July 7th, 2010

「シスター・スマイル ドミニクの歌」を観る!

 今日は忙しい日でした。
午前中は家の片付け。お昼はたらこ茶づけに昨日煮込んだ里芋。
そして昨日プリント・アウトした「蚊帳教会」の間違いを少し直してCDロームにコピーしたのでした。

 さて、KINKOSに行く時間は無かったので、Mさんと1時に待ち合わせの銀座教会へ。
そして、1時20分から野「シスター・スマイル ドミニクの歌」を観ました。



☆「聖ドミニコ」を讃えたドミニカンヌの軽快で喜び溢れる「ドミニクの歌」は美しく、聴いてて心が浮き浮きするのですが、真実のこのメガ・ヒットの歌(300万枚売れたそうな)はプレスリーもビートルズも抜いて、その年の売上11位を記録したそうです。

 しかし、現実に歌の制作者であり歌い手であったシスターの人生は過酷に終わっていたのでした。

 パンフレットで湯川れいこさんは自分のこの歌を知っているが、作者がこのような悲劇的な生涯を送ったことは知らなかったそうです。

☆カタログから
 世界中の人々の心をつかんだ名曲「ドミニク」は、だれもが自由を求めていた1960年代にベルギーで生まれました。ギターを片手に修道院に入る道を選んだ実在の女性ジャニーヌ・デッケルズは、歌に希望を見出し、聖ドミニコを讃えた歌「ドミニク」を作ります。その歌声が評判になり、やがて「謎のシスター」として前代未聞のレコードデビューを果たすことに。「ドミニク」は瞬く間に世界中に広がり、当時
「歌え!ドミニク」と言う映画が製作されるほど彼女は大スターとなりました。

 ベルギーの実在のシスターを、次回くりんと・イーストウッド作品への出演が決まっている実力派女優セシル・ド・フランスが熱演。

☆1950年代の終わり、ベルギー、ブルッセルの郊外。多くの若い女性と同じように自由を求めて自分の人生を見つけたいと思う画学生のジャニーヌ・デッケルズ。学校訪問した修道女の話のアフリカ救援活動にいとこと一緒に参加したいと思っていた。しかし、抑圧的な母ガブリエルは彼女に好意を思っているピエールと結婚させる保守的な女の道を彼女に課した。しかし、彼女のデリケートな心は母の抑圧から逃れるように修道会に無断に入ってしまう。母は怒り、2度と家の敷居をまたがせないと言う。

 彼女はギターとプレスリーのプロマイドを持って修道院に入る。純粋な気持ちであったが、思ったよりは過酷で6年も修道女になるまでに見習い期間があると知ってがっかりするが、自分を主張してギターを持つことも歌を作ることも許可を得て、聖ドミニクの布教活動をたたえる歌を作曲して、カトリックの布教のためになると確信して歌を披露する。

 その明るいメロディと美しい歌声はレコード会社が知ることとなり、アフリカ支援のためにおかねの言った修道会はその印税を修道会に寄付することを条件にレコーディングを許す。
彼女を守るために「シスター・スマイル」として、後ろ姿で本名を知らせず歌は発売されると同時に世界中でヒットして、修道院にもマスコミが訪れることとなる。

 ジャニーヌは自分を受け入れる女友達の画家に電話をして、全米でヒットチャージ1位になっていることや、友からの手紙が全部修道院長に握りしめられていたことを知って不信を持つ。

 有名になってから態度を変えて訪問してきた修道院入りを反対していた両親の態度にも、ジャニーヌはいら立ちを覚える。純粋な彼女は聖ドミニコのように権威にあらがうことに恐れがない。

 自分の歌は大ヒットしているのだもの。修道院を出ても歌って生きていける。

 無理はないが彼女は世間知らずで、自分のレコード実績で家を買って、女友達と一緒に住む。
かぎだしたマスコミが有名なシスター・スマイルが同性愛だとからかって情報を流し、両親からは絶縁され、教会の権威にあらがうことはできない多くの劇場などに妨害され、歌うのは場末の酒場だったり限られて、マネージャーの人と男女の仲になるものの家族的な他の女性に取られ、昔プロポーズしたピエールももはや奥さんと子供を大事にする過去の人でしかない。

  彼女は裏切られた想いで、かつて自分を受け入れた女性画家の住む嘗て買った家に帰る。ベルギー政府から支払い不可能なレコード売り上げの印税が請求され、修道院もレコード会社も支払いを彼女一人に背負わせ絶望して2人で死ぬ。
スール・スーリール
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ラ・スール・スーリール(La Sœur Sourire 1933年10月17日 - 1985年3 月29日)はベルギーの歌手。ザ・シンギング・ナン(The Singing Nun)の名でも知られる。

本名、ジャンヌ=ポール・マリ・デッケルス(Jeanne-Paule Marie Deckers)。第二次世界大戦中は一家でパリに居住。ここで父はレジスタンス運動に参加していた。

1945 年、一家はベルギーに帰国。サン・アンリに住んで学校に通ったが、1953年に単身パリへ留学し、美術学校に学ぶ。美術教師としての訓練を受けてブリュッセルに戻り、女子校で教壇に立った。しかし1959年、ベルギーのドミニコ会フィシェルモン修道院に入ってシスター・リュック・ガブリエルを名乗る。

