February 14th, 2011

聖バレンタインの日に!愛をこめて!


 昨日の晩、黒姫から帰りました。
 
 雪が深く、タクシーも山まで来れないので、坂を書類の入った(紙は本当に重いです)カートと生もの(卵、トマト、きゅうり)の入ったバッグと杖を持って、雪の降る中を転ばないように降りてきましたが、また、バスを逃して1時間半ほど待たないと次のバスが来ないので、セブン・イレブンでタクシーに電話をしてきてもらいました。

 雪国は過酷です。

☆☆☆
 いくつかのメールや電話をいただいて、少し勘違いをされているのではないかと思って、書かねばならないことを書きます。

1、私は普通の家族がいて(主人、子供)、さらに両親と姑(歩くのが困難になり、車で送り迎えが必要です)がいます。自分の人生の優先順位はここにあります。

2、私の仕事は主婦、母親、絵であって、宗教家でも福祉家でもないです。
 人間として、多少困った方の話を聞いたりはしますが、それは職業ではないのです。

3、絵の仕事に関しては、学校だけでも日本4年、アメリカ4年+1年通っていて、それなりのお金をかけていますので、趣味ではありません。かなり高度の専門教育を受けてます。

4、自分のできることはなるべく自分でします。他人の労力を当てにする場合は、それなりの報酬を与えたいと思ってます。ですから、あまりだらだらと曖昧な生き方は原則としては好きではありません。

 私自身、ボランティアをしますが、その場合は全く何も得たいとは思ってません。恩に着せることもなければ大きく宣伝することもしたくないです。

5、一番嫌いなことは、インチキなことです。セクハラは大嫌いです。
 例えば、この間もO美術館で家が近いので、ボランティア受付をしましたが、本を売ってもいいと言われたので、なるべく他人に迷惑をかけたくなかったのとDVDが放映することができるようになり、感謝の気持ちで多少の労働をしたわけですが、会期中セクハラ発言を企画者からされて、ボランティアをしたことが慣れなれしい発言を許したことを反省させられました。
 その後、葉書が来て「今度、O美術館の会場を借りるときは品川住民の縷衣香さんの名を借りて、割引(10万円ほど安くなるらしいのです)料金で会場を借りたいのでよろしく」とありました。
 このセクハラ発言の品格の無さで、お断りましす。私のブログを読まれた方は私が善意で協力する予定だったことを読まれたと思います。

6、私はかなり過酷な日々を送ってます。今、睡眠は4時間です。申し訳ないですけど、お茶したりだべったりの時間は無いです。黒姫の方には事情を説明してます。どうしてもやらなければならない仕事があるからです。
 電話をいただけばこちらから返しますが、実に1時間も2時間も話して(終わりのない相談が多い)、携帯代の負担が凄いことになって驚きます。暇つぶしに電話をくださるようです。こちらは忙しいので、ご遠慮ください。

7、連合赤軍、浅間山荘事件で名を残した革命家の永田洋子が病死しました。65歳でした。
 彼女が最初、他人の幸福のために志したユートピアが、最後には仲間内を殺人して逮捕されたのです。
 昭和22年生まれの63歳の私は、同時代ですから彼女のことは気になってました。
 そうして、「始めは革命が成功すると思った。」という永田洋子の発言を知って、動機がよくても方法が悪いとここまでいくという実例に胸を痛めたものです。

 ☆私は絵描きです。
 30歳まででも10回は個展しましたね。

 今、反省をして、失敗と思えることがあります。
 30歳前でしたが、政木和三大阪大学工学博士(検索すると大阪大の工学博士では詐称になるようです)から原稿が200枚ほど送られてきて「出版社を探して欲しい。」とあり、当時季刊「地球ロマン誌」の編集長の竹田洋一さんに、お訊ねしたら、「たま出版くらいしかないだろう。」と言うことで、面識のない「たま出版」に持ち込んだことから、間違いが始まったのでした。

