May 25th, 2010

雨の野尻湖!「しあわせの揺りかごインスタレーション」

 今、黒姫から帰ってきました。

 新幹線の中で読んできたのは「ユリシーズ」ジョイス・作(まんがで読破)です。アイルランドでノーベル文学賞を受賞した作家で、「若い芸術家の肖像」をもっているので買ってみました。アイルランド人のイギリスへの感情などなかなか複雑なんだと思いました。独立する前の物語です。

 長野発午後7時半の電車にほんの30秒の差で乗り遅れてしまったので、本屋で8時22分発に乗る時間まで時間を潰していました。

☆今日も雨。絵は描けないので写真の現像をして季節が変わっても続きが描けるようにしようと思いました。
 部屋の片づけをしていると電球が切れているので、セブン・イレブンまで電球を買いに行きました。バスがちょうど来たので、信濃役場まで乗り、町で唯一の写真屋さんへ行き、デジカメ・プリントを頼み20分ほど待っている間に薬屋で風邪薬を買い、一茶の句碑を観ながら一茶の最後の場所の土蔵や写真屋のとなりの諏訪神社に行って落ちた八重桜の花びらを拾ってました。茎もピンク色なんですね。

 まだ、桜が咲いているんですよ。

 3時30分くらいで次のバスが5時17分ですの駅の本屋で本のオーダーをしようと歩いていたら、鳥居川タクシーのオフィスの前を通って、そこで30ぷんほどタクシーの配車をしているRさんが出てきて顔がばったり!

 「コーヒーでもどう?」

 Rさんは私と同じ年齢の62歳。お子さん2人で御主人とはラブラブの俳人。お姑さんと同居していて見送られて6年ほど。はじけて川柳や俳句を読み、シニア大学に通う勉強家。

 そのまま黒姫駅まで歩いて本屋さんに中国の初めてのノーベル賞作家の高 行進の「ある男の聖書」と日本人作家のインドのさらった子供を乞食として同情を募るために障害を乞いに与えるドキュメント「レンタル・チャイルド」を取り寄せて貰う。黒姫で読みたいので今度来るときに届いていたらいいかなと思う。

 それから「黒姫童話館行き」のバスに5時10分に乗り、「貫の木」で降りて1停留所歩き、蕎麦屋で「ざるそば」を食べた。神山にも熊が出たそうだ。これが今日の夕飯!

 それから急いで家に帰り、電球を替えて、帰りの準備はすべにできているので6時31分のバスに乗れるように急いだ。バスは上手に間に合った。

 信越線は3分遅れで発ち、ドバイから車のセールスの仕事をしに来ている22歳の青年とづっと話していた。日本人は100%親切で道など訊くと、気持ちよく教えてくれるという。イギリス人は半分半分で、イギリス英語とアメリカ英語の差が気に障って米語は聞きにくいそうだ。彼は豊野で降りた。

 そのようにスムーズに来ながら長野のホームで荷物が重かったのでエレベーターを探して後方に行きすぎて、新幹線に30秒の差で乗り遅れてしまったのだ。今、思うと3分の遅れという信越線も原因のひとつではあった。

☆5月20日(木)朝10時ころに、ゆっくり出かけたが、荷物は本を30冊ほどカートにいれたので重くって根性でひっさげていたので、お昼のうなぎ弁当と飲み物を買うとお土産を買う余力がなかった。

 晴れていました。
 黒姫駅でピンクと白と緑の美しい「花見団子3本」が売っていたので、これを土産にしようと買ったのだが、「あまりにもかわいらしいので。」と言ったら「奥様もかわいらしいですよ。」と言われてしまった。(62歳なのですが)というのをやめて「かわいらしい洋服を買うようにしているのですよ。若い人のお店で買います。」と告げると「私もピンクなど買うようにしてます。」とキオスクの女性も言う。あとで知ったのだが同じ年くらいの花子さんで最近未亡人になった方とか。いつも挨拶しあう仲だ。

 やはり荷物が重いのでセブン・イレブンからの急な坂を運べる自信がなかったのでタクシーで1300円。コテージに着いたのは2時過ぎで、やはりなんともいいオーラーが家に満ち、放っている。癒される!

