August 10th, 2011

心も体も洗われる大掃除の日!

 今日は長野も36度くらいあるそうなので、思い切ってマットを洗って干してみました!


 庭の百合も満開で、予備群もつぼみを開かせてます!


 今日は元気がみなぎってまして、早朝から大掃除です!大洗濯です!家具の模様替えも始めて、力仕事もどんどんやってしまいます!

 朝のご飯は、巨峰ときゅうり1本とアイス・コーヒー。
昨晩は食べ過ぎた感じなので、それで十分だったのです!


 昼はしのぎやすくなっていたので、庭でそうめんをいただきました。
氷が切れてたので、冷凍剤をほおりこんだボールにそうめんを浸して!


☆昨日は、いい本を送ってくださった方がいて、2冊だったのですが、1冊読み終えました。
私より年配の女性の実話なんですけど、私にはそれなりに理解できました。

 若いということは素敵なことだと思います!
青春には無我夢中で見えなかったことが、この年63歳になると見えてくるのです。

 その方はもう振り返る年齢になられて、事実をありのまま実名で書かれてます。

 いろいろ考えることがあって、今日の世界、地球をなんとかして平和にもっていきたい人の苦しみや犠牲が結局は、勝利を迎えるのではないかと私的には希望をもちました。

 ですから、書いた方にも、送ってくださった方にもありがとうです。

☆「神は愛」
「愛は力」
 
 私はマイナーの力にあって、くじけそうになる時はやはり、神ほど確実な強いものはないと思って、立ち直ってきた気がします。

 若い日は誰でも多少は世間知らずで、世の中は善と希望にあふれていると思うものではないでしょうか?

 私ははっきりと、自分の使命を自覚したときに、世間知らずながらも、それなりの覚悟というものがありました。

 そうして、覚悟以上に恐ろしいことや悲しいこともあったのでした。

 神というのは万能ですから、神をしっかりと見て、神の思し召しのそって生きている間は、無限というか人の力を超えた超力を送ってくれるのです。

 ジャンヌダルクやマザーテレサの例をあげるまでもなく、信仰によってなせる技には、人でなく神が介在しているのです。もはや、人の価値ではなく、神の価値において、人間の力を超える犠牲がはらわれ、また、その報いのような奇跡がおこるのです。

 それが、歴史をまともに軌道に戻し、国の権利や弱い人の権利を守り、愛というものがいかに神より祝福されるかも万人の知るところとなっているのです。

☆今日の地球や、日本やアメリカの危機やそして、ロンドンの暴動のようなできごとは、一言にいわば愛の欠如なんですよ。

 失業者が多い。黒人が意味なく撃たれた。
 そんなやりきれない庶民や群衆が、前に向かって、根気よく地道に筋を通すには複雑な信用できない社会。
 そして、新しい携帯が連鎖を可能にさせるアラブ社会の若者の革命のような決起。

☆昨日の新聞で福島の子供の多くがが、転校したと知りました。
 どうして転校したか、クラスメートは知っている。自分の親は何もしてくれないとか自分の親は楽観的とか子どもなりの我が身の不幸が感じてしまう世の中。

