May 31st, 2010

生きるルール!

 昨晩、ついつい主人のいない自由さでインターネット・サーフィンをしていたら、こんな論説が出てきた!

 【論説】「マンション買うお金あるなら、まずは息子夫婦の新居にお金使え。自分ばかりでずるい」という若い女性…それって「ずるい」の?

1 :諸君(もろきみ)φ ★[sage]:2009/10/08(木) 10:01:07 ID:???
 ■分からない“常識”

 「ねえ、聞いてくださいよ」と若い女性が言う。

 何についてかと言うと、婚約者の母、もうじき義理の母になる人についてのあれこれ。

 聞けば、義理母はずっと仕事を続けてきた元キャリアウーマンで、今や夫と住む自宅のほかに自分用のマンションなどを持つ身とか。
その彼女が自慢の部屋を見せてくれたそうで、とってもすてきだったとか。

 「それって、どう思います?」と聞かれて面食らった。

 正直言って、すごいと思う。ぜいたくだと思う。けれど、自分だけの部屋を持って、そこを好きに飾って暮らすって、女の夢よねえ、やった
じゃない!と寿(ことほ)ぎたい感じだ。

 ところが、若い彼女は言う。

 「自分ばっかでずるくないですか?」と。

 「別に夫がいいって言うのならいいのではないでしょうか。今は、いろんな夫婦の関係があるわけだし」と言ったのは、当然、その「ずるい」
は義理母の夫(義理父)に対して、と思ったから。

 ところがどっこい、だった。

 彼女は言うのである。

 「フツウの母はそんなお金があるのなら、まずは息子夫婦の新居にお金を使いますよねえ」だって。

 あれ、あれ? そうかあ?

 確かに、世間には結婚した息子の家の購入資金に夫の退職金を注ぎ込ませちゃう辣腕(らつわん)の妻とかがいると聞く。

 けれど、それには自分の老後を息子夫婦に託そうとの意図もあるようだし、決して息子への無償の愛からだけの行為とは言えないし…。

 その義理なる母が自分専用マンションを自慢したのは、ちょっとはしたないけれど、ずるい、と言われるいわれはないと思う。

 ところが、「そんなことないです。ずるいです。自分ばっかです。私たちの結婚式の費用だって、自分たちで出せばあ、って言うんです。
非常識すぎます」と、若い彼女は義理なる母を厳しく指弾するのだった。

 思い起こせば、この私、息子の結婚の際、急ぎ式場にお祝いを包んで持って行っただけの母だった。これって、フツウの母ではないと
いうこと? 彼女の常識だと、自分ばっかりのずるい母だということになるのかしら?

 もともと非常識と言われてはいる私であるけれど、若い彼女の話を聞きながら、ますます世間の常識なるものの根拠が分からなくなって
いくのだった。

ソース(MSN産経ニュース、ノンフィクション作家・久田恵氏)


☆ここから縷衣香です。

 私の62歳までの人生で、意外と隠しマンションや隠れ家的なセカンド・ハウスを持っている人が多いのにであった。でも、たいていの人は隠していた。

 基本的に自分のお金は自分の自由に使っていいのだと思う。

 若い夫婦がこれからの人生に親の援助で家があったら、ずいぶん楽だとは思うけれど、家を建ててもらってラッキーと思うか自立したいので断ったら角が立つので仕方なく受け入れるとかお嫁さんも多様なのだろう。

 この論説のあとにはお嫁さん批判の討論が続いていて、久田恵さんの感じ方に同意している。

☆私の実家の場合、弟2人は自分たちでローンを組んで毎月支払っていた。独身の妹も頭金は支払ってもらったかもしれないがやはり自分の貯金でマンションを買って猫を飼っている。

 私の場合は頼みもしなかったが、家は主人の家が建ててくれて仲良く同居している。

 2世帯住宅は絶対嫌という意見もあるのだが、確かに毎日監視下にいるようなものではある。
しかし、それが悪いわけでもなくて高齢者の分別チェックがなされているのかあまり軌道から外れることなく生きている。

 姑は「他人の叡智を求めることが聡明」という考えの人で、嫁いだばかりに若い日はおけいこを始めるのにも許可を取っていた。すると満足そうに「いいですよ。」というのであった。

 結婚のときの住居は双方の家庭で折半というのも常識のひとつで、私の実家では「半分出してほしい」と言われたら、いつでも出す準備をしていたのだが、とうとう何もいってこなかったので(自分たちから言うと差し出がましいと思って遠慮していた)、実に立派だと婚家を評価して感謝をしていた。

