December 30th, 2010

夜中の至福!!!

12月29日(水)雪
インターネットをしていると凄い雪だったので、早めに帰ろうと2時過ぎに帰りました。
それで、少し遅めのお昼です。
親子どんぶりです!

とにかく冷蔵庫の古いものを片づけなければいけないので、掃除をしていると蜜豆が出てきたので、夕食はお雑煮です。家でとれた椎茸と三つ葉とお餅。


☆山芋が立派なのが2本あったので、弟嫁に電話をしました。「好きですか?」「いただきます。」
と言うことなので、佐川便の用紙があったので電話をしたら、今日中に取りに行くとのことでしたが、
「柏原まで取りに来て下さい。」と言う。「それなら、ヤマト運輸に頼みます。」と言ったら、「セブン・イレブンまで下りて来て下さい。」と言うので、5時なので暗かったけれど、雪が降っているのでかえって滑らないので、懐中電灯を持って降りて行きました。「いつもいくら払ってますか?」と訊くので、「1番安いのですよ。」と言ったら740円でした。都会っ子なので雪山は警戒しているのですが、地元の人でも車で坂を登るのは嫌なのですかね。

雪はしんしんと降って、別世界です!
アイリッシュの音楽を聴きながら、バスケットをしあげました!




なんとも、幸せな時間なんです。
それから読書でした。
これも自分にはタイムリーでした!
3時半ごろ寝ました。

内容紹介
知られざる、愛しき‘もの’に囲まれた暮らし
新しいフジタに会える! 日本人の美術家として初めて国際的な美術界と市場で成功を収めた藤田嗣治。彼はまた、当時の男性には珍しく、身のまわりのものをことごとく手づくりし、暮らしを彩った、生活の芸術家でもありました。裁縫、大工仕事、ドールハウス、写真、旅先で収集したエキゾチックな品々……。 本書では、絵画作品にも描かれた、藤田がこよなく愛したものたちに焦点を絞り、そのプライベートな非売品の創作世界を解きあかします。本邦初公開の藤田撮影の写真、スクラップブックなど貴重な図版多数をカラーで掲載。ここに現代美術の先駆者としての藤田嗣治が、蘇ります。
内容(「BOOK」データベースより)
日本人の美術家として初めて国際的な美術界と市場で成功を収めた藤田嗣治。彼はまた、当時の男性には珍しく、身のまわりのものをことごとく手づくりし、暮らしを彩った、生活の芸術家でもありました。裁縫、大工仕事、ドールハウス、写真、旅先で収集したエキゾティックな品々…。本書では絵画作品にも描かれた、藤田がこよなく愛したものたちに焦点を絞り、そのプライベートな非売品の創作世界を解きあかします。本邦初公開の藤田撮影の写真、スクラップブックなど、貴重な図版多数をカラーで掲載。ここに現代美術の先駆者としての藤田嗣治が、蘇ります。
著者について
林 洋子(はやし ようこ)

一九六五年、京都市生まれ。京都造形芸術大学准教授。東京大学文学部卒業、同大学院、パリ第一大学博士課程修了。東京都現代美術館学芸員を経て現職。博士(パリ第一大学)。専門は美術史、美術評論。著書『藤田嗣治 作品をひらく──旅・手仕事・日本』(名古屋大学出版会、二〇〇八)で第三〇回サントリー学芸賞、第二六回渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン ジャパン特別賞他を受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
林 洋子
1965年、京都市生まれ。京都造形芸術大学准教授。東京大学文学部卒業、同大学院、パリ第一大学博士課程修了。東京都現代美術館学芸員を経て現職。博士 (パリ第一大学)。専門は美術史、美術評論。著書『藤田嗣治 作品をひらく―旅・手仕事・日本』(名古屋大学出版会、2008)で、第三〇回サントリー学芸賞、第二六回渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトンジャパン特別賞ほかを受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

神山コテージの大掃除を終えて!

12月30日(木)
朝もお雑煮!味を濃い目にして三葉を全部いれました!

朝は8時半ごろ起きたのですが、扉を開けるときれいでしたよ!

シーツをマトリョーシカ柄に交換です!フィンランド製で枕カバーと布団のコンフォードだけだったので、シーツは持っている薄い草緑の無地にしました!



