November 17th, 2010

生協が来たら東京に帰ります!

 おでんと混ぜご飯だけでは何なので、おかずを買いに黒姫駅に行きました。
3時半のバスなので帰りは5時半で暗くなるので、懐中電灯を持って行きました。

11月16日(火)晴れ
喫茶「しなの」で、アメリカン・コーヒーを飲んで、第一スーパーへ。
お刺身が何とこの値段です!
390円!

他にやはり50%引きの梨ひとつと柿1個。お豆腐などを買いました。黒姫高原行きが5時5分に来たので乗りましたが、貫の木と言う駅で降りて2駅歩くのです。寒かったので、懐中電灯でコテージまで帰ってきたのは楽勝ですが、少し体が変になりました!


熱々のお風呂に入って、ヘア・ダイをしました。そのころにはストーブの火力が強く家中温かくなってました!

 今日は「ANPO」の映画を薦められたので、文芸春秋の「安保と青春」を読んでました。
雪はほとんど解けてました。

11月17日(水)晴れ
 朝7時に起きました!


 朝ご飯は粗食ですがおいしかったです。
 窓を開けて風景を観ながら食べてました。枯れ木になると湖がずいぶん見えることを発見しました。

斎藤一人さんのCDには一理あります。
心がけと言うか、劣等感を他人に与えないことや親としても成熟が無ければ子供は幸福になれないということ。

パンチさんからもらった自家製のジャガイモが5個くらいになったので塩ゆでして3時のおやつにでもしようと思います。

しいたけも50くらいできてましたので、大きめのを5個くらいもぎ取って東京で食べようと思ってます。


☆4時ころに生協が来るので、朝から洗濯を2度してテーブル・クロスなどは外で干してます。
電気の球が切れたので、その古い電球を捨てるためにドッジに来たのですが、2階のコンピューターを使ってますが、ストーブはたいてくれました。

ANPO映画

ANPOについて

ANPO あらすじ

『ANPO』は、日本に数多く存在する米軍基地に抵抗する日本の現代のトップアーティストたちのさまざまな作品群―絵画、写真、アニメーション―の紹介と、これらアーティストたちのインタビューを織り交ぜたドキュメンタリー映画である。アーティストたちの作品を通して、日本で忘れられようとしている、ある時代を象徴するキーワードが蘇るのだ。そのキーワードとは、現在も続いている日米安全保障条約―通称”安保”。この条約により、日本全国には未だ90もの米軍基地の設置が認められ、その結果50年前から現在に至るまで、日米関係は健全とはかけ離れた状態となっているのだ。

本作品で紹介される珠玉のアート作品たちは、オープニングシーンから観客の眼を捕らえて離さない。「日本とアメリカの関係はひりひりしている」と静かに語るのは、現代美術家の会田誠。「常に好きと嫌いが反転している・・・」。直後、画面は彼が96年に発表した驚くべき作品をクローズアップ。日本の零戦が何十機もニューヨークの上空を旋回している様子を描いたその襖絵は、彼の苦いコメントの裏づけなのだ。

未だ30もの基地が存在する現代の沖縄の姿の衝撃的な映像から、時代は1960年へ遡る。日本の一般市民が立ち上がり、デモ行進をしていて、それは現在の日本でほぼ忘れられた民主主義運動だった。この一大市民運動の予兆は、50年代からあった。そのほとんどは平和的であったが、時に米軍に対して激しい抵抗を示した。なぜなら米軍の存在は、日本が永久に戦争放棄を謳った憲法を持つ、独立した一国家であることをまやかしにするものだったからだ。1960年までに、こうした抵抗運動は、日本の地から米軍基地を排除しようという何百万もの一般市民を巻き込んだ巨大なものとなっていった。

デモ行進に参加したひとびとの願いは、しかしながら当時総理大臣だった岸信介にあっさりと潰されてしまう。冷戦時代真っ只中、主要同盟国を失うことを恐れた米国政府とCIAが、岸をバックアップしていたのだ。『CIA秘録』の著者、ティム・ワイナーは「冷戦時代、米国は相手がアンチ共産主義者であれば、どんなふざけた野郎とでも取り引きをした」と苦々しくコメントする。しかしこの抵抗運動の火は消えることなく、ベトナム戦争反対に向けて再浮上する。また運動に参加したアーティストたちのその後の活動に拭い去ることのできない痕跡を残し、彼らの中には、その後国際的に注目を浴びるようになった者もいる。『ANPO』では、半世紀もの間、美術館の倉庫に眠っていた作品を通じて、アーティストら自身の物語をも綴っていく。

