May 1st, 2010

今日のニュース!

☆お昼過ぎに映像のうつらない家のテレビに飛び込んできたのがこのニュース!

知りたい!:相次ぐ神父の幼児虐待 「聖職者と性」神学者に聞く
 ◇「教会の隠ぺい体質に問題」

 アイルランドなどでカトリック神父らによる性的虐待事件が次々と暴かれ、英国ではローマ法王の辞任を求める抗議行動まで発生している。バチカンは「幼児性愛者ら一部の病んだ者の犯行」と強調するが、聖職者の独身制に原因を探る声も多い。「聖職者と性」についての疑問を神学者にぶつけてみた。【ローマ藤原章生】

 バチカンの機関で独身制の神学的意義を専門とする欧州出身の神学者、ジョン神父(仮名、56)は「実名では真意を話せない」と、匿名で取材に応じた。

 昨年11月、アイルランド政府の調査委が「1930~80年代に2500件の未成年者への性的虐待があった」と発表。その後、ドイツ、米国などでも性的虐待が発覚した。さらにローマ法王ベネディクト16世が虐待を見逃していたとの疑惑も報じられ、批判が高まっている。

 一連の事件についてジョン神父は「教会の隠ぺい体質に問題がある」と認め、「アイルランドで被害者数が多いのは、反英国の拠点だった教会に権力が集まり、その支配下の学校や病院で迫害が起きても、警察が司法よりも司教に報告する慣例があったため」と言う。

 同じキリスト教でもプロテスタントの牧師は妻帯が認められているが、カトリックの神父は認められていない。カトリックに特に多い性的虐待と神父の禁欲の関係について、ジョン神父は「独身制に問題があるとは言えない」と語る。「むしろ幼児性愛など特殊な病を抱えた者が教会に入り込むことに問題がある。標的を探すのにたけた彼らは、それを目的に聖職に就く。スポーツクラブなど子供と接しやすい職場も同じだ。少年愛者も、性的虐待を隠そうとするタテ社会の教会にはびこりやすい」

 だが、禁欲を強いられた神父が、口外しない者を相手に性に走ることはないのか。「ローマには教会の権力があり、それをかさに自身の感情や性を満足させている者がいるのも現実だ」。ただし、それは少数派だという。

 ジョン神父自身はどうなのか。「私は20代で聖職に就いてから禁欲、独身に疑問を持ったことはない。世界の問題を解決するには、独身として、神、万人に対する愛が必要だからだ。私は人とではなくすべての共同体と結婚したのです」と終始、落ち着いて穏やかな表情で語った。

 ジョン神父は入信前に恋人がいた。性的な記憶にとらわれないのか、と問うと「記憶は消えないが、修道生活の最初の2年で、記憶から自由になれた」と答えた。神に仕え祈り続ければ、肉欲は消えるという考えだ。

 カトリックは紆余(うよ)曲折の末、16世紀のトレント公会議で独身制が徹底された。保守派の前法王のヨハネ・パウロ2世も現法王ベネディクト16世も聖職者の妻帯の可能性を否定してきた。ジョン神父は「独身制が見直されるとしても、現法王の下では無理。かなり先のことになるだろう」とみている。
【関連記事】

* カトリック教会:神父の性的虐待次々発覚 バチカン窮地に
* カトリック教会:神父、子供に性的虐待 窮地のバチカン、法王辞任求めデモ

毎日新聞 2010年4月10日 東京夕刊

プログのコピー
ローマ法王のカミングアウト

<< 作成日時 : 2010/04/15 09:32 >>

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 カトリックの総本山・バチカン(ローマ法王庁)は、この危機をどう乗り越えるのか。おそらく、旧来の権威のちからを以て圧して圧して、切り抜けようとするのだろう。だが、世論がそれを許すかどうか、分からない。

 アメリカ~ヨーロッパで連鎖反応的に表面化していた『カトリック聖職者による少年に対する性的虐待』――。虐待という書き方をすると”どぎつい”感じになるが、言い換えれば、男性であるカトリック聖職者の中に少年愛系のゲイが隠れていて、禁欲の規範に耐えきれず、立場を利用して強制的な性行動に出てしまったということだ。一般に、相手を少年に限らず、また未成年であるかないかに関わらず、同意のない状況で何らかの性行為を無理強いすることは犯罪である。