かわいいでしょう?これはアイロンかけて定着するアップリケです。この間、渋谷の下着ショップで買いました。今度来るときに、作品を作るようにお皿に載せておきます!




お迎えのタクシーです!






黒姫駅です。

特上てんぷらそば480円+容器代!

長野でオーダーした額ができてました!

善光寺南門で降ります!

お味噌屋さんを曲がって!

フラット・ファイルさんです。




お久しぶりで観た自分の絵だったんですけど、いい感じに額が仕上がってました。
長野駅までバンで運んでくれました。

 新幹線までカートと額を運んで、混んでいたのですが座れて2時59分でしたっけ?出発しました。
可愛い赤ちゃんを連れたフランス人の家族がいて、フランス語が聴こえてきたので思わず、「フランスの方ですか?」って訊いてしまいました。「ええ、そうです。」若いママのお母さんでしょうか?おばあちゃんが答えました。

 それから藤田の本のつづきを読んでました。

 この人は私と似ていると思いました。
生活や小物や衣服が全部アートなんですよね。
そして、自分の家のものを作る。ミシンも操れて、奥様の衣服まで縫ったという。凄いのはカーテンなど染めたと言うのです。それにドールハウスを作ったり、人形の衣服も作ったり。
とても素敵で、最後の家は残っていて、フランスで観られるようになっているらしい。行きたいな!

 フジタは私と同じ63歳のときに日本を出て、もう2度と帰らなかった。
日本の画壇が彼の国際的な成功をねたんで住めなくしていったのでした。
ずいぶん孤独だったらしい。でも彼の日記や奥様の思い出を読むと凄くやさしいいい人。

☆フランス人のファミリーは子供がたくさんいて、6、7人だったのですが、「彼女がフランス語を話せるから。」とお父さん(おじいさんかも)が、「この電車は東京に何時に着くのですか?」と訊いてきた。
「4時半です。」となんとなく勘で答えたら、本当に4時半に着いた。
それから30分ほどたって、奥様が「東京駅から新宿に行きたいのだけど。」とガイド・ブックを持って訊ねてきた。「東京駅から山手線で池袋や新宿方面に乗ります。グリーンのラインです。」とガイドブックに書いた。彼らはパリではなくてベルギーの近くの北フランスに住んでるそうだ。「藤田は知ってる?」と本を見せたら、フランス語で書かれているところを声で出して読んでいたが、知らないようだった。
「英語は話せますか?」「子供たちなら。」やはり、おじいさん、おばあさんだったようだ。でもこんなに小さな生まれたてのような赤ん坊を連れて日本旅行と言うのはやはりフランス人なんだろう。

 私は最初、この赤ちゃんと仲良しで、前の席だったので、赤ちゃんとサインを送りあいながら楽しくやっていたのだ。

 行きたい!
 パリ!
 来年はいってやる!

☆家に帰ってきたら、娘も主人も留守だった。
そして、いじめで死んだ記事のある週刊誌がベッドのサイドテーブルにあったので読んだ。

 藤田のこともそうだけど、苛めって怖い。
 どうして、ここまで卑劣になるのだろう?

 平和と言う教会の絵を描いて死んだ藤田。
奥さんが一生困らないように絵をたくさん描いて死んだ。
心きれいなやさしい、優れた人がなぜ国を捨てるほどのいじめにあったのだろう?

14年前にいじめを苦に自殺したこどもがいる!!!!!

 週刊誌で観た記事はこれ!

細かいところは、ここで観れます↓
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number/960122.html#top

☆【概要】
 1996/1/22 福岡県三瀦(みずま)郡の城島町立城島中学校の大沢秀猛くん(中3・15)が、家族が当時働いていた工場が見える場所にある水田地帯の水門で、午後9時頃、首吊り自殺。

 入学式当日、秀猛くんはAから一方的に暴力を受け、それに反抗できなかったことから、Aのいじめの標的になり、学校の教室内や廊下等で暴力を奮われたり、用事を言いつけられるようになった。