 休憩してから、「つまらないものですが、3人分のお団子があります。」と未亡人に電話をする。

 4時ころ、セブン・イレブンに牛乳など買いに行く。未亡人からP君にも連絡がついたと折り返し電話があり皆で「花見団子」を食べる。「バベキュー用の木炭が欲しいにですが、どこにあるでしょう?」と訊いてみる。皆で月曜日に夕飯を食べる約束をする。

 P君と黒姫駅前の「しなの」カフェの息子のT君と吉祥寺からプロの歌手が黒姫に子連れで5人で住み始めたということで、7月9日「ライブショー」をするという。それで5月22日に本屋(しなのカフェの隣りで同じ建物の中)に「婦人公論」を買いに行く用があるので、未亡人も俳句会があるので皆で4時に待ち合わせる。

☆5月21日(金)晴れ
 ようやく雪がなくなったのでベランダの片付けを始める。
 ベランダに置いてあった陶芸の道具を入れたケースをデッキの下に運んだ。荷物のひもを解き、陶芸用の棚を組み立てる。また、すのこをビニールか出すと少しカビが生えていたので庭の水道で洗って干した。

 油絵の具を2階から運び、仕事をしやすいように小さな本箱に並べてベランダに置いた。

 桜に咲いていた頃の風景画の続きを描きはじめた。

 デッキの下にしまってあった、バスケットの陶芸がプラステック・ケースから出てきたので庭にインスタレーションをしていく。








若葉が本当にきれいでした。桜はみれなくなってましたので風景画もたいへんでした。


 ゴミを捨てに行くとタンポポの葉を摘んでいる人がいたので挨拶をすると隣の方でした。初めて出会ったのです。ゴールデン・ウイークに家族でいらしていて、あんまり気持ちがいいので奥さまだけのこられて私より3歳若い未亡人の方でした。
 そのころ4時ころで、すのこを干している最中だったので「5時ころお茶にお寄りください。」とお誘いしたら、来て下さる。大阪からおいでで4年前にコテージを建てたそうです。4人のお子さんがいらしてお孫さんもいらっしゃるのでした。そして翌日は1時に私が訪ねることになりました。手作りの「蕗の煮」とりんご2個いただきました。おいしかったですよ!

 私は夜は前から買ってあった高 行健の「霊山」の本と不思議な国のアリスの著者「ルイス・キャロルの生涯」を読み始めました。「薄暮」という日本経済新聞の連載してあった篠田節子さんの小説も読んでました。画家の奥さんの本と言ったらいいでしょうか。面白かったです。

 「蕗屋虹児」の本も読みました。ずいぶん過酷な生涯で皆思いを残して亡くなったが、それぞれが見事だったと思う。妻、画家、息子、妻の愛人、弟子。最初は人妻との駆け落ちから始まっている虹児。本当の絵を描きたくても、自分の父の借金のため弟2人を最後まで食べさすために挿絵の仕事をせざるをえなかった。亡くなった日本に置いてきた長男。パリに置いてきた妻が学者と浮気。それで子を託され離婚。誰が悪いわけでなくても人生は過酷だ!そして芸術の代償はあまりにも重い!

 そして、辛いのはパリの日本人たちの貧しさ。彼らが借金に訪れ食卓に集まる。たくさんの収入が日本からあった虹児の家も藤田に借金をするようになる。日本の家族も倒産でさらなる借金を重ね、日本に妻子を連れて帰ることができなくなる。もう1度パリに帰ってくる予定だったのだろう。