 その時に、政木工学博士から「前世、あなたとは深い仲があったようです。」と手紙があり実に嫌な気がしました。もう、すでにおじいちゃんといわれる年齢でしたよ。

 そうして、30歳前後の年齢の私は絵描きですから、恋愛相手にいいと思われたのかもしれませんが、ホテルに誘われることもありました。無視したら、すねて「ふ~ん。ふ~ん。」と言ってましたが、本人は出版してから「小川宏ショ―」に出たり、西武の堤社長が50万円持って家に来たと言って有頂天でしたから、これ以上の被害はなかったです。奥さんも「縷衣香さん、気をつけてくださいよ、うちのは悪いんですから。」と言ってました。私は戴きものの風呂敷(桜の花のミシン刺繍のあるもの)以上のものは謝礼として受け取ってません。政木工学博士は最後には詐欺事件を起こされて、亡くなられたようです。

 次にたま出版の瓜谷社長ですが、この方もホテルに誘いましたが、やはり無視しました。
この方は東大出ですから、プライドが高いからでしょうか、その時は気がつかなかったのですが、私を困らしてやろうと復讐をし始めたのでした。

 その復讐が、勝手に私の電話番号を迷惑をかけそうな人に教え私の家にかけさせてくることでした。
女の方からは1度も電話が無くて、全部、男の独身の方からでした。それも障害者や学生や何か問題を抱えている方たちばかりからでした。

 当時、瓜谷社長は2度倒産していたそうです。(後で知ったことですが)それで、当時のたま出版は大変貧しくて、奥さんも紺色の事務服を着て働かれていて、純情の私は「ご苦労されているな。何とかして経営事情が良くなるようにお手伝いしよう。」とボランティアの気持ちで、売れ筋の本の紹介をしました。竹内てるよさんのことも女性週刊誌から知って、「この方は本物ですよ。」と言ったりして、今もよく売れてるようです。

 その瓜谷社長が電話をかけさせた男性の縁で「浄化塾」を始めたのですが、その中のS君が私に、
「前世、縷衣香さんは自分の姉だったのに、弟の世話をせずに自分だけさっさと家を出たので、今世は自分の世話をするカルマがあるから、自分のために働かねばならない。」と言ったのでした。
実に嫌な気がしました。「そういう卑劣なことは言ってはならない。」と注意しましたが、わかったかどうか。

 白装束の千乃裕子と言う人も(パナ・ウエーブで世を湧かせた人です。すでに故人ですが)、「前世、あなたは自分の召使いだったから、今世も自分の下では働かなければならない。」と手紙が来てやはり嫌な気がしました。

 私は、そういうときに、本人にあってどういうレベルの人か見分けます。横暴な人で、喫茶店で冷房を止めさせてましたね。

 私はインチキが嫌い。そして、お金儲けや野心のために人を利用する人が嫌いです。

 瓜谷社長は「自分は金もうけのために霊的なものを扱っている。」と断言してました。使命や社会のためではなく。

 しかし、この霊的な世界には本物もいて、その言う人にも会える機会もあったのでした。

☆若かった私は情にほだされて、幸せに見えなかった若者たちのために「浄化塾」を始めました。
私が20歳のころは、自分の絵を磨くために倒れるほど頑張ってきたので、この学生が主な若い人たちは目的が無くて、霊的なことが好きだったので、何とか生きる意味を見出して頑張ってほしいと思ったのでした。

 しかし、私は間違っていたと思うのです。月に一万円で毎日。そして夕飯も無償で提供してましたが、うぬぼれさせてしまったようでした。私はボランティアだったのですがね。
S君は「脚光を浴びたい。」と言うのでした。「脚光など浴びても仕方がないではないか。」と注意したのですが、この青年たちは「自分たちは選ばれた人たちだ。」と言うので、「違うでしょ?」と言って、口を酸っぱく注意してましたが、いまだわかってないようです。

