July 31st, 2011

30日の恵み!

7月30日(土)激しい雨、一時晴れ、激しい雨がよく朝まで
 このところ雨です、長靴も泥だらけになるぬかるみを歩きます。
タカ子さんが9時ころ来て、「今日は一緒に温泉に行きたい。」という。
こんなに大きなナメクジがたくさんいます。

 私の家の黄色の百合も本当に大きいです。手の幅の2倍以上あります。


12時ころお昼を食べて12時45分にロッジに。

雨で乾きが悪いので、シーツとワンピースをアイロンかけして出てきました!

雨だが、温泉は別に行ける。



雲仙寺湖の前の温泉は土曜日のでしか地元民が多い。久しぶりの温泉だが、女性の体の人生を観るようでリラックスできた。露天ぶろに入って、霧の中の風景を観るのが心地よい。湯あがりは黒姫高原牛乳。
1時、ロッジよりバス3時まで牟礼の天狗温泉。「よってき菜」


外に出て、「よってき菜」に寄った。とにかく状態のいい野菜が安い。桃2個300円。胡瓜10本くらいが50円。飯綱のにんにく350円。おやきが120円が60円。あづき、大根、湯沢菜を買う。トマト5個200円。大根100円。杏ジャム450円。
一緒したのは、桜が丘からの夫婦と同じ神山の老紳士とタカ子さんと私。
帰りは無料バスが自宅まで送ってくれた。

花火は雨で危うく思ったが、4時ころには晴れてきた。
早めに5時に夕食。
ビニールのプチプチ・シートや懐中電灯と飲み物を用意して出発。
家にいるうちはショートパンツで床など拭いていたが、夜は寒いとも思われるので、この間破いた黒いパンツに修復して着られるようにしてあるので、長袖ブラウスと着る。
前日の29日は雨だったので、ゆっくりと繕いました!


6時より、タカ子さんと花火を観に野尻湖へ。「第88回」野尻湖灯篭流し花火大会。灯篭流しのほうは雨だったせいか中止。
人でいっぱいだった。「ぼーしや」でリンゴジャムパンを買う。自然ジャムが有名だのだ。
弁天島の宇賀神社の前に座る。いい席でホテルのレストラン部の前の階段で屋根があるので、雨が激しくなった時に救われました。

 大きな花火と音にびっくり。浴衣姿の子供や若い娘たちが多く、よい夏の風景。
まるで、自分にめがけて大きな花が咲いてるような迫力でした。雷坂の下で見たこともあるのですが、やはり、遊覧船の出る湖上前が一番いいところのようで、大勢の外国人家族もきてました。

 湖は花火には絶好のロケーションで、舟からも花火がたくさん打ち上げられました。
この不況にと思うと、出資者の心意気には感謝です。
7時半まで暗くなるまで時間がかかったが、待った甲斐のある感動的な花火だっだ。

 最初と最後は同じ花火。雨が降り始めていたので、子供や老人たちは次々と帰り始めた。臨時のバスも満席で、日ごろは見かけない風景だ。

 帰りは、「ぼーしや」のお店の中に入って、て仕事やジャムやはちみつなどを見た。「そばのはちみつも試してみたが、少し変わった味でパス。息子さんから買ったんだが、店に飾ってある絵も息子さんの仕事。混血のお孫さんもいた。喫茶部もあるのだ。息子さんに、「絵本を買っていただいたので、お母様にご挨拶したいのですがと尋ねたら、金髪のような白髪の方がそうだった。それで、「この間は、ありがとうございます。「しなの書房」で絵本を買って戴いたものです。」とあいさつした。長野で帽子の指導もなさっているそうだ。「宇賀神社を今、調べているの。本にするからあなた絵を描いて。」と言われた。私の絵を気に入ってくださって、「バスケットを見せて。」と言われたので、仕事が暇になる9月にお見せすることになった。
 弁財天は「瀬織津姫」。この間の遠野行きは、セオリツ姫を祭る神社のある早池峰山(はやちね)に呼ばれた気がする。そして、神山と弁財天。今日の花火はとてつもない大きな仕掛けなのだ。
9時15分頃帰る。