☆5月22日(土)晴れ

 私は朝はしっかり早起きして、午前中2時間油絵を描いてました。
外出中に雨が降るといけないので濡れて困る絵の道具は室内に片付けました。

 1時に約束通りお隣の家に行きました。
黒に白のミディ丈の水玉のノースリーブのウールのジャンバースカートに半袖の黒のインナー。赤の鍔広の夏帽子をかぶって出かけました。私は東京から持って行ったトマトにふりかけや海老せんべいを持って行きました。1人では食べきれない賞味期限5月末日のものです。
隣のベランダからは妙高がくっきりと見え、見渡す限り緑でなかなかいい眺めでした。中は地元の大工さんの造りのログハウスでかわいいお孫さんの漫画本もたくさんありました。お互いに家の中を見せっこしました。

 それから3時36分のバスに乗って「しなの書店」まで行きました。店のT君がえらく興奮しているのは吉祥寺から来たプロのミュージシャンとこのところギターの音合わせが楽しいらいのでした。

 4時になると未亡人と未亡人の呼んだ俳人のRさんが喫茶「しなの」に集まり、3人でかしましく話していたのです。今日のワンピースはボストンで10年くらい前に買ったものですが、赤い鍔広の帽子とよく合ったらしく、10歳くらい若く見えると皆でおだててくれました。未亡人とRさんは句会の帰りで、今日の句をひろうしてくれました。Rさんは無記名の投票で今日も首席で信濃毎日などで入選も多いそうです。川柳は本当に面白く頭も人柄もいいのです。お姑さんにはしっかり尽くしたそうでそのご褒美が今日の成果のような気がします。

1時間くらいたってもP君は現れず、待ち合わせを忘れてしまったらしく訪れず携帯でRさんが呼びだすと出てきました。

 T君とP君と客がいいギターを持ってきて3人で歌ったり奏でたりで結構楽しかったのでした。

 未亡人と私はP君の車で隣の駅の古間の「コメリ」によって、バベキュー用の木炭を2セットとガクアジサイの「墨田川」が1000円もしなかったので1鉢買いました。(東京だと4000円くらいする)


 次に品そろえの多い「第一スーパー」に行き、お肉やお魚や野菜や果物を買ったのでした。

 3人の野尻湖湖畔のイタリア料理屋に行ってピザを食べ、Rさんをお迎えにP君は車を出しました。
私と未亡人は食後のコーヒーを飲み、店の中にあるイタリア雑貨を見てました。

 Rさんが帰ってきて。少し冷えたピザと温かいコーヒーをP君といただいて、私はおいしそうだった胡桃のケーキを4個テイクアウト用に箱に入れてもらいました。ピザはおいしかったですよ!外人のファミリーもきてました。夏になるとお店はいっぱいになるそうです歩くとコテージからはずいぶんかかるようです。野尻湖駅からでもずいぶん歩くようで、帰りはタクシーで1000円くらいだそうです。

 それから皆で未亡人の家で11時くらいまでケーキとお茶で雑談をしてました。帰りに送って(裏)貰って、買ったスーパーの荷物はRさんを迎えに行くときにコテージの前に置いてくれたそうですが、家で確かめると木炭を2セット置くのを忘れたようでなかったのでした。

 深夜は読書です。3時ころまで読んでます。深く入って行くんですよ。

本は2階の部屋において読み終わったものは片付けます。どんどん増えて行ってますが、本が並んでいるのは幸せ!2度も3度も読みます。お客様のための読書室でもあります。


☆5月23日(日)雨、
 昨日から激しい風が吹いていて雨がしきりと降ってました。家でアートの続きをしました。
P君に朝の8時に電話をして木炭を忘れたことを告げて、お昼に持ってきてもらうようにしました。

 ご飯を炊いてるのでボリュームの多い感じの食事が多いのですが、昨晩のピザ・パイとケーキを食べすぎの感じでした。それでもしっかりお昼を食べたのでした。
P君が昼過ぎに木炭を運んでくれたので、海老せんべいを少しお土産にしました。東京駅で買ったもので丁寧に作られた海の幸のイカやカニの味もあるのでした。

