June 16th, 2010

晴れている空の下で育つ憎しみもある。憎しみを育てない工夫も学ぶ!

 昨日の清心女子高の隣りの席の大人しい女の子が明るく友に囲まれた友人を刺したというのは深く考えることになった。

 高校1年生。いつも隣の席であったおとなしい同級生。どうにも隣の明るい性格の女の子に集まるクラスメートが自分の机の上にものを乗せたり、おしゃべりがうるさく感じられて、黙らせようと思ったのが刺すことだった。逮捕されても落ち着いて冷静に自分のしたことを認めたという。

 一方は意識不明の重体だ。おとなしい女学生も時間がたつにつれて自分がしたことの重さや取り返しのつかないことを思い知るだろう。

☆人間はいろいろな性格のときがあるのだが、私は高校1年生のときはおとなしかったと思う。しかし、輝いて周りに取り囲まれているアイドル系の同級生にねたむとか我慢のできないということはなかった。
私の高校3年の卒業のときに担任は私の評価を「温和。おだやか。」と書いていた。

 しかし、私は人間関係は上手ではない方である。
おとなしく、おおよそ目立たなかった中学と高校時代も時々はっとさせられる、他人の中傷をきいて「怖い!」と思ったことはある。

 私は父親譲りの大きな二重瞼でアイラインも引かない。そして、おおよそずぼらで無頓着な私は化粧とか肌の手入れにこるキャラではないと同時に他人の美醜にもおおよそ関心がないのだが、
「あの人、目を整形したのではないの?」とひそひそ言う人がいると伝えられて驚いた。

 その人はおしゃれできれいな人だったが、ひざに大きな傷跡があった。お勉強も出来て、名門高校のボーイフレンドとの付き合いも派手で、私とは別人種だった。卒業後は画廊に勤めていたと言う。

 私から言わせれば「なぜ?」という感じである。

☆17歳のときに、とても怖い体験をしてストーカーに自宅のお風呂を覗かれたりしたが、それをしかけたのは同級生の2人であった。一人はお妾さんの子で一人は離婚家庭も子で二人とも小学校からあがってきて私立特有のおしゃれな感じがあった。私は中学受験から入ってきて、さえないキャラだったと思う。お勉強にも興味がなくて、おおよそ嫉妬のターゲットになるキャラでもなく目立たない学園生活を送っていた。

 あるときに、わざわざS子が他校の男子学生を紹介して来てその青年が学校へも行かずに待ち伏せやストーカーを毎日したのだった。

 大変な悲劇になった。青年は自殺未遂をして私は親がかりで交際禁止をはっきり明確したのだが、とにかく男性に対して怖いとか嫌いとかの気持ちになったのはこの事件が発端である。

 それで、私は急遽、高校3年の11月にもなったいたが「美術学校に行って、一生アートの道に行く」と決意したのである。

 2カ月の受験期間で女子美術のデザイン科に入り、今度は付いて行くのに大変だったので、まっしぐらに美術の道に励んだ。

☆私はいつもチャコール・グレーの洋服を着ているキャラで、とにかく男性に好かれることを拒絶していたので、おしゃれもせず醜い汚しキャラで通した。

 それでも、大学の先生にも「愛人になってよ。」と言われたり、他校の男子学生が年頃だったのでそれなりに言い寄ってきて、その度に徹底して嫌われキャラで通してお断りした。

 私は20代はめんどくさいので「婚約者がいます。」とか「亭主がいます。」とか言って、とにかく異性に恋愛や結婚対象の女性としてみられることがないように努めてきた。

☆いいムードにならないように、私はたて続けに話まくるというおしゃべりキャラになって隙間を作らないようにも努めた。

 それでも、女性にも男性にもずいぶん怖い思いをさせられた。

 そして、加害者(?)はおとなしいキャラなのである。

☆大学のデザインサークルで1年くらい先輩の女性が「あの子は普通ではないくらい不幸なのでみんなで憐れんでやらなければならないと芸大のT君が言っていた。」といってきた。もっさり太っていて地味なキャラの先輩だったが、他校に好きな人がいたのだった。

 私は「?」「私って憐れんでもらうほど不幸なの?」っていうおどろきでただただ不思議だった。
そのT君は芸大の1学年上のキャラだが客観的にハンサム、背が高い、育つもいいと言う恵まれたキャラだった。よく私の家に電話をしてきた。私はさっきも書いたように、男の人に興味も関心もないので、その男性が嫌いとか選びの選考にもれたということはないのである。

 そのT君とほかの男子学生と一緒のときに好意に気が付いていたので、あえて他人の名を出して「○○君が好きなの。」と言ったが、現実には「キリストが好きなの。」と言っていたので、○○君もそうした対象ではなかった。そして、「あいつ○○君に片思いをしてる。」とか「○○君に振られた。」とか思われ、嘲れらることも全部覚悟して、とにかくT君の好意を封じ込める気持ちを優先させたのだが、T君はそのご就職して「東京に出た時はあってくれる?」とおどおど訊いてきたので「嫌!」と言い放つまでにプロセルが私なりにマナー通りに進めたのである。

 なるべく汚いかっこうした。「少しきれいにしなさい。」とT君。
(あなたのきらわれたいからそうしているんでしょ。わからないの?馬鹿!)と私。

 手に接吻をしたが、これは耐えた。

 私ははるかかなたの天上を望んで仰いでいた。

 殴りかかってきた。

 そのあとで、「東京に出て行ったら、あってくれるかい。」といったのである。

 「あなた以外は皆、いい子だ。」とも言った。

(うるさいわね。私はとにかく絵の道にまい進するだけが夢なの!嫌われて結構!もう2度と電話をかけてくるな!)