 ☆この間、遠野であった地震。
少し気になって検索したが、2軒の屋根瓦の壊れがあったようだ。地盤が固いところなのです。

風林堂主人の書かれたもののコピーです。
■大昔に女神あり
 四方の山々の中に最も秀でたるを早池峯[はやちね]という、北の方附馬牛[つくもうし]の奥にあり。東の方には六角牛[ろっこうし]山立てり。石神[いしがみ]という山は附馬牛と達曾部[たっそべ]との間にありて、その高さ前の二つよりも劣れり。大昔に女神あり、三人の娘を伴ひてこの高原に来たり、今の来内[らいない]村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与うべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫目覚[めざ]めてひそかにこれを取り、わが胸の上に載せたりしかば、ついに最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神おのおの三の山に住し今もこれを領したもうゆえに、遠野の女どもはその妬[ねた]みを畏[おそ]れて今もこの山には遊ばずといえり。(『遠野物語』第二話、『柳田國男全集』所収)
 ここには、遠野三山と呼ばれる早池峰山、六角牛山、石上(石神)山に「若き三人の女神」が住んでいる(「領したもう」)とある。また、その「三人の女神」の「母の神」は「今の来内[らいない]村の伊豆権現の社」に留まったとされる。
 早池峰山は早池峰神社、六角牛山は六神石神社、石上山は石上神社、そして伊豆権現社は現在の伊豆神社と、それぞれの神の拝所・祭祀場としての神社が現在もある。
 昭和十四年に発行された『岩手県神社事務提要』(岩手県神職会)には、上記神社がまつる神々は、次のように記録されている。

■遠野三山の神々と「母の神」の社
早池峯神社……瀬織津姫命
六神石神社……大己貴命、誉田別命
石上神社 ……経津主命、伊邪那美命、稲蒼魂命
伊豆神社 ……瀬織津姫命

 遠野三山には「若き三人の女神」がいると記していた『遠野物語』だったが、六角牛山からは「女神」の存在は消えているようである。また、石上山にしても、「伊邪那美命」はたしかに女神だが、伊豆神の娘神とは認められないので、この山からも、物語の女神は消えているとみてよい。残るは早池峰山で、この早池峰山神と伊豆神として記載される「瀬織津姫命」という神が、この「特集」の中心となる女神である。

▲早池峰霊峰全図(伊豆神社所蔵)
    
「瀬織津姫命」を共通してまつる早池峰神社と伊豆神社だが、両社の関係について、『遠野市史』は、次のように記している。

■伊豆神社は早池峰神社の「親神」
 三山発祥地は市内上郷町来内とし、早池峰山新山宮神社(現在の早池峰神社…引用者)では、来内の伊豆権現社(現在の伊豆神社…引用者)を親神と呼び、この別当が到着しなければ祭りはできないという掟[おきて]があった。(『遠野市史』第一巻)

 早池峰神社が伊豆神社を「親神」としていることについてだが、これが神々の「親子」関係をいっているのでないことは、両社ともに祭神を「瀬織津姫命」としていることからもわかる。早池峰神社は伊豆神社がまつる神の分身=分神、あるいは分社だということであろう。いいかえれば、伊豆神社は、早池峰神社の元社、親社だということである。
 ここで、伊豆神社側の由緒を読んでみる。

■伊豆神社「由緒」
神社名 伊豆神社
鎮座地 遠野市上郷町来内六地割三十二番地ノ二
祭 神 瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト) 俗名 おない
    遠野三山(早池峰山、六角牛山、石上山)の守護神の親神
例祭日 旧暦九月十七日、現在では十月の第四日曜日と改められた。

 坂上田村麻呂が延暦二年(西暦七八三年)に征夷大将軍に任命され(「任命」は延暦十六年=七九七年…引用者注)当地方の征夷の時代に此の地に拓殖の一手段として一人の麗婦人が遣わされ、やがて三人の姫神が生まれた。三人とも、高く美しい早池峰山の主になることを望んで、ある日この来内の地で母神の「おない」と三人の姫神たちは、一夜眠っている間に蓮華の花びらが胸の上に落ちた姫神が早池峰山に昇ることに申し合わせて眠りに入った。夜になって蓮華の花びらが一番上の姉の姫神に落ちていたのを目覚めた末の姫神がみつけそっとそれを自分の胸の上に移し、夜明けを待って早池峰山に行くことになり、一番上の姫神は六角牛山へ(石神山へとの説もある)二番目の姫神は石神山へとそれぞれ別れを告げて発って行った。此の別れた所に神遣神社を建立して今でも三人の姫神の御神像を石に刻んで祀っている。
 大同年間(八〇六─八〇九年)早池峰山を開山した四角藤蔵(後に始閣と改めた)が来内権現の霊感を得て故郷の来内に戻り、自家の裏に一草堂を建てて朝夕これを崇拝したとのことである。当時この話を聞いた伊豆走湯関係の修験者がはるばる此の地に来て権現の由来を基に獅子頭を御神体として奉ったものである。故に伊豆大権現と称され千二百年以上にわたり広く信仰を得て来たものなり。明治維新後に伊豆神社と改めて現在に至っている。〔後略〕
平成四年八月記 伊豆神社 宮司 中田一正


