May 3rd, 2010

のんびりとゴールデン・ゴールデン・ウイーク!

 昨日の日曜日は娘が父親と食事に出かけたので、私は自分の父親のところに行き、簡単な夕食の支度と人形と人形のケースを長野に送るために、キャビネットの片付けをしてました。


 キャビネットには香水瓶もたくさんあって、ガラスを拭きながらケースから取り出していたのですが弟が香水瓶の方は捨てるといったので「捨てるんならください。」と言って持って帰りました。

 父は1昨日お風呂に2時間半も入っていたそうで、ゴールデン・ウイークはテレビがつまらないので少し面白くない顔をしてます。

 私は主人が台湾土産い貰った昔の民族の船の模型と地方の伝統民芸の風景画を持って行ったので、父の普段いる居間の壁の棚に飾りました。家に置いておくと飾る場所もなく父は中国のものはとにかく好きなんです。

 自宅に帰ったのは6時ころで主人に頼んでおいた「うなぎ弁当」を」夫婦で、娘は幕の内弁当を食べて家族をしました。

 テレビで「穴掘りふくろう」(アメリカにすむ)の赤ちゃんを見たり、竜馬を見たりして、ごくのんびりと暮してました。そのあとのアフリカのダイアモンド鉱山や胴、金の鉱山をタンザニアやザンビアなどの国の人たちが他国の占領から少しずつ自立して夢を持って働いているのも面白かったです。

 食器を片づけながら読書をしていたのですが、かなりシンキ臭い内容です。

「下流志向」内田 樹 講談社
「日本歴史の中の被差別民 奈良人権・部落解放研究所 新人物文庫

 皆が、幸福になるために生まれながらの差別はあってはいけないし、若者の下流志向には育った環境によっては努力が報われず夢がなくなっている現実には格差があるというデーターも載ってました。

 日本の中高生は世界で課外に最も勉強時間の少ない若者になったそうです。37国中35位とか。
それでもはや学力や学歴は成功に関係ないと思っている人が多いそうです。運とか偶然とかの要素で成功があり、勉強をしても仕方がないという考え方があるそうです。努力が報われるのはごく上の階層の生まれながら保障された階層だけと思っているようです。

☆アイルランドに行ったときにWWEのジョン・シナの大きな看板がかかっていて何でかなと思っていたのですが、新しいテレビで父の家に行く前、テレビを見ていたら14日のアイスランドによる火山爆発でアイルランドで興業をしていたWWEのレスラーがアメリカに帰れず、怪我などで残っていたWWEのレスラーたち12人でWWEロウをしたとアナウンスがありました。そのためか、優遇されているアンダーテーカーや619のミステリオなど興業で毎日試合をしなくてもいいスーパー・スターたちが信じられない豪華な組み合わせで試合をしてました。払い戻しに応じるという声明があったのですが、テレビで見ると客席は満員でしたね。また。レスラーもこの危機を救おうとずいぶんサーヴィスが良かったですよ。

 この格闘技が好きになったのは強い男性にある意味の安堵を感じるからかも知れません
日頃、宗教とアートの男性たちをみる機会があるせいか、男は男らしくというのが人類の基本のような気がするのです。
 ある本によるとウーマン・リブはロックフェラーの陰謀で女性を家庭から外すのが目的だったとか。家庭教育がおざなりになれば学校での教育がやりやすくなり、子供の政治的コントロールが楽になるとか。

 WWEはなかなか凄いです。アメリカはナンバー1というところがありますが、国民を元気にしているのですね。アイルランドのレスラーもいて赤毛で真っ白な肌できっとアイルランドにいたんでしょうね。テレビ画面で顔を出してましたよ。

 まあ、アイルランドのダブリンで近い所にいたのだなあと少しワクワク!

☆宗教も世界をよくすることも祈るだけではだめなんですよね。
現実をみないと。

 アフリカで搾取されていた国の人たちが少しずつ自分たちの権利を主張して夢を持ち始めました。
やはり学び始めた国のエリートたちが白人たちと渡り合う力を得たのでした。
同じ労働に中国人の半分しか給料がないと不満を感じるアフリカの人たち。この人たちは下流志向などしてられないのです。

