November 18th, 2010

東京へ秋のフルーツを持って帰り。

 16日のお昼に最後の混ぜご飯を食べ終えて、みかんや林檎を持って帰ってきた。

 洗っていたテーブル・クロスも晴れた日だったのでロッジでインターネットをしている間に乾いていた。

昨晩は、娘と主人がセミダブル・ベッドに眠り、私は隣のシングルに寝た。いつもの川の字スタイル!

☆留守中にO美術館の1月でのグループ展の案内状とパンフレットが届いていた。
 「妖精シリーズ」でもいいけど、墨絵も考えようと思う。1月の末なのでまだ間に合う。

☆娘は友人のところに出かけ、私は自宅の掃除を終えたら父の家に行く予定。
ユザワヤによって、材料も買う。

☆娘のいる地域の不況は凄まじいらしい。
 今ではどこもそう。

 何で帰って来たの?と訊いたら、お金が無くなったので定期預金を崩そうとして信用組合に行ったら、信用組合の銀行員から「3月まで、定期預金を崩さないでくれ。」と頼まれたそうだ。

 娘の定期のほんの1部の5万円くらいのことだが、1億円の定期を崩す人と言うんならともかく、信用組合も厳しいのだろう。

☆黒姫の山にいると、お金は要らない。
 昨日などは夜はジャガイモでもよかったのだけど、東京駅で鉄火丼の折りを見た途端買ってしまったのだ。
2900円のバスで東京へ帰る方法もチカちゃんに教えてもらったし。
しかし、昨日は本当に疲れていて、軽井沢から大宮までは寝てしまった。
2000円の差をどうみるか?

☆五反田駅でいつものホームレスさんから、「ビッグ・イッシュー」を2冊と今度出るホームレスさんの「川柳」集の予約をした。500円らしい。

 これから寒いのでホームレスさんは厳しいと思う。
 昨日、読んでいたら「小野ヨーコ」さんの記事があった。ジョン・レノンが生きていたら70歳とか。
ヨーコさんは77歳。

☆脳梗塞の妹はまだ病院でリハビリ中とか。
 これから、体をいたわりながらゆっくりすればいいと思う。

☆とにかく自宅は洗濯の山とあちこちの掃除でこれから頑張らなければ!

昨晩、娘がココアを飲んでいたが、ココアはインフルエンザの予防にいいらしい。
毎日でも飲むといいことが研究でわかっているそうだ。


セブン・イレブンでココアやのど飴を当てた話をしたら、娘は「自分はそんなに当たらない。ママは私の運気を取らないで。」とのことだった。


中身は一緒なのですが、ゴッホのパッケージのココアは割高だったかも。

金縷衣の歌!



金縷曲
            
                    唐 杜秋娘



勸君莫惜金縷衣,
勸君惜取少年時。
花開堪折直須折,
莫待無花空折枝。

1929年(昭和4年)年刊行の佐藤春夫の漢詩訳詩集「車塵集」には、唐・明時代の女流詩人を中心に48篇が載っているが、その「車塵集」の最初のあるのがこの杜秋娘の「金縷衣」の訳詩である。


佐藤春夫訳
 「ただ若き日を惜め」
綾にしき何をか惜しむ
惜しめただ君若き日を
いざや折れ花よかりせば
ためらはば折りて花なし


【題意】

 黄金の糸で飾った衣服。

 尚、「金縷の衣」に関しては作者を李錡、あるいは作者不詳と採る説もある。

 【詩意】

 貴方にお勧めしましょう。金の糸で織った着物などを惜しまないように

 貴方にお勧めしましょう。私の若く美しい時を惜しんで下さいませ

 人生の花が開き、手折り頃になったら、すぐに折り取って下さい

 花時を逸してから、無駄に枝を折ろうなどとなさいますな

 【語釈】

 少年時=年若い時。「少年」は男にも女にも用い、年齢の範囲も現在より幅広い。

 【鑑賞】

 若い盛りの時に愛して下さいという、なまめかしい愛の歌である。民歌風の艶冶な味わい

 がある。若いうちは短いから、年老いて悲しまぬ様に努力せよ、という朱熹の「偶成」のよう

 な勧学の詩と採る向きもあるが誤解である。極端に言えば勉強しろとは反対に、若い時こ

 悔いなく遊べ、楽しめというのである。
 杜秋娘(としゅうじょう)  
 生没年不詳。中唐期の女流詩人。金陵(江蘇省南京市)の妓女。
 名は秋、娘は女子の名に添える呼称。
 15歳で鎮海節度使(地方軍司令官)である李錡の妾となるが、元和3年(808)李錡は乱を
 起こし鎮圧される。その後、杜秋娘は後宮に入って女官となり、憲宗に寵愛された。
 穆宗(ぼくそう)が即位すると皇子の守り役を任された。831年、政変で皇子が廃せられた為、
 暇を賜り故郷に帰った。有名な「金縷の衣」は李錡と生活していた時期に作られた。
 若き日の杜牧は、年老いて金陵に戻ってきた杜秋娘に出会い、その数奇な境涯に深く感じ
 入って、「杜秋娘詩」を作った。