 小学校時代過ごした大分県の郡部地方と福岡県の筑後地方では方言が違い、言葉遣いを真似て馬鹿にされることがあった。大沢家が家具製造の家業で外国人を雇っていたことから馬鹿にされていた。弱い男という意味で、「ヘボ」とか「ホモ」などと呼ばれた。

 殴る蹴るの暴力が日常茶飯事にあり、ほかにも、壁に身体をぶつけられたり、部活中にボールを故意に蹴りつけられたりした。

 1995/10 遺書にある「つよい人」に、スーパーファミコンを貸した。以降、約12回合計30万円を超える金額を脅し取られた。金を持ってこないと「腕を折る」と言われ、秀猛くんは家人から盗った金を渡していた。3年生時には、持病のぜんそくの治療代も病院に行かず、加害生徒に手渡していた。

 中学1年生の5月に実施された家庭訪問の際、秀猛くんは担任教師に、「いじめられている」と泣きながら訴えた。その場にいた母親が秀猛くんに、どういうことか尋ねたが返事がなく、担任に確かめたところ、教師は「何人かの生徒と行き違いがあります。その中の一人の生徒が小学校の延長のようなガキ大将の子でした。秀猛くんにもそのようなところがあります。しばらくすると中学生の自覚ができ、仲良くやっていけるでしょう。」と答えた。

 お通夜の席で遺書を公開するが、校長は「いじめはぜんぜんありませんでした」と発表。

 両親が生徒10数人から聞き取りをした結果、「先生に何度もいじめを報告したが、相手にされなかった」という証言がでる。

【遺言】
 お父さん、お母さん、ごめんなさい。

 僕がこの町にきて中1の初めの日にA君に後ろからつつかれたり蹴らされたりされて、ついおこって「いいかげんにしろ」と言った。そしたら泣かされた。その日からずっと一年間泣かされつづけた。何回か先生に言ったらAもおこったが、僕は口が悪いと言われた。そして、2年になって、口の悪いやつがいて、そいつがいってもないことをいつもB君に言いつけ、なぐられつづけた。

 3年になり一学期はなにもおこらなかったので、ことしはなにもないだろうと思っていたら、二学期の初めの日にC君に、つよい人がおまえに「スーパーファミコンをもってこい」と言ったといってきた。初めはにげまわっていたが、スーパーファミコンぐらいいいと思い、わたした。そしてこんどが、お金をようきゅうされ、初めは、わたさなかったが、「うでをおるぞ」と言われてわたしてしまった。そしてずっとお金をとられつづけている。いま30万円ぐらいとられているし、またお金をようきゅうされた。しかし、そのお金がないので死にます。

★遺書に名指された子供は30歳になったと言う。
親はその後の青年たちを足取りをすると、学校側が「子供の喧嘩」にしてしまい、その加害者は自分は悪くないと言っているという。

 人が死んでいて、これだけのお金を取り立てておいて、自分たちは悪くないと言う指導をする教育機関とは何か?

★★★
子供社会は大人社会の縮図。
この子供にあったことは全世界にたくさんあることだ。

母親は知っていたら、命に代えても子を守ったと言う。
父親や母親にバッシングする世の中。

それにも堪えて、大澤さんの父親は「NPO法人 いじめ被害者の会」を主催している。

★★★★★
この加害者たちのお金の要求の仕方は恐ろしい。
しかし、私は「まさか!」とは思わない。
実に大人社会がこうして成り立っているからだ。

私は孤独に耐えることがいや出ないので、この種の人からは去ることができた。
しかし、この種の人は罪悪感などないように見える。

そうして、不思議なほど、加害者は責められない。

大人でも理不尽なお金の請求で儲けた人を褒める人までいる始末。
「うまくやったね。」

だから、中学生がまねするのだ。
おとなしそうな同級生を狙って「腕を折る。」とか平気で言うには普通の堅気の世界ではありえない。

教師はそんなことをよく言わせておくものだ。
死んだ親の気持ちや無念さを、どうして汲みとれないのか?

そんな子供を育てている教育者は教育者をやめるべきだ。

辛い迫害にも堪えて、闘っている両親は偉い。
あなたたちの頑張りで、いじめっ子たちが生きられなくなればいい。
人をいじめて生きれることはないのだ。
それは命を絶つことではない。
いじめをやめること。