 日本人はどうしちゃったのだろう。

 学生に学ぶ喜びを与えられない日本の大人たち。
 世界には健康な若者があせを流して国を良くしようと働いて学んでいる学生がいるのに

 「下流志向」の本にいると宣教師が作ったそれなりに偏差値のある学生の英語力が一昔の中学2年のレベルだそうです。

 英語学校がまた倒産しましたよね。お金儲けのために経営している学校が多いのです。

 私は英語の耳慣れはWWEです。普通の会話英語に疎かった私はこれでずいぶん聞き取れることになった。でも、自分もここのところ語学をサボってました。長野の家に行っていたので定期的に通えなかった。お金をかけずに自主勉強をする道を探ろうと思います。

 いろいろなことを知っているとやはり毎日楽しいです。そして、たぶんパズルのように情報が多ければ多いほど正確な真実が読み取れると思います。

 それで、毎日3,4冊くらい本を読んでます。昨日はほかに太宰治の奥さんと娘さんの本です。一方の情報より立体的になると、違う太宰像が見えました。

☆昨日、弟と話していて、自分たちの育ちはろくなもんじゃないねということになったのですが、それはそれです。やはり自分の人生は自分で創るしかない!

 今日は要らないものを片づけて、明日にでもヤマト運輸にキャビネットと段ボール5箱の送る見積もり依頼の電話をかけたいと思います。

免田さんの冤罪事件!許したくない人を陥れる心!

 ☆昨晩、テレビで「免田さんの冤罪事件」をしていた。
菅家さんも出ていて、たくさんに冤罪事件で罪なくして殺人罪に問われ死刑にされた人が大勢いることを語った。

 現在、無罪が晴れて結婚して普通に暮らしている免田さんは年金もなく老後の心配がある。また、同じ境遇で掃除夫をしながら誰にも看取られずになくなった人に涙し墓まいりに言った。

 当時、若い裁判官の人も弁護士になって「これでも裁判官か?」と思わず言ってしまったことを言った。

 一人の人が誤審で殺人犯にされて20年も30年もの長い年月を刑務所で暮らすことになる。それに関して裁判官の多くは罪の意識もなく詫びもない。

 免田さんも菅家さんも、おだやかで品格のある方だ。いつまでも恨んでいても仕方がないしねと笑う。

免田さんの事件のコピー
1948年12月29日深夜、森にかこまれた静かな温泉町の熊本県人吉市北泉田町で、祈とう師の夫婦が殺され、当時14歳と12歳の娘2人も重傷を負う事件が発生した。夫婦は鉈(なた)でメッタ打ちにされたうえ、包丁で喉をつかれて即死で、温泉街は一夜にして恐怖の街と化してしまった。



戦後の混乱期が未だおさまらない当時は、社会は混乱し食糧が不足した時代であり、闇市には法の網目をかいくぐった物質があふれていた。事件が起きた人吉盆地の中心地である人吉市は隣県の鹿児島県、宮崎県から持ちこまれる闇物資の中継地で、駅前は闇市がにぎわっていた。



人吉警察は、人吉市と湯前(ゆのまえ)線でむすばれ、同市から約4里(16 キロ)はなれた盆地の奥のほうに免田(めんだ)村という簡素な町の当時23歳の免田栄さんを怪しいとにらみ(見込み捜査)、翌1949年1月13日夜、任意で警察に連行、翌日未明に玄米とモミの窃盗容疑で逮捕状を執行した。冤罪発生の第一要因である別件逮捕(別件逮捕=犯罪の被疑者について逮捕し得る有力な証拠が発見できないとき、その被疑者を別の犯罪により逮捕すること)であった。



逮捕された免田さんは、同月16日に一時釈放の形となるが、釈放の約2時間後に今度は本件の強盗殺人容疑で再逮捕され、厳しい取り調べでやってもいない強盗殺人を「自白」させらた。



日本国憲法の基本的人権尊重の原則に従い刑事訴訟法が改正され、戦前の自白中心主義のから物的証拠中心主義に変わったにもかかわらず、警察の取り調べは旧態依然とした自白を迫るものもであった。



その取り調べは、暖房の無い極寒の密室の独房室での殴る蹴るといった乱暴狼藉もさることながら、3日間は睡眠時間を与えず、2日間食事を一切与えない上に、「地獄に落としてやる!」、「早く自供して楽になれ!」などとの脅迫を加えた。不眠4日目、遂に免田さんは、意識もうろうの中、「犯行を自供」するところとなる。



死刑になるかもしれない殺人という重大事件で、「やっていない者が(嘘の)自白いうわけがない」との意識が世間では根強く、自白をもって有罪にしてしまう傾向にある。これこそ冤罪を生む要因の一つになるが、これについて免田さんは、次のよう語っている。「普通の人には分からなくて当然」。小さな机の前に座らされ、刑事がすき間なく取り囲む。1人の質問に答えると次、その次と矢継ぎ早に責められる。「頭がおかしくなって、警察が掘った穴に落ち込んでしまった」と…。



