September 21st, 2010

残暑の9月!

 今日は暑いですよ!

 お昼をいただいて、洗濯物を畳み、ほかの衣類を洗っているところです。

☆お昼のテレビを観ていると、老女が踏切を渡り切れず亡くなられたり、6年生の小学生の女の子が義父の虐待で栄養失調でマンションの前で倒れていたのが原因で、日々の虐待がわかったり。
その前に少女が施設に守られていた時に、父親はガラスを破って施設に入ろうとしたんですね。
母親は6月に家でをしたそうですが、少女はどんな気持ちで毎日暮らしていたのでしょう

 少女は近所の人や学校の訪問に「自分が悪いんです。」と言っていたけなげな女の子でしたが、毎日の日記に虐待のあった日は「しるし」にちいさな点をつけていたそうです。

☆皆が他人の体力や様子にもっと敏感になればいいですね。

☆明日は娘が帰ってくるので、冷蔵庫の中をもっと豊かにしと置かねばならないですね。
 
☆押尾学被告の記事やニュースを観てこう考えました。
 
 容姿がいいというのはずいぶん傲慢にさせるんですね。
本人もなかなか驕りが抜けない。

 他人が死んでいて、「押尾ブランドが消える」という心配をしていたと獄中の手記ノートにありました。

 被害者の家族や自分の別れた妻や一生背負っていく可愛いこどものことや、自分の両親や兄弟に同様な不幸を与えることになるのか、彼は想像もつかないように見えますが。

 ※しかし、2年6カ月という反省期間を償って立派に更生することもできる。
芸能界でなくても、美しい容姿が役に立たない場所であっても、他人に尽くし役にたてる

 反省いかんでは、見事な人格成長を遂げられるかもしれない。

☆世の中には悪い人がいて、押尾被告の周りに渦巻いている富や権力を持って人がいると言う。
救急車など呼ばねば、やくざが上手に処理ができたと言う書き込みもある。

 私たちが生きている世の中はなんと危ういのだろう。

 自分だけまじめに生きていても巻き込まれてしまう。
 あの6年生の少女のように。
 いつまでも施設は彼女を守れるか?

 巨大な組織や権力の前に1個人は弱い。
どれほど多くの人が子供のいじめ、大人のいじめで死んでいるのだろう。

 例えば子供のいじめ自殺は年間866人という数字を見たことがある。
「生きていてもいいと思えなかった現実」

 大人は1年に3万人以上が自殺をしている。

 そして路上生活者。

 昨日も見た。
 本当に人の多い大通りのビルの前の階段のところにいるんだもの。
 あまりの生活が伺い知れて1日心が重くなる。

☆いじめをする人間の心は惨めだ。

 少女を虐待した31歳の無職の義父は本当は妻が家出をした事実に辛いのだ。
 それが八つ当たり。
 お母さんもこの子を連れて行ってほしかったが。
 お金もなければ子供を連れて働けないと思ったのだろう。

 弱い男が弱い子供に当たるやりきれない事実。

☆昨晩、検索中に部落差別で結婚できなかった娘さんが自殺をして、その本の感想を書いていたブログにであった。「生まれてきたことが罪」という彼女の遺構集。

 人間には超えられないハードルがいくつもあって、若い魂は絶望してしまう。

☆今日の新聞に10年前に、テレビのアンテナを直そうと屋根に上っていたイギリス人?が感電して手足を失い、その後2年の練習でヒレを体に着けてバランスを取り、1時間ちょっとでドーバー海峡を泳ぎ切ったと言う記事を読んだ。

 こんなにも魂の強い人がいる。
 支える家族も立派だったのだろう。

 「私の誇りです。」と抱きしめた母親。もうかなりの大人の男性だったのですけどね。

☆そうね。
 人生に大事なものは何だろう?

 強く生きれるkとかもしれない。

 日本経済新聞に「上村松園」という日本画家の女性のことが記載されているのだけど、彼女は日本初の女性の文化勲章受章者。
彼女は葉茶屋さんに生まれたが、父親はすぐになくなり、母親の手で妹と一緒に京都に生きた。
あの時代に女性でプロの画家になり、私生児を生んで「普通の結婚」をあきらめて、絵を描き続けた。

 早くから開花した彼女の才能は、昔だからなおさら、男性の嫉妬で意地悪や妨害された

 彼女は日記に「強くならなければ。」と書いていたと言う。

 強くならなければ続けられないのだろう。

 嫌なことがあっても理不尽な差別やこころない世間の中傷があっても、それでもえがき続ける強さが彼女を非凡さの高みに持ちあげたのであろう。

 作品展を上野でやっているそうなので、明日にでも行こうかしら?
上野ではシャガールもやっている。

 シャガールはユダヤ人。みな悲しみも不幸もあって立派な作品を残した。

 私も強くありたいと思う。

今日は真夏日70日目、そして明日は中秋の名月!