日本の近代史において争論を巻き起こしたこの時代には、さまざまなタイプのアート作品が生まれた。大島渚を初めとする先鋭の映画作家たちによる映像は、1960年当時の安保反対を唱えるひとびとの情熱と決意を鮮やかに切り取ってみせる。マグナム・フォトの写真家、濱谷浩の個人アーカイヴの写真では、日本政府の締め付けによる蛮行と暴力が映し出される。再び戦争に飲み込まれるのを恐れた数百万もの一般市民―学生、主婦、商店街の店主、労働者―が、民主主義のために立ち上がって米軍の駐留をやめさせようと訴えるため、数ヶ月に渡って通りにあふれ出してデモ行進をした。その様子が映し出された写真を目にして、私たちは当時の熱気を理屈ではなく体感するのだ。

ナレーションを一切排除したこの映画では、アート作品たちが魅力溢れるガイド役を務める。そして安保闘争や日本の現在にも影響を与えた当時の政府の対応の源流ともなる歴史を探っていく。映画が進むにつれ、アート作品たちが語るのは、米軍絡みの犯罪に巻き込まれた人びとの屈辱的な経験、環境破壊、騒音公害といった負の要素であり、こうして溜まりに溜まった怒りが爆発した結果が、全国規模で発生した50年前の安保闘争なのだ。

1960年安保闘争のスピリットが、現在の日本でどのように受け継がれているか。映画の最終パートは、先輩アーティストたちの作品以降、現代のアーティストたちが未だ変わらず存在するアメリカに対し、自分たちのスタイルでどう表現しているかが描かれる。そんな抵抗のスピリットは、今日の日本の一般市民にも引き継がれている。沖縄普天間基地移設問題で公約を果たせなかった鳩山首相は、辞任せざるを得なかった。今、日米安全保障条約について疑問を投げかける声が、50年ぶりに再浮上しているのだ。この映画のラストシーンは、日本では民主主義精神が未だ息づいており、長い間眠っていた怒りと情熱が再び目覚める日はすぐそこに迫っていてその時を待っているのだ、と私たちに語りかけてくる。

国際的評価も高い映画監督、是枝裕和は『ANPO』を、「50年前の表現者たちがどのように真摯に政治と、安保と向き合い、その「傷」を表現の中に刻み付けたかについての貴重な記録」、「基地問題が再び注目を集める今、非常にタイムリーな作品」と評している。

これが初監督作品となるリンダ・ホーグランドは、日本生まれのアメリカ人で、日本の公立小・中学校を卒業した完璧なバイリンガル。本作ではプロデューサーも兼任。バイリンガルでバイカルチャルな経験や、これまで数多くの著名監督(黒澤明、宮崎駿、黒沢清ほか)の映画の英語字幕翻訳を手がけてきたバックグラウンドが、いかんなく発揮されている。撮影監督はこれまで数百本に及ぶドキュメンタリー作品や、『誰も知らない』をはじめ数々の是枝裕和監督の撮影を手がけたベテラン、山崎裕。山崎は学生だった当時、60年安保闘争を撮影していたという。さらには、米国占領下の日本を描いた『敗北を抱きしめて』で、ピューリッツァ賞を受賞したMIT名誉教授ジョン・ダワーが、アドバイザーとしてクレジットされている。

(ハイビジョン撮影、2010年作品、上映時間89分)

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All content copyright (c) 2009 Anpo Movie

誰にでもある暗い心!

 このところ少数民族や敵国や民衆を対する不当な権力による殺害などの悲惨をすっと読んでいる。

☆私はこの5%ほどのエリートの権力を握っている悪徳の心は案外人間は持っているものだと思う。

 チャンスがあれば、「無知の人を利用したい」「弱いものを上手に働かせておいしい暮らしがしたい」「邪魔者は消せばいい」と言う心はそれほど珍しいものではないのだ。

☆私の経験だけでも「?」ということはたくさんある。
 中学や高校の教師は「答案を斜めに書いた」「デザイン科は難しいんだから受かって私に恥をかかすんでないよ」と呼びだした女性の教師たちは、未婚でそれぞれ御茶の水女子大や日展の作家であって、自分はエリートだと思って、不当に幸福でないのにイライラとしていた。

 私の通った中学・高校は歴史のある学校で、お家柄とか育ちのようなものが重視されていた。
斎藤一人さんのCDのよれば、劣等感のある教師で未熟な教師だったわけだ。
私の女学生時代は、戦争のため男子が亡くなり未婚の女性が多かった。そして、その当時教師となるような女性たちは比較的にいい家庭の高学歴者の方が多かったので、プライドもさるもので、生徒を見下していたような独身女性がほとんどの教師で、それも御茶の水出だった。

 劣等感をとことんと味わさせるような教育がされていた。
 家庭科の先生の育ったお暮らしの話などは別世界で、私などは「自分はなんて庶民なのだろう。」と思っていたものだ。

