May 17th, 2011

久しぶりによく寝た!

 昨日はあまりにも疲れていて、パジャマに着替え歯を磨き、顔を洗ったもののお風呂にも入らず、朝7時まで寝てしまった!

 7時間も寝たのは、久しぶりだ!

☆下に降りて来たら、主人から「今日のお予定は?」と訊かれたので、「ナンテール・モーツアルトを観る!」とインターネットで検索しながら答えると「観た!観た!」と言う。「文化村だよ。」

「それと、大掃除!家のスリム化!シスターたちのバザーに送れるので段ボールに入れる。」
と答えた。

☆昨日、テレサさんの家で2時から6時半までいて、いろいろ話した。
 
 45歳のきれいな娘さんが、「父から月5万円のお小遣いをもらっていた大学時代に、安易に入ってきたお金なので、こんなにつまらないブランド・バッグをたくさん買ったのだと思う。」

 「私は時代が違うけど5000円だった。アルバイトで絵の具を買っていたのでブランド・バッグは買ったこともないけど、母が戦時中に女学生だったので物質を揃えることが好きで、いろいろなアクセサリーやバッグをくれた。」

 「使わなかったバッグは空しいだけ。査定で7万円くらいにはなると思ったのに、ブランド未使用バッグが1箱0円なんて!シスターにそのままバザー用に送るけど。20万円もしたバッグがどん奈値段をつけられているのか見るのは辛い。」

 「本当に二束三文よね。」

 「父の葬式代や借金など払って納得いかなかったけれど、今、月5万円貰っていたことを思い出して、ようやく納得がいけた。」

「きれいに0になるようになっているんでしょうね。」と私。

☆泡銭とはよく言ったものだ。
 働かないで、入ってきたお金は身につかない。

 私のは母は、ブランド大好き人間だったが、私の絵のために1円すら出さないのは哲学だった。
 
 それで、学生時代からアルバイトをして、絵の具代を出して、社会に出てからも自分でためたお金で個展準備をして、何とか売れる努力をしたものだった。

 周りには親懸かりで、個展のために100万円や200万円出してもらう家庭もあったが、羨ましいとは思ったこともなかった。

 貧しくても、自分で働いたお金で買った衣服を着て自立しているのは、すごく気持ちがよいことだった。

☆今日も、主人が出かけ先に「生活費振り込んでおいたからね!」と言った。
 娘のために、仙台や関西に行って旅費が出たので、生活費もしっかりと払ってくれないと困る。
 自分も楽しんだので、おいしい気もしますが!(うふふ)

 テレサさんのところは、テレサさんが泥くさい労働をたくさんして、生活を支えてくれたので、お嬢さんは「母は日本1の才能があったのに、栄光よりも生活を支える営業してダメにしてしまったので、おしいし、辛い。」と言う。

 ご主人は生活費を出さなかったけど、サラリーマンさんだったので遺族年金が入って来るので、今は助かると言う。

 「私だっって、誰も知らないけれど10代と20代は、1円も絵の具代をくれなかったので、泥臭い仕事をして生きてきたのよ。結婚した時は35歳で、もう泥臭い仕事をしなくて済んだ時だったので、貧しい主人の収入だったけど、主人に職業に貴賎なく働いて貰って、とにかく親の義務として娘のミルク代を稼ぐように考え方を改善してもらったのよ。」

 「ご主人が、今の地位にあるのは、もう凄い感謝することで、この業界ではブランドなのよ。」と娘さんは言う。

 「そうなの?それほどでもないと思うけど。私の娘にも言われるので、今日は帰ったら『ありがとう』と言っておこう。」

 「私は家事を怠って長野に行って絵を描いているわけではないのよ。主人が『長野に行け。』と言うので行くのよ。もし、勝手に長野に行くんだったら、こうして東京へ自由に帰ってきて、快くは家に帰れないはずよ。だから、神様が主人の口を通して、私に負い目なく使命を果たせているのよ。」

 「それは、うちもそうだわよ。」

☆私の家もテレサさんの家も、神様は母子に使命を働かせるために生まれる前より準備されたのだ。

 それで、テレさんの娘さんも英語も中国語もペラペラで、外国で勉強されて博士号を取得して、母親の神秘体験を学問的にも裏付けて、耳を傾けて貰えるように計らってくれている。

