December 20th, 2010

深夜!

 若い29歳の女性弁護士さんが反貧困をテーマに犯罪者や被害者と闘うドキュメントを観た。

 万引きもあり病気から発症するのだと言う。コンビニの1000円前後の万引きも3回目となると起訴されてしまう。

 300円足らずの万引きで刑務所に半年板50代の男性を迎える受け皿は無く、彼女は生活保護申請に立ち会うが、男性が幾度通っても、無視されてきたが、弁護士の彼女が合法的に役所に向かえばすぐ許可がおりる。

 弱いものにトコトン厳しい社会は罰を与えても救いは与えない。

 若い弁護士は休みなく収入的には報われない仕事に奔走する。

☆日本の文化が「恨み」「怨霊」であることを、「源氏物語」「雨月物語」「小泉八雲」などの文学を紹介しながら説明する番組が5時まであった。さすがに途中でギブアップしたけれど、知識として面白かった。
「梅図カズオ」の映画の紹介もあった、「オロチ」だったか。

☆その間「迷宮美術館」も2時間のスぺシャルで、「麻生三郎の本を読みながら観てたりした。
 初めての抽象画家にオックスフォード大学教授が「アートで無い。」と言って、裁判になったそうだ。
裁判に買ったのだが、大学教授はわずかコイン1枚で(それも金貨ではない)、画家の方は裁判費用で家もとられ大変貧乏なくらしになったそうである。

☆☆☆
 貧困と言う闇。
 人間が人間にやさしさを失い始めている。

 自分だっていい人だけではないけれど、300円足らずのコンビニのお惣菜の万引きが、社会の負け犬になって刑務所に半年と言うのはなんだか惨いというか国の繁栄バランスが悪い気がする。

 若者ホームレスを救えと活動が始まったが、27歳のバスで女学生に刃物を振りかざした27歳も
路上生活をしていたそうだ。

 この寒さ。

 ここから這い上がる見通しのない時代の流れ。

 人生を終えたかった27歳も、黙って死ねなかったのだ。

☆途中、納豆ご飯でお昼を済ませ、洗濯物を干してきたところだが。
 この厳しい年の瀬、人間の心を失わずに生きていくのには、食べ物も、住むところも、友達も、家族もあってこそだと思う。

 ふと思ったのだけど、政府で「ネットカフェを経営して、その住み代金として、公園や駅の清掃などするようにしたらいいのではないか?」。

 これからは介護が増える。
 このままでは、老人同士の格差で、若者で無くても「人生を終えたい。」老人がやたらと切り込むようになりそうだ。

 私だって63歳にもなると、たださえ運動神経が悪いのに、体の動きが相当おっくう。

 今も流しにお茶碗などつけてあるのだけど、これから先は仕事が鈍くなり働きが低下すると思われる。

 私も老人を3人抱えているので思うのだけれど、老人は余程幸福でないと退屈を持て余す。

 末の弟が、父が愛人婆さんから来た手紙を幾度も幾度も読んでにんまりしていたというが、それは結構なことだと思うのだ。そんな心弾むモテ感が家から出られなくなっても、いい日にしてくれるのだと思う。

 退屈を持て余すときに、息子や娘のことでイライラしたり心配したり、ましてお金の不安があると、若い人より先が無いので、それこそ、何が起きるかと思う。

☆絵を描き続けることは結構しんどくて、途中でやめる人が多い。
 また、運動能力のように答えがはっきりと見えてこないので、他人の批評にやる気を失ったり、筆を折ってしまったりもする。

 この間、国立近代美術館に行って常設も観たのだけど、凄い絵と言うのは何とも言えない力を放っている。構図とか色とかでは無くて、やはり生命のほとばしりのようなものだ
長谷川利行。やはりあか抜けていて、力強くいい!
村山塊多も独特の世界で力強い!