☆フランスに行くようになりました。絵描きがパリに行くと言うのは本場ですから夢と希望と覚悟で大変シリアスなものです。お金は親が送金してくれました。

 まさか!
 という感じでしたが、イギリスに行くはずの青年もスイスに行くはずの青年もパリにきてしまいました。
 少しにフランス語を習っていた私も大変なパリで、言葉も能力も能力がありそうもない大学生たちがパリに来てしまったのです。

 私が恐れていたのは、事故です。フランスに迷惑を書けないでほしいという気持ちでした。
また、荒んで何かとんでもないことをしないで欲しいという気持ちでした。

 それで、仕方なく「浄化塾」をはじめ、小さなアパートの部屋でしたが、行く場所もなかったので家に泊めてあげるようにしました。家賃はもらいました。仲間はずれになってしまったS君もパリの呼ぶようになったのです。

☆しかし、多少でも語学を勉強してきた私、日本ですでに『易カルタ』を出版したり万国共通であるカレンダーの1980年度の「豆本カレンダー」を出版していた私にフランス人が示す態度と学生たちに示す態度が違うのは当然のことで、また、親からの送金が無い彼らはパリの日本料理屋やスーパーで働いてましたから、ストレスも辛さも一杯あったと思います。

 ある風邪をひいて、40度の熱があるときに、浄化塾の大学生は私をアパートから追い出しました。
私のフランスにいた日本女性の友人がスーツケースを運ぶのを手伝ってくれてホテルに宿泊するようになりました。ホテルでは重症も風邪で毎日べッドに臥してました。

☆3,4日経って、帰ってきた私に階下に住むボザール(国立美術学校)の日本学生が、浄化塾の生徒をいさめて追い出したようで、スーツケースを持って帰ってきました。

 私は彼らのために聖母マリアの出現地を回ったと思うのです。
わたしひとりだったら、絵をやってデッサン教室に通ったりしていたと思います。

 彼らには聖母しか救いはないと思ったのでした。
しかし、一生彼らの世話をすることは不可能です。それで、2年弱で解散し、彼らを日本に帰してから自分はアメリカ経由で帰ってきました。

 彼らは22歳くらいだったのではないかしら?彼らは自分の体験を糧に幸せな人生を送っていると信じてました。

☆結婚して、アメリカに行って、25年ぶりに個展をすることになりました。
 ここが間違いだったのかもしれませんが、私が53歳くらいで彼らも43歳くらいで、幸せな家庭生活をおくっていると信じて、個展の案内状を出して銀座で再会しました。

 驚いたのは彼らは独身で、結婚していた人も最近離婚していたことでした。

 22歳のときに解散しているので、彼らの独身には責任は無いと思いますがこちらは絵の道をさらに深めて生きてきたので、あまり彼らのお相手をできないようになっているのでした。

 しかし、彼らが他県から東京に来るときは必ず時間を作って会ってましたし、年齢と同時に成長しているので良かったと思いました。

☆客観的には批判はたくさんありました。
「おひとよしね。」
「絵を描くことが使命なのだから、ほどほどに。」
「偉いわね。」

☆瓜谷社長は私がアメリカに行っている間にも倒産したそうです。それは映像作家の千絵ちゃんが教えてくれました。瓜谷さんはずるい人で、私にまたたま出版を無料で手伝って貰いたかったときに、自分で直接はいわないんですよ。カリエスで障害のある今井敦夫と言う方を使って言ってくるのです
障害者に私が優しいのを利用しているんです。

 でも、こちらもアメリカで母子家庭で毎日、生きていければよいという生活をしていたので、無理ですよね。無視しました。まして、ひどいことをたくさんしてきたのですから。謝りもせずね。甘え過ぎでしょう。

☆これから出かけます。
話には続きがあります。

結論を先に言うと、将来、昔の浄化塾生を世話する義務は無いということです。
今からでも遅くないです。孤独を感じるときには世の中には独身のいい女性がたくさんいます。結婚されたらいいですよ。

