May 11th, 2010

願いを生きる!

 母の集めた人形を数えると小さな大量生産のものも多いのですが50体くらいありました。

 ビスク人形もありますが、テディ・ベアもあります。私のマトリョーシカ軍団も合わせると100ぐらいになるかもしれません。

☆どんな人生にも苦しみも喜びもある。
母もこのかわいい人形の一つ一つに出会う度に、心を慰められたことでしょう。

 そして、母が私の娘と人形を並べてままごと遊びをしていた日は平和で幸せな日々だったでしょう。

 人形を片づけているとそう思いました。

 4人の子供を育て、クモ膜下で倒れる前は普通に(肉体的には80歳でしたので体のあちこちが痛かったりしたのですが、私には弱味を見せない母でした)暮らしていて、その日の電話で翌日会う約束をしていたのです。

 母が倒れる前に、「もう何もほしくない。こどもたちも心配がない。」と言っていたのを思い出します。

 あれから数回手術をして、だんだんと記憶がとぎれ今は植物人間状態で5年ほどになります。

☆やがて来る当り前の現実ですが、父も弱くなり90歳で家の中では自由に歩けるのですが、外出すると倒れることが多くなり、本人が思う体力と現実の体力の差があり強い父親像から心配の対象になりました。

 明日は水曜日ですので、少しお腹が悪いというので中華のおかゆでも用意して持って行こうと思ってます。

☆高齢の両親を持つ年齢になると子供は自立するようになるのですが、バランス良く姑も含む3人の老人と主人と娘との生活を保ちながら、自分の仕事の完成に向かうのが夢です。

 今回も急激に野尻に行くことになり、時間がないので野尻から主人に電話をして報告をしたのですが、快くOKなのですが、帰ったら「遊んできて!」とか言われます。

 また、裏の未亡人も「1カ月も野尻に来ないで入院でもしてたの?」と少し怒ったように言うので、
「こちらにはやることがたくさんあるの!」と心の中で呟いてました。

 巡礼も知らない人から見たら観光旅行のようなものなんでしょうけれど、巡礼者から言わせてもらうと
日々の労働の糧を精神的に得る旅行と言うのでしょうか。信仰を新たに想いと覚悟を一層強め、奉仕の人生を全うするのには必要なもの。

 主人と冗談のようなコントですが、
「2週間もほっつき歩いて来て!」
「不可抗力のアイスランドの火山でイングランドで5泊足止めされたわけで、決して望んで2週間になったわけではない!巡礼は世のため、人のために働くためには必要なメッセージを戴くために行くのであって遊びではない!」
 と半分笑いながらの会話です。

 自分で費用は全額出してますが、主人は日々の労働から解放されてないので多少の嫌味はいいたいですよね。

 感謝!
 感謝!

☆アイルランドのノックに聖母マリア様が現れた時は飢饉や不和でアイルランドは大変苦しかった時だったそうです。私の買ったアイルランドの観光案内の本でも、国民所得が世界5位とありましたのでガイドさんが言ってたようにアイルランドは景気がいいのです。火山で再び飛行場が封鎖されてますので、経済的にも大変だとは思いますが長い間苦しんできたアイルランドに光があたっているのは神の祝福だと思います。2012年のボランティア大会もアイルランドでありますから、世界平和の重要な鍵をアイルランドの平和への祈りが持っているのではないでしょうか?


 アイルランドの思い出を写真に撮りました!
季節がらラッパ水仙があちこちに咲いていて、野尻にも自生のラッパ水仙がよく咲いてます!
小さな本はオスカー・ワイルドの本で「星の子」の絵本が開いてます。
しみじみ反省させられる本でした。アイルランドで生まれたオスカー・ワイルドは同性愛で投獄されてますが、ライバルだった聖職者になった元同級生から嫉妬もあって投獄されたのです。そんな逸話も聴けたのが旅のガイドさんからでした。

 妖精に会えなかったのは残念ですけれどなんだかまた行けそうな気がします。




 コテージを建てた時から台所のコルク版に貼ってあった「ノックの御絵」のどこにもノックとは書いてないのです。でも、とても温かい家族の波動のするカードで3枚買ったのですが2枚は人にあげてしまいました。よく見ると、羊さんの上に十字架があってご出現の教会の壁があって、この御絵がアイルランドに呼んだ気がします。



