November 21st, 2010

娘が帰った!私も長野に制作に!

 今、娘が帰った。
 父親が帰りの新幹線代を娘を呼んで渡した。
 私が渡したのはベーグル。

☆昨日、イサムノグチの母親の「レオニー」を書いていたら、突然消えてしまったので、それっきりになった。

母親としていろいろなことを考える。
2歳の勇(イサム)を言葉も通じない、しかしイサムの父親の米次郎の待つ日本に行く決意をしたレオニー。

勇気と言うか無謀と言うか?
私はそれは運命だと思う。

私も2歳の娘を連れて、1人で(行きは母親もついて来て3週間は3人で)パリに行ったのだ。
4月の彼女の誕生日の2日前で、本当は1歳だった。

「かわいそう。こんなに小さな子を言葉の通じないパリに連れ出して。」と母親が心配して、父親が「そんなに、心配ならついていけ。」と母親を送りだしたのであった。

あのときに、主人の弟の子が知的障害に生まれ、無理もないことだったが2歳下で生まれた娘がおしゃべりを無所気に始めるのを若い弟夫婦には耐えられなかったのだ。そして、やはり、衝動的に1歳半くらいの娘に危害を与え出したのだった。

私なりに苦肉の策だったが「パリで個展をするから。」と娘を連れて家から出ることにしたのだ。
姑は凄い形相で睨む。しかし、本当のことを言えたのは主人だけ。
そして、娘の健康や精神状態が安全かどうか、当時フランス語を習っていたので先生たちに尋ねたら、「あのこなら大丈夫。」と言うことで、「これしか方法はない。みなが幸福になるためには。」とアパート探しや合法的にビザを取るために、ユーローという割高のフランス語学校に通う算段をしたのである。

あのときは、結婚のときに親が持たしてくれたお金があったので、自分のお金でその費用を出すことができた。そして。生活費は主人が送ってくれたと思う。

☆きっと、レオニーも同じ思いだったと思う。
母親のいる農家に行って、子育てを始めたが、混血児に対する偏見があって苛めの対象とされていた。将来の教育も不安もあっただろう。
米次郎への愛もあっただろう。そして、こどものために父親の近くが幸せと思っただろう

☆母親というのは父親とのいい関係ももちろん大事だが、子の未来に対しては責任と最大限の可能性のために何でもする存在なのだ。

 特にレオニーは優秀で、イサムの父親も当時としては破格の日本人でアメリカやイギリスで詩や小説を発表し、新聞に記載されたりの実績のある人で、アメリカ人でもそうはいない知識人だ。

 未知の日本へのあこがれもあっただろう。

☆しかし、米次郎は日本でも生き方の算段もあったのだろうが、日本式の暮らしや日本人妻を持って、レオニーを自分の詩の編集や翻訳家としてもう一つの家庭にしてキープしようと思う嫌な奴(女性から見たら)だ。そして、レオニーは当時としてはフランス留学もしているようなアメリカでも自立をしている女性なのだ。受け付けられるわけがない。

 まして、混血への差別がある。
 父の不在はなおさらである。

 母親はイサムの可能性を考えて、芸術性のある感性を見出しただろう。
 そして、米次郎の翻訳の仕事をしながら英語を教えながら、自立した女性として生きて父親違いの娘も生む。

☆差別する人ばかりでなく、彼女の知性にひかれる人も混血の息子に必要な技術を提供する人も現れて、彼女は必死に貧しかった生活を生きただろう。

 辛かったと思うけれど、子供がいて母親は強くなれるし、父親も彼女に捧ぐと「レオニーへ」と言う「巡礼」と言う作品を英語で出しているのだから、誇りも支えもあったのだと思う。

☆戦争も始まって、イサムは14歳でひとりアメリカに行くことになる。
母親はイサムの半分の血であるアメリカも知ることが大切だと思う。
父親のヨネは反対する。しかし、いつも世話しているのは母親だ。

14歳で行くはずだった学校は経営不振か何かで2ヶ月後には消えてしまった。
映画によると野良犬と一緒にホームレスのような生活もしていた。
母親にその事情を書いた手紙は戦争中なので3カ月も差し抑えられて届かない。母親は日本語が話せずに郵便配達員の通訳をするのは妹だ。

そして、事情を知ったヨネは烈火のごとく怒る。
息子はどうして暮しているのか?

息子を探している人がアメリカの学校関係者の中にもいて、探し出して家に引き取って、高校へ行かす。立派な家庭で教育的には理想的な家庭で首席で卒業をする。

レオニーは息子のために中途半端に引き取ろうとはしない。

それで、息子はコロンビアの医学部に行く。育ててくれたアメリカ人家庭への期待に添うために!
アメリカに帰ってきた母親は、「本当はアーティストなんだから、医者になるのはおかしい。」と学校関係者の恩人にあらがっても、自分の本当の道に行くように薦める。

☆14歳というのは高校生になる時だ。
 私の娘もアメリカの寮に入った時だ。娘と私は中学2年(その学校は中学は2年までだった。高校は4年間あった。)の春から母子家庭だった。主人は日本の仕事のため4月には帰って、それから4年間、アメリカで母子家庭をしたのだった。
 
 純粋の日本人である娘も孤独や試練があったはずだ。
 私も娘が週末帰ってくるのを支えるためにアメリカの学生としてスチューデント・ビザを取った。女のことはいえ、14歳と言うのは幼すぎる。