 月曜日に食事は土曜日に出かけたので中止にして「少しアートをするので。」と月曜日の夜に帰ることを電話で未亡人にも知らせました。

 仕事は6時までで、食事の後にお風呂に入り、洗濯してほしてからパジャマに着替えて読書です。

このベッドの中で寒かったので、ストーブをつけてました。

 「霊山」は良かったです。550ページのうち200ページまで読みました。中国初のノーベル文学賞の高 行健の作品で、高さんの墨絵が表紙ですが、墨絵でドイツやフランスで招へいされたほど絵も上手なのです。外国語学院の仏文科を出たそうで通訳などもしていた劇作家だそうです。

 高さんは知識階級でしたから下放で安徽省に5年ほどいたそうです。演劇の作家としても成功したのですが「バス停」という作品が新しすぎるということで上映禁止となり、不遇な時も過ごしたのでした。

 「霊山」は肺がんを宣告され4か月ほど山歩きを決意して、山の住み少数民族や道教や儒教の教えなどや民間伝説をきいたりしながら人との出会いをする。

 中国の農民は貧しく、暮らしも厳しく、女性も解放されていない。

 肺がんは医者の誤診というほどレントゲンで影がなくなる。奇跡が起こったのかもしれない。

 「霊山」というタイトルはふさわしいです。私も通った揚子江の沿岸にすむ少数民族や黄山の近くの村の名も出てきます。

 印象に残った言葉は「自然は人間になじむが、人間は一番怖い。」「人間は運命で復讐される」というところ。いろいろな人間が出てくるのですが実に相応な展開をしていく。

 彼は「ある男の聖書」で天安門事件を書き、フランスに今は帰化しているそうです。ヨーロッパで個展もたくさんしているらしい。

 彼の小説はフランス語とスウェーデン語に翻訳されたものが評判よくノーベル賞受賞に選ばれたそうです。

 彼の「霊山」は実に演劇のように立体的で絵心のように神秘的です。

☆それで、ルイス・キャロルの方も「霊山」の方も、自分のアートもやりかけなのでした!
★家に帰って、主人が請求書の山だと言うのですが、今月の支払いはいつもの半分くらいです。
電話代も電気代も。(アイルランドとイングランドに行って、長野には3週間ほど行かなかったので)

☆アイルランドに一緒に行ったからから写真が届いてました。
野尻でアイルランドのアルバムを整理しました。少しづつ、アイルランドの文学も読んでいるところです。


☆☆☆☆☆
 今回の野尻で感じたことは、人間は自分の運命に責任があるということでした!
幸い、私は新しく出会う人も含めていいお話やいい関係が深まってます。

 皆素敵な人ばかりで、今はご褒美と感謝の中で自然に溶け込んでいる。

 隣の人が訪ねたときと話されたのは、家に喜びや平和が溢れていると感じたそうです。

 皆、やるべきことをしっかりして今の幸福がある方たち。

 私も家に帰ると主人が穏やかに私への手紙の山を見せてくれる。家族も信頼の重ね。

 同じ人間に生まれ、共通にわかりあえる体験がある。

 そして人に素晴らしさが分かり、讃えることのできる幸せ。

 友の幸せを祈り喜びを共有する幸せ。

 幸せの波紋が広がる!

 もっともっと皆が幸福でありますように!

「幸せの揺りかごインスタレーション」
 それは悪いものは棺桶に、よいものは揺りかごにというインスタレーションです。

 庭の草や木の葉に溶け込んで花のように心を慰めてくれるでしょう。

 陶で作った小さなものは親指の先ほどのサイズの空のバスケット。

 木から吊るされた雪のようなかご。

 地面から生えているような棒の先の揺りかご軍団。

 渦のように円を描くかご。

 十字架に寄せられた籠。

 悪いものを棺桶に詰めて蓋をしたら、今度は揺りかごにあふれるほどの喜びを詰める番です!!!


水俣病の本が届いていた!「宝子たち」「水俣病」原田正純著!