免田さんは、一審の第3回公判で「拷問によって自白を強要された」として否認に転じ、以降の公判では全面的に容疑を否認し無罪を訴えた。否認にあわてた熊本検察は、免田さんが犯行時に着ていて返り血を浴びたとする保管中のズボン、マフラーを破棄する。権力による明らかな証拠隠滅であった。



警察・検察は犯行を12 月29日の深夜から翌日の午前3時の間と断定したが、免田さんは、29日午後、丸駒という特殊飲食店に宿泊し、接客婦(当時19歳)と一晩を過ごして翌30日は友人宅の山小屋に泊まった主張した。免田さんのいうことが正しければアリバイが証明され、犯行は不可能となる。



だが、警察は接客婦に対して「免田と宿泊したのは29日でなくて30日だ」と誘導し供述書を取ったため、犯行当日の免田さんのアリバイがここで葬られることとなる。



免田さんは無実の訴えは裁判官に届かず、熊本地裁・八代支部1950年3月23日、免田さんに対して死刑を言い渡した。



無実の免田さんは控訴するも、翌1951年3月、福岡高裁は免田さんの控訴を棄却、1951年12月25日、最高裁も上告を棄却する。



ここに免田さんの死刑が確定したが、再審制度を知った免田さんは、死刑執行の恐怖と戦いながら、獄中から「自分は絶対に無実である」と自ら再審請求書を書き上げ1952年6月10日の第1次再審請求を熊本地裁に提出した。だが、結果は請求棄却であった。



免田さんはあきらめず第2次請求をするもこれも棄却されたが、ようやく第3次の請求で再審開始決定を勝ち取る。しかし、検察側の即時抗告により、福岡高裁であえなく取り消されてしまうのであった。これにもくじけることなく、度重なる再審請求を行う。この間免田さんを支援する日弁連や市民団体の活動もあり、遂に1979年9月27日福岡高裁は第6次の請求で再審開始の決定をするのである。

 

そして1983年7月15日、熊本地裁・八代支部は、自供は強要されたものであり、免田さんのアリバイは、特殊飲食店の職員手帳に記載されているところから成立していると断じ、免田さんに対して完全無罪の判決を言い渡し、即日釈放を命じた。日本裁判史上初めての死刑囚再審無罪判決であった。



日本の裁判史上初めての死刑確定者の再審無罪の確定である。



免田さんは34年ぶりに生還することとなるが、真犯人は取り逃がす結果となった。冤罪が生み出す一つの結末である。



再審無罪の決定は、仮に免田さんに対して死刑が執行されていたなら、取り返しのつかないことであったことから、「国家が死刑執行という殺人行為を公務員に職務として行わせることができるか」といった根幹問題に加えて、妻子殺しの夫の死刑執行後に真犯人が現れたため死刑を廃止したイギリスの例ともあいまって、死刑制度の是非論議(死刑廃止)論を活発化させる契機となった。



同時に、免田さんの再審無罪獲得は、冤罪に苦しむ人々に対しては一筋の明かりを灯すことともなり、以後再審無罪判決が続出、さながら日本列島は冤罪列島の様相を呈することともなった。



さらには、警察の発表を鵜呑みにしたメディアの報道のあり方にも一石を投じた。



その後免田さんは、郷里に還ったが、完全無罪の判決にも関わらず、なお、疑われる状況が続くこととなる。ここにも冤罪の恐ろしさが浮き彫りなるが、そうした状況に負けることなく、免田さんは、手記を出版(『死刑囚の手記』=イースト・プレス刊)、冤罪を晴らす人権を守る運動に従事し、様々な場面で発言を続けていくこととなる。



09年6月5日再審で無罪を勝ち取った免田栄さん(83)=福岡県大牟田市在住=は、足利事件で釈放された菅家さんと、東京都内で約12年ぶりに再会した。免田さんは「お互いに笑顔で(この日を)迎えられてよかった」と菅家さんに声をかけ、固い握手を交わした。最後に免田さんは「正しい者が勝つ。お元気でまた会いましょう」と、がっちりと握手を交わした。



http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/asikagajikenn.files/image052.jpghttp://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/asikagajikenn.files/image053.jpg



