November 29th, 2010

パリのカルタ美術館のYOU TUBEを見つけました!

Musée Français de la Carte à Jouer - Paris Mairie d'Issy


Le Musée Français de la Carte à Jouer, est unique en France, et l'un des sept musées dans le monde consacrés à ce thème.

Créé en 1981, il était à l'origine dédié au seul patrimoine d'Issy. Une exposition, en 1986, mettant en valeur une importante donation de cartes à jouer faite en 1930, a convaincu la ville d'Issy-les-Mx et la Direction des Musées de France de créer le "Musée Français de la Carte à Jouer".

Musée français de la carte à jouer
16 Rue Auguste Gervais
92130 Issy Les Moulineaux
Tél. : 01 41 23 83 60
www.issy.com/statiques/musee
Métro : Mairie d’Issy




Télématin au Musée Français de la Carte à Jouer d'Issy!
アップロード者 Issytvjfc. -

☆この素敵なカルタ美術館に私の百人一首も買いあげて戴き常設してくださってます。
日本からは花札などもありましたね。
百人一首は私のだけのようです。

Musée Français de la Carte à Jouer
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Cet article est une ébauche concernant le département français des Hauts-de-Seine et le jeu.
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Musée français de la Carte à Jouer
Musée de la carte à jouer.jpg
Pavillon de l'ancien château servant d'annexe au musée que l'on aperçoit derrière.
Informations géographiques
Coordonnées 48° 49′ 22″ Nord
2° 16′ 24″ Est / 48.82278, 2.27333
Pays France France
Localité Issy-les-Moulineaux
Informations générales
Date d'ouverture 1981
Collections Carte à jouer
Nombre d'œuvres 6 500 jeux de cartes, 980 gravures
Superficie 2 144m2 [1]
Informations visiteurs
Visiteurs/an
12 844 (2003)
12 854 (2004)
17 645 (2005)
15 173 (2006)
16 060 (2007)[2]
Adresse 16, rue Auguste Gervais
92130 Issy-les-Moulineaux
Site internet Site du musée

Géolocalisation sur la carte : Hauts-de-Seine
(Voir situation sur carte : Hauts-de-Seine)
Musée Français de la Carte à Jouer

Géolocalisation sur la carte : France
(Voir situation sur carte : France)
Musée Français de la Carte à Jouer
(Voir situation sur carte : Hauts-de-Seine)
modifier Consultez la documentation du modèle

Créé en 1981, inauguré en décembre 1997 dans ses nouveaux locaux, le Musée Français de la Carte à Jouer abrite également la Galerie d'Histoire de la Ville d'Issy-les-Moulineaux dans le pavillon d'entrée de l'ancien château des Princes de Conti qui jouxte le bâtiment moderne consacré à la carte à jouer.
Sommaire
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* 1 Le musée
* 2 Voir aussi
o 2.1 Notes et références
o 2.2 Lien externe

Le musée [modifier]

Seul musée de la carte à jouer en France et l'un des sept musées existant dans le monde consacrés à ce thème, destiné à tous les publics, du simple curieux au chercheur le plus exigeant, le musée offre une passionnante plongée dans le monde de la carte qu'il permet de découvrir tout en s'amusant.

Quelque 9 000 ensembles dont près de 6 500 jeux de cartes, 980 gravures, dessins, affiches et plus d'un millier d'objets sont rassemblés dans le musée.

Le musée français de la Carte à jouer présente aussi des expositions temporaires, des animations, conférences, un centre de documentation spécialisé.
Voir aussi [modifier]
和訳
トランプのフランスの博物館
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Cet article est une ébauche concernant le département français des Hauts-de-Seine et le jeu . この資料は、 アウトラインのフランス部門のオードセーヌと木 。
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Musée français de la Carte à Jouerトランプのフランスの博物館
jouer.jpg博物館カード
Pavillon de l'ancien château servant d'annexe au musée que l'on aperçoit derrière. ミュージアムアネックスと古いお城フラグは後ろに見えることができます。
Informations géographiques地理情報
Coordonnéesお問い合わせ 48° 49′ 22″ Nord 48 ° 49 '22"北
2° 16′ 24″ Est / 48.82278 , 2.27333 2 ° 16 '24"イースト / 48.82278、2.27333
Pays国 フランス France フランス
Localité地域 Issy-les-Moulineaux Issy - les - Moulineauxの
Informations généralesインフォメーション
Date d'ouverture日付を開く 1981 1981
Collectionsコレクション Carte à jouerカードを再生
Nombre d'œuvres作品数 6 500 jeux de cartes, 980 gravures 6500カードゲームは、980プリント
Superficieエリア 2 144m 2 [ 1 ] 2 144メートル2 [1]
Informations visiteurs観光案内
Visiteurs/an訪問者/年 12 844 ( 2003 )十二八四四( 2003年 )
12 854 ( 2004 )十二854( 2004 )
17 645 ( 2005 ) 17 645( 2005 )
15 173 ( 2006 ) 15 173( 2 006 )
16 060 ( 2007 ) [ 2 ] 16 060( 二千七 ) [2]
Adresse住所 16, rue Auguste Gervais 16、ルーオーギュストジェルヴェ
92130 Issy-les-Moulineaux 92130 Issy - les - Moulineauxの
Site internetホームページ Site du musée 美術館サイト