 その魂の品格と言うかあり方が、自分の魂と呼応して何か大きな愛のようなものが燃えたつ。

 だから、それを言葉にしなくても感じればいいと思う。

 本物を観なければいけないというのは、本物を見続けると偽物との差が理屈なしにわかるようになる。

 1流の作品は魂が宿り、2流の作品はどんなによく模倣しても形だけだとは学生時代に読んだ本に書いてあった気がする。

☆ですけど、ゴッホでなくてもこの美神だけど対峙していると、精神がもたなくなるのだ

 それを持つようにしてくれるのが、例えばモネのように妻の愛情だったり、家族だったりするのだと思う。

 絵を描き続けるのはかなり厳しい作業なので、独身で描き続ければ精神が破綻しやすい

 それでも、路上生活だけで何の希望なくエネルギーをもてあそぶ暮らしに比べれば、泥でも描ける絵描きとは、なんと幸せなことか!

☆明日は5時半から帝劇で「モーツアルト」なので、今日は家から出ずに読書と家の掃除を続行しよう。

 まして、絵の具代や絵を描く場所を確保しようとすれば、不器用で人間関係が下手なタイプの絵描きは路上生活人とすれすれと所にいると思う。

目黒雅叙園に「坂本龍馬×100段」を観に行く!

 今日は庭の草むしりと枯れ葉の掃除のシルバーパートの人たちが来てました。
最後のご飯を納豆と漬物と昨日のシジミの赤味噌で食べ終えて、家の中の掃除と洗濯をセットして、駅に買い物に出かけたのです。

 その前に信用組合銀行で通帳の書き入れと少し端数のお金を出しました。隣のりそな銀行と住友銀行に数万円づつ入れました。カードが使えるからです。

 それから千絵ちゃんに戴いた招待券で「坂本龍馬×100段」を観に目黒雅叙園に行きました。

☆私が大学生のときに出入りしていたんですよ。

 そのころはホテルになって無くて、古い由緒ある日本的な建物でした。
学生バイトで結婚式の写真の修正をしていて、雅叙園には式場があるのでできあがったものを納めに行ったのでした。
その受け取りのおじいさんは元華族とかでとても品のいい方で雅叙園の中を案内して下さり、帰りには1階の喫茶ルームでレモンティーを出してくださるのでした。都立大学駅にあるカラーラボでバイトしていたのですが、帰りが遅いと殴られたりもしました。定時制高校へ行っていたとかで、「劣等感の塊になるから見るな!」とか言ってました。奥さんも殴ってました。一緒に働いていた男の人が、私が目を開けて驚いていると「家で可愛がっているんですよ。心配しないでね。」と言ってました。

 写真スタジオでは森ビルのお嬢さんの結婚式の写真を撮ってましたよ。美容師は宮崎定男で、当時は有名なカリスマ美容師でした。

 そのバイトは女子美術の掲示板で見つけたのです。

☆そんな懐かしい雅叙園も今は高層のホテルになり、一部を残して建て替えたのです。
99階の階段や天井の絵や螺鈿のエレベーターの模様などは残したようでした。

ビデオを買いました。

お茶ボトルも!

石川県出身で立身出世の創業者・細川力蔵が、東京府荏原郡目黒町大字下目黒字坂下耕地一帯[要出典]および岩永省一邸として記録された建造物を入手し、増改築を進めて1931年(昭和6年)に目黒に開業した料亭で、国内最初の総合結婚式場でもあった[1]。(それより以前1928 年(昭和3年)には、東京・芝浦にある細川力蔵の自邸を改築し、芝浦雅叙園という「純日本式料亭」を経営していた。)

なお岩永省一とその家族が住んでいたのは「岩永省一邸」として記録された建造物ではなく、広大な屋敷を持つ別の建物でありこの敷地が目黒雅叙園と接していた(出典『岩永裕吉君』)。

本格的な北京料理や日本料理を供する料亭だったが、メニューに価格を入れるなど当時としては斬新なアイディアで軍人や政治家、華族層以外の一般市民の料亭利用者を増やした。また、中華料理店で一般に見られる円形のターンテーブル(二層構造の円形テーブル上部に料理を載せ回転させることで取りやすくするもの)も1931 年(昭和6年)細川力蔵の考案で[2]、その後に中国大陸へ伝わったものである、という説もある。しかし英語圏などでレイジースーザン(英語:Lazy Susan)と呼ばれるターンテーブル自体は、18世紀のイギリスにすでに存在していたので、細川力蔵の発明や最初の考案と断言はできない。