09年06月05日付『朝日新聞』/『下野新聞』



同日免田さんは、総務省の年金記録第三者委員会に対し、国民年金の受給資格の回復を求める申し立てをした。申し立てなどによると、国民年金制度は免田さんの死刑が確定し、収容中の61年に始まった。しかし、免田さんは制度について知らされなかったといい、免除手続きをとっていなかった。83年に無罪判決を受け釈放されたときは57歳で、すでに受給に必要な加入期間を満たすことはできなくなっていた。法務省はこれまで「制度については当時、知らせたはずだ」と説明している。免田さんは99年にも受給を請求したが却下され、02年1月17日には日本弁護士連合会も免田さんら冤罪被害者らに年金を支給するよう勧告している。



冤罪被害者無年金問題人権救済申立事件(勧告)



【2002年1月17日 厚生労働大臣 法務大臣宛勧告】



Ø 死刑再審無罪者など長期服役囚に対して国民年金制度について周知徹底されていないために国民年金の加入期間が満たされず無年金状態に放置されていることは人権侵害であるとして、法務省に対して国民年金制度の加入の重要性を教示し、保険料免除制度についても周知徹底すべきことを、厚生労働省に対しては死刑再審無罪判決が確定した冤罪被害者が国民年金を受給できるよう早急に必要な措置を講じるよう勧告した事例。







★人の世でなにがいちばん大切か、と問われれば、「自由ほど尊く大切なものはない」と私は迷わず答える。これは、警察官の悪業を知ったがために極悪な殺人犯という容疑をかけられ、20代半ばに死刑の宣告をうけて34年間も獄中生活をしいられた体験から得た教訓だ。



★警察が私を犯人に仕立て上げた事は、1948(昭和23)年12月29日の深夜、熊本県人吉市北泉田町で起きた。祈祷師の白福角蔵方で、何者かによって角蔵夫婦が殺され、いっしょに寝ていた娘ふたりは重傷を負うという凄惨な事件で、森にかこまれた静かな温泉町が一夜にして恐怖の街と化してしまった。



☆当時は、敗戦直後で社会は混乱し食糧が不足した時代だったが、闇市には法の網目をかいくぐった物質があふれていた。人吉盆地の中心地である人吉市は隣県の鹿児島県、宮崎県から持ちこまれる闇物資の中継地で、駅前は闇市でにぎわった。私の郷里はこの人吉市と湯前(ゆのまえ)線でむすばれ、同市から4、5里(16、20キロ)はなれた盆地の奥のほうに免田(めんだ)という簡素な町である。



中略



☆獄中生活34年はまさに死線をさまよう闘いであった。この死の淵からはい出すためにはいかほど法の壁に真実をぶっつけたであろう。しかし、そのたびにむなしく退けられ、ようやく容認されたときは身は老い、人生の大半は過ぎ去っていた。けれど無罪の一声を聞いたとき急に熱いものがこみあげ、涙がとめどもなく頼をつたわり、郷里の両親や師の姿がまぶたに走馬灯のように浮び、この長いあいだの労にありがとうのひとことがようやくいえた。



☆今日まで日夜寝食を忘れて救援活動をしてくださった、日本弁護士連含会の弁護士のかたがた、および救援会のみなさん、そして心ある社会のみなさんにお礼を申し上げたい。



☆本当にありがとうございました!この気持ちは当時もいまも、変わることのない私の気持ちである。



免田栄著『死刑囚の手記』(イースト・プレス刊)より


ここからは縷衣香記

 ☆免田さんはありばえがあったという。旅館に泊まっていたのだ。旅館のおかみがその日をうろ覚えだったときに警察は「30日ですよね。」と誘導してそんな気に思えてきた。それで事実でないことに裏付けをしてしまったのだ。

 人間は怖いではないか?

 いい加減にいてはいけなかったことを多くの人がいい加減にして殺人者に仕立て上げて、自宅には死刑囚の火葬代として700円まで請求すると手紙がいっていた。

免田さんが刑務所にいるときに死刑にされた人の多くは「おかしい」と思われる冤罪の可能性があると思われたそうだ。

☆誰もがいつそんなところに巻き込まれるかもしれない可能性があるということだ。
誰でもが誠実に生きて罪のない他人を地獄に落ちこませるようなことがあってはならないと思う。

