March 28th, 2011

京都から名古屋へ!

 3時間ほど眠って、洗濯のため1階に降りたのですが赤ちゃんのいる若いお母さんが先に使ってました。それで、いつも使う「じゃぶじゃぶランド」へ。地元のお母さんが優しくて「ここの埃を取るのよ。」と
洗濯機からとってくれました。仕上がるまで38分。
その足でローソンに行きます。ローソンで水ボトルとティッシュ―・ペーパーやトイレット・ペーパーを1つづつ買って、たらこのおにぎりとお茶ボトルでローソンのテーブルで朝食しながら、新聞を読む。
ヤマト運輸まで行って、京都のお菓子や読んでしまった週刊誌などをいつものように、12号の段ボールに入れて東京まで送りました。姑と主人で使ってくれれば。
 帰ってきて、乾燥機に入れ替えてコイン絵お入れて可動させてから。ヤマトで買った段ボールを持ってInnに帰ります。記念にエレベーター中の写真を撮る。



 エレベーターの中で乳児を連れた若いお母さん2人に会いました。千葉から来たそうです。
「じゃぶじゃぶ」でも、地元のお母さんが「皆、避難来てるね。疎開だったら、私の家でも預かるよ。」と言っていたっけ。

 子供たちを守りたい。
チェルノブイリよりいつも医療支援雑誌が届くので被爆の恐ろしさは知っているつもり。
もっと、前に自主退去すべきだったのに。

 娘も段ボールに衣類など詰めて、ヤマト運輸にInnから出してもらうことにしました。
 既定通りに10時半にチェック・アウトをして京都駅に。そして、そのまま名古屋まで。
 今日は天気のいい日です。テレビでは名古屋は桜が開花したとか。

 名古屋に着いたのは12時ころ。そのまま駅の高島屋の12階でお昼となりました。
どこも行列ですが、「名古屋マハラジャ」に決めてインド料理にしました。



私はシ―・フードでしたがおいしかったです。グァバ・ジュースにナツメの口直し。

下の三省堂で本を見ました。娘は本に飢えていたそうで私はエレベーターの前でずいぶん待って増したが、仲良くホテルまで。今日はシングルを2つにしました。割引で1人5500円です。


☆11階の部屋で、テレビを観ながら休んでいるところ。
被災状況と放射能情報が主です。
アメリカ人は援助が上手ですね。とてもやり方がスマートです。
昨晩のテレビで、神戸で被災された方が「ボランティアが迷惑などと思ったことは1度もない。ありがたかったです。」と言ってましたが、なんだか心とかみ合わない政府のやり方にいらいら。

娘と名古屋。私の郷里は名古屋です。

 娘は先に出かけて、私たちは別々行動でした。
 名古屋城の桜が咲いたと言う情報があったので、名古屋城へ。

 金の鯱鉾。そしてその横に東北関東地震の募金箱が!入れましたよ。拝観料ぐらい。

 桜のように見えました桃色の木は杏の樹でした。

 尾張名古屋は城で持つ!
 「名古屋に来たなら寄ってみな。金の鯱鉾 銀の鈴だったかな?」

 晴れた日でした。


 お城の中で、2階でしたが娘に遭遇!それで、これからは一緒に!
 夕焼けもきれいです・名古屋城は第2次世界大戦のとき、空爆で炎上したのでした。


 「テレビ塔に昇りたい。」と言うので名古屋タワ―まで。

 娘が昇っている間、私はその前の喫茶「ハーブ」でお茶をしてました。


 「季節のダージリン」に、「苺のミルフィ―ユ。」

 読んでいたのは西村堅太。そう言えば高島屋にあった本屋さんの棚で、芥川賞の「苦役列車」は9位のベストセラーでした。

 名古屋の女性は10000円が1000円感覚とタクシーさんが言っていたけど、お茶もケーキも東京の2倍でした。娘が帰ってきて、夕食もここで済ますことになり「桜エビと青豆のスパ」を頼んだのですが、
こちらの方は安かったです。普通の値段でした。



 私たちはお店の東北関東地震の寄付箱にそれぞれお金を入れました。ちょびちょびですから。
そして、栄町から伏見、伏見から丸の内と歩き、コンビニで週刊誌など買って、歩道橋を渡ったら「東急In」が見えました。

 そうですね。ホテル代は3割引きなので、その差額はまとめてドカンと赤十字に送りましょう。
5日分です。娘を失った方も母親を失った方もいらっしゃるでしょうね。お互いの欠点が気になりながらも、いてくれてありがとうです。

 「易経」の勉強はちゃんとしていて、結構質問してきます。
それぞれのできることって違うかもしれないけれど、いつかは同じところに行くのでしょう。



ブランド・ショップを覗いたり、観覧車を見上げたり。
娘と一緒というのは、やはりありがたい。