 水俣病の医師が書かれた本。

 人間の体に有害な水銀が企業から流される汚水の中にあり、製造過程です水銀がつくられることを企業側も国側も最初は否定していたが、執拗に追跡した人が見つけ出してから企業責任を問いだすが、患者たちの発病や生まれてくる子供の発病などのそれぞれの背景に勇気や覚悟や恨みやはじらいなど背負った人生の過酷さには言葉もない。

 宝子というのは最初に生まれた長女が、水銀を全部体に引き受けて障害の人生を全うしたがあとから生まれた子供たちは何の障害もない健康な子供たちだと言う。それで母親が、長女は「宝子」というのだ。

 また、障害のある子供が生まれることが予想された段階で避妊や流産をさせたり過酷な防御が強制されたところもあったと言う。隠れクリスチャンの里にはキリスト教の教えに避妊や堕胎がないので障害のある子が生れる比率が多かったり、その信仰の確信には医師もおどろかされた。

 一見、健常にみえる患者のタイプの現実には疲労度が高く、普通人のようには働けなかったり、器用に人付き合いができなかったり、幸福な結婚や子供のいる生活が営めなさそうだと言う。

 国は当然、補償すべきだが私たちも理解を学び、不当な差別などもってのほかだろう。

 人生の学びの中にどうしようもない生まれながらの苦しみがあると思うが、水俣の人たちは土地の魚を食べると言う普通の生活の中でこれだけの苦しみをむかえたのだ。

☆「いのちの尊さ」

 私も高齢の両親を持ち、命というものが弱る姿を観ている。

 どんな状態でも「命は尊い」。

 一方で劣情から殺人などする人や自殺する人もいる時代だが、生きたくても生きれない人がいる。

☆水俣病の患者の姿は決して日常的にみる普通のすがたではない。
 写真展を開き、一般へ知らせようとしても家族は身内をさらけ出すことに辛い思いをしている。

 でも、知らせないと一般の人に水俣病がわからせることはできない。

 誰かの犠牲で進んでいく、人間の生きる営み。

☆アートという仕事も背景は過酷な犠牲の連鎖。

 それを語る必要はないが、私たちが地球に住み以上、知らないではすまされない悲しみがある。

 よくしないではいられない現実がある。

高 行健 検索

高行健
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:2000年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:普遍的な正当性、痛烈な洞察力、言語的な独創性をもった作品によって、中国の小説や劇作に新たな道を開いたこと
高行健
プロフィール
出生: 1940年1 月4日
出身地: 中華民国の旗 中華民国江西省贛県
職業: 作家
各種表記
繁体字: 高行健
簡体字: 高行健
拼音: Gāo Xíngjiàn
和名表記: こう こうけん
発音転記: ガオ シンジェン
表・話・編・歴
文学
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文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家
表・話・編・歴

高行健(ガオ・シンジェン)は中国出身、フランス国籍の作家。2000年に華人としては初のノーベル文学賞を受賞した。
目次
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* 1 代表作
* 2 経歴
* 3 邦訳
* 4 外部リンク

代表作 [編集]

代表作『霊山』はガンの宣告を受けた男が中国南部の山野をさまよい歩く姿を描いた長編小説。1989年パリで完成した中国語作品で、その後フランス語、英語などに広く翻訳された。『ある男の聖書』(一個人的聖経、1998年) は、文革時代を背景とする自伝的小説。
経歴 [編集]

原籍は江蘇省泰州で、1940年江西省南部の贛州に生まれた。1962年北京外国語学院フランス語科卒業。卒業後は中国国際書店の翻訳者となった。

文化大革命では紅衛兵運動に参加し、1971年から五七幹部学校に下放され労働に従事、安徽省南部の山岳地帯にある農村の中学校で教師となった。1974年北京に帰り、翻訳家の仕事に戻った。

1977 年から中国作家協会対外連絡委員会で働き、1979年通訳として巴金に付いてフランスを訪問。同年、散文『パリの巴金』(巴金在巴黎)、中篇小説『寒夜の星空』(寒夜的星辰)を発表。1979年、中国共産党に入党。