☆大学に入って驚いたのは教授の質の悪さ。
 セクハラと無心。エコひいきなどは罪悪感なく行われる。
 
 そして、さらに驚いたのはベビーブームの競争世界からか、嫉妬というのか同級生たちの歩ぷ力であった。そして無心。

☆私は20歳の4月7日に、キリストを信じることにしたので、聖書の福音に添って生きていたのだが、
無心と言うのは「バイトに行く時間のロス。エネルギーのロスで絵を描く時間を減らす」「お金を取り上げる」という3重の悪徳であったが、私はある信念を持って、従順にお金を渡してきた。

 なぜ?
 そう思うと思う。

 同級生のAは「公金」の会計を担っていた私に「横領しよう。」と呼びかけた。
同じクラスで毎日のように会わなくてはならない私は説教したり、無視したりはできない。質の悪い人間は「逆恨み」をするのだ。
 それで、私は彼女の横領の企てを聴こえなかった振りをして、毎日アルバイトで働いたお金を渡していた。

 しかし、公金といっても学生サークルの講演会のチケットの売り上げである。
私の良心と言うのは、彼女に罪を犯させないことであった。
しかし、彼女は貧乏ではなかったと思う。医者の娘だったから。

 そして、もう1人は芸大の学生で日本で差別を受けていた人だった。
多少の負い目と、その憎しみを解放するのはとにかく望むように(その人の場合は食事代)を出し続けることであったが、最後には5000万円を要求してきた。(20歳か21歳のときのことです)
とにかく、傷つけたくなかった。去ろうとすると「差別だ!」というので、若かった私はどうしていいかわからず毎日泣いていた。

☆このふたりのことはいつも思い出す。
 つまり、人間には「請求しても、怒鳴ったり怒ったり、他人にいそうもなければ貰えるだけ貰おう」という心があるという発見だった。
 それは、ビルマの政府やある国の政府の大人しい民衆を脅かして飢えるまで取り上げる構造に似ている。

 好きなのか?と訊かれたら、嫌いだとは言えない私だが、好きではなかったと思う。
むしろ、罪悪感とか恐怖のようなもので、とにかく女性の方は大学出るまで、男性の方は彼女ができるまでの我慢と思って無言で支払い続けていた。

☆次の思い出すのはお茶の先生だ。裏千家のお茶の先生で、とにかく同じ着物は御茶席で2度と着ないと言う考え方の60くらいの先生だった。
私は自由が丘の「それいゆ学園」で、最低限度のたしなみとして週に1度通っていたのだが、先生が手を招いて、品川の東禅寺にお稽古にさらに週に2度呼ばれた。それで、着物を着て週に3度通ったのだ。
 そのころは大学を出たばかりで、家で絵を描きアルバイトで製作費を稼いで年に1度個展をしていた。

 次に先生は、頼みもしない高価な袱紗や扇子や茶器を、勝手に買ってきて皆の前で私の前に置き、「あなたにいいのがあったから買ってきましたよ。」というのであった。
アルバイトして御稽古代も払っていた私にはそんな余裕もあるわけがなく「買えません。」と言うと、
凄んで「私に恥をかかす気!」というのである。
周囲にいた生徒たちから、声に出して「取れるだけ取ってやろうと言う腹ね。」言葉が出たほどだ。

 3年やって辞めたのだが、怖いと思うのは、権力と言うのは何でもできると言うことだ
有名な音楽レコードの会社社長夫人だったと言うが、未亡人だったので、名門の奥様達に対する苛めと言うのもすごかった。また、少し身体に障害のある女性を養女としてアシスタントをさせていたが、その扱いも非人間だった。

 伝統芸に疑問が出てきたころだ。

☆私の人生には驚くことばかりで、画壇のセクハラも凄かったが、とにかく恐喝まがいの絵の売り方の画商人の多さにも驚いたものだ。

☆福祉施設は「ただで働かなくなるから本当のことを言ってはいけないよ。」と支援物資を施設の経営者が山分けしていた。
ボランティアが意見を言うと半殺しの暴行までした。
 60歳修道女は、「あの人(私のこと)は結婚のできない人だから、タダで働かして老後を左団扇でおきるつもりよ。」と言っていた60歳の修道院を出てきた人。
 70歳神父は「お小遣いをくれてもいいのよ。」と20万円を取り上げた。

 書いているとブラック・ユーモアでもここまでは思いつかない悪徳ばかり!