 政治家はつまらぬ足の引っ張りをしている間に、子どもたちはどんどん被ばくして、親は政治を当てにせずに子供を連れだしたのでした。

 そこに不平等がある。命に関する教育に関するレベルで、平等にしない政治が生きている。

 つい、この間までは「いじめ」で転校が許されて、学校側は「そんな事実はない。」と言っても、うっかりすると子供は自殺したり、殺されたりした。

 それが、国の「いじめ」になったんですよ。

 親はつくづく力がなければいけないと思いました。
 子供を守るために、親は財力も知力もいるんですね。

 そして、被爆国でありながら、いつのまにか原発があちこちに出来ていて、反対をしっかりしなかった罪として、増税も覚悟しなければなりません。

 いつのまにか電気も節約を強制されて、この暑いのに、律義な人は熱中症で死もありになってしまったのです。

☆私は、個人的に20歳の4月7日から、従順という生き方をしてきたので、神が自分にもたらすものに対してまさに、奴隷状態に従順でした。

 今、思うと,それが、人を知る絶好の機会だったのでした。

 「人間を知らない。」とよく注意されましたが、人間は浅ましいものですよ。

 従順のおかげで私は人間の浅ましさやずるさをよく見たり、体験してきました。

 神さまの意図はここにあったのだと思います。

 人間は相手がおとなしいと舐めれば、実にずうずうしいことをしてきます。

☆イギリスやアメリカがアジアやアフリカを植民地化して、奴隷のように働かせ、搾取してこき使い、自分たちの贅沢な楽な暮らしをしてきたかは歴史にありますし、実にひどいと誰でも思うでしょうが、現実に、今でも、日本でも、人間はほおっておけば、他人を騙し、苦しいところは人にさせ、おいしい思いをしたいという思いは普通にあるのです。

 私は大学で、毎日のように、女子美術大学と芸大の学生にお金の無心をされてきましたし、(断われない性格ではありませんが、従順の信仰の実践によって、嫌な顔を一つもせずに、自分は朝から深夜までバイトをして、与え続けてました。)
 セクハラもひどかったです。名前を出せば誰でも知っている大学教授や有名新聞社や雑誌の編集長が、若い娘の肉体をなんとかして襲おうと脅かしたり、交換条件(雑誌に載せるとか本を出版してあげる)を出して、やってきた、絶望したものです。

 断わったおかげで、さらなる報復というのもありまして、強姦の群れを派遣したり、雑誌にウソを書かれたりしました。

 若かった時は、それなりにずたずたに傷ついて、「神の命を受ける」ということの厳しさにおののいたものでした。

 「拉致」とか「誘拐」というのもずいぶんありました。感がいいので、上手に目の前でタクシーを拾ったり、泣いてわめいて逃げてきましたが、人間は本当に浅ましく恥知らずなのでした。

☆「よく生きてこれたね。」
 「殺されるよ。」
 「だまされる。」
「食い物にされる。」
 と注意されてきましたが、現実に、お金だけでもずいぶん騙されてきました。

☆それでも、なぜ、神を信じ続けてこれたか?
 「あなたは、神を裏切ったこともないし、神様から裏切られたこともないでしょう?」
 と道いく人に言われたことがありますが、これはそうなんです。

 騙されても、
 食い物のされても、
 暴力を振るわれても、
 罵倒されても、

 神の甘美にかなうものはないのです。

 私は、栄養失調になるまで、奉仕をしてぼろぼろになって集めた資料を、当時、「週刊現代」の記者のOに恐喝取りされました。しかし、私は悲しかったけれども、黙って年月の経つのを待ってました。

 神はどうなさるのか?

 そうして、他人の血のにじむような努力の結果を盗むとか脅かして取り上げるというのは、悪いというよりも、かわいそうなことなんですよね。私にとっては。

 かわいそうに。私と同じ年齢で妻子もいて、電話で赤子の泣き声が聞こえてました。

 他人の物をとって、名をあげてお金を得ても、彼は心から、神を知るものの幸福はえることはできないのです。

 神を知らないというのは、気の毒なことなんですよ。

☆あすは、8月11日!
 「蚊帳教会」の日ですね。

 神様はどんなサプライズをくださるだろう?
 
 復興宝くじのくじ引きも仙台であるし、サマー・ジャンボもあるし。

☆今日は、徹底的に掃除をして、階段のコーナーに置いてある、聖母像をあすの朝は、お庭に出し
てあげよう!

 お花が今、張り切っているのは、あすのためだって私にはわかるのよ。

 生命があるものは、愛を感じることができるので、「マリアさま、ありがとう!」「神様、ありがとう!」って、けなげに咲くのよね!

 今日は、残ってきた鳥の餌も庭に全部撒きました。
小鳥さんも、いつもけなげで、かわいい声でないてくれるもの。

☆「神は義なり。」
 やはり、正しいものは報われますよ。

 ずっと昔からそうできてるんですもの。

 乗っ取った人は、過去の歴史を改ざんすることがあるかもしれません。

 しかし、乗っ取った生き方しかできないんですよ。

 ですから、神の時代が到来するのを祈り待ち望みたいと思います。

 「大浄化」の時代ですから、何もかも表に出てくると思いますよ。