私のベッドの上ですが、テッシュ・ペーパーボックスの上のちいさなミルク入れの中に山菫を摘んでいれました。

 このベッドでの読書は体に浸みるんです。
ヘミング・ふじこさんの本も読みましたが、スウェーデン人のお父さんが2人の子供に「画家にだけは絶対なってはいけない。」と言って出て行ったんだそうです。絵を買った絵描きさんが訪ねて行ったら自殺していたということを知って愕然としたときに、お父さんのその言葉を思い出したそうです。

 画家って本当に食べれないんです。
無理解の中で生きるのです。

 絵を描くことが仕事なんですが、遊んでるようにしか見えないようです。
 だから、批判されやすいし心をきれいにしながら祈りながら環境を作っていくのです。

 能天気な甘い私ですら、娘に画家になる道は許しませんでした。



 これが私の部屋の窓側でお洗濯物を乾かしているところです。



☆☆☆
 母の人形たちの真ん中に私の聖ベルナデッタ人形もいれました!



 私の兎ファミリーも野尻湖に運びました!


 ヘミング・フジコさんの本や村上春樹の「1Q84」や「ジプシーの秘密」やオスカー・ワイルドの「星の子」を読んで思ったのですけど、流浪の時や異国での暮らしは差別や孤独で試される時ですね。
そして、宗教とか親の考え方で子供は翻弄されるのですが、最後には光に運ばれることを信じたいと思いました。

 ジプシーは北インドのヒンズー語を話す種族とジプシーの話すロマ語が近いのだそうです。顔も似ていて、音楽や踊りを専門にしていた階層なのではないかとうかがわれるそうです。
異国で保護されたり、嫌われたり、弾圧されたり、ジプシーなら殺されても罪にはならないという国もあったそうです。人間は過酷を強いられる民族がいる。そして温かい目を持てない人もいる。

 フランスの農家ではジプシーが来ると贖罪のように野菜や穀物をあげる農民も多かったそうです。
スペインではフラメンコはジプシー舞踊から生まれてきたわけですし、あの幌馬車に乗って国を回るジプシーたちにロマンを感じる芸術家も多かったそうです。

 私はクロアチアやセルビアの映画にジプシーの生活がたくさん出てきて、奇妙な美意識や音楽にとても惹かれました。

☆社会から蔑視される境遇は辛いですよね。
「1Q84」に出てくる人たちもそれぞれ悲しみがある。個人では選べなかった生い立ち。
でも、そこから自分探しを始め自分を救うメッセージをくみ取る本能がある。

 ヘミング・フジコさんも混血や離婚家庭や才能への嫉妬やら貧困で辛い思いをされたのですが、透明な音楽が彼女の生き方をくみ取って音をますます清めていく。
晩年に訪れた成功。

 動物や不遇な人への心遣い。苦しみや悲しみが人間を堕落させない。
音楽家でありながら音が聞こえなくなるという究極の試練。それも美しい肌を見せようと薄着をしてお出かけしたのが風邪の原因というのですから女というもののかわいらしさも素敵です。

☆「☆の子」は森で捨てられて樵に拾われた。
美しい少年は誰からも敬愛されておごるようになってしまった。
村の子供たちを自分の思いどうりにさせて奴隷に用に扱い、弱い動物を虐待するようになった。

 そうしたら、いつのまにか醜い障害者となって嘲りを受ける側になった。
もはや栄光の☆の子ではなくなった。奴隷になって売られ牢に入れられて魔法使いの命令で金や銀や銅のかけらを探さねばならなくなった。

 動物たちを助けてお礼のように金や銀のありかを教えてもらった。

 そんな金をらい病やみの乞食が恵んでくれというとあげずにはいられなかった。鞭でズタズタになるまで打たれることがわかったいても。

 ☆の子は体験から弱い者をいたわらずにはいられなかった。

 神様はそんな星の子を城で待つ王と王妃に迎えさせた。

 あなたは王子。

 優しい慈悲深い王となって国を豊かにし幸せにした。

☆★☆★☆
 誰の人生も神様の創った物語。

 そう思う。

 「不思議な国のアリス」も大好きな話で絵本は娘に買ってやったもの。
小皿は東京の小道で「自由に持って帰ってください」とあったもの。マトリョーシカは30体セットの一つのうちのひとつ。紅茶缶は母がくれたものだと思うけど中身の賞味期限はとっくに切れてました。
トランプのマークの調味入れはハートがなくなってました!
映画もぜひ行きたいです。

「不思議な国のアリス」を観る!