 私の娘も11年も外国で勉強しているのだが、小学校からなので過酷とも言える体験もたくさんしているのだ。

 「お召し出し」と言うのは、ありがたく嬉しいものだけど、神様は遊ばせるために召されるのではないので十字架の重さを思うと、不憫な気がする。

 親ができることは祈って支えることしかできない。

 テレサさんの祈りは強く、娘さんの職場の改善のために9日間の祈りをしたら、意地悪していた人たちが数人、職場を辞めて消えて行ったそうだ。

 使命を果たすために、神さまは強めるために大きな試練をたくさん送られるからだ。

☆マリア様とヨセフ様も、村の人からは「結婚前に子ができて、ふしだらだとか、みっともないとか、そしられたり嘲られたりしたでしょうね。使命を果たすって、そんな体験をするってことも含むなのよね。

 自分の子の代わりに同じ年齢の赤ん坊を殺されたのを知っていて、辛かったでしょうね

 「でも、シスターに言わせると33歳まで育てたイエスさまを磔刑で失うのと2歳で失ったのでは痛みが33歳で失う方が大きいと言うのよ。」とテレサ。

 「津波で目の前で、子が流れたり、母親が流れるのを体験すると言うのは、むごさの極みで神が要るのかと思うけれど、大きな再生のためのいけにえとなれば、大きな意味があるということなのね。」と私。

 「私たちは、再生側の使命なのよ。」と私。

 「正しい再生のために働く使命なのよ。そのために、いろいろな体験をさせられてきたのよ。」

東京も楽し!

 朝にお風呂に入って、洗濯掃除を済ませ11時10分からの「モーツアルトの姉」を観に行きました!

「哀しみの旅路 ナンネル・モーツアルト」
2010年/フランス/120分
配給:アルバトロス・フィルム

ヴォルフガング・モーツァルトにはマリア・アンナ・モーツァルト、愛称ナンネルという姉がいた。神童として、彼女もまた弟と一緒にヨーロッパ各地を回り、宮廷や音楽会では姉弟で演奏し賞賛を浴びていた。しかし弟がその驚くべき才能を開花させるにつれ、ナンネルは次第に彼の陰に追いやられていく・・・。3年にも及ぶ長いヨーロッパ演奏旅行の終わりに、ナンネルはヴェルサイユ宮殿でルイ15世の息子である王太子ルイ・フェルディナンに出会い、恋に落ちる。彼女の音楽の魅力に気づいた王太子に作曲を勧められ、音楽の才能をさらに磨いていくナンネル。しかし、女性が作曲をするなど、当時では許されないことだった・・・。
監督は、「夕映えの道」のレネ・フェレ。カミーユ・クローデルやアデル・ユーゴーのように、性別のために芸術的創作から遠ざけられてしまった女性ナンネルの苦悩と秘められた情熱を丁寧に、そしてエレガントに描き出す。

☆☆☆
マリア・アンナ・モーツァルト(Maria Anna Walburga Ignatia Mozart, 1751年7 月30日 - 1829年10月29日)は、愛称ナンネルまたはナンネルル(Nannerl、現代ドイツ語の発音は/ˈnanɐl/ナナール) で知られる、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの実姉。父親はレオポルト・モーツァルトで母親はアンナ・マリアである。

7歳のときに父親の手ほどきでクラヴィーア演奏を始める。当初は彼女も神童であるかに思われた。我が子の楽才を世に知らしめんとした父親に同伴されて、ウィーンやパリなどの都市を旅する。幼い頃には演奏旅行で、時に最高の俸給を稼ぎ出したように、傑出したチェンバロ奏者やピアニストとして認められていた。しかしながらついにナンネルの才能は、弟の陰に隠れるようになった。彼女自身も才能ある音楽家であったのだが、しばしば演奏旅行の合間に弟ヴォルフガングの伴奏役に回り、作曲家としても名を揚げることはできなかった。ヴォルフガングは数多くのピアノ曲、とりわけ連弾曲を作曲し、姉と二人で並んで演奏できるようにした。ヴォルフガングは姉ナンネルの才能を尊敬し、彼女ならウィーンで音楽教師として成功することができると確信していたにもかかわらず、彼女の有望な前途は実らなかった。

弟ヴォルフガングがある程度まで父親に反抗したのに対して、ナンネルはひとえに父親の監督を受け続けた。このため、また当時の女性観のために、レオポルトは弟を中心に考え、彼女は結婚するのが相応しいと見なしたのである。彼女は、自ら花婿候補を選んだが、父親に反対されて、父親の選んだ「立派な」相手こと富裕な判事、ヨハン・バプティスト・フランツ・フォン・ベルヒトルト・ツー・ゾネンブルクのもとに嫁いだ。それに加えて、弟の反抗や、コンスタンツェとの結婚は、姉弟の仲を引き裂いたかに思われた。
マリア・アンナ・モーツァルト(1785年頃)