 少し暑さが落ち着いてからと思い、4時ころからでかけました。
五反田で三菱UFJ銀行の2つの通帳の書き込み。そしてJRで目黒に行ってから「住友銀行」「みすず銀行」「信用組合銀行」の書き込みを終えました。

 あのアイルランド旅行のアイスランドの火山の爆発によるフライト中止でイギリスに5日間足止めされていたホテル代がヴァージン・エア・ラインより支払われていました。

☆それで、多少気が大きくなって、本屋さんで「悪人」の上下と「美人は得か?」という本を買って、上の「てんぷら」屋で「レディース・ランチを戴きました。
 てんぷらは海老とイカと魚でしたね。おつゆは藻で、お刺身はヒラメ。大根と海藻のサラダに、キノコの炊き込みご飯、デザートはてんぷらアイスでした!

 家ではてんぷらは揚げない主義なので、お久しぶりでした。

☆夕食などの支度もやや豪華に。きっと明日の夜から1週間くらい娘がいる感じなので、ミニステーキとアスパラとエリンギ。鳥のささみとケチャップ。長ネギ、焼き豚、紅ショウガ、直久ラーメンセットに日本の梨2個。コカコーラにグリーンティー。横浜の馬車道のもなかアイス2個。結構重くなりました。

 帰りに1階の和菓子屋さんに「中秋の名月」の月見団子を予約しておきました。

☆平凡な暮らし。
 平凡な日本の習慣。

 明日の満月は楽しみだな!
 歯医者の予約が12時なので、帰りにピックアップしよう。

☆その前にテレビで英語の時間なんだろうけれど「桂離宮」をやっていた。
 私も行ったけれど、映像で観る桂離宮は本当に素敵だ。
 別荘ということで、シンプルで月見にいいように設計されているそうだ。

 英語だと3種類くらいしか月の表現はないそうだ。
 半月
 満月
 クロワッサン

 でも日本人は月が好きで
 弓張月(片割月・弦月・半月)
 十三夜
 十五夜
 満月
 十六夜
 十七夜とあって
 細かく分類されているそうだ。

 障子の明かりと、お部屋が家具の移動で何ににもなる良さを外国人は発見したようだ。

 表になっているものを観ると、本当に美しい名前がついているんですね。

月相 およその月齢 月の出数 主な名称
0・朔 0 1 新月
1 1 2 二日月、既朔(きさく)
2 2 3 三日月(みかづき)
7・上弦 7.5 7 半月、七日月、弓張月
12 12 13 十三日月、十三夜月
13 13 14 十四日月、小望月(こもちづき)、幾望(きぼう)
14・望 14 15 満月、十五日月、十五夜
15 15 16 十六夜(いざよい)、十六日月、既望(きぼう)
16 16 17 十七日月、立待月(たちまちづき)
17 17 18 十八日月、居待月(いまちづき)
18 18 19 十九日月、寝待月(ねまちづき)、臥待月(ふしまちづき)
19 19 20 二十日月、更待月(ふけまちづき)
21・下弦 22.5 23 半月、二十三日月、弓張月
月の出入り時刻の例(2009年9月、時刻は日本標準時) 日付
(旧暦) 月齢[14] 東京 京都

☆ヴァージン・エアラインから戻されたお金の使い道なんですけど、長野の雪の聖母像のための屋根つきのおうち(ちょうど参考になる写真が聖母の騎士の七月号に出ていた)を地元の大工さんに作って貰ったらどうかと思います。
 大工さんの手当てって一日16000円くらいだったと思うので2日間で屋根の瓦と木の材料でちょうどできるような気がする。長野には素敵な瓦があるかどうかわからないのでインターネットで調べて買っておいてもいいし。

 過疎で仕事のない黒姫では秋には仕事がなくなって大工さんたちは大変ひもじい暮らしをしてます。
草刈りとかやっていると聞いてたので、それが「ノックの聖母」も喜ばれると思います。

 全然関係ない話のようですが、昔20代のころに秋田の聖体奉仕会にいた時に、北海道の周遊券を買っていったのですが、函館に着いた途端北海道の一斉ストライキでJRが動かなくなり、東京に着いた途端、全額お金が返ってきたことがありました。
つまり、秋田までタダで行けちゃったんですよね。

 私の知っているあるまじめなカトリックの信者がヨーロッパで盗難に会い、帰りのチケットもお金も亡くなってしまったのですが、そのときに「ファチマに巡礼に行った。」と答えたら、帰りの切符は無料で発行してくれたそうです。

 巡礼にはこのようなお恵みがいっぱいありますね。

「美人は得をするか『顔』学入門』とスーザン・ボイル!」

 ここのところスーザン・ボイルのYou チューブを観ているのだが、彼女の出現への感動はどう表しせばいいのだろう?

