November 5th, 2010

女性はフルコース味わえる!

☆テレにで観ていた内永ゆかこさんの言葉
「女性はフルコース味わえる」
母、妻、仕事のことらしい。

2010年11月4日放送 座右の銘(動画を見る)
村上龍の編集後記 シュートエッセイはこちら
これが世界で負ける、日本型の“男ビジネス”だ!
世界で勝てる人材は、こう作れ!
ベルリッツコーポレーションCEO 内永ゆか子(うちなが・ゆかこ)氏
ゲスト
ベルリッツコーポレーションCEO
内永ゆか子(うちなが・ゆかこ)氏
“世界”を駆ける人材!法人英会話大盛況の仕掛人・内永
ユニクロに楽天…英語の社内公用語化が始まった日本。実はそんなニーズを掘り起こしているのがベルリッツだ。
08年に社長に就任した内永は、ノバの破たんなどもあり低迷する個人向け英会話に早々と見切りをつけ、
世界に通用する人材を育てるための法人向け英会話に大きくシフト、急増する需要を掴んだ。
今や、ベネッセからソニーまで世界で戦う企業に引っ張りだこの内永。自ら創業130年の世界企業ベルリッツコーポレーションを率い、世界を駆け回る彼女の、世界で勝てる人材作りとは?

東大初のミニスカがIBM初の女取締役に…男社会との戦い
東大で初めてミニスカを履いた女性といわれる内永。システムエンジニアとして日本IBMに入社して以降の歴史は、男社会の中での戦いの歴史だった。屈辱的なコンパニオンをさせられたり、夜8時までしか残業できない不利な労働規制を、トイレに隠れてまでかいくぐり仕事をした。そんな内永だからこそ分かる、日本企業の男社会の弊害が…「オールド・ボーイズ・ネットワーク」。
多様性を認めない日本の“モノ”な企業文化が、かつては高度成長を実現したが、今では世界でいかにビジネスチャンスを逃しているのか…日本型“男ビジネス”の限界を見つめる。

グローバル時代は女性で勝つ!女性活用が企業を救う
管理職が活躍し、何人も女性役員がいる。これまでの男性ドメインの企業ではなく、“マイノリティー”(女性や有色人種)を活用しないと世界では生き残れないほど、競争が激化しているのが現状だ。日本企業が世界で生き残るため、女性の内永が立ち上げた女性リーダー育成NPO「J-win」などの活動を通し、日本の問題点と可能性を探る。


≪ゲストプロフィール≫
1946年 香川県生まれ。
1971年 東京大学理学部物理学科卒業後、日本IBM入社。
1995年、48才で日本IBM初の女性取締役に就任。常務、専務を歴任し、
2007年 日本IBMを定年とともに退職。女性のリーダー育成を目的とするNPO法人「J-win」を立ち上げ、初代理事長に就任。
2008年 ベネッセ副会長、べルリッツ社長就任。

≪企業プロフィール≫
1878年設立。アメリカ・ニュージャージー州プリンストンに本社を置く外国語学校。現在70カ国、500拠点で展開。法人比率が高く、契約企業は世界1万2000社、国内3000社に上る。01年日本企業ベネッセの傘下に。

村上龍の編集後記
グローバル、あるいは多様性という言葉は広く流通しているが、その定義や概念を正確に把握している人は非常に少ない。内永さんには、徹底した合理性の追求があるが、権力への志向は皆無だ。こんな上司の下で働くのはどんな気分なのか、想像がつかない。厳しさと優しさが、調和しながら同居しているからだ。
厳しさと優しさの調和 村上龍

こんな写真を見つけました!

聖コルベ記念館


〒850-0012
長崎市本河内2-2-1
℡095-824-2079、2080


  聖コルベ師の列聖を記念して、昭和 61年(1986)8月14日建てられた。
聖マキシミリアノ・コルベ師は、昭和5年(1930)4月24日ゼノ修道士等と共に来崎、大浦天主堂下の洋館を寓居として、時の長崎教区長早坂司教の要請を受けて教区神学生に哲学を教えるかたわら、来日一ケ月後には日本語による『無原罪の聖母の騎士』誌を発行した。

  昭和6年(1931)5月現在の本河内に修道院用地を求め、聖母の騎士修道院の基礎を築くかたわら、出版物による布教、邦人司祭の養成に力を注ぎ、昭和 11年(1936)故国ポーランドに帰国するまで精力的に活動し、帰国後ナチス・ドイツの強制収容所アウシュビッツに収容され、妻子ある一人の囚人の身代わりとなって餓死刑を受け、毒殺されたことはあまりにも有名。     