父親の死後にモーツァルト姉弟は再び接触するようになったが、両者のやり取りは形式的なものとなり、相続問題ばかりを話題にしている。ナンネルの後半生は、愛情を感じていなかった夫と、生き残ったただ一人の我が子(レオポルトの事。彼は55歳まで生きた)、そして彼女が嫌っていた街ザルツブルクでの教育活動を軸として動いていた。この間、1801年に夫と死別し、1820 年に失明した。1829年に亡くなった時は78歳の長寿だった。

弟ヴォルフガングの成人した2人の子(つまり、ナンネルにとっては甥)は子を残さなかったが、ナンネルの系統も曾孫の代で途絶える事となった。

☆いつの時代でも芸術家として名や立派な仕事を残すことは大変なことで、私は彼女が特別、哀しい人生だったとは思えませんが、愛情を感じなかった夫と一緒だったのは気の毒ですね。
映画によると結婚相手は5人の子持ちの貴族だったようです。

 王子様との恋愛も映画ですので、真実かどうかですが。
誰でも、失恋の一つぐらいは人生にあるのではないかと思います。

☆今朝は、昨日買った「いくらとうにと帆立貝とわかめ」の冷凍を熱々のご飯に載せて、自然解凍を経て戴いたので、好物なので大変美味だったのですが、お野菜が欠けていたので、それを補うべく8階の東急レストランの中の「更科」で「野菜天麩羅ざるそば」をいただきました。
 火曜日はサーヴィス・デーでおそばが大盛りだそうです。

 7階の大きな本屋さんで「モーツアルトの父も天才だった」という本のアートの本を2冊買いました。
本は重いのですが、それから地下に行き、フルーツとロールケーキを家でいただくために買いました。
フルーツはチェリーとバナナで信じられないくらい安かったです。ロールケーキはプリンスケーキと言って中に苺が入っている堂島ケーキのハーフです。娘がいないので、二人で食べなければなりませねんからね。

雨が降ってきたので、傘を持ってなかった私は駅までのサービス無料バスに乗ったのですが、あるおばあさまたちが「おねえキャラ」のタレントさんが家の近くに住んでいると言う話をしていたのですが、つい乗ってしまって、バス中、笑いの渦が始まって、降りるときは感謝までされてしまいました。

☆いつものホームレスさんに会ったので、先週号のビッグ・イッシューを1冊買いました。
2冊買えたら良かったのですが、これでも節約中なので。

☆家に帰ったら、カード支払いの今月の請求書が届いてました。
生きることは出費が多いわねえ。

 映画でも、旅から旅へと国境越えの音楽家の暮らしは報酬が意外と少なく、貴族の謝礼のオブジェなど馬車旅行のスケールを考慮に入れてないものが多かったとありましたが、実際、私もアート暮らしをしてきましたので、同意できました。

 モーツアルトでさえですから。

 姉のナンテールはモーツアルトの死後、彼や父親の業績を上げる仕事に従事したと映画ではありました。案外、父親の姑息な貴族との結婚も役に立ったのかもしれません。

 7年間、目が見えなかったそうですから、貧しくて辛いこともあったでしょうが、音楽の思い出が豊かな人生にしたのではなかったのではないでしょうか?

 モーツアルト役の少年は実際にヴァイオリンの天才的な演奏家だそうです。

 ナンテールと王女役の修道女となった娘は、監督のお子様のようで、ヴァイオリンも1年かけて練習したとか!また、息子さんも修道院の音楽教師役で出ているとか。監督も楽しかったでしょうね。

☆今日は楽しみのテレビが2本あるんです。
「名前をなくした女神たち」
「マドンナ・ヴェリテ」
一つは、若いママたちの小学校お受験中の物語で、もうひとつは娘が医師で大学教員で癌で子供が産めなくなり、母親に代理出産を依頼するもの。

 このテレビで、先週、娘が医師として教師として、いびつな学級に励むうちに訪れた母親は、部屋の乱雑に気付き、「一緒に住みましょう。」と申し出ます。母子家庭で育ててきた母親は、娘がいなければ一人で生きていけなかったので、お礼の気持ちで代理母を引き受けるのですが、危うい娘の判断に驚き、おそらく散らかった部屋に心の荒れを感じる。

 母親業っていくつになっても、終わらないのだなと思いました。
 私も仙台にまで行って、掃除などしますからね。

 また、新しい時代として、自分より可能性のある娘の時代の仕事を援助したいというのもあるかな?

 どんな生き方も、どこかで自分にもあります。