 自白というのも多くの人に囲まれ、恐喝されると怖くてやりもしないことも告白してしまう人間心理があるという。

☆私の人生にもそんなことがたくさんある。
 例えば、人間心理というのは何か他人を自分より下に置きたいという本能があるようだ。
 私を中傷した女子美術の同級生は(それが嫉妬とかが理由だと思うけれど)、なんとか卑しめたいという思いになって、脅かすように「あんたのお母さんは本を読んだことがないんだろう」と言ったことがある。現実には私の母は大学出で小学校の教員をしていたので本を読まなかったわけがないのだが、私はそういう質問をするその卑劣さに終止符を打ちたくて「まあ、そうね。」と答えるタイプである。
そうすると、その低次元のクラスメートは文盲のようにいいふらし、いつのまにか教育の受けない家の娘にされてしまう。

 別に殺人者にされたわけではないので腹もたたないが、卑劣というのはそのようなことをしでかすのである。イメージで殺されていたのだが、こちらは痛くもかゆくもなかった。

 あとで、どこからか事実でも知ったのか私の顔を見ると「馬鹿だから。馬鹿だから。」とその人自身を責めて、怖がって逃げるようになっていた。それは自業自得というものだろう。
「お願いだから、馬鹿にしないで。」と哀願したが、こちらはどんな人間をも馬鹿にしたことがないので、ただ「?」の気持ちだ。

☆他人を人工的み嘘で貶めるという行為は意識において「殺人」と同じだと思う。

 人間が嫌だなと思うのは、人間が他人を甘く見るときに本性を見せることである。
例えば、ある修道会がいつも寄付依頼をしていて、純朴だった(過去形です)は、どんなに困っていても寄付送金を第一にして自分は貧しくしていたのだが、あるときに主人の仕事の都合でボストンに行くことになって、送金ができなくなることを告げたら、あまりなめてはいけなかったと気付いたのか急に怒こったような丁寧な手紙が来て「私たちのことはかまわず、ボストンにいってください。」とあった。ボストンに行くということは修道女に関係なくこちらの都合なので変な手紙だと思ったのだが、いままで安易に請求してきたことに少し当惑した内容だった。

 これで、学んだのは人間は他人をなめるときには寄付請求をしやすいことであった。

 私からしてみれば、寄付請求にこたえる人の方がはるかに大事にすべき存在なのではないかと思う。無視して払ってくれない相手よりはね。人間は愚かで何もしない人の方が価値があるように接してしまう。

 よく介護でも、いつも介護をしてくれる人にぞんざいだったり命令的だったりするのを見る。何もしないで甘い言葉を投げる人より、いつも嫌なことをひきうけてくれる人の方が尊いのにね。

☆今は不況で誰でもそんなには豊かに生活はできない。

 私も昔は頼まれるまま1カ月1万円もインドの教育里親に送金していたが、20年やって断ったのに、今も請求が来る。その封書を見るとかすかな吐き気がしそうになるが、断っても断っても来る。

 お茶やお花や英語でもね。お金儲けのマニュアルがあって、わかってくるととても続けられなくなる。
英語でも(中国語だったのだけど)、どんなに予習して先に薦められるほどマスターしても、次にはいかない。個人教授なので雑談で時間をつぶされ、幾度も通わされ仕上げさせないやり方だ。
とにかくとてもとてもお金がかかって長い年月かかるように仕組まれている。

 どこもここも怖い。

☆免田さんを殺人者にして得をしたのは手柄取りの警察か?

 でも、どうだろう?
 罪を犯さない人を殺人者に仕立て上げた人は責められないのか?

 他人の刑務所での20年や30年を償わなくてはいいのか?

☆私は根拠なく低次元の自己コントロールの低さから他人を不幸にした人はもっと厳しく責められるべきだと思う。

 それは殺人よりひどいことではないかと思う。

 ☆大変、低次元のことですがこの間恵比寿でオサツスナック460円を買ったのに、ひとつまとめたビニール袋に入ってなかったことがあった。家に帰ってレシートを見たら確かに代金は払っているのだ。
 こういうときに普通の人はどうするのだろう?
「あったのに食べたのではないですか?」と訊かれるかも。

 もう1昨日の土曜日のことで、それだけのために恵比寿に行くほどのものでもない「さつまいものスナック」!私は幾度も「オサツスナックを忘れないでね。」と言ったのだ。若い男の子でグレープフルーツとセロリのジュースを飲んで「この組み合わせはあまりうまくないな」とも思っていた。
あの男の子、さいごのオサツスナックだったから包み忘れたのを気がついてくれたと思うけれど、だんだん日が経過すると、こっちがさもしく思えてくるので嫌な感じだ。

 そんなわけで、自分が悪くなくても嫌なおもいをしなくてはならないのが浮世です。

 とにかく免田さんと菅家さんには敬服です。他の冤罪のために働いているのだもの!