目黒雅叙園(旧木造館)は太宰治の小説『佳日』にも登場する。絢爛たる装飾を施された園内の様子は<昭和の竜宮城>とも呼ばれ、ケヤキの板材で作られた園内唯一の木造建築「百段階段」(実際は99段)とその階段沿いに作られた七つの座敷棟宴会場の内の四つは、2009年3月16日に東京都指定の登録有形文化財(建造物)に登録された。「十畝(じっぽ)の間」、「漁樵(ぎょしょう)の間」、「草丘(そうきゅう)の間」、「静水(せいすい)の間」、「星光(せいこう)の間」、「清方(きよかた)の間」、「頂上(ちょうじょう)の間」、計七つの中から4棟の座敷棟が登録された。映画「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルにもなったもので、樹齢百年の床柱や天井、壁面、ガラス窓にいたるまで贅を凝らし、昭和初期における芸術家達の求めた美と大工の高度な伝統技術が融合した素晴らしい装飾となっている。希望者は申請すれば観覧が可能となっており、イベントや宿泊、食事とのセットで公開されている。2010年1月29日から3月3日までの期間、初めて「百段雛(ひな)まつり」という豪華絢爛な催しが行われた(第一回)。日本全国にある雛文化の中から、非常に贅を尽くしたものが多いといわれる山形の雛を中心に、上記七つの宴会場で飾られることとなり盛況を博した。

1945 年8月15日正午、大西瀧治郎中将は終戦の玉音放送を軍令部の中庭で聞いた後、当時、海軍病院の分室だったこの雅叙園を訪れて同期生の多田海軍次官を見舞った。そして深夜、渋谷区南平台の官舎に帰られ、16日遺書(ウィキクォートに全文があります)を残した上で、特攻作戦の責を取り 14:45割腹自決を遂げた。

1991 年(平成3年)の全面改築は日建設計および鹿島建設によるもので、このリニューアルに際し、園内のエレベーター壁面や室内に使われた螺鈿や漆による装飾は、韓国の漆芸家・全龍福(チョン・ヨンボク)によって新たに制作、もしくは修復された。一階にある化粧室の内装も彼の手による漆工芸によって装飾されている。
目黒雅叙園カフェラウンジを上より望む

昭和初期に建設された木造の旧館においては、敗戦直前の昭和19年頃まで、戦時下の国民が苦しい時局や贅沢禁止令下にもかかわらず、大勢の著名な画家や彫刻家、塗師が出入りし、あるいは泊り込み、部屋ごとに女中と書生付きで数年にわたり内装や絵画作品を完成させたという。金泥の制限で時局の悪化を知ったという画家の逸話もある。その結果、文展やかつて帝展に出品された数多くの作品を所有し館内を飾った。その数は数千点にもおよぶ膨大なコレクションであり、旧館取り壊し時に額装保存された天井画や欄間絵とともに、新館に併設された美術館(目黒雅叙園美術館)で定期的に観覧に供したが、美術館は2002年に閉鎖されて、多くの作品群は散逸し個々の所在は不明である。

創業者・細川力蔵亡き後は、合資会社雅叙園として同族による経営が成されてきたが、これを受けた運営会社である雅秀エンタープライズが2002年に経営破綻し、外資ファンドにより買収された。現在の株式会社目黒雅叙園として再建の後、2004年ワタベウェディング傘下となる。2007年には経営破綻した福岡山の上ホテル(福岡県福岡市中央区)の再建スポンサーとなり、傘下におさめている。

同一敷地内に全面改築時に建設されたオフィスビルのアルコタワーを有していたが、現在は別資本である。
旧木造部分









案内文のコピー
今回の会場となる「百段階段」は、2009年3月16日に東京都の指定有形文化財に指定された、目黒雅叙園に現存する唯一の木造建築です。江戸文化の贅を受け継ぐ昭和の色彩空間として、今も大切に保存されています。