☆☆☆
 神様は私にどうしてこういう体験をさせたのだろう?
 それは人間と言うものが危ういものだということを教えてくれたのだと思う。
★★★
「自分で転倒と言え」男が命令と姉供述 17歳女性変死(1/2ページ)

2010年11月17日
 9月に変死した大阪府門真市の田代悠里子さん(当時17)に対し、6月に重傷を負わせたとして姉の田代恵里子容疑者(21)と交際相手の梅崎大吾郎容疑者(30)が傷害容疑で逮捕された事件で、田代容疑者が大阪府警の調べに「梅崎容疑者が妹に、けがの理由を『自分で転んだり、階段から落ちたりしたなどと言え』と命じていた」と供述していることが捜査関係者への取材でわかった。府警は梅崎容疑者が悠里子さんに日常的に暴行を加え、口止めしていたとみている。

 捜査1課によると、両容疑者は6月10日、自宅にいた悠里子さんに殴るけるの暴行を数十回加え、急性腎不全や肺水腫など約9週間の重傷を負わせた疑いがある。悠里子さんは約1カ月間入院していたが、父親や医師には「自分で転倒した」「車にはねられた」などの説明を繰り返していたという。
悠里子さんは9月11日、自宅で倒れているところを父親に発見され、12日未明に死亡した。死亡の直前、医師らに「自宅の階段から落ちた」と説明したが、不審に思った病院側が門真署に通報。府警はこの際も悠里子さんが事実と異なる説明をしていた可能性があるとみている。

 捜査関係者によると、両容疑者は3~4年前に出会い系サイトで知り合った。約3年前から門真市内のマンションで同居を始め、悠里子さんが父親と兄と暮らす家との間を行き来していた。梅崎容疑者は悠里子さんに日常的に暴行を加えていたことを認めているといい、悠里子さんは同容疑者に丸刈りにされたこともあったという。

 大阪府中央子ども家庭センター(寝屋川市)によると、悠里子さんは2008年5~9月に4回にわたり暴力を受けたとみられる傷があったとして、同9月、門真署からセンターに要保護児童通告があった。センターは09年1月まで悠里子さんに5回面談したが、その都度「自転車に乗っていたら電柱にぶつかった」「単車ではねられた」「見知らぬ人に殴られた」などと説明されたという。

 今年6月に重傷を負った後もセンターの職員が入院先で3度面談したが、悠里子さんはほとんど話さなかった。センターは負傷の原因を特定できず、一時保護も本人に拒否されたという。センターの角田雄三次長は「保護者以外の虐待を見抜くのは困難。本人の拒否もあり、支援が難しい状況だった」と話した。

 悠里子さんと同級生だった長女を持つ主婦は「悠里子さんは小学生の頃までは、活発で人なつっこかった。『保育士になりたい』と言っていた。中学になったら、急に人見知りをするようになり、3年生の夏ごろから様子が変わってきた。あの頃から虐待が始まっていたのだろうか」と振り返った。

☆こういう事件を知るたび、読むたびに、私は神はなんで沈黙しているのかと思う。

☆斎藤一人さんの「地球を天国にする話」を聴いていると、私も同意したのは、

「神様が知っている。神様が認めているから大丈夫」というところ。

たまたま、高齢に近くなった人たちが(60歳70歳)、私を使って楽をしようと思ったのは老人になると老後に不安が出てくるのだろうか?

 現在63歳の私は、若い時から「あなたのような甘い人間が生きられるような甘い世界だろうか?」と会う人にたびたび言われてきた。

 しかし、反対ではないだろうか?
 他人を食い物にすればするほど暮らしは厳しくなるのではないか?

 私はブログに書いてるように粗食である。
 衣服も娘のお古でも着る方だ。

 そして、斎藤一人さんの言うとおり、人は幾度も生まれ変わる。
 他人を食い物にしている限り、また同じような不服の人生が待っているだろう。

☆最近読んでいる、アジアや中近東の悲惨な状況を知ると、人間として生まれた限りは、弱いものを支えるような立場にいて、少しでも皆が幸福に生きれるように働くのが使命と言うか役目だと思う。

 理想に燃えて死ぬ人がいる。
 それは不幸と言うよりは幸福ではないだろうか?

東京で家族する!

 生協が3時10分ぐらいに来たので、急いで冷凍庫に食糧を入れて、すぐ家を出ることにした!

 3時36分のバスの乗って、信越線で長野に出て、新幹線に乗ったのが4時49分!

 なんと新幹線の中でうでていたジャガイモを食べた!こぶりでおいしかったです!

 東京駅で、鉄火丼を買って家に帰ってきたら、娘もいて親子3人でお寿司を食べることになった。
デザートは栗紅茶とフルーツケーキ!

 宝くじをチェックしたら15枚のうち200円が2枚当たってました。確率から言えばいいほうなのかな?

☆10月の携帯電話の使用料が来ていて、妹の脳梗塞で長く話したのがた立って、20000円になってました。かなり痛いかもね。