*アメリカ:2002年までの約50年間に、カトリック聖職者約4,500 人が、約11,000件の(少年に対する)性的虐待に関与していた事実が判明。ローマ法王・ベネディクト16世はこの問題について、08年のアメリカ訪問時に謝罪しているそうだ。

*ヨーロッパ:昨年11月、アイルランド政府は、70年代から90年代半ばまで、カトリック教会が聖職者による(少年に対する)性的虐待の事実を組織的に隠蔽していたとする報告書を発表。これに連なり、法王・ベネディクト16世の出身国であるドイツをはじめ、イタリア・スペイン・スイスでも同様な疑惑が浮上しているらしい。

 こうした一連の問題を受け、法王・ベネディクト16世は先月、アイルランドのカトリック信者に向け、書簡で、
「心から申しわけなく思っている。遺憾の意と深い反省の気持ちを率直に表する」と謝罪した上で、性的虐待を行ったとされる聖職者、そして(その事実を)隠蔽しようとしたとされる教会関係者らは、
「神の前、および法廷において(問責に)応えなければならない」と申し渡した。

 ところが、その後、当のベネディクト16世ご自身が枢機卿だったとき(1996年)、法王庁に、アメリカの一人の神父が(聴覚障害のある少年およそ 200人への)性的虐待を行っていたとの告発が届き、教会裁判が開かれていたにも関わらず、彼が温情から、バチカン教理省に務める立場で、これを不問に付した(見過ごした)のではないかとの指摘と批判を受け始めた。事態が、現ローマ法王の一大スキャンダルに発展したのである。

 1996年。アメリカ・ウィスコンシン州の聴覚障害児学校に勤務していたマーフィー神父が、1950年~1974年にかけ、学校の男子児童・約200人に対し、性的虐待を行っていたとされる問題が発覚。同州の大司教は問題の告発書簡を2度にわたってバチカン教理省に送付した。

 マーフィー神父に対する教会裁判が進められたものの、現ローマ法王・ベネディクト16世=当時のヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿が、マーフィー神父から、
「私は残された人生を神父という威厳の中で全うしたいのです。どうか慈悲あるご支援を」という内容の嘆願書を受け取った後、裁判は中止されたとされる。

 ローマ法王庁によれば、バチカン教理省は1996年当時、
「マーフィー神父は、すでに高齢で健康状態も悪く、(問題が指摘された時期以降)20年以上にわたって虐待の疑惑が持たれていなかった」と判断。後に(1998年)、マーフィー神父の公的役割を制限した上で、
「自分の行為の重大性を考え、全責任を取りなさい」と指導した4か月後、同神父が(神父の肩書きのまま)72歳で死亡したと説明している。


 イギリスでは、作家のリチャード・ドーキンス氏らが、一連の問題の真相を明らかにするため、9月に予定されているローマ法王のイギリス訪問の際、法王を逮捕するべきだと主張し、注目を集めている模様。また、有識者の中には、法王・ベネディクト16世の退位を求める意見も、徐々にちからを帯びているようだ。

 バチカン法王庁は、これらの過激な意見を牽制し、あくまで性的虐待問題は「一部の者どものあやまち」であり、そもそも「カトリックだけの問題ではない」と開き直るとともに、
「何者かの陰謀に違いない」
「口にすることさえ、おかしな考えだ。世間の注目を集めようとしているだけ」とのコメントを出している。

 また法王みずからも、スキャンダル報道を「つまらぬゴシップ記事だ」と一蹴。バチカン・サンピエトロ広場で行われた通例のミサでは、
「主イエス・キリストは、流言を通じた脅しに立ち向かう勇気を持つよう、我々を導いてくださる」と説くなど、かたくなに、批判に屈しない姿勢を貫こうとしているようだ。



☆縷衣香記

 このニュースで嫌なのは寮生活をしている少年たちは学校の神父に拒絶したり訴えたりの危険を思って泣き寝入りしたと思われるところである。

 少し前に、日本の侍文化の中には少年愛がふつうにあって、織田信長が前田利家の若い時に小姓として愛でていたとかがタブーではなかったと読んだところである。基本的に同意ならいいではないかと思うが、少年たちは傷ついたと思うのだ。

バチカンでは最大の危機だという。
もちろん、この加害者の神父は神を恐れない神父にふさわしくないもので、少なくても神父はやめなければらない。

 しかし、見つからなければと神からみれば罪を犯している聖職者はかなり多く、普通の信者はこれに躓いて棄教したり、熱意を失う。

 聖職者は神を信じてないのか?
途中でやめようと思ったら辞められないのか?