 伊豆神社のこの由緒書では、『遠野物語』第二話の「大昔」の女神は「おない」という「俗名」をもつ女性とされ、しかも、この女性は、坂上田村麻呂によって遣わされた「拓殖」の「麗婦人」というように、神ではなく人間扱いされている。瀬織津姫神が「おない」という「俗名」をもっていたというのは、この「おない」という女性の信奉する神が瀬織津姫神だというように理解できる。早池峰山の開山者としての四角(始閣)藤蔵の前に、田村麻呂伝承を置いていることが、この由緒書の大きな特徴であろう。
 多くの神社の由緒書にいえることだが、明治期の国家神道勃興時に、それまでの社内伝承を汲みつつも、国策的神道に迎合するように新たに創作的につくられた由緒書が多いことに留意する必要がある。そういった視点からいえば、伊豆神社由緒書に記された田村麻呂伝承は文字通りの「史実」とみなすことは危険かもしれない。ただし、遠野郷に限れば、伊豆神社の祭神が「瀬織津姫命」という神である事実のみは肯定することができる。理由は、この神が神社祭神として表示されることは、全国的には例外に属することだからである(東北の山深い小神社ゆえに、この神の名はかろうじて伝えられたといってよい)。

▲伊豆神社拝殿
    
 神社伝承における、その祭祀経緯の最初に坂上田村麻呂をもってこずに、あくまで四角藤蔵による祭祀を語るのが『遠野市史』である。市史は、三女神伝説を紹介したあと、次のような藤蔵創祀説を展開している。

■伊豆権現は四角藤蔵の「守り神」
 この女神たちの泊った宿は、当時来内村といった現遠野市上郷町来内の伊豆権現社である。伊豆権現は、早池峰を開山した猟師藤蔵が、故郷の伊豆から持ってきた守り神である。藤蔵は、太平洋沿岸沿いに北上し、この来内に居を構えた、という。
 現在、この地には三人の女神が生まれたお産畑、お産田が残っている。田は五角形で、女が田植えをすると雨が降るといって男が田植えをする。一坪(三・三平方メートル)くらいの小さな田で、不浄であってはならないと肥料はしないし、田植えの時も畦[あぜ]から苗を三把ずつ植えて内に決してはいらない。この田からとったイネで餅をつくり、大出の新山宮(現在の早池峰神社…引用者)に供え、余りはお守りとして各戸に配っている。付近には、このほか襁褓(おむつ)を干したという三国という名の岩、藤蔵の屋敷跡、後代に造った墓なども残っている。(『遠野市史』第一巻)

 市史は、伊豆権現=伊豆神を四角藤蔵が「伊豆から持ってきた守り神」とし、田村麻呂伝承は無視するという姿勢で書かれていて、これはこれで卓見かとおもえる。また、伊豆権現にまつわる禁忌の象徴といってよい、つまり「不浄であってはならない」という禁忌事項を核とした田植えの伝承も収録していて興味深い。伊豆権現としての瀬織津姫神が「不浄」を嫌う神だという認識は、この神が大祓神として設定されたことを受けたものであろう。
 この市史の記載から、その社名(伊豆神社)にも表れていたが、四角藤蔵なる人物が「伊豆」と関わりある人物だということがわかる。ここで、「伊豆」とはなにか、という問いが当然に浮かんでくるし、瀬織津姫という神はなぜ「不浄」を嫌う神とされるのか、それはいつからそうなのか、という問いなども連鎖的に浮かんでくる。さらに、瀬織津姫という神はそもそもどういう神なのかという根源的な問いもあろう。こういった問いの連鎖と深化に答えようとするのが、本特集と関連書籍3冊ということになる。
 なお、『エミシの国の女神』においてすでに指摘されていた、この瀬織津姫という神の多彩な性格を以下に列挙しておこう。

一、水源神・滝神・川神、桜神であること。
一、皇祖神=アマテラスの祖型神であること。
一、東北においては、オシラ神(オシラサマ)やザシキワラシなどと習合する神であること。
一、神仏混淆においては、不動尊および十一面観音と習合する神であること。
一、日本の神道(神社世界)においては、大祓の神(祓戸大神)とされること。
一、三河地方においては、天白神とみなされていたこと。
一、ヤマトの中央権力側は、この神を「祟り神」「禍津日神」(悪神)とみなしていたこと。

 その他、『円空と瀬織津姫』上下巻において新たに判明したこと、あるいは可能性が濃厚であると認められることを挙げておくなら、下記の性格事項があるだろう。

一、蝦夷地(北海道)・東北から列島各地の山岳霊地に、広範囲な祭祀が確認できること。
一、弁才天(弁財天)と習合する神(宗像神=八幡比売大神)であること。
一、三途川の姥神(脱衣婆)とも習合する神であること。
一、琵琶湖の水神、大祓の基層神であること。
一、月神であること。
一、日本文学の発生と根源に関わる神であること。