ケヤキの板材でつくられた99段の階段廊下をもつことから「百段階段」と呼ばれ、階段廊下の南側には7つの部屋が連なっています。各部屋には樹齢100年を超える床柱や、天井や欄間には当時屈指の著名な作家たちによって創り上げられた世界が描かれており、昭和初期における美の競演と大工の高い技術力をみることができます。

本イベントでは部屋ごとにテーマを設け、訪れる方の目を楽しませてくれます。
江戸文化の贅を受け継ぐ「百段階段」の7つの部屋の世界観に合わせ、龍馬にまつわる品々と、龍馬を取り巻く人々とのエピソードを表現。人々を、龍馬が活躍した幕末の世界へといざないます。

☆☆☆☆☆
坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6 年11月15日(1836年1 月3日)- 慶応3年11月15日(1867年12月10日))は、日本の近世末期に活動した武士。土佐藩出身。

諱は直陰(なおかげ)のちに直柔(なおなり)。龍馬は通称[1]。 他に才谷 梅太郎(さいだに うめたろう)などの変名がある(手紙と変名の項を参照)。

土佐郷士に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成。薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、倒幕および明治維新に影響を与えた。戊辰戦争の直前に近江屋事件で暗殺され横死。贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。

司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の主人公として描かれて以降知名度を飛躍的に上げ、幕末の風雲児として国民的人気を得る

龍馬は暗殺された時33歳、おりょうさんは66歳まで生きた。いろいろなものを処分したが龍馬が買ってくれた帯留めだけは処分しなかったという。他家に嫁いだが不遇だったと言う。


龍馬は生涯の伴侶となる楢崎龍(お龍)と出会い、後に彼女を懇意にしていた寺田屋の女将お登勢に預けている
龍馬との結婚まで [編集]
お龍 独身時代寓居跡 京都三条木屋町下ル

天保12年(1841年)、医師の楢崎将作と貞(または夏)の長女として京都で生まれた(または実父は西陣織を扱う商人で将作の養女になったとも[2])。妹に次女・光枝、三女・起美(君江)、弟に太一郎、健吉がいる。

楢崎家は元は長州の武士であったが、お龍の曽祖父の代に主君の怒りを受けて浪人になっていた。父の将作は青蓮院宮の侍医で、お龍は裕福な家庭で育ち、生け花、香道、茶の湯などを嗜んだが、炊事は苦手だった。だが、勤王家であった父が安政の大獄で捕らえられ、赦免後の文久2 年(1862 年)に病死すると[3]、残された家族はたちまち困窮し家具や衣類を売って生活をするようになった。母が「悪者」に騙されて妹の起美が島原の舞妓に、光枝が大坂の女郎に売られると知ったお龍が着物を売って金をつくると大坂に下り、刃物を懐に抱えて死ぬ覚悟で男二人を相手に「殺せ、殺せ、殺されにはるばる大坂に来たんだ。これは面白い殺せ」[4]と啖呵を切って妹を取り返した武勇伝はこの頃のことである[5][6]。

その後、お龍は七条新地の旅館「扇岩」で働き[7]、母・貞は方広寺大仏殿近くの天誅組の残党を含めた土佐藩出身の尊攘派志士たちの隠れ家で賄いをするようになった。龍馬とお龍は元治元年(1864 年)頃に出会っている[8]。後年のお龍の回顧によると、龍馬と初めて会ったときに名前を聞かれて紙に書くと自分と一緒だと笑っていたという[9]。お龍に惚れた龍馬は母・貞に、お龍を妻にしたいと申し入れ、貞も承知した[9]。

同年6月の池田屋事件の際に大仏でも会津藩の手入れがあって家財道具も没収されてしまう(大仏騒動)。一家は困窮し、龍馬は「日々、食うや食わず、実に哀れな暮しであった」と述べている[5]。これらお龍の境遇について、龍馬は姉・乙女に宛てた慶応元年9月9日付の手紙で詳しく書き送り、彼女を「まことにおもしろき女」と評している[5]。お龍の後年の回想によると同年8月1日に龍馬とお龍は内祝言を挙げた