Géolocalisation sur la carte : Hauts-de-Seine 地図位置情報に関する: オードセーヌ
(:オードセーヌ地図上の場所を参照してください)
トランプのフランスの博物館

Géolocalisation sur la carte : France 地図位置情報に関する: フランス
(:フランス地図上の場所を参照してください)
トランプのフランスの博物館
(:オードセーヌ地図上の場所を参照してください)
modifier 変更 モデルのマニュアルを参照

Créé en 1981 , inauguré en décembre 1997 dans ses nouveaux locaux, le Musée Français de la Carte à Jouer abrite également la Galerie d'Histoire de la Ville d' Issy-les-Moulineaux dans le pavillon d'entrée de l'ancien château des Princes de Conti qui jouxte le bâtiment moderne consacré à la carte à jouer.年に設立された1981年12月に発足、 1997年敷地内に新しいのトランプを博物館ではフランスも市の歴史のギャラリーを収容するIssy - les - Moulineauxの城の古い館の入り口の君主はコンティ隣接する近代的な建物のカードの再生専用に。
Sommaire概要
[masquer]

* 1 Le musée 1 博物館
* 2 Voir aussi 2 も 参照してください
o 2.1 Notes et références 2.1 ノートを参照
o 2.2 Lien externe 2.2 外部リンク

[ modifier ] Le musée [は編集 博物館] を

Seul musée de la carte à jouer en France et l'un des sept musées existant dans le monde consacrés à ce thème, destiné à tous les publics, du simple curieux au chercheur le plus exigeant, le musée offre une passionnante plongée dans le monde de la carte qu'il permet de découvrir tout en s'amusant.フランスで遊んでカードと、このテーマに専念し、世界に存在する7つの博物館のいずれかで唯一の美術館は、最も要求の厳しい研究者に、単に好奇心から、すべてのユーザー用に設計されて、博物館は、世界のに魅力的な旅を提供しています楽しみながらすることができ、地図が発見してください。

Quelque 9 000 ensembles dont près de 6 500 jeux de cartes, 980 gravures, dessins, affiches et plus d'un millier d'objets sont rassemblés dans le musée.約9000セットが約6500カードゲーム、980は、版画、図面、ポスター、数千のオブジェクトよりもそのうちの博物館に収集されます。

Le musée français de la Carte à jouer présente aussi des expositions temporaires, des animations, conférences, un centre de documentation spécialisé.トランプのフランス博物館は、一時的な展示会、イベント、会議、専門のドキュメントセンター提案する。
[ modifier ] Voir aussi [ 編集 も参照してください ]
[ modifier ] Notes et références [ 編集 参照]

1. ↑ ( fr ) Site du musée Espace disponible [archive] , consulté le 2 juillet 2010 ↑ (en)の サイト博物館の空き容量 [archive]は 2010年、アクセス7月2日
2. ↑ ( fr ) [pdf] Veille Info Tourisme [archive] , p. 121, consulté le 2 juillet 2010 ↑ (アン )[PDFファイル] 睡眠観光情報 [archive]は、p. 121、2010アクセス年7月2日

[ modifier ] Lien externe [は、 編集 リンク ] を外部

Site du musée 美術館サイト
パリから地下鉄で1本です。

Mairie d’Issy駅(終点)で降ります。地図と美術館案内がありますから、すぐわかりますよ!

風邪気味なので自宅で休養を主に!