 今日は東京は雨です!

 娘に佐川便が2つ届いてたので電話をすると木曜日には学会のお手伝いに行くため東京にも1泊するとのことでした。

 何でも主人が「東京に震度3の地震があって君の部屋の荷物が落ちて壊れている」と言われて、大事なお洋服が捨てられたら困ると思ったというのです。

 ちっとも何でもないわよ。私の階段のものが散乱していると言われて、階段を片づけようと思ったら、きちんとしてたもの。

 まあ、主人もさびしくてメールをしたのかもしれないけれど。

☆かけはぎのズボンのこともあるので主人の洗濯物を持ってクリーニング屋に行くと、もう出来上がっていたのですが、さらに値上がって1万3千円以上もしたのです。カードで支払いました。

 久しぶりでシェル・ガーデンで野菜やお肉などを買って娘がくるので豆ごはんでも炊いてあげようとグリーン・ピースも買いました。「マリア・コード」も35冊届いていたので、さっそく代金を振り込みました。
いろいろな洗濯ものができあがってて相当な重さになっていたので、ひとまず帰りました

☆冷蔵庫にいろいろ入れて、目黒駅まで歩いて通帳に書き込んで(マイナーな信用組合なので目黒駅まで行かないと記入できないのです)、「不思議な国のアリス」をどこで上映しているか「ぴあ」を買おうとしたのですが、売り切れなので見当をつけてJRで「品川」へ。

 品川プリンスで吹き替えの方が始まったばかりで、割引き「1000円」で観ました。「年齢を証明できるものを何かお持ちですか?」と言うので保険証を見せて、ポップ・コーンを買って後ろの角席に。

 しかし、ガラガラだったので移動して観ました。


以下は紹介記事のコピーです。
サンディエゴ発――[『シザーハンズ』『バットマン・リターンズ』などで有名な]ティム・バートン監督が、新作映画『不思議の国のアリス』を撮影中だ。

このほど公開されたトレーラーは約1分半のものだが、なんという素晴らしさだろう! 鮮やかな色彩、美しい衣装、空想的な背景、驚きのメイク、そしてすべてがゴージャスな3Dだ。

チェシャ猫の笑顔が画面から飛び出し、ジョニー・デップが扮するいかれ帽子屋は踊りながらテーブルを降りてくる。エキゾチックな鳥にさらわれたトウィードルダムとトウィードルディーが、わきを通り抜けていく。この空想的な映像は、まさにティム・バートン的だ。

3Dはシュールな映像体験を増大させ、感覚に途切れがない。不思議な背景の中、すべてが3Dでいっそうゆがんでいる。もちろん、アリスが穴に落ちるのも3Dだ。アリスが飲んで縮んでしまう薬が、狂気を信じられるものにしている。


アリスは、新人のMia Wasikowskaが演じる

この映画はルイス・キャロル作の『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』を組み合わせたものだが、それだけではなく、「(キャロルの)全素材を基にしたものになる」とティム・バートン監督は話している。映画は、キャロルが書いたもの(『ジャバウォックの詩』など。ジャバウォックはクリストファー・リーが演じる)を取り上げて組み合わせ、「新しい、しかし素材に忠実なものにする」ことを目指している。公開は2010年3月の予定。

[(2)では、幻想的な映像世界を画像でさらに紹介する]

(2) へ続く

WIRED NEWS 原文(English)

ここから縷衣香記
☆自分は好きですね。
18歳になったアリスの制定ですけど、映像が楽しかったし帽子屋さんが素敵でした!