1981 年から北京人民芸術劇院の劇作家となり、実質的に中国初の小劇場演劇『非常信号』(絶対信号、劉会遠と合作、1982年)、不条理劇に学んだ『バス停』(車站、1983年)、大劇場ながら実験性に満ちた『野人』(1985 年)などを次々に発表した。演出はいずれも林兆華で、それまでの話劇に叛逆する中国実験演劇の嚆矢として中国演劇界で大きな反響を呼んだ。しかし西欧の手法を大胆に取り入れた戯曲は批判を招き、1987年ドイツとフランスの招聘で出国、翌年からパリに滞在した。

1989 年に天安門事件が起きると、『逃亡』(1990年)を発表して政治亡命を果たし、1997年フランス国籍を取得した。2000年10月12日に中国語作家としては初のノーベル文学賞を受賞し世界的な話題となった。中国では亡命作家・高行健の作品は一時発禁となったが、人民日報はノーベル受賞のニュースと略歴を報道した。近年は、中国国内でも高行健の作品を収めた戯曲選集が刊行されている。
邦訳 [編集]

* 瞬間 宮尾正樹訳「紙の上の月 中国の地下文学」JICC出版局 1991
* 逃亡 瀬戸宏訳「中国現代戯曲集 第1集」晩成書房 1994、「現代中国短編集」藤井省三編 平凡社ライブラリー 1998
* バス停 飯塚容訳 同第2集、1995
* ある男の聖書 飯塚容訳 集英社 2001 ISBN:978-4087733518
* 霊山 飯塚容訳 集英社 2003 ISBN:978-4087734003
* 高行健戯曲集 菱沼彬晁、飯塚容訳 晩成書房 2003
* 母 飯塚容訳 集英社 2005 ISBN:978-408773430

☆こういう記事も!
高行健の受賞は大陸当局に不都合
【総合】 2000/10/13(金) 16:06
  ≪多維新聞13日電≫フランスに住む高行健が華人として初のノーベル文学賞を受賞したが、大陸当局は沈黙を守っている。

  北京外交筋によると、高行健の受賞は大陸当局にとっては都合が悪いことである、という。1987年、高行健が中国を離れる決意をして以来、フランスにずっと住み続け、しかも彼の作品には中国国内では当局から批判を受けており、発禁されるものまであるからだ。

  また、1989年にダライラマがノーベル平和賞を受賞した時にも、ノーベル賞選定機関と中国政府の間には摩擦が生じており、今回も少なからずそれが影響しているものと思われる。中国政府は去年、魏京生や王丹に平和賞を受賞させないよう、ノーベル賞選定機関に警告を発している。そのとき、「もし彼らに受賞されるようなことがあっても中国政府は受け入れられない」と外交部スポークスマンが発言している。

  同じく海外に住む華人作家の蘇暁康は、高行健の今回の受賞は個人的な栄誉であり、全中国人とは関係ない、共産党体制下の大陸作品には価値がなく、五四運動以降の中国現代文学にもほとんどみるべきものはない、高行健が受賞できたのも海外に暮らし、東西文化をうまく交流させたからだ、と語っている。今回、高行健の受賞で中国政府がどのように対応するか、今後が注目される。



  中国には7人のノーベル賞受賞者がいるが、7人とも中国国籍をもってないと言う。
例えばダライ・ラマ。彼を中国人というならその7人に含む。

 高さんの戯曲は台湾では演劇上映されているという。

 YOU-TUBEのおかげで今年の高さんの中国語のインタビューが聞けた。
たくさんあるようだ。
中国語は聞き取れないが、高さんはとても品格のあるいい方に見えた。

 フランスはさすがだ。文化の国は高さんを受け入れた。

 高さんは通訳や翻訳ができるほどフランス語が堪能だったから、フランスとの相性も良かっただろうが。

☆彼の絵の作品を観たいと思って検索してたら香港で個展をしている最中だとか!
高行健個人展
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高行健憑小說《靈山》及《一個人的聖經》等著作,令他成為了首位獲得諾貝爾文學獎的中文作家