 疲れが出たのか、風邪をひいてしまいました。
でも、洗濯と家の掃除を終えて、やはり出かけなくてはと思いました。

 心配な父の具合も弟に電話をしたら、案ずることなく
父もちゃんとちゃっかりいいお布団を持って、自分の部屋のベッドで寝ていたそうです。

 良かった!

☆今朝は、浄化槽の支払いをコンビニでしようと思ったら、用紙が無いので再度送って貰えるように電話をしました。他に「クレア劇場」の「プライド」のチケットを足長御爺さんにもらったのですが、長野に行っている日と重なるので別の日に変更願いの電話と不要のチケットを郵送しました。

 お昼は父の食べなかった肉まん1個。

☆銀座のプランタンに、ビーズ専門店があったはずなので有楽町に出かけました。
あったはずなのに、とっくに店じまいをしたそうです。かわいいボタンとかがあったお店なのですこしがっかりです。

 電子レンジで調理のできる2枚の貝(カラス貝)のようなデザインを買いました。2500円くらい。

 地下で食パン。7階の雨用のブーツを黒のビニールで4000円弱で買いました。
宝くじを大黒様のところでバラで買いました。
街頭でバナナが100円で「安いわね。」と言ってしまったのでそれもひと房。

 風邪なのでまっすぐ帰りました。

☆駅の東急で鍋うどんのセットと焼き鳥3本。父がおいしそうに食べていたので。
 家に帰って、黒パンにチーズを載せて焦がして、焼き鳥と食べて風邪薬を飲んだところです。

銀座はクリスマス・ムードだったけれど不景気のせいかなんとなく盛り上がりが無い感じでした。
ベッドの中でノート・パソコンを出しているところです。

「ホワイト・オランダ―」を再度観る!

 留守中に娘にアマゾンで古いDVDを買うように頼んでいた「ホワイト・オランダ―」を再び観ました!

 「この前はなんだったのだろうか?」
と思うほど、今回ちゃんと観て、映画の深さが見えてきた感じです。

 舞台はアメリカ。
 ママは娘の父親をシングルで産み、アーティストとして強く生きている。

 でも、美しいママは毒のある白い夾竹桃(ホワイト・オランダ―)が好きで、家で栽培してさらに、白いミルクを入れたガラスの花瓶に生ける。それが美しいのだが。

 夾竹桃は強い花で、広島の原爆の後に真っ先に咲いた花だったと言う。

☆ママは娘から観て、どうかと思う彼を追っかけて、喧嘩の果てに彼を殺してしまう。
ママは綺麗で自己主張が強くて、自分を裏切った彼のグラフィックデザイナーとして大事なコンピューターの記録を消してしまったりして、彼が烈火のごとく怒りガラスを割って入ってきたあとの出来事だ。

☆娘も独学でも絵が好きで上手で、いつもママの絵を描いたり人物のデッサンをしている。
まだ幼いので14歳くらいか?
養女に出される。ママは刑務所だからだ。

 娘は男嫌いだが、きれいなので男が彼女をほっておかない。
 最初の養女にした家は、母親が自分の娘もコントロールできず、ほかの養子もいるような家で、彼には別の家庭があり、彼女はストリッパーをして食べているような暮らしだ。

 養女である主人公は、養母の趣味の派手な女性っぽい洋服を着せられる。
 時々、刑務所で面接する実のままはそれを嫌がる。

 主人公はもっとやさしいし、子供ながら自分の境遇が安易に同情される立場なのを知っている。

 しかし、きれいな彼女をねたんで夫を取られるのではないかと恐怖にかられた養母にピストルを撃たれて軽傷を浴びる。

☆主人公は自分の美しさを消すように、美しい長い髪をカミソリでズタズタに切ってしまう。
 顔には暴力の後の傷が残り、目には痣が残っている彼女は痛々しい。

 養女を探している家庭を多いが、わけありの底辺の子供たちが共同生活をしている場で同じような傷を負っている青年に会う。青年の親はドラッグ患者。彼も絵が好きで漫画を描く。彼女たちは惹かれあい少し年齢の上の彼は18になったら、ここから出ていく権利があると彼女についておいでと誘う。
ふたりは絵を通して知り合い、同じように大人を信じてない。

☆主人公は綺麗なので養女に欲しいと言う養母はすぐ見つかる。
 次は売れない俳優の結婚はしているが子供のいない家。
 夫は売れている俳優らしく、嫌みを言いながら浮気も適当にしていてなかなか家に帰ってこない。