この修道院でギターを習い始め、作曲を始めたところ音楽の才能を認められ、他の尼僧たちに励まされて1963年にレコードを発表。このアルバムに収められた『ドミニク』が人気急上昇し、全米のヒットチャートに入る。ビルボードではシングル(Hot 100)・アルバムの両チャートで1位を獲得した。彼女は一夜にして国際的なスターとなり、スール・スーリール(シスター・スマイル)の芸名を名乗って、1964年には『エド・サリヴァン・ショー』に出演した。『ドミニク』は日本ではペギー葉山(作詞:あらかはひろしまたは音羽たかし。どちらも歌詞は同じだが、盤によって表記が異なる)やザ・ピーナッツ(作詞:福地美穂子)、東京放送児童合唱団(作詞:島恵郎。NHK『みんなのうた』で使用された)によってカバーされた。

1966 年、彼女に関する映画『歌え!ドミニク』がデビー・レイノルズの主演で製作されたが、デッケルスはこの作品を「うそだらけ」と評して撥ねつけた。

1960年代後半は敬虔な宗教生活に入り、人前で歌うことをやめた。収入の大半は修道院に寄付していたが、1967年には音楽活動を停止。音楽的には新境地を開きつつあったが、デッケルスは徐々に忘れられた歌手になっていった。一つには、世俗的名声を軽蔑していたためでもある。1967 年に出したセカンドアルバムの題名は"I Am Not a Star in Heaven"(私は天の星じゃない)だった。

彼女は大変宗教的だったが、徐々にカトリック教会の保守性に批判の度を強めていき、最後には産児制限の支持者となった。1966年には、ジョン・レノンのキリスト教批判に共感していた。1967年にはリュック・ドミニク(Luc Dominique)の名で、産児制限の賛歌『黄金のピルのために神の栄光あれ』を録音したが、商業的には惨憺たる失敗に終わった。

音楽活動を停止した後、10年来の親友アニ・ペシェル(Annie Pécher)と共にベルギーで自閉症児童のための学校を開いた。しかし1970年代後半(American Top 40の1978年7 月22日の放送で報じられた)、ベルギー政府が彼女に対して5万米ドルの追徴課税をおこなうと発表した。これに対してデッケルスは、金は修道院に寄付したものであり課税の対象外となると主張したが、寄付だったことを示す領収書が存在しなかったため彼女の言い分は認められず、深刻な経済苦に見舞われることとなった。1982年には芸能界への復帰を図って失敗している。そして彼女はペシェルと共に睡眠薬と酒を過剰服用し、自殺した。ペシェルとの間に同性愛関係があったか否かは定かでないが、二人は共同に埋葬された。

1996 年、『ザ・シンギング・ナンの悲劇的で恐ろしい生涯』(The Tragic and Horrible Life of the Singing Nun)と題する芝居がオフ・ブロードウェイのザ・グローヴ・ストリート・プレイハウスで上演された。台本と監督はブレア・フェルが担当。主人公ジーニー・フーが修道院に入ってからペシェルと心中するまでをデッケルスの生涯に基づいて描いた内容となっており、商業的に大成功したため([1])、カトリック同盟が公に声明文を発表して製作者側を非難する騒ぎにもなった([2])。

2006 年、『ザ・シンギング・ナンの悲劇的で恐ろしい生涯』がニューヨーク・ミュージカル・シアター・フェスティヴァルで再演された。製作者のジョージ・デマーコウとデイヴィッド・ジェラードはいずれも1996年のオリジナル版の製作に携わったメンバーである。再演版はアンディ・マンロウによる新曲を加えた内容となっており、マイケル・スキラッリが監督を担当した。
参考文献 [編集]

* Florence Delaport: Soeur Sourire: Brûlée aux feux de la rampe (1996)

外部リンク [編集]

* The curse of the Christmas single (The Guardian, Fri 10 Dec 2004)
* The Straight Dope: Did the "singing nun" commit suicide with her lesbian lover?
* The Singing Nun [Swinginchicks.com]
* The Tragic and Horrible Life of the Singing Nun
* Suor Sorriso (2001) at IMDB
 音楽が素晴らしかったのでCDを買いました。


 シネマ・スイッチを出たら雨だったのでちょっとおしゃれなビニール傘を買いました。
そのまま2人で有楽町駅に行き、大崎のKINKOSで家から持ってきたCDロームをプリント・アウトしカラーコピー機でポスター・バージョンもコピーしました。

 「麻布茶房」で氷杏を食べて5時10分ごろ店を出ました。

☆新宿まで行って、都庁まで歩きハイエット・ホテルに行きました。



 佳山明生さんの新曲発表パーティがあったので友人と出席したのでした。定員200人で3年ぶりの新曲発表だそうです。「氷雨」の大ヒットがあるのでなんとか紅白までのヒットになりたいとのことでした。
中華料理のフルコースだったんですが、おいしかったです。久しぶりの贅沢な夕食でした。
新曲は「片割れ月」で歌いやすい歌のようでした。


 佳山さんの奥さんは私のバスケットの生徒さんだったことがあって、最初にあったのは懐石料理の教室でした。それで、佳山さんともざいぶんお会いしてます。

 今日は1発屋と自嘲しておられる佳山さんから皇太子さまのカラオケのお気に入りが「氷雨」だと聞きました。また、お名前は三輪明宏さんが佳山明生と名付けてくれたそうです。

 明るく生きるというのはいいですね。
 作曲や作詞の先生たちもオーラーが明るかったです。

☆☆☆☆☆
 音楽は素晴らしいですね。
 今日は、偶然でしょうか?1つの大ヒットをお持ちの方の人生に触れた日でした。
 人間には幸せが第一ですね。

 そう改めて思ったのです。