July 16th, 2010

自宅自室の片付け日!

 「蚊帳教会」を急きょするようになって、今ご案内の簡単なレターを発送しているところですが、昨年から引っ越しが幾度もあり、住所録がいまだに見つからない状態です。

 昨年はプチ・スタジオ→ウルトラ・プチ・スタジオ
     プチ・スタジオ→神山コテージ
     自宅自室→神山コテージ
     銀座倉庫→神山コテージ
     銀座倉庫→自宅自室
     と5回の引っ越し荷物運送を始め、父の家にある私の私物などを無理やり小さな自室に押し込んだため、今、全部出して床拭きから始めているところです。

 身から出たサビとはいえ、ボストン暮らし7年にパリ暮らし約1年のほかに、自宅に置いてあった作品など大変なものがあり、気がついたときに処分しているのですがまだまだ整理してないものも多いのです。

☆自分も62歳という年齢になると、今日ある体力が10年後あるとも思われず、母親が突然倒れ、母親のものを片づけていて、いかに他者が片付けるのが大変かわかります。

☆私の実家も家業の経営では末期を迎え、すべてを失う日も近いでしょう。(上の弟のため)
父はよく耐えていると思われますが、幸い他の兄弟は自活できているので路頭に迷うことはないと思います。

☆私もなるべくシンプル化を望み、今日も箱いっぱいの「クロサギ漫画」をブック・オフにでも処分に行こうと思ってます。

☆今週の予定は明日は豊橋で観たい画家の作品展があるので新幹線で朝一に行こうと思ってます。
そのまま名古屋に出て、長野に入ろうと思います。そうすれば夜にはコテージに着くでしょう。
来週の木曜日までに新高輪プリンスに用事があると呼ばれているので、帰るつもりです。

 今日中に住所録を探して、「蚊帳教会」のご案内状を出したいと思いますが、もし見つからなかったら来週に発送します。いずれにしてもブログに全部のインフォメーションが記載されてますから特別の情報はないですが。

☆これからの課題はやはり今までやってきたことの後始末です。
 これが結構時間がかかります。
 ものにあふれた自宅ですが、整理によって半分にはしたいと思ってます。

 さいわい昨日の眠りは深くて体調も良く、天気もいいので仕事がうまく運ぶと思います

 ご案内の遅れている方はこのような事情ですのでよろしく理解をお願いします。
申し訳ございません。

有元利夫展を観る!

「没後25年 有元利夫展」東京都庭園美術館 旋律聞こえる浮遊感
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2010.7.7 08:00
「花火」昭和54年 45・5×37・9センチ=三番町・小川美術館蔵「花火」昭和54年 45・5×37・9センチ=三番町・小川美術館蔵

 人間が浮遊しバロック音楽が聞こえてくるような独特の作品で人気の高い画家、有元利夫。38歳で亡くなり、死後25年が経つが、いまだに根強い人気がある。制作に没頭した10年間の軌跡をたどる展覧会が、東京都港区白金台の東京都庭園美術館で始まった。(渋沢和彦)

 「花火」という不思議な作品がある。白い衣装をまとった女性を4つの花火が囲む。花火の炎とともに女性も浮遊する。有元作品はこの浮遊感が特徴でもある。人物以外にもボールや花びらがしばしば宙に舞う。

 有元は「どうして飛んだり浮いたりしているのかと問われれば、僕にとってはそれがエクスタシーの表現だからとしか答えようがありません」(『有元利夫と女神たち』=美術出版社)と記している。

 バロック音楽をこよなく愛し、制作中もバッハなどを好んで流していた。そのため「フーガ」「室内楽」「ポリフォニー」「楽典」など音楽をタイトルにした作品も数多い。自身も大学生になってからリコーダーを習ったほどで、「絵画で音楽をつくりたい」としばしばエッセーなどで書いていた。つまり、見ると旋律が聞こえてくるような作品を思い描いていたのだろう。
有元は昭和21年、疎開先の岡山県津山市に生まれた。受験の失敗を繰り返し東京芸大のデザイン科に進んだのが22歳だった。在学中に訪れたイタリアの教会などでフレスコ画に触れたことで、日本画の画材の岩絵の具を使い、壁画を思わせる味わいのある独自の技法を確立。30代半ばで将来性のある具象洋画家に与えられる安井賞を受賞するなど期待されたが、肝臓がんのため38歳で、この世を去った。残した絵画は270点ほど。ほかに木彫や陶芸作品も創作した。