 しかし、彼女は主人公を愛し、デリケートないい服を与え、美しい海辺のきれいな暮らしで彼女とのいい関係を持つ。たまに帰ってくる夫とはやはり喧嘩で、主人公は不安ながらも「自分を追い出さないで。」と養母に言う。

 実の母親が刑務所から養母を呼びだして、娘を取られたと言う嫉妬から、彼女を傷つけるような実の愛のない家庭をなじる。「あなたが子供を引き取ったのは自殺防止として、彼が与えた。」と。

 養母は主人公と同じベットで眠りながら、薬を大量に飲んで自殺してしまう。

 主人公は実の母に向かって「あなたが養母を自殺に向かわせた。養母はいい人だったのに。」と責める。

☆主人公はおとなのずるさや偽善の宗教を知り、3回目は草臥れていかれた養母を自分から選ぶ。
養母はゴミ袋から衣服を出して屋台で売ったり、主人公が前の家で買ってもらったブランドの衣服を勝手に売ってしまうような母親だがたくましい。

 主人公はそんな養母にも生きるパートナーとして受け入れられる。

☆弁護士が実の母親を刑務所から出すのには主人公の発言が必要だとよってくる。

 実の母親は「刑務所には嘘が無いからいい。」と言う。
美しい母親は、同性愛の相手として狙われるのをかわすのが体験だと、痣のある顔で言う。

☆主人公はボーイフレンドが働いてニューヨークで一緒に暮らそうとさし出す手に人生をかける。

 母親は証言を彼女に望まず、彼女を開放する。
 正当防衛で再審も決まる。

☆2年後のニューヨークの安いアパートの中で、広げたスーツケースに主人公は母の歴史をアセンブリージというアートで表現する。

 母は個展を刑務所の鉄格子をバッグにし、成功したと雑誌で知る。

「あんな母親だけと私はあの人が好き。」と言う。

彼女は幾度も「私の実のパパは誰なの?」と訊く。
母親は刑務所で会ったときに名前を教えて「捨てられたのよ。」と答える。
「でも、愛し合っていたの?」と執拗に問う娘。

娘は母親の嫌いなパンクファッションで、「これがあなたの結果なの。」と言う。

☆☆☆
 私にも娘がいるので思春期の娘の感情として理解できる。

 そして、私もアーティストなので、母親の自立した生き方をするには多少、無理のある強気さも主張しないとやっていけない立場もわかる。

 白く美しい夾竹桃。
 弱いから毒があるんでしょうね。

 娘にはそれがわかっているのだと思う。

 とにかくスーツケースの中の作品が大好き。
 とてもかわいいの!

下の下の物語!

 週刊新潮の記事を読んで新たな怒りが!

【門真17歳女性変死】2年半前から暴行か 担任教諭が顔のあざ確認

2010年11月18日00時42分 / 提供:産経新聞
産経新聞

 大阪府門真市の田代悠里子さん=当時(17)=が今年9月に変死した事件で、平成20年5月以降、当時中学3年だった悠里子さんの担任教諭が顔のあざや頭の傷を計4回確認していたことが17日、門真市教委への取材で分かった。悠里子さんは「自転車事故」などと説明したが、実際には今年6月の傷害容疑で逮捕された姉の恵里子(21)とその交際相手の梅崎大吾郎(30)の両容疑者が暴行したとみられる。

 また悠里子さんが20年9月、「知らない男女に殴られ、けがをした」と門真署に被害届を出していたことも判明。顔と頭に打撲痕があり、同署は傷害容疑で捜査したが、悠里子さんが恵里子容疑者らの話を一切しなかったため、真相解明には至らなかったという。

 関係者によると、悠里子さんは中学3年だった20年5月に不登校になった。担任教諭は家庭訪問で、5月と6月に顔のあざ、8月に顔の腫れ、9月に頭に傷ができているのを確認した。

 9月17日には門真市内の病院が「頭をけがした悠里子さんが事故にあったと説明したが、傷の状態がおかしい」と同署に通報し、背中の古傷も見つかった。

 同署は悠里子さんの中学に生活状況を確認し、あざの情報を入手。大阪府中央子ども家庭センター(児童相談所)に通告した。児童相談所は翌21年1月までに計5回悠里子さんに面談したが、暴行を受けた事実を確認できず、一時保護の提案も断られたため、支援を打ち切った。