 聖師は、昭和46年(1971)10月17日列福、昭和57年(1982)10月10日ヨハネ・パウロ二世によって聖人の位に挙げられた。聖師のゆかりの地に建てられた聖コルベ記念館は、1階は資料室として聖師にかかわりのある品々や、昭和44年(1969)まで『聖母の騎士』誌発行のために使用されていた、聖師時代からの折り機、トジ機、宛名書き機、活字及び、聖師とともに来日し戦災孤児の救済に努めたゼノ修道士の遺品等が展示され、2階から5階まではコンベンツアル聖フランシスコ会志願院として小神学生の生活の場に利用されている
聖コルベ記念館




 壁の左にかかっているのが私の絵です。
見えないですけど額が前かがみになってますね。
下は遠藤周作の「沈黙」の原稿です。



☆黒姫で読んだ本は「ゴッホは聖人」「ゴッホの生涯は殉教」とあったので、少し考えてみました。


以下は小崎登明修道士の「私の部屋」からのコピー
●コルベ神父と聖母の騎士修道院
電車の終点、『蛍茶屋』から、国道を山手へ登ると、バス停(長崎県営バス)の『番所』がある。そこから狭い道に入ると、聖母の騎士修道院の白い建物と門が見える。
ポーランドで『けがれなき聖母の騎士』誌を創刊し、ニエポカラヌフ修道院を建設したコルベ神父は、1930年に東洋へ向け宣教の旅へ出、ゼノ修道士らと共に長崎へ上陸した。長崎の大浦の仮修道院(現在のコルベ記念室)に1年間いたが、1931年5月、本河内に聖母の騎士修道院を建設した。


●聖コルベ記念館
聖コルベ記念館は、長崎市本河内(ほんごうち)2丁目2の1、聖母の騎士修道院のなかにある。コルベ神父が聖人に挙げられたのを記念して、1986年に開館した。年間、約7、000人ほどの見学者がある。
年中、無休。正月、盆休みも、開館。入場料は無料。

●コルベ神父の資料室
聖コルベ記念館の一室に展示資料室がある。ここにはコルベ神父の部屋が保存されている。

●聖コルベの部屋
使っていた手づくりの素朴な机とイス。これらはゼノ修道士の手作りである。その傍らに本棚。この机を使って原稿を書いているありし日の神父の写真が飾られている。面影をしのぶことが出来る。

コルベ神父の居室のまわりには展示物がある。コルベ神父着用の祭服、典礼書、帽子、手紙。結核だった胸のレントゲン写真フィルム。無原罪聖母マリア像。倫理神学書、直筆原稿。ポーランド国発行のコルベ神父の切手。ナチスの死亡報告書。爆破されたアウシュビッツの火葬場のレンガの破片と人骨片。遺髪。それにコルベ神父直筆の長崎日記(これが最も大事な資料である)

コルベ神父は6年間の長崎宣教の間に、肺結核を病み、苦しんでいた。コルベ神父を診察した医師が、長崎医科大学の永井隆博士であった。永井博士とコルベ神父の出会いを記した原稿が置かれている。永井の診察によると、コルベ神父の肺は五分の四が結核に冒されていたという。

また作家・遠藤周作氏は、「女の一生・第2部」の作品で、コルベ神父の長崎上陸から、アウシュビッツまでを、冒頭に描いている。

コルベ神父の身代わりで助けられたガョヴィニチェク氏と家族の写真、筆跡。彼はポーランドのブジェグ市で 1995年3月13日に93歳で亡くなった。

コルベ神父が使った当時の活字や印刷機械、製本の機械など『聖母の騎士』創刊号。コルベ時代の話題の写真のなかに「特高警察の吉野刑事は探偵として生活を共にしたが、改心して洗礼を受け、味方となった」というものがある。

1981年には、同じポーランド人のヨハネ・パウロ2世(当時の教皇)がここを訪問された。


※大浦天主堂下の坂の右側に『聖コルベ記念室』がある。当時の木造洋館はすでに焼失したが、この洋館で使われていたレンガ造りの暖炉が残されている。写真、手紙、遺髪など約70点を展示。
作家の故遠藤周作がこの建物の保存を提言した。

チリ69日間、33人の地下700メートルに出現した聖母マリア!

 10月14日に33人の生還が伝えられたチリ鉱山。

10人目に救出されたアレックス・ベガさん(31)がある日、トイレに向かう途中、壁に大きな岩が出っ張っていたことに気がついた。それが、聖母マリア様が両手を開き、慈悲深く立っている姿に見えたそうです。(在南米ジャーナリスト)

 彼が父親に充てた手紙にはこう書いてあった。
「マリア様が現れた。
目の錯覚だと言う仲間もいますが、
私にはマリア様に見えます。
トイレを済ませるといつも祈ってます。
だから、全員、助かるはずです。」

今回のことで、あの場所は勇気と奇跡の地となりました。
そこで今後はパワースポットとして展開させようと言う計画があるのです。

東京も楽し!