 成城大学の千足伸行教授は「有元の絵には、ほのぼのとした親しみや安堵(あんど)感が絵そのものから発している」と分析。確かに作品に接すると、気持ちが安らぐようだ。

 本展には東京芸大の卒業制作で「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」も出品。平面的な表現に自己のスタイルを模索した様子が見てとれて興味深い。

 絵画66点や彫刻や陶器など立体23点を展示している。9月5日まで。第2・第4水曜休。

有元は昭和21年、疎開先の岡山県津山市に生まれた。受験の失敗を繰り返し東京芸大のデザイン科に進んだのが22歳だった。在学中に訪れたイタリアの教会などでフレスコ画に触れたことで、日本画の画材の岩絵の具を使い、壁画を思わせる味わいのある独自の技法を確立。30代半ばで将来性のある具象洋画家に与えられる安井賞を受賞するなど期待されたが、肝臓がんのため38歳で、この世を去った。残した絵画は270点ほど。ほかに木彫や陶芸作品も創作した。

 成城大学の千足伸行教授は「有元の絵には、ほのぼのとした親しみや安堵(あんど)感が絵そのものから発している」と分析。確かに作品に接すると、気持ちが安らぐようだ。

 本展には東京芸大の卒業制作で「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」も出品。平面的な表現に自己のスタイルを模索した様子が見てとれて興味深い。

 ☆縷衣香記
 住所録はまだ見つかってないんですが、毎年書いている日記帳や手紙受けをチェックして、わかる範囲で昨日20枚、今日40枚ほど案内状を出しました。
その封書を出すついでに、洗濯物を出したのですが同じ方向にある庭園美術館が5時半まで入れるので覗いてみました。

 日傘や洗濯もの袋をロッカーに入れて、「有元利夫展」を観たのです。
有元さんはほぼ同時代です。もう、若くしてお亡くなりになったのですが、天国へ行く階段を描いているように思いましたので、そういう準備ができていたのでしょう。

 有元さんの作品はイタリアのフレスコ絵画の影響を受けているようです。そして、知らなかったのですが、受験にはずいぶん失敗なさったのですね。大学に入るときは22歳だったようです。
それで、もしかしたら焦っていらしたのかもしれませんね。

 前に東京駅ステーション展で観た時に比べ暗く感じました。照明の具合もあるのでしょう。
前には音楽が聴こえてくるようでしたが、今日はとてもわかりやすく観念が時代に沿ったものになったと思いました。絵は変わらないのですから、時代が自然に受け止められるようになったのでしょう。

☆個人的に興味深かったのはアトリエの写真です。
 描きかけの絵が今日どの絵を描いてほしいか話しかけてくるそうです。

 有元さんは生きている間にすでに有名で成功者でした。
とても明るい感じでうまく時代に乗っている感じがしました。嫌いではなかったですが、強く惹かれてもいなかったんです。

 でも、今日観ると、きっと相当苦しんだ時期に何か求めるものが遠いもの天からの光のような永遠へのあこがれを切に求めていたと思うのです。

 朝香宮の建物が有元利夫さんの絵にあっていたからかとても落ち着いた時間でした。

☆自分のアートのことを考えていました。
 アーティストは実にさまざまで、どのような生き方が正解というものではないのですが

 自分の場合はキリスト教が軸になっているので、そこから離れては成立できない気がします。

 誰でもそうですが、絵だけ描いては生きられない。特に女性は結婚している女性はなおさら、雑事に覆われて、絵を描く時間を作るのは大変です。

 多くの女性のアーティストはある年齢になるとそれに介護が加わります。

 そして、さらに理想的には弱い人や助けを求めている人への人としての義務も加わります。

 お子さんがいる人はもちろん子育ても大きな仕事として加わるのです。

☆私は絵に関してはいつもほめられていましたが、美術を専門にしようと思ったのは遅いのです。
高校3年生の11月です。ですから苦節何年の受験勉強はしてないのです。また、何浪もして入ろうとした芸大の存在すら知らなかったのです。