 見かけはダサい太っちょの47歳の(今ではもっといった)おばさん。
しかし、その生い立ちに生まれつきの障害ゆえのいじめがあって教師や同級生から常に酷い扱いを受けてきた人の唯一、救いとなっておどおどせずにいられる場所が歌を歌うことだった。

 そして、その歌の明るさ強さ、清さ。
彼女の人格は私の知るところ、天使のようだ。

 嘲って侮辱した人を許している。

 そして、その声を聴き、You チューブで彼女の顔を見た人たちは、彼女を侮った人を非常に怒っている。そのくらい感動した美しい声と存在の清らかさ。

 外見よりは中身って思ってしまう。
そして、外見に気にしないで生きてこれた小さな村の教会の聖歌隊の彼女。

☆今は、超イケメンの犯罪者、押尾学被告のニュースが毎日流れている。
 本当に長身で、日本人離れしたメリハリのある顔。
 そんなほれぼれとする顔ゆえに容姿ゆえに、失ってきたものが心だったのか?

☆外見しか見えない人がいる。
 何百万円出しても整形のお金を惜しまない人がいる。

 そう言う人の中には、心の中は見えないからわからないからと影では酷いことを平気でする人もいる。ずるい人たちだ。

☆彼の押尾被告の人生は今、彼女んの予測もしなかった死によって、今までの人生の不当なおごりが出てきた。
 死者に濡れ衣を着せても、わからないと言う彼。
 キリストとマリア様に祈っていると言うが、それが伝わってこないのはなぜか?

 押尾の周りにそのほれぼれとする容姿にあこがれ惹かれる女性たちがたくさんいた。
その一人も被害者であったが、妻ある人の夫を盗んだ人でもある。

 部屋を貸した大金持ちの女性もその部屋がどう使われるのかを知っていただろう。

☆持てる者はなぜおごるのか?
 それが生まれつきの何の努力も必要のないものであっても、容姿というのは女性も男性も奢らせてしまう。

☆私は今までにたくさんの美しいと自称する人たちにあった。
 その多くは「私はこんなに美しいのになぜ幸せでないの?」というのである。
 
 ジャックリーン・ケネディのような運命があるのに、夫が地味だから脚光を浴びないと不満を言う人もいた。美しいのは誰でも和からのだから、それで十分でないかと私は思うが、それ相応の幸せを得てないと言う。

 美しいので、なんでも欲しいものは男たちが行列を作って手に入れてくれるという女性もた。その親はそんなに美しい娘が普通の暮らしをしているとあってはいけないことが起こっているように不平を言う。

 その人たちの考えは逆に、醜い人はその相応の待遇やそれ相当の不幸は当たり前と思うのである。

☆テレサさんは言う。
 マザーテレサって美人でなかったしね。醜い貧相な容姿だった。
だけれど、あんなに素敵な人はいないと。

☆容姿が良いばかりに、嫌な体験をしないで暮らせると、しなくてはならない努力をしないですませると人はどう育つのだろう?

 どんな美人でもどんなハンサムな容姿を持っていても、いつかは失せていくものだ。
 年もとる。

 次の若い美人やハンサム・ガイにはかなわない。

☆押尾被告は無罪で言葉のできるアメリカで皿洗いからでもやり直しだしたいと思っていた。
そういう努力はする気だった。

 彼には強い武器がある。日本人離れした背の高い容姿とハンサムな顔と頭がいいと思っている頭脳。音楽の才能。

 しかし、その武器も使えない未来が待ち受けている。
 
 考えようによっては2年6カ月が無事過ぎれば、芸能界でなければ生きる道はある。
その間、中傷や批判はつきまとうだろうが。

☆人間って怖い。
 本当にいい友達がいればやり過ぎに注意もしてくれるだろう。

 しかし、そんなにハンサムでも恵まれた生い立ちのネーティブ・スピーカーが堕ちて行くのを観るのは楽しい普通の人がたくさんいる。

 ハリ―・ヒルトンもそうだ。今日のニュースでコカインで捕まった。執行猶予がついたが。
美しいお金持ちのお嬢さんを嘲りたい人たちの恰好のターゲットだ。

 もう、おとなだから自己責任と言ってしまえば自己責任なのだが。

☆「美人は得か?」と質問する人がいたら、私は「No!]というだろう。
 美人は危険なのだ。
 普通の人が十倍する努力をしないことが危険なのだ。
 醜女が百倍する努力をしていくうちに、本物になれるのだ。