☆楽しかったですね。
龍馬が持っていたピストルや刀の展示もありましたし、お龍さんの帯留めもあって、龍のデザインなんですね。
それと手紙が多くあって筆マメな方だったんですね。
木曜日までなので、駅に買いものついでに出かけたのでした。

☆☆☆
 それから、眼鏡スプレーが無くなっていたので、眼鏡屋さんのフシミへ行きました。
駅前の立派なビルです。私たちの夫婦の小学校の同級生なのでいろいろお話も弾む。
2歳下の奥様が癌でずいぶん体調が悪いらしい。また、獣医になる試験が結構大変だそうで息子さんが試験中。私の娘もそうだが、そうは思い通りに行かないものが世の中。
眼鏡拭きを2枚くれました。兎の模様が入っていた!

 目黒アトレでおみかんやお野菜を買って、1階でベーグルと生クリーム。シュークリーム2個なども買いました。メトロ線の目黒駅の上でマグロ三昧の寿司を1折買ってきた!

淋しい募金詐欺!キリスト教をやめたくなる!

 日本ユニセフも?

タレントのアグネス・チャン(本名 陳美齡)さんは2010年2月、日本ユニセフ協会大使として治安が悪化し危険度最大レベルといわれているソマリアに行き、戦乱と貧困に苦しむ子どもたちを視察した。……と、日本ユニセフ協会は発表した。

しかし、実際はソマリアに行ったのではなく、比較的安全なソマリランド共和国に行っていたのが判明。ソマリランドは国として認められていないため、ソマリアの一部となっているものの、事実上の独立国家として認識されている。
アグネスは安全な地域に行って何をしてきたんだ!? と、インターネット上で大きく非難され、「単なる旅行か」とまで言われている。

この件に関して新潮社の『週刊新潮』が日本ユニセフ協会に問い合わせたところ、信じられない返答があったという。なんと、「なお、貴誌で本件をお取りあげになられた場合、記述の<事実誤認に基づく誹謗中傷>がネット上などで行われている現状も鑑み、その反響次第では、本信ならびに〇〇様(本誌記者のこと)のご質問の文面を当方ホームページなどで公開させていただく所存です。予めご了承ください」と返答されたというのだ。

その返答を読んで『週刊新潮』はア然としたのか「これって、脅し?」とポツリ。また、昨年に奥様と旅行でソマリランドに行った漫画家の やくみつる氏は、「ソマリランドは避難勧告は必要ない」と同誌でコメントしている。

 マザーテレサも?
「現代(20世紀)の聖女」と謳われたマザー・テレサは、その奉仕活動でキリスト教嫌いの異教徒からも敬意を払われている。キリスト教信者数が人口の1%そこそこにも係らず、日本のマスコミがこの修道女や前ローマ法王ヨハネパウロ2世に溢れるほどの好意的報道をするのは、異様でもある。私も以前は臨終の貧者に奉仕する彼女の姿勢は見事だと思った。だが、在日ドイツ人ハウプト・ホルガーさんはHPで「マザー・テレサ、スーパー物乞い」と、痛烈に批判した記事を書いている。

 キリスト教会を激しく非難するホルガーさんは、マザー・テレサにも容赦しない。「マザー・テレサは偉くない。教会の中の犯罪者の一人に過ぎない」と一刀両断。彼女に膨大な寄付した者にハイチの独裁者デュヴァリエや、同じくアルバニアの独裁者エンヴェル・ホジャもおり、大口寄付者である彼らを支持していたという。詐欺を働いた米国の銀行頭取チャールス・キートンも125万ドルをマザー・テレサに寄付し、彼を「グッド・クリスチャン」と擁護する始末。もちろん彼女は騙された小口預金者に金を返すことはしなかった。

 私の父は役所で用地交渉の仕事をした事があるが、用地売買に応じない難物を「1.後家、2.坊主、3.先生」と呼んでいた。先生は屁理屈をこね、後家は女特有の頑なさでとかく理が通じない。坊主は寄付されるのに慣れているので、自ら寄付をすることに大変苦痛を感じるらしい。聖職者が頂き物を絶対帰さないのは、洋の東西変わりないようだ。