 洗濯ものの山、食器の後片付け、掃除などやることは山積みです。

 今日は支払い(お米、牛乳代)と宝くじの還元(10900円)と洗濯ものをクリーニング屋に運び、父の家に行けたら行く。

 ぜひブログに書きたい記事は、切り抜いてバッグに入れるので、ハンドバッグの整理もします。

今日の「日経新聞」にはアート・コレクターの記事がありました。
私も買う方です。この間も「深川いっぷく」で蛙の立体アートを買いました。
やはり収納できないほどになるとあげたりします。

 ☆さきほど「瀬戸内国際芸術祭」と「あいちトリエンナーレ」が閉会したので検索していたら、「瀬戸内芸術祭」の方はいろいろな問題が起こっているそうです。アートによる自然破壊やゴミ処理や住んでいられるかたへのアーティストの傲慢な態度などです。
それは妻有アート祭でも感じたのですが、直島で住民からも聴かされたのですが、アートは自然には敵わないです。そして、アーティストっておごってはいけない。
不通に働いている人が一番偉いのだもの。

 ゴッホがなぜ最高に評価されてるか?
彼はミレ―と同じように農民たちを尊敬していた。
そして農民たちが畑を耕すように絵を描かねばならないと思って体や精神のぎりぎりまで描いた。

 それが初歩的なことなんだと思う。

 「あいちトリエンナーレ」の方は町の人たちがとても親切で気合が入っていたので評判がいいようです。
あるがまま、ダサそうに見える繊維問屋街もそのまま生かされていた。それだアーティストたちとの一体感が少しも損なわれなかった。

 ☆ゴッホの追っかけの私として、ゴッホが偉大なのはやはり謙虚だからだと思う。
うまいか?と訊かれたら、初期の多くの作品はうまくはない。
しかし、今ではゴッホ作品ならデッサンでも何でも大変な高額でしか手に入らない。

 面白かったのはゴッホンの死後100年をゴッホの死地で行われた際に、皆で死んだ場所からお墓まで巡礼したのだそうだ。その時アーティストたちがフェイクのイヴェントも同時に行いゴッホへの愛を伝えた。

 今では、ゴッホの描いた自分の祖母の絵の祖母の使っていたショールまでが聖遺物として展示されているそうだ。

 私は訪れたことがあるのでその場所が目に浮かぶ。

 ゴッホの滞在していたホテルは今観光美術館になっていて、そこでカレンダーだの美術集など買ったときに、お店の人がゴッホのお墓の麦の穂のドライフラワーをひと束くれた
それは、いつも神山コテージの黒姫の見える側の寝室の窓に置いてあるのだが、やはりゴッホが一番好きだ。

 ゴッホが27歳から10年で描いた850点ほどの作品。
自分もこれから10年でなんとかそのくらいは描きたいものだ。

 パンチ君が自分で作ったジャガイモをひと袋持ってきてくれたので、かごを探して私もゴッホのようにジャガイモを描こう。パンチ君は「来る時は雪かきしておきますから電話をしてください。」と言ってくれた。信濃の村の人はわたしにやさしいよね。もうすこしたつとまたしいたけもできるしね。
ゴッホより楽している感じです。

希望溢れる世界に向けて!

 さて、忙しい1日でした。

 朝は魚介のグラタン。
12時半に閉じてしまうクリーニング屋に6枚のワイシャツを出しました。

 それから勧業銀行で宝くじを10900円換金!

 その足で郵便局から宮崎からのお米代を支払う。東京には精米10キロ。長野には玄米10キロです。

 それから自分の銀行へ寄って2万円引き出しました。

 その足で目黒駅で父のために中華丼を中華レストランで買う。
☆目黒線で父の家の駅まで。
 
 メゾン・カイザーで食パンとエクレアを2個。
 醍醐で大阪寿司。

 荷物が重いのでタクシーで父の家に。

 父は元気で食事を出して、上で末の弟と妹の脳梗塞の話をする。
できる限りの善は何をするかということ。

 父から12月から来年5月までの東宝の映画券を山ほど貰ったが、肝心の会員カードが見あたらないので、電話をして再発行してもらう。11月の帝劇は「モーツアルト」とか。
観てもいいですね。1枚なのが残念。

☆お久しぶりで「マリー・コレクション」へ寄る。
 カトリック教会はお金でダメになっているとか!あり過ぎてか?
 イタリアの黒のパンツを買う。
 「蚊帳教会」の話をする。
 「希望が無ければ!」と一致。

 多摩川園駅から多摩川線でかまたまで行く。

 「ユザワヤ」で無くなったベネチアン・ニス3本と筆洗油を1パック買う。
 ミントのハーブの苗を2種買う。
 ボタンを買う。
 テーブルクロスを買う。

 池上線で五反田まで帰る。
 自宅に着いたら7時!