ジョニー・デップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ジョニー・デップ
Johnny Depp
『パブリック・エネミーズ』のプレミアにて (2009年7月)
『パブリック・エネミーズ』のプレミアにて (2009年7月)
本名 John Christopher Depp II
ジョン・クリストファー・デップ二世
生年月日 1963 年6月9日(46歳)
出生地 ケンタッキー州オーウェンズボロ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 俳優・プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1984年-
配偶者 ロリ・アン・アリソン (1983年 - 1985年)
家族 パートナー:ヴァネッサ・パラディ (1998年 - )
長女:リリー=ローズ・メロディ (1999年生)
長男:ジャック・ジョン・クリストファー (2002年生)
主な作品
『21ジャンプ・ストリート』
『シザーハンズ』
『ギルバート・グレイプ』
『エド・ウッド』
『スリーピー・ホロウ』
『パイレーツ・オブ・カリビアン』三部作
『ネバーランド』
『チャーリーとチョコレート工場』
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
受賞
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)
2007年『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
その他の賞
全米映画俳優組合賞
主演男優賞
2003年『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』
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ジョニー・デップ(Johnny Depp、本名:ジョン・クリストファー・デップ二世、John Christopher Depp II、1963年6 月9日-)は、アメリカ合衆国の俳優。身長178cm(5ft10in)。体重70kg。血液型O型

俗にアウトローと評される出自と、コメディから社会派作品まで果敢に挑戦し幅広く演じ分ける実力、話題の絶えない私生活やファンサービスと人柄の良さから常に注目を浴びている。
目次
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* 1 生い立ち
* 2 キャリア
o 2.1 音楽活動
o 2.2 初期の俳優活動
o 2.3 映画俳優として
* 3 私生活
o 3.1 関係・家族
o 3.2 論争
o 3.3 衣装
o 3.4 ファンとの交流
* 4 主な出演作品
o 4.1 映画
o 4.2 テレビ
* 5 主な受賞
* 6 脚注
* 7 外部リンク

生い立ち [編集]

ケンタッキー州オーウェンズボロにて、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる[1]。 4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7つ違いの姉デビーと2つ違いの姉クリスティーがいる。アイルランド人、ドイツ人、チェロキー族インディアンの血を引く[2][3]。

家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し、7歳の時にフロリダ州ミラマーに定住。1978年に両親が離婚。子供時代はストレスのために自傷行為を繰り返したという[4] 。12歳でお酒を飲み始め[5]、 14歳の頃からドラッグに手を染めるなど[要出典]、どん底とも言える青年時代を送った。しかし、親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意[要出典]。16 歳の時に高校を中退しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。
キャリア [編集]
音楽活動 [編集]

「The Kids」をリードギタリストとして率い、イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名し様々なバンドとコラボレーションを行った[6]。

近年では、オアシスの曲やローリング・ストーンズのアルバムにもギターで参加したほか、1995年にはバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズと共に「P」というバンドを結成しCDを発売した。
初期の俳優活動 [編集]

20歳の時に25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚。その時に、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合い、ケイジから俳優への転身を勧められた。その後友人の付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け、1984年にホラー映画『エルム街の悪夢』で初出演。その後『プラトーン』の端役などで経験を積んだ。当初は俳優の仕事に対して消極的であったデップだが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレストとの共演が転機となり、本格的に俳優への道を歩み出す

製作側の説得によりフォックス放送のテレビシリーズ『21ジャンプ・ストリート』に主演し、一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。それでも自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたため、活動の場を映画のみとすることに決めた。
映画俳優として [編集]

1990年公開の『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットするが、その後の出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。しかし、『ギルバート・グレイプ』などのヒューマンドラマや『エド・ウッド』といった伝記映画に立て続けに出演し俳優としての実力を身につけた。

俳優業の傍ら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族であり、父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは1997年に、マーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。

1999年にこれまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。

映画『ナインスゲート』で知り合ったヴァネッサ・パラディとの間に長女をもうけたことを機にデップの生活は公私共に急激に変化した(下部詳述)。2003年に子供の勧めにより出演したディズニー/ブエナビスタ共同制作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』で興行面での大成功を収め、世界的な規模で爆発的な名声を獲得した[7]。同年の「ピープル」誌にて「最もセクシーな男性」に選出され、全米映画俳優組合賞主演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。

2004年公開の『ネバーランド』でイギリスの作家ジェームス・マシュー・バリーを好演し、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。

2007年公開の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』で、初のミュージカル映画に出演。この作品でゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演男優賞にもノミネートされた

2009年の「ピープル」誌にて「最もセクシーな男性」に再び選出された。
私生活 [編集]
関係・家族 [編集]

1983年に音楽活動の中で知り合ったロリ・アン・アリソンと結婚するが、1985年に離婚。その後も女優のジェニファー・グレイ、シェリリン・フェン、ウィノナ・ライダーや、スーパーモデルのケイト・モスとも交際していた。ちなみにウィノナ・ライダーと交際中、腕に「ウィノナ・フォーエヴァー」と刺青を施したが、破局後「ワィノ・フォーエヴァー(アル中よ永遠に)」に修正。その後は恋人の名を刺青にしていない。