 私は絵は仕事ですが、世話は仕事では無いです。

 まして、人妻ですから、異性には仕事以外は付き合わないです。現実の介護で自分の家の人の世話で大変なのです。

 つづく

☆夜の8時半に帰ってきました。
 父の家にバレンタインの饅頭を持っていったのです。
 
 1時半から日生劇場で「怪傑ゾロ」をZORROを観てきましたV6の坂本昌行くんのゾロ、芋洗坂係長のガルシア軍曹、ジプシーのダンスを踊るすスペインの舞踏家6人など、楽しかったです。

 父の創立した会社ビルが解体されていたので、びっくりしてバレンタイン和菓子を買って実家に行ったのでした。その前に、運だめしにスクラッチ・宝くじを5枚買いました。5枚で1000円です。
バレンタイン賞というのが当たって、1000円ゲットに200円の花マークが3つあってのが当たっていて、200円と言えども黒字でした。

☆さて、つづきです。
 私の家族では実家でも婚家でも、各自が独立していてあまり寄りかかるのをよしとしません。
 それで、私は自分の絵のために家のそばのマンションを始めは16万2000円で5年くらい借りて、次に8万3000円を1年半くらい借りたのでした。もちろん、自分で家賃や光熱費を支払ってました。

 絵はお金にするのが目的ではありませんが、油絵の匂いが嫌いで漆にかぶれた主人に迷惑をかけないためで、そのためにマンションを借りたのでした。お稽古教室をしたり、バスケットや陶芸を売って家賃を支払う努力をしてました。

 仕事はプロですから、厳しいものです。
 絵の仕事のプロは、互いに干渉をしたりはしないものです。
 学生にだって、普通は「何を表現したかったの?」と訊くことはあっても、「こうしたらいい。」とかは言わないものです。それは互いのやりたいことを尊重しているからです。私の学んだアメリカの美術学校では成績すらつけなかったです。それは非常に賢いあり方だと思います。過去に認められなかった画家が時代が変わって高い評価が出ることがたくさんあるからです。

 最近、S君は私の作品に対して、こうしたらいいという提案をメールでしてきました。
S君はアーティストではないですし、それほど干渉できるような付き合いを私はしてません。

 私は仕事にだらだらとするのが嫌いなのです。
 私は雑談しながらや、他人と一緒に仕事をするのが好きでないのです。

 私のコテージは別荘では無いです。仕事場です。

 今は、100号のキャンバスを1年半も乾燥するのに時間のかかるテーブルに横に置いていて、食事するテーブルが無くなり、ひざの上で食べ物を置いて食事をしています。

 ですから、どなたも家にお呼びしてお茶したり食事を提供することができなくなりました。

 確かに、山も湖も美しいので来てくださったら、楽しめるとは思いますが、観光を企画しているわけではないのですので、個人でどうぞとしか言えません。

 それを冷たいと思いますか?

☆アートの世界は厳しくて、自殺者も病死者も続j出している世界ですが、ほとんどの画家は血を流すような努力をして精神を病んでも名を残さずに死んでいくのです。

 それでも本望と思える人しか画家はやっていけないかもしれませんね。

 ですから、私は自分の甘さを反省し、恥ずかしく思ってます。
 キャラクターを変えます。

 せっかく家族も実家も理解して多少の不自由を忍んで、黒姫でアートに従事できるのです。
 それを、いい加減な気持ちで、他人の時間や労力を損なうことは、お断りします。

 私も結果を何も期待しているわけではないのですが、まだ本気で力を出して無かった気がしてます。
最も大事な30代の始めを邪魔されたわけですから、これ以上の介入をきっぱりお断りします。

 本当にいい人間関係は、親しき仲にも礼儀ありだと思います。
 私が友人と思っている方たちは、みな、互いの迷惑をかけないように気を使ってます。
 そう言う方たちは、黙って見守ってくださってます。
 少しでもいい仕事ができるようjに、謹んで見守ってくださってます。

