供のパパだ。

 朝乗って12時間近くのフライトなんで寝ないで映画を見ていた。
ハリーポッターとコメディと「2012」を再び観た。

 ☆「2012」はなかなか切実でした。
  主人公の家族の少年の名は「ノア」。
 そして地球のあちこちで地震、火山爆発、津波、洪水があるのだ。
 
 アイスランドの火山を映像で目の当たりにした今はそんなに絵空事とも思えない。
 主人公の書いた「アトランティヌス」の本は500部を売れなくてなんだか親近感が。

 美しい黒人の大統領の娘が言う。「ルーブルのダ・ヴィンチのモナリザがノアの方舟に乗せられることが選びで無名の作品は記憶に残らないのね。」と。しかし、黒人の科学者は「自分の父がくれた『アトランティヌス』の本はたった500部も売れなかったけれど自分がたまたまノアの方舟に乗っていたので残る。」と。

 誰でも自分の子供は生かしてあげたいと思う。金持ちであれ、普通の市民であれ。

 そして40万人しか乗れないノアの方舟に高額なチケットを買う人が方舟から振り落とされたりもするし、権利のある大統領が祈りのため辞退をしたり皆と滅びる道を選ぶ。

 最後の選択は神の意志だか自分の願いだかはわからないが、新しい希望の地に生き残れる人は差別感や特権意識のない人たちであろうとは思われる。

 ☆今、それを学ぶために生かされているのだ。

 今回の巡礼団の参加者はなかなかつわもの揃いで信仰の実践をなさっている人ばかりで、この選びと言うのも天のはからいからはあるかもしれない。

 現実の厳しさ。
 現実を知る努力。
 現実を変える勇気。

 この火山の爆発後にエンジンに灰が入ると危険ということでテストをしたパイロットが各飛行機会社にたくさんいたと思うが英雄的行為だ。そして、私たちが安全に飛べることになった。

☆日曜日の昨日、かえってきてさすがに疲れた。スーツケースも午後4時ころには届いた。あとはイギリスから発送した小包みはまだだが、家のテレビも壊れていて新しいのを買い替えることになった。

 ぞっとするほどの請求書が長野から届いている!

 模索すべきなのは誰でも救われる道だ。

 とにかく風邪は治らないし疲れているが、今日はテレビを買い替えるための1階の整理整頓と掃除と支払い数種と本の発送を数か所終えるのが課題。

☆家族にも祈ってくださった方々にも大感謝である。