 特に私が興味深いと感じたのは、ダイアナ妃とチャールス皇太子との離婚成立時、「ダイアナの結婚は幸せではなかったからよかった」と述べた点だ。マザー・テレサが常に妊娠中絶、離婚はもちろん婚前交渉まで批判的だったにも係らず、神の前で誓った結婚を破ったダイアナの行為は「よかった」で済ませている。来日時彼女は日本における妊娠中絶を厳しく非難し、「物は豊かでも、心が貧しい国」とこき下ろしてから出国している。もし、ダイアナが妊娠中絶をしていても、「この妊娠は幸せではないからよかった」と擁護しただろう。
 ホルガーさんは「貧しい者の足を洗う代わりに、セレブのブーツにキスというところか」と皮肉っているが、大口寄付者には原理原則をいとも簡単に曲げる宗教人の本性を見た思いだ。

 いかにいかがわしい人物が寄付したにせよ、そのカネを有効に使うなら問題はない。だが、マザー・テレサは「私は120ヶ国に修道院を設立した」と豪語する一方、彼女のカルカッタの施設は荒れ果てたままだった。彼女の施設ではテレビ視聴さえも禁じられていたから、まるで日本の刑務所と同じレベルだ。
 さらに施設に医療品が寄付されても、人間が苦難を味わってこそ罪が清められるという中世並みのキリスト教思想から、薬や鎮痛剤には批判的で、病人にそれらの薬を与えなかったという。ここに至っては日本の刑務所の方が人道的だ!マザー・テレサ自身は病気になった時、一流の専門家医師に薬や鎮痛剤をたっぷり使った治療を受けている。先ず隗より始めよ、の諺には無縁の人物だったようだ。

 ホルガーさんの結論は実に鋭い。
「神を信じる人にとっては神や宗教が常に人間より優先され、信者は他人に良い事をしても、それは自分の信仰を広げ、神を喜ばせようとするための行為に他ならない。マザー・テレサの行為は突き詰めれば、イスラム教のテロリストの動機と同じく天国へ行くための点稼ぎなのだ。それは無神論の私が記事を書く行為とは異なり、最も利己的な行為である」

 とかく日本人はボランティア活動を行う外国人を疑いもせず聖人視する傾向がある。特にノーベル平和賞受賞者となればなおさらだ。だが、人気ブログ『マイネ・ザッヘ』さんの記事「軽くなるノーベル賞」はこの平和賞の実態を見事に暴いている。そして日本の音楽雑誌では「社会派バンド」とかなり称賛されるロックバンドU2のボノも、「ボノは偽善者か?」の記事では、母国に税を拠出させながら己は税金逃れに勤しんでいた事実が浮かび上がるのは面白い。私も昨年ボノを非難した「日本を食い物にするロックスターたち」という記事を書いているが、ますます軽蔑に値する有名人だと感じさせられた。

 マスコミが大々的に取り上げる奉仕活動を行う著名人は、そのイメージを鵜呑みにしない方が賢明なのかもしれない。「公共への奉仕こそ、わが信条」と言ったのはアル・カポネだった。カポネは貧者への福祉活動もしており、それを好意的に報道したマスコミもあったという。

こうゆうことは、ネット上では人質事件発覚とほぼ同時に明らかになったんだけど、ほとんどのマスコミが報道しなかった。
サヨクマスコミにとっては、反体制の活動をする“いい人”にそんな汚点があっては困るからだ。
そして、このときにサヨクが仕向けた偏向報道によってダマされた人が、なんと多かったことか…。
もしネットがなければ、ぼくだってダマされていたかもしれない。

事件から半年がたち、元人質らはすでに活動を再開している。
ボランティアを名乗るなら、衣食住の生活費は自分自身の稼ぎのなかから賄え!
寄付金は「活動対象のためだけ」に使え!
会計報告で使途明細を明らかにしろ!
これができないと、やっぱ募金乞食なんだよ。