高行健憑小說《靈山》及《一個人的聖經》等著作,令他成為了首位獲得諾貝爾文學獎的中文作家
文字以外,高行健亦善於運用水墨畫出與傳統國畫不同的意象

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2010-04-20

作家以具象的眼光看世界,而畫家通常以抽象的視角審視萬物。雖然同樣都握著一支筆,但筆下的世界或許是天差地別的。而有一個人,卻好像能將兩支筆融合,而他就是諾貝爾文學獎得主高行健。

華裔法國小說家高行健生於江西贛州,父親是一名職員,而母親曾做過抗日劇團的演員。在母親的影響下,他從小就對戲劇,寫作以及塗鴉產生了濃厚的興趣。中學時,他師從鄆宗嬴先生學習畫畫,其後從北京外國語大學法語系畢業。在之後的日子裡,高行健編寫了《車站》等眾多話劇,但其中不少都在大陸禁演。 1988年,高行健定居法國,並在六四事件後退出了中國共產黨。2000年,因小說《靈山》及《一個人的聖經》等著作,他成為了首位獲得諾貝爾文學獎的中文作家。

雖然文字是人們首先熟識高行健的藝術載體,但因其豐富的人生經歷與獨特的創作風格,亦成就了他獨一無二的美學觀。他善於運用水墨畫出與傳統國畫不同的意象,而這通常都是他對於直覺和感覺的直觀體現。

這個五月,高行健將拋開文字,用另外一種形式,直觀地告訴你他眼裡的另外一種世界。
展覽資訊:

日期:2010年5月8日(星期六)至27日(星期四)
時間:週一至週五:10:00am-7:00pm
週六:11:00am-3:00pm
周日及公眾假期:請提前預約
地點:iPRECIATION Hong Kong (誰先覺香港)
免費入場
 いくらなんでも5月27日まででは無理ですわ。
いつか見れるでしょう!

「ある男の聖書」を検索中にこういう文章も出てきました。
☆おまえは、おまえ自身のために、この本を書いている。この逃亡の書、お前の個人的な聖書を。おまえは、おまえ自身の神であり、使徒でもある。おまえは他人のために自分を捨てることをしないのだから、おまえのために身を捨てることを他人に求めるわけにはいかない。これほど公平なことはないだろう。幸福は誰もが欲している。どうして、すべての幸福がおまえに帰することがあろう?この世の幸福はもともと多くないということを知るべきだ。
- 高行健 『ある男の聖書』 -



写真 作者の自伝的作品。文化大革命の記憶を中心に、過去と現在を織り交ぜながら描く
 小説の骨格をなしているのは文化大革命であるが、文革をテーマにした作品というと『ワイルド・スワン』や『芙蓉鎮』を読んだ/見たことがある。しかしこの作品はそれらとはだいぶ雰囲気が違っている。『ワイルド・スワン』は作者が(比較的安全な立場である)共産党の高級幹部の娘ということもあって、どちらかというと祝祭的な雰囲気に、また割とジャーナリスティックに、文革の時代が描かれている。『芙蓉鎮』は悲劇ではあるものの「受難の時代のラブストーリー」に重点が置かれている。それに対してこの作品は本当に庶民的な視点から描かれているのが特徴的である。まさに「やらなければ自分がやられる」という嵐の中を、いかに戦い自分の身を守り抜いたか、ということが語られている。単なる歴史的事実ではなく、それを戦い生き抜いた人の生々しい記憶であり、今までおぼろげにしか見えていなかった文革の一面を知ることができたと思う。文革に興味があっても無くても、非常に興味深い作品である。
 だがこの作品の本当の主題は文革の記憶ではなく、むしろ現在の自分(おまえ)にある
 この作品で非常に特徴的なのが、過去(彼)と現在(おまえ)を人称を変えながら交互に積み上げていくという手法である。この文体は初めはなかなか面白いと思うのだが、読んで行くうちにそれが本当に必要なことなのか疑問がわいてくる。アイデアで勝負するような短い小説ならともかく、長い小説でもあるし、このような物珍しそうな手法で目を引く必要があるのか?と。
しかし最後まで読むとなぜこのような手法を取ったのか納得がいくと思う。交互に語られる過去と現在の時間が進み、最後にそれらの時間が交わったとき、二つの物語が一つになり、一人の人間「おまえ」になる。文革の記憶も、悪政の告発や過去の苦難の告白ではなく、「おまえ」の切り離すことのできない一部であるということがわかるのである。そこに至るまでは少々長いのだが、その価値は十分あるだろう。
 文庫にもなっていないし、ノーベル文学賞を取ったわりに認知度は低いのかもしれないが、文革の記録としても、そうではない普通の小説としても十分に読み応えがある作品だと思う。