 語学が下手な私もそれなりに娘を護るために、生きていた。
そして、アートをしていた。娘も才能があるので、本当の道はこちらかもしれないと思う

☆笑い話だが、中学のアートの先生が娘の高校受験の推薦文のときに「彼女の母親は将来、彼女の母親として世界中に知られることになるだろう。彼女の絵は世界中の美術館で観られ、彼女の才能は世界中に知られることになるだろう。」と書いたので、アメリカと言うのはよく言うよと思ったものだった。

 そして、そのときに「私は娘の母親としてしか知られない程度のアーティストなのかな?」とやや、がっかりしたのだった。

 しかし、高校卒業のときに娘のクラスメートは新聞に「Cちゃんは、有名な詩人で本を出すようになって、靴のデザイナーとしても有名になりそう。」と書いた。

 へえ?
 文章は日本語も英語もかなり上手で、吉本ばななの翻訳など勝手にしてたり、翌活字になった。

 親ばかついでに言うと、娘の油絵も500人から選ばれて中学の同窓会誌に表紙に(年に2度しか出ない)。

 私の父親は私より才能があると言うので、そっちの道もやらせようかな?

☆偉大なレオニーに話を戻すと、イサムはアートの学校に入って3カ月で個展をしている
母親は妹と招待され、息子の栄光も観ている。

☆成功した息子を日本で慶応大学の教授となっていた米次郎は日本に招待し、明治村の帝国ホテルで撮影したのだろうが、温かく迎え入れている。米次郎のお墓のデザインもイサムノグチがしたからそれなりのいい関係を持ったのであろう。

☆一方、別の父親の娘である妹は思春期で、兄の親ほど甲斐性があるとは思われない自分の出生を母親に尋ねて泣いて訴える。
「私のパパは誰なの?」
レオニーや辛かっただろうが、名前は言わない。
米次郎も乳児を抱いたレオニーをさげすんで「君は、どこまで落ちるんだ」と怒鳴る。

レオニーの孤独やレオニーの女性としての若さを殺すにはレオニーの知性は強すぎたということか?

しかし、過酷な人生を選んだものだ。
過酷な流れに生きたものだ。

日本人たちも決して温かい目でみたわけではなかっただろう。戦争の敵国の女性を!

☆日本にイサムと妹のアイリスだったかがいるときに、母親の死を親友の大学の同級生から知らされる。とうとう帰ることができなくて会えなかった母親だ。

 アメリカの学生時代に同じキャンバスで学んだ友は裕福な家庭人としておさまっていたが、「地獄のように退屈」と自分の生活を語った。

 彼女が送ったお金でレオニーは1軒の家を建てて暮らす。
友人はレオニーの応援者であり、自分のできなかったことをするレオニーの勇気を観て憧れていたかもしれない。

 アメリカの大学生生活で、日本から留学していた津田梅子に会う。
彼女が日本に女子大を作ると言う演説を聴いて仲良くなる。

 しかし、津田梅子が日本で津田塾を建設して教員を求めている状況でも、私生児を2人産んだレオニーを雇うことはできない。「日本はまだまだ保守で、父兄が受け入れない。」「個人的な応援ならいかようにもしますが。」と言う。皆、立場があるのだ。

 でも、レオニーは「個人的な応援」を求めていったのではない。「大学の教師」となりたかったのだ。
見捨てられたように孤独で、我が身の寄る辺なさに辛い思いをしただろう。

 異国。
 私生児の母。
 語学の不自由。
 白人。
 貧乏。
 
 彼女には若さがあった!
 そしてたぐいまれな才能のイサム・野口が!

☆レオニーは自然が大好きで子供たちが自立するとメイン州の田舎に小さな家で自然相手に一人で暮らしていたようだ。

 ニューヨークに帰ってきたときに、そこで娘に看取られて亡くなっている。(事実は知らない)
イサムが帰ってきて、母親の顔を観る。

 それから84歳で無くなった息子は50年間で、偉大なアーティストとして世界中に作品を残している。
時々は日米の混血がネックとなってアメリカでも日本でも制作が許されない作品もあった

 最後は北海道にあるイサム野口デザインの公園が映し出された。

☆映画の最初のシーンは瀬戸内海で木島から撮影したと思われる美しい海の風景が映った

 本で読むと、イサムはかなりの癇癪持ちで「うんざり」するほどの性格なのだが、魅力もあって皆はそれを許したそうだ。

 結婚していた山口淑子さんはあるときに足をくじいて、ビニールの安もののピンクのサンダルをはいていたら、イサムが烈火のごとく「美意識がない。」と怒ったそうだ。

 2人は廬山人の家の離れに住んでいたので、皆孤独だけど芸術の道の世界で価値を見出していたのか?

 イサムノグチは死ぬときに「子供を作っておけばよかった」と後悔したらしい。

 イサムノグチはハンサムでモテ男だったので世界中の女たちが助けてくれたそうです。
メキシコのフリーダとも恋愛関係があって、夫はピストルを持って追っかけてきたそうですからパパの米次郎のことも理解していたんでしょうね。

 映画のレオニーは老け役も上手で老婆になっていくレオニーを良く演じてました。
日本人としては明治のころの日本の様子も面白かったです。

 そう言えば、小泉八雲もギリシャ人で日本人妻とたくさんの子供を残して死んでますが、その奥さんとも交流があって、混血の子供たちに英語の先生をしていたようです。

 レオニーの編集能力と影の力で米次郎は当時もしノーベル文学賞があったら、日本人では彼だったという説もあります。

 レオニーを野口米次郎を育て、イサムノグチを育てたのですから、世界のアートの世界の貢献者として見事な女性ですね。日本人として感謝です!

作品を管理したり、残せる子供が欲しかったそうだ。

☆☆☆☆☆
 というわけで初日に行った映画ですが、長野でもやっているそうなのでもう1度観てもいいと思う。