December 12th, 2010

今日は忘年会と世界に勇気をもらって、クリスマスのお買いもの!

☆ブロガーの彦坂尚嘉さんよりブログで忘年会のお誘いが!

忘年会のお誘い [告知] [編集]

忘年会のお誘い
《彦坂尚嘉100次元アートブログ》のオフライン忘年会をやります。
期日:12月12日(日曜日)15時30分〜19時00分

会費:2000円
ご予約はメールで。

hiko@ja2.so-net.ne.jp

大改造が進んでいるアトリエをオープンします。

栃原比比奈の大作700号の内覧会のあります。

12月13日締め切りのオークション作品の作展示もあります。
おなじみの方々も。初対面の方も、お気軽にご参加ください。歓迎いたします。



会場:気体分子ギャラリー 

   藤沢市亀井野3-23-11

   電話:0466-21-8898

   携帯:090-1040-1445

   メールアドレス:hiko@ja2.so-net.ne.jp

☆それで3時30分に藤沢まで渋谷経由で行ってこようと思います。
比比奈ちゃんも700号の作品のお披露目があるそうです。
お二人とも、この夏に遠路はるばる藤沢から「蚊帳教会」に来て下さった方たちです!

ご飯を炊いて主人とお昼も一緒に食べよう!

☆昨晩の深夜テレビは良かったです。
ドキュメントは「ベトちゃんとドクちゃんのその後」をしてました。
3年前に亡くなったベトちゃん。ドクちゃんは双子のお父さんになってました。
ドクちゃんは29歳。そして美しくやさしいお嫁さんの家族を得て、ふたごは男女で「富士山」と「桜」
の名前にしたそうです。
ドクちゃんたちの父も母も、彼らを捨てようとは思わなかった。医学が必要だから病院に託さざるを得なかった。
お母さんはお姉さんと一緒に皿洗いをしていて、南国とはいえ家もなくアルバイト先のベランダを借りて寝ていた。
お父さんは再婚をして新しく子供もいたが、ベトちゃんやドクちゃんにも結婚式には行ってあっている。
生まれたふた後にも会いたいと言う。

ベトちゃんドクちゃんは、下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた双子の兄弟である。兄はグエン・ベト(Nguyễn Việt, 漢字: 阮越、1981 年2月25日 - 2007年10 月6日)、弟はグエン・ドク(Nguyễn Đức, 漢字: 阮德、1981年2 月25日 - )。ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害者の可能性があると報道された。ベトが急性脳症となったことを契機として手術で分離した。

来歴・人物 [編集]
コントゥム省

特に日本ではベトナム戦争被害のシンボルとなり、様々な支援の手が寄せられた。
枯葉剤散布地域で出生 [編集]

ベトナム中部高原のコントゥム省で生まれる。この地域はベトナム戦争下で枯葉剤が多量に散布された地域である。2人は上半身2つが 1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として産まれた。母親フエは終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。彼女は枯葉剤のまかれた井戸で水を飲んだという。

両親は2人をコントム病院に預けた後に離婚。2人は1歳の時にハノイ市のベトナム・東ドイツ友好病院(ベトドク病院、Viet Duc Hospital)へ移され、そこからベト(越〈越南、ベトナム〉)、ドク(徳〈徳国、東ドイツ〉)と名づけられた。
本人達への支援 [編集]

下半身がつながった結合双生児の写真は日本中に紹介され、ベトナム戦争の爪跡ととらえられ、日本で大規模な支援活動が起こった。1985年6月2 日、「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が福井県敦賀市で結成され、募金を募って2人に車椅子を贈った。

1986年6月11日、ベトが急性脳症を発症、治療のために日本に緊急移送された。6月19日、東京の病院で手術が行われたものの後遺症が残った。
分離手術 [編集]

1988年3月に母親と再会。その後ベトが意識不明の重体となる。2人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日にホーチミン市立ツーズー病院(Bệnh viện Từ Dũ)で分離手術が行われた。この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトには左足がドクには右足がそれぞれ残された。ドクには日本から義足が提供された。
分離後 [編集]

分離後ドクは障害児学校から中学校に入学。中学校は中退したが職業学校でコンピュータプログラミングを学び、ツーズー病院の事務員となった。ボランティア活動も行っている。一方、ベトは重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続いた。