 ですから、親から言われるまま4年生のデザイン科の女子美に限って許可がでたので、ここしか受けてませんし、ここで入学を許可されたので、挫折というか浪人時代の苦しみは知らないのです。

 芸術の道は知れば知るほど、苦しみがわかってきました。あまりにも答えがなくてあまりにも多様性と価値観の絶対でない世界なのです。

 人にもよりますが、制作には時間もお金も天文学的に要ります。そのためにアルバイトをしたり、就職したりするのでしょうが、作品を売る段階で誰でも快適でない出来事にぶつかると思います。

 芸術の仲介マージンや紹介料や世話代などの名目で、画家が作品にかけた材料費を出すのがやっとなほど作家には入らないのです。額代なども馬鹿にならない。

 まして、アトリエ維持のための家賃や光熱費や人との付き合いのための交際費や勉強のために書物購入や美術館訪問代を加えれば、これらを賄うために絵がどれほど売れなければならないか計算すると恐ろしくなるほどです。

 そのほかにメインの材料費なのですから。

☆有元さんは絵でやっていける覚悟ができてから電通を辞めて絵に専念したそうです。

 今でも多くの絵描きさんが時間と自由を得るために固定給の保証のある就職を辞めているでしょう。

 しかし、たぶん、家族もその絵描きさんにさほど優しくはないでしょう。
 嫌みくらい言われているかもしれません。

「絵を売りなさいよ。売れる絵を描きなさいよ。」

 絵を描く喜びと世間や家族のいじめ(無理解)との拮抗は生涯続くでしょう。

 有元さんがなぜ癌になったのかは知りませんが。

☆私も結構しんどいです。
 例えば、家の中が汚れると思われる粘土は自宅ではできないです。

 匂いのある油絵も自宅では描けません。

 母もそうですが、主人も結構大事な連絡電話など無視して、切られたりします。

 それが意地悪だか単なる偶然だかは私は詮索しないのです。

 そして、今のところは大丈夫ですが、一種の兵糧攻めもあるのです。

 若い時に母親は普通の小遣いしかくれませんでしたが、アルバイトとなると嫌がるのでした。

 お金がないので読んだ本を片っ端から売ってましたが、家の本も売られると思って母親はスタンプを作って本に押して、売られないようにしたくらいです。

 また、これもいじめか単なる悪ふざけかどうかは知りませんが、結構同じ美術畑にはたかられました。

 これも、困ることがわかっているのですから一種の兵糧攻めなんですね。

☆この間のテレサとの電話で、いかに他の人間が意地悪をするかが話題になりました。

 目立って立派な奉仕活動をするというのは本当は褒めて協力するのが筋だと思うのですが、人間の心は「足を引っ張ってやれ。」「協力をしない。」「孤立させる。」「恥をかかす。」と続いて、メタメタに傷ついたそうです。

 「キリスト教がなかったら、ずいぶん楽なのだけど。」

 「本当に、赦しと愛のキリスト教がずいぶん苦しみを与えてくれるよね。」

☆私は有元利夫展を観て、もう25年も前になくなられたそうですので、新しい作品は観ることはできないのですが、やはり幸福な画家だと思いますよ。

 私はほぼ同じ年の画家ですが、その25年分絵が描けたわけではないのです。

 その間、子が育ったのでそれはそれでいいのですが。

 自分は果して、納得のいく仕事をしてきたのかと考えました。

 寿命の短い人の完成はやはり不思議に運命を知っていたかのように思えます。

 長生きしてますます完成度の高い作家も本当に偉大です。
北斎やモネ。

 私は作品郡を観て、やはり絵を頑張らなければと思います。

 父の介護や母のお見舞いもありますが、それでも時間は作れる。

 自分に与えられたわずかな時間や環境を生かすしかない。

 私は若くして自死された画家の本もオーダーしてます。その方の絵はいいのです。
それでも、若くして亡くなられた。

 そういう生き詰まりもわからないではありません。

 答えのない世界ですので1人で引きこもって描いていると苦しくて前に進んでいるのか停滞しているのかもわからなくなるのです。それでも描くのが画家の務め。

 主人が帰ってきて、片付け中だったので切れてましたが、心を高くしてこれから「クロ詐欺漫画」をブック・オフに売りに行きましょう。

 負けない私。