 それで、中身は実家でとカーテンや家具などを買ってくれた。

☆結婚には格差がある。親の反対を押し切って結婚すれば親の援助は求めにくいと思う。
また、鳩山家のような裕福な家に嫁げばお嫁さんもケタ違いの自由になるお金があって好きに家も建てられるだろう。

 しかし、品格のある貧しい学者に嫁げば家はあばら家でペンペン草が生えていようが、そんなことは気にならず、ご主人の神々しい知性に酔えるかもしれない。

☆何を選ぶかは自分次第で、お見合いなら将来の家のことも「家を新築してあげます」とか「同居してもらいます」とか条件で話に出るのではないだろうか?

☆しかし、ただほど高いものはないというのもある。
 家を建ててもらえば、無言のうちに「介護もします」ということだ。

☆この間のアイルランドの巡礼旅行者12人のうちでも、遺産相続裁判中とか遺産相続で大変だったという話が2、3出て、カトリック信者でもお金のことから全く自由ではないのだなあと思ったものだ。

 私も高齢者の両親と4人の兄弟(私も含め)がいて、変な騒動になったら嫌だなと思っているのだが、
基本的に両親のお金は両親の自由だと思う。

 仮に100%寄付する遺言があっても、私は受け入れるし、ましてや主人側の両親のお金に至っては口をはさんではいけないものだと思っている。

☆私は絵描きでおそろしく材料費がかかり、おそろしくアートの売れない時代で自分の働いたお金でできることはそうは多くいない。

 しかし、周囲で勘違いをする人も多い。

 「絵が売れたら、こっちにも回してくれ」とか「あなたはお姫様だからタダ」とか言って、なかなか支払ってくれない場合もよくあった。

 ※断っておくが、私はお姫様ではない。元華族でもなければ名門出ということもない。ただ、払いたくなかったのだろう。
 
☆発想において、この論説のお嫁さんタイプは多い。

 誰かに余裕があったら「私は大変なんだからください」という発想だ。

 これは家庭教育の中で培われる部分でもある。

☆私は極めて庶民的な商人の家に生まれ育ったが、「お金が欲しければ働きなさい」と育ったものだ。

 弟の若いお嫁さんが「同級生の方が有名な企業主に嫁いで豪華マンションに住んでいるのに私は。」と言ったときに、母は「いい暮らしをしたかったら働けばいいじゃないの?」と言った。「私に言って良かったわね。おじいさんに言ったら叱られるわよ。」とも言った。

 弟嫁は専業主婦だが今は生活に困ったら働きますと言っている。

 私は大学生の時から家業のレジを学校から帰ってからはしていたし、いつも世の中のいろいろなことに興味を持っていてアルバイトに精を出していたものだ。

 母は「お金をあげることは親はできるけれど、自分で働いたお金で何かを買うのは喜びが大きいでしょう?」と言って、父も子供の顔を観ながら「出さん!」と言って、心を鬼にして甘やかさないように自戒していたのが伝わった。

 今も父に頼まれて、毎週水曜日実家の掃除やベッド・、メ―キングなどしているが有料だ。父はその労を無料ではさせない。そういう風に私は育った。

 じゃあ、無料ならしないのかと問われれば「お礼を出せないけれどやってくれ。」と言われたらするんではないかと思う。

 父が貧乏で4人で毎月例えば5万円負担するとなったら、大変だけど皆するんではないかと思う。

 しかし、父も母も他人でも身内でも人の好意に甘えるタイプではない。

☆ そして、もう一つ、母はいつも「はったり料」という言葉を使った。

 それはチップのようなもので、きれいで贅沢なお出かけをすれば多少はお金をばらまくものだと言うこと!

 それが嫌なら、おとなしく質素にするべきだと言う。

 だから、私の知っている多くのセカンド・ハウスの持ち主は隠しているのだろう。

☆私にも桁違いのお金持ちの知人がいるのだが、簡単に「来て!」と電話がかかってくる
私も飛行機に乗って滞在費込で10万円くらい払って行くのだが、高級jなチョコを1箱プレゼントしてくれたりする。「私はあなたほどお金持ちではないです。」と幾度も言っているのだが、「嘘おっしゃい。」と言われる。