 私は今は認知症で病院に入る華道家の「中川幸夫」の本をオーダーした。
君は歩いて行くらん?中川幸夫狂伝 (「美」の人物伝)

内容(「BOOK」データベースより)
もっとも日本的な「生け花」を刺殺し、その血で花の命を造形した悲しくも狂おしき鬼才。同じ郷土で生まれ、中川を凝視してきた人間ドラマの旗手・早坂暁が刻む華・狂気・エロスの幻視館。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
早坂 暁
1929年(昭和4)、愛媛県松山市生まれ。作家、中川幸夫事務所世話人代表。本名、富田祥資(とみた・よしすけ)。日本大学芸術学部演劇科卒業後、業界紙編集長、ある時は富田二郎、ある時は早坂暁の名で、評論や小説、シナリオを書き始める。以後、小説、映画シナリオ、舞台演出、ドキュメンタリー製作を手がける。新田次郎文学賞、講談社エッセイ賞、放送文化基金賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、芸術祭大賞、モンテカルロ国際テレビ祭脚本賞、放送文化賞、向田邦子賞ほか受賞多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報

* 単行本: 339ページ
* 出版社: 求龍堂 (2010/08)
* ISBN-10: 4763010263
* ISBN-13: 978-4763010261
* 発売日: 2010/08
* 商品の寸法: 19 x 13 x 2.8 cm

☆この華道家は、背中が3歳のとき事故による怪我が元で脊椎カリエスにかかる。地元の小学校を卒業後、大阪の石版印刷屋へ奉公に出る。その9年後に病が悪化し帰郷。祖父と伯母が池坊に属し「いけばな」をしていたことから、叔母のもとでいけ花を始める。

戦後の1949 年、創刊されたばかりの専門誌「いけばな芸術」へ送付した花の作品写真が作庭家の重森三玲に認められ、世に名が知られるようになる。1951年、白菜を活けた「ブルース」という作品についての見解の相違がもとで家元と衝突、『決定的に自由であるために』(中川)池坊脱退声明を表し、33歳で流派を去る。「白東社」などの合同展を経て、1968年には東京で初の個展を開催。以後は、個展のほか音楽家・舞踏家等とパフォーマンスの開催をしたり、ガラス作品の制作や書も手がけている。
年譜 [編集]

* 1918 年 香川県丸亀市に生まれる。
* 1921 年 脊椎カリエスを患う。
* 1932 年 大阪にある石版画工房「近土版画社」に奉公、内弟子となる。
* 1942年 帰郷。池坊讃岐支部長を務めた祖父、その後をついだ伯母の影響で、いけばなを始める。
* 1944年 丸亀市の役場で兵事課に勤める。
* 1945年 今井實の印刷会社に終戦後から勤務。
* 1947年 池坊最高位だった後藤正一を京都に訪ね、立花を習得。
* 1949年 重森三玲(作庭家)の推挙で作品が「いけばな芸術」で紹介される。
* 1950年 重森三玲主催の家元否定のいけ花革新集団「白東社」に参加する。
* 1951年 池坊脱退声明を発して脱退。個人のいけばな作家として活動を始める。
* 1955年 「婦人画報」11月号の中川作品撮影のために、土門拳が丸亀を訪れる。
* 1956年 丸亀から東京の中野に転居する。
* 1960年 朝日新聞の「前衛を探る」で特集される。
* 1966年 NHK「日本の伝統いけばな」にテレビ出演。
* 1978年 前年に出版した作品集『華』が「世界で最も美しい本の国際コンクール」に入賞。
* 1981年 NHKラジオ・人生読本「花と人」に出演。
* 1985年 東京セントラル美術館にて「アートフェア'85」イベントでパフォーマンスを行う。
* 1986年 「家元王国・知られざる日本の伝統」(中村敦夫地球発22時)テレビ出演。
* 1990年 第40回砺波市チューリップフェアで気球によるオブジェ制作。映画「花いける」に出演、題字を書く。
* 1991年 日本テレビにて「美の世界花霊を求めて・中川幸夫」放映、大野一雄と共演。
* 1994年 週刊朝日に「おののき」一年間連載。
* 1997年 NHK日曜美術館にて「中川幸夫の世界・いけ花ではないがいけ花である」放映された。  
* 1998年 山口県立萩美術館浦上記念館・萩にて「鏡の中の鏡の鏡」を制作。  
* 1999年 「織部賞グランプリ」を受賞。丸亀市文化功労賞を受賞。
* 2002年 第二回大地の芸術祭プレイベント「天空散華・妻有に乱舞するチューリップ・中川幸夫『花狂』」十日町市博物館他・新潟。
* 2002年 映画「たそがれ清兵衛」(監督・山田洋次)の題字を書く。

こういう目に見えて美しくなかった人が美しいものを知っている気がする。