 主要なことは以上かとおもう。これほど多くの性格・表情・特質をもっている瀬織津姫という神だが、これまで、学問の世界ではまともに論じられることがなくてきた、稀有の秘神、おそらく、日本の神々の歴史上、最大最後の謎を秘めている神といってもよかろう。
 遠野郷を擁する岩手県は、この異端の姫神といってよい瀬織津姫神を神社祭神としてまつることにおいて全国一で(現在確認社は36社)、遠野物語の里は瀬織津姫神の里でもある。
 瀬織津姫という神の祭祀にまつわる一つの謎が解明されると、その先にまた新たな謎がみえてくる。この謎解きが終点を迎えたとき、おそらく、日本の神々の祭祀の歴史は大きな転換期を経験することになるはずで、要するに、神々にとって、とても風通しのよい場所・世界が開かれることとおもう。
 遠野郷の伝承が、日本の神まつりと文学の発生・基底を照射する光源であることをおもいつつ、この特集が読者の新たな知的関心と共有されることを願っている。

宇宙心を聴く!!!!!

 私はなぜ神山に住んでいるのだろう?

 私はなぜ20歳のときに神の声を聴いて以来、神に使われてあっちに行かされたり、こっちに行かされたり、あれをされたり、これをされたりしているのだろう?

 私はなぜ63歳の普通の家庭の主婦でありながら、家事もせずに長野、神山にいるのだろう?

 食べ物にも衣服にも住居にも困らず
 隣人にも恵まれて生かされているのだろう?

☆昨日あった桜ケ丘に住まれるご婦人が「コスモスって難しいのよ。そんなに簡単に芽が出るなんて!」と言われた。
 「種をパ~ッと蒔いて、土をパ~ッを振りまいただけなのよ。」
タカ子さんは隣でにこにこと笑っていた。
私が忙しく、東京へ帰ったリ、東北に行ったり、長野に行ったりで、ろくろく庭のお世話などしてないことを知っているのだ。

☆宇宙の今のメッセージは、生きとし生けるものの共存する慈しみ溢れる大地だ。

 だから、今、描いている「森の妖精シリーズ」は八百の神の通じる。

 私は、もはや、雑草を取る気もしない。
 雑草だって生き物だもの。

 ホームレスさんを援助するように神様に言われてるのも、生きるに値する人間はすべてだということ。

 弱い。
 醜い。
 変わっている。
 人種が違う。
 
 そんなことで、差別する心がある限り、人類は破滅に向かう。

☆縄文の神様が復活するという。
 縄文時代には差別がなかった。
 本来の人類の幸せは農耕を営むことで、効率主義が入ってきたところからだ。
 障害があれば足手まといになり、役立たず。そういうものなら、大事にしたくない。
 ここから、間違った道を歩むのだ。

☆野尻湖畔の花火を見ていると、国際色豊かで、今時に若い日本人の女の子の浴衣がラメ入りの帯だったり、大きな花を髪にさしていたり、自由でかわいい。
タカ子さんと「ちょっと前まで邪道の着物の着方だったけど、かわいいね。若い子は上手に着こなしてるね。」

☆あるがまま。
 それぞれが素敵で生かされている社会。
 そんな地球は美しく
 輝く場所だ。

 今朝も福島で震度5強の地震が。
 私たちの間違った心がけが解消されない限り、神さまは大きな地震を用意するという山梨のおじいちゃんの預言がある。

☆私も娘が仙台にいるが、親ができることは祈ることしかできない。

☆あの美しい大輪の花火を見ていると、東北の人にも見せてあげたいと思った。
 こんなにも、楽しく
 こんなにも美しい湖畔で
 花火を愛でられている私たち。
 
 小さな子の花火に合わせて「パーン」という掛け声も可愛いし、大声で泣く子もいる普通の風景。
皆が、こんな風に集えて、和気あいあいと譲りあい、夏を楽しむ。


☆私がなぜ神山に住んでいるかは私は知っている。
 神様のメッセージを正しく聴くためだ。
 読み取るためだ。

他人が受けたメッセージも貴重だ。
こういうメッセージの受信機能を持っている人はたくさんいると思う。
そうして、いつも放っているのだが、このメッセージが届かない人もいる。

だから、私たちの使命は「あの手この手」を使い、一人でも多くの人が目覚めて、地球の皆が救われることを促進することだ。

☆これって、結構しんどい作業なんですよ。
ありとあらゆる妨害があります。
全身全霊で闘っていると言っても過言ではないでしょう。

☆「みおゆきのツキアップ日記」ブログと「虹色の翼」ブログに、紹介されていた漫画家の美内すずえさんの「倭姫幻想」と「宇宙神霊記」を購入しました。「宇宙神霊記」って、とても高いのですよ。私は7400円台で買いました。でも、地球を救うために高いものなどひとつもないですよね。

 縁あって、目に飛び込んでいたものは必要偶然という考えの持ち主です。
神様は無駄なことはしませんからね。