 四川地震も?
中国の女優章子怡(チャン・ツィイー)は張芸謀監督の映画「初恋のきた道」で青年教

師に思いを寄せる少女を演じ、鮮烈なデビューを飾りました

今では中国を代表する女優として活躍しています

そのチャン・ツィイーは四川省で大規模な地震が発生した際、カンヌ映画祭で涙ながら

に四川への支援を訴え、「お金は中国に持ち帰り赤十字に渡す」と寄付を募りました。

しかし、そうして集められたお金は中国赤十字に一銭も渡っていないと露見し、大騒ぎ

になっています
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=40012

記事によれば、中国の赤十字は海外で募金活動をした事実はなく、チャン・ツィイーに

募金の受け皿となる基金の設立を許可した経緯もない、との話です

では、集められたお金はどこへ消えたのでしょうか?

チャン・ツィイー側は基金の収支報告書を明らかにして疑惑を払拭すると説明していま

すが・・・

日本でもさまざまな団体が四川省地震の際に寄付を呼びかけました

しかし、現地の報道によればこうした寄付金が必ずしも被災者救援のために使われず、

地方政府の役人のポケットに消えてしまった、という話も出ています

中国では役人による公金横領が日常茶飯事ですから、四川省地震への義捐金の横領

があっても不思議ではありません

それにしてもどのような形で決着を見るのでしょうか?

事の発端はチャン・ツィイーが、「有名人になるといろいろ寄付金を請求され大変」と愚

痴をこぼしたのが始まりでした

彼女の発言がさまざまな批判を招き、「そういえば四川省の時に集めた寄付金は・・・」

と憶測が広がったのです

中国にはチャン・ツィイーのファンも大勢いますが、彼女の成功を快く思わない人も大勢

いるわけです

 スマトラ地震も?
【米国検事局】津波被害者を装い、寄付を集める韓国人詐欺師に気を付けて!

米国検事局は、9日(日本時間10日) 津波被害者基金を装い、韓国に有る韓国外換銀行(Korea Exchange Bank)に
送金するよう お願いするメールは詐欺なので、金は送らずメールをそのまま削除するよう発表した。


☆☆☆
 もう63年も生きると山というほど募金詐欺には騙されている。

 今日は、目黒雅叙園に行ったので、教会が近いので寄金しようと思ったが、どうしても足がそちらに向かなかった。

 若い日の私は(20代)、とにかくバイトバイトで一生懸命働き、絵を描き、年に1回か2回個展をしながら、貧しい衣服を着て旅行など行かず、お金をいつも寄金していた。宗派は問わずだったのでキリスト教にも仏教にもだ。

 ベトナムに医療器具を贈るとか、世界の学生と連結するとか、ありとあらゆる名目で寄付を募る集いは絶えることなく、とにかく八方善をするしかないと働きづめだった。

 組織の集まりにでると、豪華な食事を囲み宴会が開かれ、音頭をとる人間は有名人として平和運動家や知識人となって世に知られた。

 どこもここもおかしかった。

 私は自分のバイト代や絵が売れたお金を寄付していたが、寄付するお金を求める運動家が多く、きれいな着物を着て、世界大会に出向いていた。

 年をとるにつれて、純朴になれなくなってくる。

キリスト教も仏教も神道も同じように、騙してうまい汁を吸っている人が君臨していた。

☆自分の親や姑や主人やこどもとうまく行ってない人が説教するのだ。

「隣人を愛しなさい。」と。

そして、目立つパフォーマンスはアーティスト以上。

おいしい思いをしている人がいる一方、本当に苦しんでいる人には手を差し伸べる人もなく自殺も減らず貧困も減らず。

☆☆☆
 でも、どうかしら?
 神様は沈黙してられるかしら?
 そんなことはいつまでも続くのかしら?

☆☆☆
 私が確信できるのは、やはり因果応報の道があること。
 たとえ、受け取った方が詐欺師でも
 貧しい人のためにと吐き出した慈悲の人の心は天に呼応して報われると言うこと。

 「たかり」というのはたかった人の方が損なうのだ。
 
 たかられた人はまた働ける。

 たかった人は味をしめて、よそでまたする。もはや健全に働けなくなるだろう。

 わずかなお金のために。