 今年6月の傷害事件で悠里子さんは重傷を負ったが、この際も医師や警察官らに恵里子容疑者らの話は一切しなかったという。

 児童虐待問題に詳しい津崎哲郎・花園大特任教授は「関係機関の連携がもっと深いレベルで行われ、悠里子さんの生活環境を調査できていれば悲劇は避けられたはずだ」と話している。

☆9月11日午後8時、路線バスの運転手(52)のところに悠里子さんからメールが届き「早く帰ってきて。」

 30分後、大阪・門真市内の自宅に戻った父親が玄関の土間で倒れている悠里子さんを発見、「おなかや足が痛いから、病院に連れていって」と父親に訴えた。

 父親はマイカーで近くの病院へ連れていく。

医師の診断では、
顔面、頭部を含め全身に擦過傷、浮腫が認められ、さらに、腹膣内出血により腹水がたまり、血圧は70/30まで低下をしていた。
右11番肋骨が骨折し、肝臓損傷の疑いもあった。

重篤な状態だったため、救急車で大学病院へ転送。

 翌日ござん12時の午前1時1分、死亡。

悠里子さんは身体は骨と皮だけのようにガリガリに痩せて細り、歯もほとんどなかった。

☆大学病院から「不審死」の通報を受けた大阪府警は門真署に捜査本部を設置。
司法解剖の結果、悠里子さんの死因は背中を強打したことによる心臓傷であることが判明

☆そして、1カ月半後の10月26日に、悠里子さんの姉の恵美子容疑者(21)と交際相手の梅崎大吾郎容疑者を詐欺の疑いで逮捕。

☆悠里子さんは3か月前の6月10日の夜にも、自宅玄関前で倒れていたことがあった。
発見したのは近所の住民。
「だいじょうぶですか?」住民の声。
「だいじょうです。」と悠里子さんは答えたが立つこともできなかった。
悠里子さんのお父さんがちょうど帰宅して、119番通報した。病院に運ばれる。
全身打撲、頭部顔面多発挫傷などに加え、挫滅症候群による急性腎不全、肺水種、呼吸不全を発症。
全治9週間の重傷。

 警察の事実聴取に一切応ぜず、「車にぶつかった。」と父親などには言う。

☆入院からわずか1カ月後、梅崎と恵理子によって、病院から無理やり連れ戻された。

★梅崎と恵理子が知り合ったのは、3年ほど前の出会い系サイト。

 梅崎と恵理子は仕事もせず、「傷病世帯」として07年から月約15万3000円の生活保護を受給。
一方で、悠里子さんに弁当容器の梱包作業のアルバイトをさせ、毎月約18万円の収入を巻き上げていた。

 手に入れた金はゲーム機の購入やゲームセンターで使っていた。

☆悠里子さんは中学3年生だった2年前の08年8月にも。鼻骨骨折などの大けがを負っている。
この時も悠里子さんは「見たこともない5,6人のグループに暗がりで襲われた。」と言っている。

 さらに、その約3週間後に、頭に怪我をして、病院に診察を受けたが「車に轢かれた。」と説明した。
病院は警察に通報したが、聴取にも曖昧にしか答えなかった。

☆悠里子さんの頭は丸坊主で、後頭部にはマジックでタトゥ様の模様が描かれていた。
しかし、警察には「自分でやった」と答えていた。

悠里子さんは中学2年生までほぼ無欠席だったが、梅崎からの虐待を受けた3年生の5月以降、登校しなくなり、昨年3月までの卒業式にも出席しなかった。

悠里子さんが不登校になったのと同時に両親が離婚。
梅崎と恵理子の交際に反対した両親に対して、2人は暴力をふるうこともあったそうだ。

悠里子さんは母親になついていたそうだ。

☆悠里子さんは誰をも責めず、死んだ。
聖人の人生のように。

それにしても同じ血の姉とそのボーイフレンドの劣悪さには驚きを通り越す。

☆警察もなぜ護ってやらなかったのか?

☆☆☆
 私は、このような程度の人間をたくさん見てきた。
 この加害者たちはもう壊れているのである。

 そうして、悠里子さんの似たところのある私は思うが、「訴える。」とか「誰かに罪を着せる。」のが事実であってもできない人間がいるものだ。それは、周りが気がつかなければならない。
当人は殺されるまで犯人を責めることが無いほどやさしいと言うか心清らかなのだ。

 加害者は格好悪い。
 みっともない。
 劣等だ。

 そういううことがどうしようもないほど恥ずかしいことを世間は若者に教えるべきだ。