 でも、1度だって桁違いの豪華別荘の持ち主に何か貰おうとか思ったことはない。

 相手がお金もちだから例えば旅費を出してもらおうとか思ったこともなければそれがケチとも思ったこともない。そんな世界も知るのも幸せのひとつ。

☆アートの世界は貧しくて食べるのにやっとの人が多い。

 天才的な業績を残した人も食べられなくて作品を売りつけられたと出て来るのはザラ。

 売るときも「家賃が払えない。子供が幼稚園に行けない。病人がいる。」とかいうのはザラ。

 買わないとこちらが人非人のような心理に持っていくので、私はそれはよくないと思う

 だから、アートの世界では冬に「コートを着ているにだから絵を買え。」というギャラリーもいたし、絵が売れると階段から突き飛ばされそうになったこともある。「おめえ!」とか言われて。

 このお嫁さんもあるものはないものに配れと言う共産主義的な考えなのだろうか?

☆キリストの教えだと原始教会ではあるものは与えるのが普通かもしれない。
しかし、心構えの問題でないものが権利のように主張するわけでもないと思う。

☆☆☆

 私個人はやはり自立手伝いが一番だと思う。
 与えるのではなくて。

 絵もあげるだけが救いではない。

 「ここを直せばよくなるよ」のアドバイスでもいいのだ。

※あるお元気さんから「縷衣香さんからは皆は何かありつこうと思っているのよ。」と言われたことがあった。私は実にショックだった。そういう風にみられていたのなら私の奉仕活動は間違っていたのだ。
私がある人に仕事を頼んで、困らないように事前に支払いをしたのだが実に不誠実な仕事をしたので叱った時に、そばにいた彼女は彼をかばって言ったのだった。

 勝手に帰る。手抜き仕事をする。約束を守らないと言うことに対して叱ったら、彼女は抗議したのであった。

 彼女自身にも小言を言ったが通じているか今も自信がない。もう、何も言わない。

 何もしないでいいことが降ってくることは地上にはない。

 何かくれる人を探しても見つからないだろう。

 今、思うとこのお嫁さんと同じ考えだ。「貯金もしなさいね。」と言ったのだけど、堅実の先に幸福が待っていることを知っているかどうか。借金人生のようなので伝わってなかったかも。

 ま、私は嫌われていいのですが。

 私にも子供がいるが、父が私たちにしてくれたように心を鬼にして自分のものは自分で払わせている。

 生きていけるのに必要な教育や基礎技術には援助を惜しまないが。


 



 

5月の終わり!

 さわやかな1日でした!

 3時過ぎに浅草橋のマキイマサル・ファインアーツ・ギャラリーに行きました。このところ都営地下鉄の1日パスを買います。

住所を書いて行ったのですが、けっこう迷っていろいろ歩きましたが、浅草橋は人形の問屋さんやビーズ屋さんが並んでいて面白いですね。

☆2人の女性アーティストが個展をしてました。動物にちなんだ作品とか。
2階は藍子さんのブタとレースの作品で面白いのもありました。
1階はさらに若い28歳の方で、ハムスターの作品があったので買いました。ハムスターのハムちゃんを飼っている弟にプレゼントしたいと思ったので。明日が最終日というのですが、反対方向なので宅配便で着払いにしてもらいカードで支払いました!

 深川のいっぷくさんのご夫婦が2階の撮影をしていて、このところよく偶然会うのですが、私が着ていたコーラル・ピンクの半袖カーディガンとハムスターの絵の大きなリボンの色が一緒だったので、今日はそうゆう気分の日だったようです。お茶をいただいておしゃべりして、今度は六本木に行きました。

☆国立新美術館でオルセーを観たかったのですが時間切れ。
しかし、久しぶりの六本木だったのでミッドタウンの地下のショップで夕飯の支度をしました。

 ごま豆腐。
 1口かつ2切れとキャベツの千キリ1パック。とんかつソース1本。
 メゾン・カイザーの食パンと3種のパンの盛り合わせ。
 
 そして、本屋さんで「沖縄たび」本。

☆家に帰ったら、主人が帰っていて、お土産の海の幸があったので、アスパラ3本をゆでて、マヨネーズでトマトとあえて、お昼に炊いたご飯でおいしく食べました!

 娘に今月の衣服費の3万5000円ほどの銀行からの引き落とし請求書を主人に持って行って見せるように頼んだのですが、アイルランド旅行のときに足止めのためのロンドン滞在の費用をヴァージン・エアラインが6万円弱の払い戻しがあるのをきいて、払いたくないと言ったようです。私もそれは払ってやるつもりだったので知っていればいいなと主人に持たしたのでした。

 そんな風に平凡な日常は5月の風のように去っていくのでしょうか?