1998年からフランスの歌手兼女優のヴァネッサ・パラディとパートナー関係(入籍はしていないが事実婚)であり、1999年5月27日に長女(リリー=ローズ・メロディ・デップ)が、2002年4月9日に長男(ジャック・ジョン・クリストファー・デップ三世)が誕生[8]。現在はアメリカと南フランスの両方で二重生活をしている。
論争 [編集]

1994年にニューヨーク市内のホテルで暴れ、備品を破壊して逮捕される[9]。また、1999年にはヴァネッサ・パラディとロンドンで食事をしている時に、レストランまで追いかけてきたパパラッチと喧嘩をして逮捕された[10]。

2003年にドイツの「Stern」誌にて、「アメリカは愚かな犬」と発言し、アメリカ国内で非難が出た[11]。
衣装 [編集]

一言で表せば「個性的」だが、ブランドに頼らない彼独自のアレンジした着こなし方はファンのみならず、男性にも絶大な支持を得ている。 近年はソフト帽と茶縁で大きめの眼鏡(もしくは同じフレームを使用したサングラス)、に口髭のイメージが定着している。また自身のメガネフレーム(TartのArnel)はファッション誌に取り上げられるほどに人気を誇っている。腕に付けているビーズのブレスレットは愛娘からの手作りの贈り物である。

母親の名と、二人の子供の名、数字の3、またアルファベットの刺青を施している。なおアルファベットについては、単純に好きな文字だからと話している。
ファンとの交流 [編集]

アメリカのサインコレクター雑誌「オートグラフ・マガジン」が発表した「ファンにサインする際に態度が丁寧な映画俳優」で3年連続1位に輝いている。同誌は「穏やかで気さくながら、サインをしつつファンに話し掛けて親しくなろうとする」「プレミア会場でもレストランでも、映画のロケ中でもほとんど、最高に気前良くサインしてくれる人物」と評価している。

実際にも「一人にサインをしたら、他のファン全員にもサインしなくてはいられない性分」で、空港など混雑・混乱しやすい場所ではサインを一切しないよう、スタッフから釘を刺されてしまう場合も多い。

☆ここから再び縷衣香記です。
帽子屋さんてアイルランドの血も混じっていたのですね。
この映画ではスコットランドの方言を話していたそうです。吹き替えで観てしまったので字幕でもう1度観ましょう。

それと残酷なハートの女王がうまいなあと思いました。
さっそく調べたら、撮影監督の奥さんなんですね。夫婦で信頼し合っていて素敵な映画になったのですね。
ヘレナ・ボナム=カーター
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Helena Bonham Carter
ヘレナ・ボナム=カーター
トロント国際映画祭にて (2005年)
トロント国際映画祭にて (2005年)
本名 Helena Bonham Carter
生年月日 1966 年5月26日(43歳)
出生地 イングランドの旗 イングランド・ロンドン
国籍 イギリスの旗 イギリス
民族 ユダヤ系イギリス人
職業 女優
ジャンル 映画・テレビ
活動期間 1983年 -
主な作品
『眺めのいい部屋』
『鳩の翼』
『ハリー・ポッター』シリーズ
『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』
受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞
主演女優賞
1997年『鳩の翼』
ナショナル・ボード・オブ・レビュー
主演女優賞
1997年『鳩の翼』
東京国際映画祭
女優賞
2005年『カンバセーションズ』
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ヘレナ・ボナム=カーター(Helena Bonham Carter、1966年5 月26日 - )は、イギリスの女優。
目次
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* 1 来歴
o 1.1 生い立ち
o 1.2 キャリア
o 1.3 私生活
* 2 主な出演作品
* 3 外部リンク

来歴 [編集]
生い立ち [編集]

ロンドン郊外のゴールダース・グリーン出身。父親のレイモンド・ボナム=カーターは銀行頭取、母親のエレーナ(旧姓カジェホン)は精神科医。兄が2人いる。大叔父は映画監督のアンソニー・アスクィス、曾祖父は第一次世界大戦開戦時のイギリス首相ハーバート・ヘンリー・アスキス。母方からスペイン人とユダヤ人の血を引いている。
キャリア [編集]