 そう、あってほしいと思います。

☆この1週間、黒姫コテージで2001年前に制作した「棺桶」セラミックを全部開けて、チェックしてました。キャンバス地の箱に20数箱に分けて入ってましたが、コテージの2階の小さな部屋の額入りの絵のうしろにあったので、出すのに、2階の図書部屋まで額を積まねばならなくて、今は人も入れぬ状態になってます。

 この棺桶作品を丁寧に綿でくるんで一つずつ片付けてくれたアメリカの青年には手を合わす感謝の気持ちがこみ上げてきました。

 アメリカから船便で送られて、東京の家に送られて1回目はマンションの407号室、2度目は204号室、そして、そこから長野コテージにと4回も引っ越してます。

 黒姫にも最後に東京に残していた大きな華奢なものは、全部手で運んでいるのです。喫茶「しなの」のたかし君が手伝って持ってくれようとするのですが、「これはフラジルな作品なので、壊れやすいので東京から手運びで持ってきてるわけです。ですから、他人には持たせないのです。」と断っているくらいです。

 それでも、大きな作品はずいぶん壊れていたのでした。木端微塵に近いものもあって、修復中ですが不可能なものもあるのです。再制作のために粘土を買って黒姫に送らねばなりません。

 そのために「棺桶」サイズの粘土が入れる電気窯を買ったあるくらいです。1階のデッキの上に電気窯、電気ろくろ、研磨機をプチ・スタジオから運んであります。

☆このちいさな棺桶のサイズは100個すべて微妙に違うのです。それを測って、名前を英文で探しナンバーを振るだけで1週間かかったと言っていいでしょう。

 皆様が多分想像なさるよりは大変な仕事で、ご飯はセブン・イレブンのおにぎりで済まし、5分くらいでお茶を澄まし、仕事に従事しても4時間しか眠る時間は無かったです。




 ひとつづつ写真を撮影して、古い経歴の書類から英文の棺桶の名前を探し確認します。物差しで高さ、幅、深さも測り上からの形の図面をコピーします。結構手間がかかり、陶でできた棺桶は実に重いのです。
 キャンバス地の箱にナンバーと名前を確認して入れ直して、外からも何が入っているかわかるようにして片づけました。薪を全部玄関の近くに置き替えて1階の食事カウンターの前に揃えて積みました。


 ところ狭しと、絵の具の補修や壊れた補修のものやペインティングに必要なボタン・ビーズ類があります。
 今回はベッドもほとんどきちんと寝てなかったので、シーツ換えもしなかったです。

 撮影も雪の中ですから、ストーブの上で乾かしますが、熱くなってやけどをすることも。


 自分も10年ぶりで全作品を見たのですが、よくない作品も多いのです。
これは、やりなおさないと!

☆そういうわけで、蚊帳の下に並べると言うことを提案してきたようですが、不可能です。
そんなに簡単に100個並べられないです。

 壊れやすいので、私が自分で並べるしか安全でないのです。

 アメリカから送って来た時に壊れた作品には保険が適用されましたが、あまりにも多くてたかっているように見えるのが嫌だったので、少しにしましたが、それでも別の相撲屏風の陶板などは1000ドルの値がつけられていたので、日本円で10万円以上支払われたのでした。怖いでしょう?そんなお金を請求されたら。

☆そういうことで、自分の作品管理は全部自分でしているのです。保険で多少支払われたとしても2度とできない作品は多いのです。それは、お金では変えられません。

 そんなわけでお互いに不愉快な思いをしないように、他人には触らせないようにしてます。
 ご理解ください。

☆2月13日に雪の降る中を黒姫から帰り、長野駅でカートをコインロッカーに入れて、西原理恵子さんの「毎日かあさん」の映画を観ました。1時55分からでした。
 世界中のどこの女もしている仕事をして子供を育てると言うお母さんの話です。ご主人は報道カメラ万でアル中のために離婚されたのでしたが、癌になって最後を家族で迎えて自宅介護されます。
西原さんって本当にすごい人ですね。