 辞めることは恥ではないだろう。少年の人生を葬るよりは!

若いアーティストの門出!

 4月30日の金曜日の夜は深川に行きました。
 
 斎藤ちさとさんという新国立美術館のアーティスト・ファイルに選ばれた40代の女性の作品に寄せるお話と新国立美術館の館長さんのお話がキューレーターのオフィスであるのです。

 その前に松濤美術館に行ってケンブリッジから帰ってきた写真家に作品展を観に行ったのですが、松濤美術館はお休みだったのです。「パンの木」によって、フランスの地方ケーキの手づくjりの5個包んでもらいました。アイス・コーヒーを飲むほどに温かい日でした。風邪気味で体力がないので神泉まで井の頭線に乗って行ったのですが、キオスクで水ボトルを買ったら底が壊れていて水が垂れてくるのでスカートがぬれてきたので、「パンの木」のオーナーに見せたら「嫌ね返してらっしゃいよ。」とアドバイスを受けたので帰りも井の頭線に乗って、キオスクで返して新しいボトルに交換してもらいました。行きは風邪薬を飲むために必要だったのですがか帰りはお荷物になってしまいやや後悔。

 半蔵門線に乗って6時過ぎには現代美術館近くのマンションに着きました。女性が20人くらいで男性が2人でした。テーブルにはサンドウッチや気泡入りのお酒がいっぱい。

 新国立美術関係の方が数人と斎藤さんはギャラリー山口でアルバイトをしていたそうで、ギャラリー山口の方と鎌倉美術館や同じアーティストの方や服飾関係の学生さんなどがきてました。

 新しいポスト・カードの限定100のセットが出るそうで、私はNO.13を購入しました。

近日届いたメール内容です。

「M7では、斎藤ちさとの限定版小作品セットを販売します。
気泡シリーズのエッセンスを詰め込んだ、ポストカードサイズの写真7枚組(サイズ違いあり)。
100部限定、価格は5,250円(税込み)です。

*オマケ:クローバーチップ
気泡シリーズの前身、クローバーシリーズ制作時に、
ひとつひとつドローイングを描き、カッターでくり抜いた、2万個のクローバー型チップ
そのなかから1個、もれなくついてきます!」

☆この間のアイルランド巡礼旅行のアイスランド火山爆発によるフライト中止のためのイギリス滞在追加料金の請求書がようやくきました。思ったより安かったです。5日間の滞在で6万円弱でした。これならなんとか払えそうです。

 連休で帰ってきた娘が払ってくれるそうです。(といても、そのくらいは私の銀行口座からの引き落としでお洋服を買っている)

☆でも、シンクロでしょうか?
 斎藤ちさとさんはカトリックの学校で学ばれたそうでアイルランドのシンボルのちいさま三つ葉のクローバーはちさと作品に出てきます。

 そういえば新国立のキューレータの方もエジンバラにいてアイスランドの爆発で19日に帰れるところが21日に帰国になったそうです。ロンドンまでは汽車で移動したそうです。

☆パーティ会場で気分が悪くなった方がいて貧血がおきたようでした。それで役立ったのがキオスクで新しいのに交換してもらったエビアンのお水でした。いきさつを話してボトルごとプレゼントしたのですが、顔色が見る見るうちに良くなって、本当に神様のなさることには無駄がないと思ったのでした。帰りの荷物はこれで軽くなったのでした。

 満月に限りなく近かった月もきれいでしたしね。

☆夜、9時半ころには深川を出て、五反田の本屋で本を見て帰りました。
☆昼、「マリア・コード」の在庫がなくなったのでたま出版に電話注文をして1セット35冊を届けて貰うように依頼しました。長野に10冊くらい送ってしまったかもしれません。

 たま出版の話では「アセンション関係の本は売れている」そうです。

☆娘がいうのはイギリスから送った別送便は届かないおそれがあるそうです。
それも運命だからしかたがないけれど、普通郵便で入っているものはパンフレットやイエイツの書類やアイルランドの日本版ガイドブック。他に「ノアの方舟のオルゴール」と友人へのおみやげの箱くらいのものなので、すごく困るということもないのですが。

 ノアの方舟が漂流するというのも御時勢ですよね。

晴れてる5月になりました!5月は聖母マリアの月です!

