August 31st, 2011

内村鑑三に呼ばれて中軽井沢の「石の教会」へ!

8月30日(火)晴れ。

 朝は7時に起きたが朝食をゆっくりとって、写真を画面に取り入れていたら8時になったので、あわてて着替えをして40分ごろ隣のタカコさんの家に行った。



 8時50分のバスに乗って、役場前で降りた。タカコさんが振り込みがあるからで、さくじつカードで機械で試したができなかったので、私がスマートフォンで信濃に支店があることを確かめて、朝一に銀行に行くことにしたのだ。長野では八十二銀行が普及していて、振り込み指定が八十二銀行なのだ。


今の振り込みは手がかかって、現金だが身分証明書が行ったり10万以上が不可能だったりで、ずいぶん時間がかかった。
 それから「黒姫駅」まで歩いた。暑くて熱中症になるくらいで倒れそうで軽井沢に行くのが不安になったくらい。
 駅に着いたら9時19分の次は11時11分発の長野行しかない。10時近くになっていて待ち時間が1時間以上あった。それで、駅で待つというタカコさんを説得して、喫茶「しなの」に寄った。 



 
暑くてだるかったので「レモン・スカッシュ」を頼んだ。冷房も効いているのでようやく生き返った。400円を300円におまけしてくれた。

 11時11分発に乗って長野で「しなの鉄道」に乗り換えで「小諸行き」に乗った。



お弁当は小布施の「栗おこわ飯」にしたので長野駅で15分ほどの待ち時間の間に買った。
 小諸から軽井沢行きの鈍行に待ち時間が結構あったが、トイレに行ったりアイスクリームを食べたりして、中軽井沢に降りた。その間、タカコさんが2日間有効のパスをなくして、(銀行で長時間かかって書類を書いたりしていて落としたらしいという)嫌な気分だというので、きっと軽井沢に着いたら気分が良くなると励ました。私のスマートフォンが機能しなくなり、電話は通じると思ったが設定が変わったらしい。そんなかんやで2時前に着いた。

 テレビで観たという中軽井沢の「ハルニレテラス」がタカコさんのお目当て。地図を見ると歩いて行けそうなので、幾度かバスが来たが「塩月湖行」だったり、「草津温泉行」だったり」だったので、歩いて行くことにした。






 歩くと森が見えてきて、確かに「ハルニレテラス」に着いた。おしゃれで高級なイメージだが、私は近くの「内村鑑三の石の教会」に行きたいので、タカコさんの携帯番号を書いて、戻ってくるけどいなかったら6時37分の軽井沢から長野までの鈍行で一緒に行くために軽井沢駅電車で待ち合わせた。
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内村鑑三1861-1930(文久2-昭和5)

内村鑑三

略 歴

 高崎藩士・内村宜之の長男として、江戸小石川に生まれる。1874(明治7)年、東京外国語学校(のち東京大学予備門)に入学。1877(明治10)年、札幌農学校第2期生として入学許可。東京外国語学校から札幌農学校にかけて太田(新渡戸)稲造、宮部金吾と同級。彼らと共に、1878(明治11)年、メソヂスト監督教会宣教師M・C・ハリスより受洗。
 卒業後、開拓使御用係(のち札幌県御用係)、農商務省農務局水産課に勤めるが、1884(明治17年)、役所を辞職し、同年11月、米国に私費留学する。1886(明治19)年、アマスト大学にてJ・H・シーリー総長の感化により回心を体験する。これ以降、内村の行動は、福音主義信仰とそれから導き出される思想に一貫して基づくこととなる。
 帰国後、第一高等中学校在職中、教育勅語奉読式で「不敬事件」(1891(明治24)年)を起こし、職を辞す。この頃から旺盛な執筆活動を開始し、『基督信徒の慰』『求安録』'HOW I BECAME A CHRISTIAN'(のち『余は如何にして基督信徒となりし乎』として翻訳)'JAPAN AND JAPANESE'(のち『代表的日本人』と改題、翻訳)など主要な著作を著わす。
 1897(明治30)年、黒岩周六(涙香)に招かれ『万朝報』英文蘭主筆となり、幸徳秋水、堺利彦らとともに社会評論家としても世間で名が知られるようになる。1901(明治34)年に『万朝報』が結成した「理想団」には幹部として参加し、また、足尾鉱毒事件では鉱毒反対運動にかかわるなど、社会運動家としても活躍する。しかし、日露戦争を機に「非戦論」を展開し、幸徳秋水、堺利彦らとともに『万朝報』を退社(1903(明治36)年)。内村の社会的活動はこの時期をピークとして徐々に影を潜め、それと反比例するかのように聖書に対する内在的な関心を深める。
 信仰については、1898(明治31)年、『東京独立雑誌』を創刊(1900年7月まで)、それにかわり1900(明治33)年9月に『聖書之研究』を創刊。1901(明治34)年には『無教会』を創刊し(1902年8月まで)、無教会主義を創唱。生涯、平信徒として聖書の研究と執筆活動をつづけた。1918(大正7)年からは、キリスト再臨信仰に基づく再臨運動を開始。
 1903(昭和5年)3月28日、死去。この年の4月25日、『聖書之研究』は357号をもって終刊となる。