憲宗 (唐)
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憲宗 李純

14代皇帝
Tang Xianzong.jpg
王朝 唐
在位期間 805年 - 820年
姓・諱 李純
諡号 昭文章武大聖至神孝皇帝
廟号 憲宗
生年 778年(大暦13 年)
没年 820年(元和15年)
父 順宗(長子)
陵墓 景陵
年号 元和 : 806年 - 820年

憲宗(けんそう)は唐朝の第14代皇帝。


805年4月に立太子され、同年8月には順宗が病を理由にした譲位にともない即位した。即位後は宦官の勢力に対抗するために杜黄裳を登用した。さらに地方の節度使勢力を抑制するため、817年(元和12年)には淮西節度使を討って地方の統制強化も実施している。対藩鎮勢力の施策としては、儒者の臣を藩帥に任命し、監査任務を主とする監軍には宦官を配し、節度使勢力の動静を監視させる制度を開始した。さらに名臣と謳われた武元衛や李吉甫らにも恵まれ、軍備を拡張した禁軍を積極的に活用した結果、唐王朝に反抗的であった河朔三鎮も服従を誓い、衰退した唐は一時的な中興を見た。

だが、長男で太子に立てられた鄧王・李寧(恵昭太子)が19歳で早世すると、憲宗はその悲しみから仏教や道教に依拠するようになった。法門寺の仏舎利を長安に奉迎することを計画し、韓愈の「論仏骨表」による諫言を退け、莫大な国費を費やして供養を行なった。また丹薬を乱用し宦官を虐待するという精神的異常をきたした。そのため憲宗は820年に宦官の王守澄や陳弘志らによって43歳で暗殺されてしまった。


杜牧詩選

「江南の春」「山行」などで人気の高い晩唐の詩人、杜牧(八〇三‐八五二)。抜群の着眼力と造句力に彩られた代表作一三二首を精選。回顧・詠史以下、一二の主題に分類し、詩心の輝きを探る。長篇「阿房宮賦」「杜秋娘詩」も収録。『李白詩選』と姉妹篇をなす、漢詩ファン待望の一冊。

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 杜秋娘については、杜牧に『杜秋娘の詩』という長い詩があり、その序に曰く、
 「杜秋は金陵の女なり。年十五にして李錡(りき)の妾ち為る。後、錡叛滅す。之を籍して宮に入れ、景陵(時の天子憲宗)に寵有り。穆宗位につくや、秋に命じて皇子の傅姆(ふぼ・めのと)と為す。皇子壮にしてショウ王(ショウはサンズイに章)に封ぜらる。鄭注、事を用い、丞相は己に異なる者を去らんと欲すと誣(し)い、王を指して根と為す。王は罪を被りて廃削せられ、秋も因りて故郷に帰るを賜る。予、金陵に過ぎり、其の窮し且つ老いたるに感じ、之が為に詩を賦す。

 この詩は、実は秋娘の詩ではない。李錡がこの歌を好んで秋娘にうたわせたというだけで、『全唐詩』では作者不明の「雑詩」の部に入れられている。

 杜秋娘詩(一部)
京江 水は清く滑らかに
女を生めば 白きこと脂の如し
其の間 杜秋なる者
朱粉の施を労せず
老濞 山に即きて鋳
後庭 千の双眉あり
秋は玉斝を持って酔い
与に唄う 金縷の衣
濞 既に白首にして叛し
秋も亦た 紅涙多し

四朝三十載
夢に似て復た非なるかと疑う
潼関 旧吏を識るも
吏髪 已に糸の如し
却び喚ぶ 呉江の渡し
舟人 那ぞ知るを得ん
帰り来たれば 四隣改まり
茂苑は 草菲菲たり
清血 灑げども尽きず
天を仰ぐも 誰に問うを知らんや
寒衣 一疋の素
夜 隣人の機を借る