 今日は午後1時ころにテレビが届き、娘が買い物をしてくれてクダクダとベッドにいたのです。

 昨晩、「朝まで生テレビ」を観ていて、そのままソファーで寝てしまい明け方ベッドに戻ったのですが、疲れていたのでしょう。ホリエモンが「自分が逮捕されて、小沢さんが逮捕されないのは差別だ」と言ってました!偉い!ホリエモン!

☆昨日休館だった松濤美術館に行くことにしました。
「遥かなるグランチェスター」展で4月6日から5月23日までで、ケンブリッチ大学創立800年記念で志村博さんのシルクスクリーンの作品展でもありました。あちこちのメディアにも出ていて評判もよさそうでした。

 志村博さんとは昨晩訪れたM7のギャラリーでも前にトークを聴いたことがありました
ちょうどイギリスから帰ってきて、オックスフォードには行ったのですがケンブリッジには行かなかったので少し好奇心もありましたね。5月の15日には2時からトークショーもあるそうなので行けたら行きましょう。

 60歳以上は無料なので代わりに1500円のカタログを買いました。ケンブリッジのことなどよく知らないので読んでみたいと思ったのでした。

 版画の作品は木が多かったのですが、とてもきれいな作品で静かな感じがしました。
御本人は意外と面白い方でしたが。もう、イギリスに永住権を持ってしまったそうです。

 国の要人が作品を見ているそうです。

 志村さんは私と3歳くらいしか年の差のない方なので私はすこしさぼり過ぎかなとも反省をしました。

☆「パンの木」は店の模様替えのただなかでお休みだったので挨拶だけをして、前の店のフランス雑貨の店に寄りました。
 ちいさな一人用の鍋とフライパンを買いました。1人で食事をする野尻でお鍋屋フライパンが大きすぎて困っていたのでした。

☆恵比寿に寄って、今夜の夕飯の支度をしました。ハンバーグとサラダ、サフランのライスなど。おやつは千疋屋のシャーベッドで娘からお願いされたもの。

☆家族3人で普通に食事をしたのですが、おいしかったようで満たされて上海万博の映像を見てました。

☆所属の聖アンセルモン教会から6月6日11時から3時までのバザーのワッフル券を送られてきました。10枚で3000円。信者はこれを全部買い取ることが慣例で、当日は飲み物代になります。
10人分は飲めませんので、いつもバザーを出している方たちにプレゼントとして配ります。

 昨年はそのバザーのワッフル券がくじで3等とかに入り、1万円の賞金券をもらいました。

☆教会ももう30年ほどの付き合いになりますが、わからないことはたくさんあります。
 ある神父さんは、「ミサに出て、ミサが終わったら、すぐ帰る」のがベストだとおっしゃったのですが、多くの人が集まるので日常的なわずらわしい問題がたくさん起こっているようです。

 私も教会の掃除当番には参加してましたが、あまり付き合いのいい方ではありません。
教会には苦しんでいる人が神を求めて救いを望む場合と教えに従いキリストにならい他人のために働きたいという場合があるのですが、現実にはお金のおねだりが多いのです。

 信者は断りにくいので「困っているので買ってほしい」とか「助けてほしい」という申し出がよくあります。貧困問題は難しいです。
現実には働いている人の方が大変なのだと思いますが、困っている人弱い人もなかなか強く、ほとんど申し出を断れないようなシステムになってます。

☆今回のバチカンの危機というかアイルランドの神父の少年虐待の問題は一つのカトリックの堕落の告発なのですが、少年たちや少年たちの親がカトリックの神父を告発するのには勇気がずいぶんに要ったと思います。

 この間の巡礼で聞いた話ですが、ある巡礼者が離婚をしたくて誰かに許可をえたいと神父様に苦しい胸の内を話したそうです。60歳くらいの方でした。神父さまが「離婚してもいいです」といってくれて晴れ晴れとした顔で帰ったそうです。

 私は離婚は自由にしたらいいと思う方ですが、いまだカトリックでは許してないらしいです。
カトリックの罪として離婚よりも少年虐待の方がはるかに罪深いと思います。

 しかし、人間が神の名を借りて裁くのは本当に危険です。

☆私は告発しないタイプです。
泣き寝入りというよりも天の裁きにゆだねる方です。

私が罪深く地獄でも煉獄でも行かされるのなら、自分としては自分のまいた種なので仕方がないと思う方です。

☆人間とは何か?
 人間はどこまで許されるのか?
 私はわからないのです。

 私は自分の体験でしか言えない。

 「お小遣いをくれてもいいのよ。」と私におねだりした神父は貧しい新婚家庭から20万円も取っていったのですが、これを断ることが現実にできたかと言うとできなかったのです。