☆テレビで「損得」とかいうマネーの知識の番組をしていた。
 いつの間にか、世の中はシリアスになっていて、夢を語るどころではなくなっている!

 

秋の木の葉な見あきないほど美しくて、多色だ!




デジカメのチップをコンピューターに入れっぱなしで神山に行ってしまったので、神山の置いてある古いチップに写真を入れたのだが、昨年Mさんと高山教会にいったときの写真があった。
いざとなれば、ここの神父様が妙高高原の雪の聖母教会までいらしているので、力になってくれると思う。


 その話を「マリー・コレクション」のマリーさんと話していたのだ。

虹が出てきた話は、そばにいらした客も「あらー!」って言う感じで聴き入った。

神様にはできないことは何もない。
必要なお金は神様が下さる!


こんなに恵みがあるんですもの!


戴いた梨は昨日食べたんですけどおいしかったです!それと小布施の甘栗堂の栗最中も自分で栗餡を入れるのですがこうばしくておいしかったです。


湖側の側面。すすきがあるのがうれしいです!

99年の愛 観てます!

5夜連続放送!教科書ではわからない日系移民の歴史「99年の愛」予告動画-TBS

草なぎ剛、仲間由紀恵、中井貴一、泉ピン子、松山ケンイチら豪華俳優陣が勢ぞろいする、なんとも豪華なドラマ「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」が、11月3日から7日まで5夜連続放送する。「99年の愛~」は、TBSが開局60周年、終戦65年を記念して贈る人間ドラマで、番組公式サイトでは、詳しいあらすじと予告動画が公開されている。TBSオンデマンドでは、放送翌日の0時からは見逃し配信を開始する。

物語の舞台は、99年前のアメリカ。アメリカへ渡った日系移民が、働くため、生きるために、人種差別や戦争による逆境・苦悩を乗り越え、生き抜く家族の愛を描いた物語。教科書には載らない日系移民たちのリアルヒストリーが描かれている。
脚本家は橋田壽賀子。彼女が、自身の生涯のテーマの「戦争と平和」を描く最後の作品として、世代を越えて現在に至る彼らの魂、そして99年に渡るその変遷を描く中で、日本人の誇り、勇気、愛を問いかける。

主人公はSMAPの草なぎ剛と仲間由紀恵、始めての共演だ。アメリカで生まれ日本を知らずに生きるしかなかった”日系移民2世”としての宿命を背負った男・平松一郎と、その父・長吉の若き頃の2役を草なぎが演じる。そして、一郎への愛を貫き通して生きた女性・しのぶを仲間由紀恵が演じる。
また、晩年の長吉役には中井貴一、長吉の妻であり一郎の母親役には泉ピン子、兄の一郎を慕い、しのぶの支えにもなる次郎役には松山ケンイチ、その他、寺島咲、川島海荷、大泉洋、市川右近、小林稔侍、笹野高史、中尾明慶、イモトアヤコ、八千草薫、上條恒彦、岸惠子ら、通常の連ドラの枠を超えた豪華キャスト陣が顔をそろえる。
制作陣は、木村拓哉主演のドラマ「華麗なる一族」、中居正広主演の映画「私は貝になりたい」を手がけたプロデューサー・瀬戸口克陽と、演出・福澤克雄が再びタッグを組む。音楽は千住明。

第1夜の3日(水)は、大正元年、長吉がアメリカに渡り一郎が誕生するまでを描く。第2話の4日(木)は、大正12年、ワシントン州で土地所有禁止が発布されてから、第2次世界大戦が勃発し日米関係が悪化した時代まで、第3夜の5日(金)は、昭和16年、真珠湾攻撃から昭和18年ごろ日系移民たちが強制収容所に送られるところまで、第4夜の6日(土)は、一郎がしのぶにプロポーズするところから昭和20年ごろまで、最終夜となる7日(日)は、広島、長崎に原爆が投下された頃から昭和35年ごろまでを描く。

なぜアメリカに移民をしたのか?なぜ日系移民は差別をされたのか?第2次世界大戦下、愛する家族や恋人のため、戦う相手はアメリカなのか、日本なのか?これまで教科書では決して教えてくれなかった、日系移民の歴史を壮大なスケールで描く「99年の愛~JAPANESE AMERICANS~」は、TBS系で11月3日から7日まで夜9時から放送される。