2006年12月16日、ドクはボランティア活動の際に知り合った専門学校生のグエン・ティ・タイン・テュエン (Nguyễn Thị Thanh Tuyền) と結婚。このことは日本でも大きく取り上げられた。結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語っており、簡単な日本語を話すことができる。また、結婚後に兄ベトを引き取り夫婦で介護していた。
ウィキニュース
ウィキニュースに関連記事があります。

* 訃報 ベトナムの結合双生児・ベトちゃん

2007年10月6日1時(ベトナム標準時)、兄のベトが腎不全と肺炎の併発により26歳で死去。

2009年10月25日、ドクの妻テュエンがツーズー病院で男女の双子を出産。それぞれ富士山と桜にちなみ、男児はグエン・フー・シー(Nguyễn Phú Sĩ)、女児はグエン・アイン・ダオ(Nguyễn Anh Đào)と命名された。
枯葉剤の影響 [編集]

詳細は「枯葉剤」を参照

ベトナム戦争において南ベトナム解放民族戦線のゲリラ戦略に対抗し米軍は枯葉剤を大量に散布した。この枯葉剤にはジベンゾ-パラ-ダイオキシン類が含まれていた。ダイオキシン類の一種である2,3,7,8-テトラクロロジベンゾ-1,4-ジオキシン(TCDD)はマウスで催奇形性が出ることが実験で確認されていたため、TCDDによる奇形が疑われたが、ヒトに対する奇形性は現在でも未確認である。双生児の癒合は2000万分娩に一例ほどの確率と言われているが、ベトナムでは25年間に30例を超す[1]。ダイオキシン類が作用する分子生物学的標的は内分泌攪乱化学物質と同一のものである。
参考文献 [編集]

* グエン・ドク 『声を聞かせて、ベト』 PHP研究所、2001年、ISBN 9784569614984
* 西村 洋一 『ベトナムの枯葉剤 -ダイオキシンを追いかけて-』 ミヤオビパブリッシング、2009年、ISBN 9784863660618

☆「ミッション」と言う番組では南アフリカで、レイプや差別や暴力で苦しむ女の子たちに強くなるためにドイツの女性がボクシングを教えていると言うのをやってました。
強くなれば発言ができて弱い人たちを守れるというものです。
きらきらとしている少女たちが素敵です!
今までの週刊で控えめであることが良いとされていたアフリカの女の子たちはおとなしかったんです。
でも、性差別や人種差別と闘うのには強い心が大切!

☆たけしのニュース番組も結構公平なんですね。
テレビのないところにいたの海老蔵の事件もインターネットや雑誌でしか見なかったんですが、やはり弱い立場の人への配慮や海老蔵さんが謹慎中に勉強すればいい役者になるという大人の愛情が感じられました。
ノ―ベル平和賞もいろいろの国の対応など人間ってどうしようもないなと思いました。
ノルウェーのニシンの貿易では早速中国から中止の対応が来て生活に困る人もいるんですね。
それをわかっていて、「ノーベル平和賞)を出す国は凄いです。

☆「美の巨人」では棟方志功の版画をしてました。ベネチアビエンナーレで大賞後に青森市より頼まれて創った大きな版画で良い作品でした。
香川県の猪熊弦一郎の生涯のテレビも深夜ありました。最愛の奥さんの顔を死後たくさん描いているのです。
 おふたりとも奥さんを大事にして奥さんに助けられて描き続けていたのですね。
 棟方さんの方は次男が解説してました。
 目が悪くて遠近がみえなくて最初のころは落選続きで、民芸運動の柳宗悦に評価されてから伸びていったようです。
 絵を描き続けるのにはいろいろな人の応援が大事ですね。
 そんな魅力があるお二人の仕事はオリジナルで強くて国際的ですね。

☆昨日の夕刊によると節約疲れでこのクリスマスは豪華にやろうと言うのが多いそうです
余り節約してない(いつもしてきたので節約とは思わない)私は疲れてもないのですが、なにか家族にプレゼントしに渋谷のデパートに行こうと思ってます。

☆昨晩はテレビのコマーシャルの合間に「原因と結果の法則 コミック版」をもう1度読みました。
凄く力を得た感じです。