1983年にテレビ映画でデビュー。1985年公開の『レディ・ジェーン/愛と運命のふたり』、翌年公開の『眺めのいい部屋』で国際的に注目を集める。コスチューム・プレイ作品の出演が多いことからコルセット・クィーン(corset queen)やイングリッシュ・ローズ(English rose)という愛称を付けられた。しかし本人は、そのような堅苦しいエドワード7世時代のイメージで語られることを嫌っているという。

1997年公開『鳩の翼』でロサンゼルス映画批評家協会賞主演女優賞を受賞、アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。

2005年に第18回東京国際映画祭コンペティション部門に出品された『女たちとの会話』(劇場公開題『カンバセーションズ』)にて最優秀主演女優賞を受賞した。

2007年公開の『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』で当初予定されていたヘレン・マックロリーに代わってベラトリックス・レストレンジ役を演じた。また、同年公開の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』などでゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門) にノミネートされた。
私生活 [編集]

過去に俳優のケネス・ブラナーと交際していた時期もあった。

現在は映画監督ティム・バートンと(正式な結婚はしていないが)ロンドンで暮らし、2003年10月4日に長男(ビリー・レイ・バートン)を、2007年12月15日長女(ネル・バートン)を出産。バートンと交際し始めてから、コスチューム・プレイ(衣装劇・時代劇)への出演が激減し、バートン作品の常連となる。バートン作品では特殊メイクが多いため「またティムは特殊メイクをあなたにさせるの!」と実母が憤慨すると言うが、本人はバートンの才能を尊敬しており、意に介さない。

フランス語が得意で、全編フランス語の映画(『恋人たちのポートレート』)に出演したこともある。

☆★☆再びここから縷衣香記です。
妹の白のお姫様もウソみたいに素敵でした!

 おとなになったアリスが老女になっても王子様を待ってる未婚のおばさまに「王子様は来ないわよ。」と言います。

 この映画のアリスはジャンヌ・ダルクのように勇敢で現実的な才能を持ってます。

 そしてビクトリア時代の貴族社会の退屈な平凡な結婚を断る。

 このごろのディズニー映画はこの間飛行機で観た「蛙とプリンセス」もそうですが、現実的ですね。
女性も受け身でなくて自分で世界を切り開いていくというメッセージです。

☆「不思議な国のアリス」の原作者のルイス・キャロルも素敵な人ですね。
オックスフォード大学で数学をやっていた人で生涯独身。少女愛があって写真も自分で現像までして本物の絵本の贈り主のアリスの写真も撮影して贈ったとか。この原作を書くのに2年間。親せきの少女の喜ぶ内容にした数学パズルのオタクで言語遊びの達人でもあったようです。

 私の名前の縷衣香もルイス・キャロルのもじりになってます。

 そしてアイスランドの火山の爆発のおかげでイングランドにも滞在できて、オックスフォード大学にも訪問できたのでなんだか嬉しかったです。

☆この映画の監督は「少女愛」のところを徹底的に抜いたそうです。
またディズニーのアニメの「アリスの冒険」の名作には叶わないので大人のアリスにしたのだとか。

 アニメのアリスも音楽もいいですね。

 娘が小学2年のころ、フランスのユーロー・ディズニーランドに行ってアリスの国を観て、アリスの洋服を買ってあげましたよ。こどもも大人も「アリス」は好きですよね。

 割と美術館にアリス・グッズが売られていて私も結構いろいろなアリスのグッズを持ってます。

☆4時45分から始まって6時半には終わったので、高輪プリンスでパンを買って現金がなくなったので、歩いて家に帰りました。

 主人が帰っていたのでカレー・パンを譲って、自分はポテトとベーコンのピザ状のパンを温めて食べました。あとは無花果を1個。唯一の贅沢なんですよ。無花果って東京では1個300円くらいします。

 こうして、ごく平凡な東京の生活です。

 明日は父の家に行く日なので、父の好きな中華まんじゅうを冷蔵庫の中に冷凍しておきました。それと中華がゆね。

 労働そのものはハードではないのですが、だんだん老いていくのでその状態を観るのがちょっとつらい。主人にいわせると姑の方もずいぶん呆けてきたとか。

 玄関の藤の鉢が枯れてきたので何か香りのいい植木鉢を買っておこうと思います。