 しかし、思うに彼はなぜ「あの子はみなで憐れんであげなければならないほど不幸だ。」と私の先輩に言ったのだろう?私から言わせれば、憐れんであげなければならない不幸な人にわざわざ本人に伝えるか不思議である。憐れんであげなければならなければならない不幸と仮に思われても別にかまわないが、殴りかかってきたと言うには、どうしても「憐れんでくれる」という行為とはかけ離れている気がする。

 T君も上級生もいわゆるおとなしい人なのである。

 大学時代に起こった不思議な出来事のひとつですが、殴られたぐらいで重体でも意識不明でもないので警察沙汰にはしませんでいたがね。

☆私の家族で明るく、楽天的、友達も多く、幸せキャラというのは私と父だけだ。
 父はハンサムで若い時は写真館にいつも写真が貼られていたと言う。
 母は父が大好きだったが、大変に女らしい欠点のある人で嫉妬深く、不寛容でいつもイライラしていた。

 父は誰にでも優しく結婚前も裏に住む娘から言い寄られ、彼女が美人だったので母親はいつも嫉妬していた。

 戦争中に自殺未遂の部下を父は障害面倒を見て事業を成功に導いた。そして彼の連れ合いに裏の美人を紹介し結婚させたので、彼の葬儀の日まで葬儀の長となって世話したので、母はいつも怒り狂っていた。

 母は母の姉に言わせればお見合いに猫をかぶっていたという。しっかりもので教員をしていたのでなんでもよくやれた。母が結婚して有能な父のもとで豊かに子供を4人育てると、姉の嫉妬も凄かった。
姉は戦争で彼が亡くなったとかで独身のキャリア・ウーマンだったが、それでも父が好きだったらしい。
親が「できれば、姉の方を選んでほしい。」とたのみお見合いには2人行ったと言う。

 父の家は呉服屋だったので「着物を縫える人でないと。英文科を出た方は要らない。妹ならもらうが。」ということで妹から結婚したのだった。

 そして、生涯、姉妹の不仲は解消されなかった。「あんな性格の悪い妹が裕福に暮らせ、子供にも恵まれて悔しい。」というのだ。

 母は「女は少し馬鹿の方がいい。それよりきれいにしていい男に出会うのが賢い。難しい本を読むより、掃除や食事をしっかりできる方が人間として上等だ。」という考えの持ち主だった。

 私以外の兄弟はおとなしく母似である。
しかし、おとなしいキャラが目立つことが嫌いかと言うと反対で、独身の妹は娘を捕まえて「おばちゃまがどうしたらモテルか教えてあげる。」とか言って電話をしてくる。

 妹は主人にちょっかいを出してきて、「お姉さん(私のこと)には内緒。」の手紙とかほんとかを贈ってきて、メールをしてくる。妹だから不憫なので怒りもしないが、モテルなら近場はやめてもっとほかのとこれでやってくれないかと思う。

 それで、この頃は主人に「私が死んだら妹と結婚してあげてね。」と頼んでいる。

 専業主婦の母はそんな妹の気持ちもわかったらしく「妹には気をつけなさいね。あなたの家庭の崩壊を待っているんだから。」とも注意されて、「なんで!博士号をとって、数段インテリだと認めているんだから、それでいいじゃないの?」と不思議に思ったのである。

☆主人はおとなしいキャラで、小学校のときにいつも隣だった私も大変おとなしいキャラだった。
主人はとにかく黙ってそばにいればいいという考えで、うるさいのは嫌い。

 私も娘もうるさいキャラで、おしゃべりで「とにかく、うるさいからあっちに行って。」と言われて私は長野。娘も某地方都市に暮らしているんだが、それで愛情がないかというとそうではない。

 「この間の日曜日、びっくりしたよ。朝の6時に娘がベッドのところに立っていて、『来ちゃいました』というんだもの。」
 「大学の同窓会があったのよ。」
 「あのくらい大学の悪口を言っていて、わざわざ来るかね。」
 「実は好きなのよ。バスに乗ってきて節約したけど背中が痛くなったと言っていたから帰りは翌日の朝7時の新幹線だった。」
 「後輩の就職先が良くて、自分の未来の指針になったとか言ってたわよ。」
 「あいつ本当に勉強してないよ、携帯に『○○は何でしょう?』と質問してきたので返事を送っておいた。」
 「私たちほど甘い親ってないよね。大学も○○に行けとか言わないもの。でも彼の親にプレッシャーかけられたとか言っていた。うふふ。」

☆主人も私に関心がないかというとそうでもない。
 あるときに、
 「マリア・コード読んだよ。」とか言っていた。

 「生活費出してあげるから、長野行って。」とか言われるの。本当。

 一緒にべたべたする関係も素敵だけど、適当な自分生かしを愛でる家もあるのよね。

☆私の父もいつもひとりで箱根に行っていた。
 マンションで囲碁を打ち、ゴルフをしていた。
 そして、毎日、中国語の自主学習。

 だから、私も似ている。
 ひとりで文学の読書と制作が至福の時。

☆高 行健さんの本に民族特有の問題が面白かったので、ノーベル文学賞の作家の古本をアマゾンで数冊買った。これがそれぞれ民族の問題があるので、アフリカとか南アメリカとかユーゴーとか中欧のことをもっと知りたくて集めた。

 だから、父の家の掃除の後に今夜も長野に行くかもしれない。読書は長野のほうが深く入っていく。

 油絵が乾いてなかったら、揺りかごインスタレーションにための籠を粘土で内職のように作ってもいいしね。

☆おとなしい人の周囲にいない方がいい。
 
 騒ぐときは離れるのがいいような気がする。

 生きるのには智恵がいりますねえ。