 私もそうでしたよ。お母さんの部分は。

 それから善光寺のライトアップの最後の日でしたので参拝して、夕方になるのを待ちました。
 買ったお守りは「花咲守 水仙」です。
「雪中に凛と咲く水仙のように、勇気に満ちて夢を実現されますように」
 とありました。
 今の私にぴったりですね。


☆黒姫に行く前には「ソーシャル・ネットワーク」の映画を観ました。
 本も買って読み始めましたが、10分の1しか読んでません。

 素敵な主人公でしたよ。
 ハーバート大学が舞台だったので、7年間ボストンのこのアリアでうろちょろしていた私には懐かしくて良かったです。

 本を読んで、主人公の「フェイス・ブック」の制作者の出た高校がフィリップス・エクセター・アカデミーと言うことを知って「かなわないな。」と思いました。「ダヴィンチ・コード」の作者も出身校もここ。
娘がサマースクールで毎年、隣のニューハンプシャー州に通っていたので、この高校はよく知っているのです。

 彼はずいぶん多くの外国語を話せて、あまりにも立派な成績を持ってハーバード大学に入学し、中退しているのですね。

 実物の写真の彼は晴れ晴れとしていて、健康な裕福なユダヤの家庭の育ったことを知りました。

 私は日本の雑誌などもよく読んだのですが、本当に外国の学生よりやる気の無さが目立って活力が失せているそうです。

 私は頭のいい人は大好きです。

 私自身は正規の学生では無くて、聴講と言う感じでハーバードで学べたのにすぎませんが、本当に楽しかったです。のびのびとさせられるんです。学生もそもそも優秀なうえに教授がさらに優秀なので、天才的な人がたくさん生まれるんですね。羨ましいです。

 頭のいい人って、いい人が多いんですよ。
 オバマ大統領もハーバード大学でしたが、貧しい人たちや弱い人たちにボランティアしてましたよね。
ハーバード大学に入るには成績だけではだめで、ボランティア歴が具体的に要るようです。

 皆、自立して,食堂でも本を読みながら一人で黙々と食事をしている人がほとんどでした。

 どちらがいいというわけでもないですけど、美術館大学の方は群れてましたね。それは、私はあわなかったです。私は昔から、一人が好きです。家では主人もそうですね。

☆彼の作った「フェイス・ブック」は世界中に広がっていて、エジプトの大学生が現体制を打開しようと呼びかけて、随分多くの(昨日のテレビで350人以上)の死者が出たのでした。

 まるで神の福音のような「フェイス・ブック」です。真実をインターネットのYOUチューブなどで流して知ることができるので、多くの中近東の国の若者が決起しているようです。

 何か大きな大きな時代の必然を感じました。

☆今の日本は皇室、歌舞伎、相撲など日本の大事な部分がおかしくなっているようですね。
 ですから、今、とても大事だと思いますよ。日本人は頑張らないと国が滅びてしまいます。

 どうでしょう?
 互いを尊重して、なるべく迷惑かけず、それぞれ頑張りましょう。
 それで十分ですよ。

☆☆☆☆☆深夜ですが、S君からのメールが来てました。

縷衣香 様
 
 ブログを拝見しました。

先日、不用意なメールをお送りし、不快にさせてしまいお詫びいたします。

ご迷惑をかけないようにと常に心がけていたのですが、自分の愚かさから、ずいぶんルイコさんにいやな思いをさせていたようです。

依存しない自立した人間としてお会いしていたつもりでしたが、申し訳ありませんでした。

今後は、こちらから連絡をいたしません。(よろしければ年賀状だけは出させて下さい)

神という支えを下さったことに深く感謝いたしております。

幸せをお祈りいたしております。


☆神様の支えは私がさし上げたとは思えませんけれど。
私は辛口なので、良きセイント・バレンタイン・デーの贈り物になったら嬉しいです。
頑張ってね。