 そうして、少年愛の虐待と等しく教会を敵に回す覚悟でないと告発などできないのです

 そして、少年愛と等しく密室で行われて、「まさか」というか想像できないやり方なのです。

 その神父様の当時の暮らしは大変優雅なものでした。私の暮らしに比べてそれは夢のように見えました。しかし、多くの信者はその暮らしを知りません。ですから、貧しい人たちのためにと献金できるのです。

 現在は私も若い時に比べると貧しくなくなりました。

 そうして、聖職にもいないのでその厳しい生活に比べると楽をしているといってもいいでしょう。

 聖職者が妻帯もせず、少しの収入しかもたず神に祈りながら暮らすというのが不自然なものなのか恩寵によって何でもないものかもわからないです。

☆新聞の3面記事を読んでいて世の中は不公平だと思うことがあります。
 500円や2000円のひったくりで実名入りで記事になる小さな犯罪者がいます。
 でも、それより幾100倍ものお金を騙して食い物にする人は様と呼ばれ犯罪者とはされません。

☆そういえば、昔パリから「おうちがないから、お金を送ってほしい。」と母親からの言いツケで電話をかけてきた少女の写真がもう31歳になって出ていました。
有名な児童進学塾の前の御主人の名の姓になっているので名前は知ってました。

 健康そうで強かに生きてましたよ。

 「良かったね」というべきでしょうか?

 おそらく私生児を生んだ母親は私だけでなく、大勢の人を騙して無心して生きてきたのでしょうね。
でも、「子供を育てるため」の大義名分の前では、母親なら誰も彼女を批判できないでしょうね。

☆罪とは何でしょうか?
困っている人を見て何もしないのは罪だという考え方があります。

困っている方って結構、因果応報の場合がある。

困っている人のお店に行ってあげてと頼んで行った人から「すごいぼったくりをされた」と苦情がきたことがあります。

困っている方って困った方なんですよね。

☆そういえば、カトリック信者の福祉施設で、ボランティアが経営社側の指導員にボコボコに殴られて重傷の複雑骨折になったと聞きました。そのときに弁護士に説得されて園側は50万円の医療費を払って示談になったそうです。

 ヨドバシカメラで派遣で働いた下田治美さんの息子さんは下田さんの自宅まで来て写真にぼこぼこの殴るけるをされたのですが、そのときは医療費のほかにお母様の慰謝料まで裁判で要求されました。

 私もボランティアでそこで働く修道女に頼まれて、青梅まで(2時間くらいかかります)福祉施設で泊まり込みで働いたのですが、不思議に感謝をされない。「おじょうさま過ぎてかわいそう」とか浄化塾の生徒たちを見て、「あんな人間のために奉仕するのは親がどうかしている」とか中傷だらけで最後には強引に冬山に連れて行かれ肺炎になったものです。

 私はカトリックの信者ですけどカトリックでも悪いことは悪いって言いたいですね。
 あとで知ったのですが、修道女は働く人を連れていくとお礼がもらえたのですね。そして、一生、その福祉施設で私をボランティアさせることを園側も考えていて、私の使命は絵を描くことで奉仕することなので、逃げたのですが修道女は老後は私のただ働きで左うちわで暮らすと言っていたのには驚いて開いた口がふさがらなかったです。

 これではヤクザの社会より悪いではないですか?
 イギリスがアイルランドの少年愛の神父事件のことでバチカンの法王は引退しろと厳しい意見を言っているそうですが、こんなことばかりならばバチカンもなくなってもいいと私も思います。

 人間の浅ましさというものは、信仰でブレーキがきかないものなのでしょうか?

 世界史の歴史そのものが、欲望による戦争による奪い合い。

 私は無私無欲でありたいと思ってましたが、このように他人の欲望を育てるのなら、自分が罪深い存在だと思うこともあります。この問題に関してはまだまだ深く考えなければいけないと思います。

キリスト教は苦しい時があります。
 与える側が苦しくなるのです。
 これは正しいことなのかどうかと?