April 30th, 2010

「ブラック企業の闇」を読んで!

 世の中にはひどい企業もあるものですね。
 過労死という日本語はKAROUSHIという英語にもなっている。

 その例にはヨドバシカメラやトヨタやブック・オフなどが記載されました。
 確かにブック・オフなど寸暇を惜しんで働いてますものね。半分くらいはやめてしまうようです。

☆今日は休日で主人も家にいたので、夕食の用意をするためにスーパーとクリーニング屋に衣類を運んで行きました。

 私はもう御時勢についていけそうもないです。
 主人が転んでズボンに3ミリほどの穴が開いたのですが、「かけはぎ」に何と1万円もかかるそうです。
それで電話を借りて、主人に「直さなくてもいいよね?」と訊いたら、「直して。」だって!

 絶対転ぶのをよそうと決意したものです。でも、私の衣服はそんな高価なものはないのです。旅行できていたブラウスを3枚とセーターも1枚出しましたが、2000円弱でした。

 和食がいいというのでお刺身やサラダやシュウマイなどでさっぱりの豆腐とねぎのお味噌汁で主人はさらに納豆を載せてましたね。

 夕食後はテレビが壊れているのでお片付けに入り、娘のものは娘の部屋にゲーム類は地下に運び、結構の肉体労働なので「ブラック企業」に働いているムードになりました。

☆企業と言うものは利潤をあげて、社員をできるだけ効率よく働かせると言うのがパターンでしょうが、私は弱い人を奴隷に用に使って儲けても面白いとは思わないたちです。
ちょっとしたことでも、他人に働かせる人って多いし、使ってやったというのが勝った気持ちの人もいるけれど、それって美しくない。

 私は本業がアートだったせいか、アート以外の働きは他人のためか世間勉強が多かったので収入とかはあまり関係なかった。でも、よく働いたし取っても実績がいいので、頼まれ続けたものです。

 いわゆる「おいしい思い」というのを先方はしてたのかもしれない。「日本神学」も毎月、原稿を頼んできたけれど、貰ったのは静岡のお茶缶1個だけだもの。1年半くらいで現地ルポだから10万円は毎月かかってましたけどね。

 政木和三工学博士に出版社を探すように頼まれた時も、貰ったのは貰いもののミシン刺繍の桜の風呂敷だけで、たま出版と政木さんが利益をめぐって争い出した時も「本には無欲の勝利」って書いてあるのにと不思議に思ったものでした。

☆人間の幸福論になるのだろうけれど、私は心が慾深くなるとアートの方が落ちるので自分としては見合っているのです。

 トヨタの社長が涙を流しバッシングを受けたのも、つじつまがあっていることではないかしら?

 弱い者いじめってしっかりと報復を受ける。

 結構、うまくできているのが世の中。

 

アセンションの準備とは?神様は何をお望みだろう?

「マリア・コード」
マリアさまとの出会い。でも神様は偏狭ではない。おおらかに他宗教をも包む。
自分は体験から、信仰というものは他者を愛するだけでいいのではないかと思ってます。


 昨晩読んだ無教会派の小冊子は波動のいいものでした。新旧約聖書だけにそったものでした。

 イエスの再臨の時は人間の形をなしてなく聖霊としてではないか?その時に神は裁かないので天にあげられる人間の魂がアセンションに選ばれたもので置いておかれるのは天に上げられない。

 日頃、正しいような魂があげられず、謙遜でひたすら天に向かっている魂があげられる。

 そんなことが書いてありました。

☆村上春樹の「18Q4」の三冊目を読み始めてます。
 これは小説ですが、宗教の怖さに満ちてます。

☆X-JAPANのTOSHIが12年間も倉渕透(52)の主宰する自己啓発セミナー「ホームオブハート」に洗脳されバンドを解散に導き、働きの売り上げは全部,HOH(ホームオブハート)にわたり、その結果1億以上もの負債を抱えて自己破産をするに至ったとニュースは告げる

 奥さんを倉渕氏に取られ、倉渕氏はハーレム生活を送り高級車を買い贅沢三昧の暮らしを送っていたという。それもTOSHIの働きで。

☆これは宗教の名を借りた自己啓発の名を借りた詐欺!

 そして芸術も芸術の名を借りた詐欺の横行の結果がバブルがはじけて多くのコレクターや画廊主が自殺・倒産をする結果になっている。

 誰かがシンボルになって特権をむさぼるという状態がすでにおかしいのだ。

 王制もしかり。

 だから破たんする。

☆天はそのように人間を創ってない。
  
 アイルランドの信仰は古いケルト神話の教え「すべてのものに精霊が宿る」と言う考えに重なったキリスト教の信仰だ。

 それは日本神道の八百万の神と似ている。

 石も水も木も神宿るもの。

 人間も皆すべてひとしく尊い!

 効率主義の中で優劣をつけることが間違えの始まりだ。

 キリストの教えはその中の弱いもの(現代的には負け犬)に目が注がれた教えが原点である。

 
☆「愛」

 愛があれば暴力など振るえない。

 憎しむこともできない。

 自分と同じように思えば他人に働かせて楽などできないはず。

 イエスキリストはただ「愛」だけを述べられた。

 いくら祈っても、隣の人を愛せなければ意味がない。

 遠くの知らない人を救済することも大事だけど家の中の老人や手のかかる人を嫌な眼で見ることなく
静かに愛し続ければ、アセンションの成功者だ。

 そんなに自殺するほど、殺すほど、疲れるほど隣人を愛さなくてはいけないと思わなくてもいい。

 愛せないときはそれも許すことだ。

 愛せないときは距離を持てばいい。

 事務的でもその人のためになることをやり続ければいい。

 神は「愛」。それだけ!