 おまえは仏でもないし、三身六面,七十二の化相を持つ菩薩でもない。音楽と数学と仏教は、いずれも無から有を生じるものだ。ことばでは表せない自然界の万物から、抽象的に数の概念を生み出し、抽象的に音階,調子、リズムの組み合わせと変化を生み出し、抽象的に仏や神を生み出し、抽象的に美を生み出した。いずれも自然の状態では手に入らない。おまえの自我も同じく、無から有を生じたものだった。あると言えばあるし、ないと言えばほかと区別がつかなくなってしまう。おまえが努力して作り上げた自我は、本当に独特なものなのか?そもそも、おまえに自我はあるのか?おまえは無限の因果の中で苦しんでいる。だが、その因果はどこにあるのか?因果は煩悩と同じで、おまえが作り出したものだ。もう、自我など作る必要は無い。まして無から有を生じさせ、いわゆるアイデンティティーをさがし求める必要はない。むしろ生命の根源,活気あふれる、いまこのときに戻ったほうがいい。永遠なのはいまこのときだけで、おまえは自分を意識するからこそ存在するのだ。そうでなければ、何ひとつわからなくなってしまう。いまこのときを生き、晩秋の柔らかい日差しを浴びよう!
- 高行健 『ある男の聖書』 -

→Amazon  

 現代中国では、高さんの戯曲も出版されているという。

中国では亡命作家・高行健の作品は一時発禁となったが、人民日報はノーベル受賞のニュースと略歴を報道した。

超ラッキーなできごとが!

 今、佐川便が届いて見たところ、この間のアイルランド旅行で火山爆発によるイギリス滞在が5日ほどあり、6日間の延期になってホテル代などを既に支払ったのだが、その代金をヴァージン・エアラインが全額返却してくれるのだという。6万円弱。ちょうど教会に献金している額とほど同じなんですよね!

 それで領収書のコピーを取り振込口座を書いたのでこれから郵便局へ行って書き留めで郵送しようと思います!

 この額というのは「上海万博」に行く費用と同じくらいではないかしら?

 「行きたい!」と思ったのは3秒くらいなんですが、祈りが実現してしまいました!

 それでは、今日も元気よく家事に社会奉仕(?)にいそしみましょう!

 神に感謝!

 とても心がけのいい方ばかりだったのでその方たちのおかげですけれど!

 いざ、行かん!郵便局へ!

☆今さっき、帰ってきました。

 ついでに長野の電気代金6000円ちょっとの支払いもしてきました。

 郵便書留は500円で100円切手を貼っておいたので400円の出費です。

 これからは反対方向のクリーニング屋に行きます。

 主人が季節の変わり目なのでたくさんのスーツ類を出したのでいつもより高額になると思います。

 今週は主人が金曜日から娘のいるところに仕事で行くようで火曜日まで留守です。留守を家で待っていた方がいいのか長野に行った方がいいのか主人に訊いてみようと思います

☆長野へ別にすぐいかなくてもいいのですが、一つの悩みは枇杷を買って1箱、冷蔵庫に入れたままで帰ってきてしまったことです。もうひとつは困らないのですが化粧ポーチを置いてきてしまったことです。

 明日は父の家の掃除の日なので、体力作りのために早めに休みましょう!