思 想

 内村鑑三は8歳で明治維新を迎えるが、多感な青年時代にはまだ日本という国家の形が定まっておらず、この時代の他の有為の青年と同様に、国家のあり方を考えることと自らのあり方を考えることは同義であった。内村のそのような姿勢は彼の墓碑銘ともなった次のアフォリズムに表される。
I for Japan;
Japan for the World;
The World for Christ;
And All for God
 しかしながら、内村が直面していた歴史的現実は多くの場合、内村のこのような理念を裏切りつづけた。国内的には富国強兵・殖産興業のスローガンの下、日清・日露戦争、民衆の被害を軽視した足尾鉱毒事件に直面し、国外的には第一次世界大戦をむかえることとなる。内村はそのような歴史の流れに抗するように、「非戦論」を唱え「鉱毒反対運動」に関わり、日本が自らの〝天職〟を自覚し、まっとうするように促す〝預言者〟的とも言われる発言を繰り返した。
 「武士の子」であり愛国心の強い内村鑑三が、外来の宗教であるキリスト教の信仰へと到った葛藤の経緯は『余は如何にして基督信徒となりし乎』に詳しい。信を得るまでの葛藤の中で、内村の思想の基本的なあり方が形成されたと考えられる。内村が生涯愛しつづけることになる「二つのJ(Jesus, Japan)」の間にある緊張した関係は、米国留学中に体験した「回心」により内的には堅固に結び合うことになったが、外的には離反しつづけるかのように見える、その緊張関係が内村の思想と信仰の原動力となる。


著 作

全集・選集

* 『内村鑑三全集』岩波書店、1980-1984
* 『内村鑑三全集』岩波書店、1932-1933
* 鈴木範久編『内村鑑三選集』岩波書店、1990
* 山本泰次郎編『内村鑑三信仰著作全集』教文館、1962-1966
* 鈴木俊郎編 『内村鑑三著作集』岩波書店、1953-1955
* 内村美代子編『内村鑑三思想選書』羽田書店、1949-1950
* 亀井俊介訳『内村鑑三英文論説翻訳篇 上』岩波書店、1984
* 道家弘一郎訳『内村鑑三英文論説翻訳篇 下』 岩波書店、1985
* 山本泰次郎編『内村鑑三聖書注解全集』教文館、1961-1965


文庫で読めるテキスト

* 鈴木俊郎訳『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波書店、1958
* 鈴木範久訳『代表的日本人』岩波書店、1995
* 『後世への最大遺物・デンマルク国の話』岩波書店、1976
* 『基督信徒のなぐさめ 改版』岩波書店、1976
* 『求安録』岩波書店
* 『キリスト教問答』講談社学術文庫


伝記的研究

* 鈴木範久『内村鑑三日録』全12巻、教文館、1998-1999
* 鈴木範久『内村鑑三』岩波新書、1984
* 森有正『内村鑑三』講談社学術文庫、1976
* 小原信『内村鑑三の生涯―日本的キリスト教の創造』PHP研究所、1997
* 小原信『内村鑑三の生涯―近代日本とキリスト教の光源を見つめて』PHP研究所
* 関根正雄『内村鑑三 センチュリーブックス 人と思想 25 』清水書院、1978
* 鈴木俊郎『内村鑑三伝  米国留学まで』岩波書店、1986
* 亀井俊介『内村鑑三  明治精神の道標』中公新書、1977
* 山本泰次郎編『内村鑑三信仰・生涯・友情』東海大学出版会、1966


その他の研究

* 新保祐司『内村鑑三』構想社、1990
* 富岡幸一郎『内村鑑三 シリーズ宗教と人間』五月書房、2001
* 富岡幸一郎『非戦論』NTT出版、2004
* 武田清子『峻烈なる洞察と寛容―内村鑑三をめぐって 』教文館、1996
* 正宗白鳥『内村鑑三・我が生涯と文学 講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ』講談社、1994
* カルロ・カルダローラ(田村光三等訳)『内村鑑三と無教会  宗教社会学的研究』新教出版社、1978
* 内田芳明『現代に生きる内村鑑三』岩波書店、1991
* 渋谷浩『近代思想史における内村鑑三  政治・民族・無教会論』新地書房、1988


雑誌

* 『内村鑑三研究』(キリスト教夜間講座出版部)変更→キリスト教図書出版社、1973-


文献資料ガイド

* 国際基督教大学図書館 内村鑑三記念文庫目録
   http://www-lib.icu.ac.jp/Uchimura/index.htm
* 鈴木範久 監修/藤田 豊 編『内村鑑三著作・研究目録-CD-ROM付-』教文館、2003
* 品川力編『増補版 内村鑑三研究文献目録』荒竹出版、1977
* 国立国会図書館調査立法考査局編『内村鑑三研究文献目録』国立国会図書館調査立法考査局、1960


青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person34.html

(川端伸典記、2005年8月)


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石の教会・内村鑑三記念堂(いしのきょうかい・うちむらかんぞうきねんどう)は、長野県北佐久郡軽井沢町にある教会、記念館。ホテルブレストンコートに隣接する。

明治・大正期のキリスト教指導者・内村鑑三の顕彰を目的として建てられた教会で、地上は礼拝堂、地下には内村鑑三記念堂となっている。石とガラスの異なるアーチが重なり合う独特のフォルムは、アメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグの手によるもの。石は男性、ガラスは女性を象徴しているとされる。
概要 [編集]

* 設計 - ケンドリック・ケロッグ
* 所在地 - 〒389-0100 長野県北佐久郡軽井沢町星野


しなの鉄道 中軽井沢駅 徒歩20分

縷衣香記
 幾度か道を間違えてホテルの従業員の方や業者に尋ねたが、確かに「石の教会」は「ハルニレテラス」に近かった。

 きれいな別荘もたくさんあって、洗練されたところだ。

 高級ホテル「ブレストンコート」が管理しているようで「高原教会」もあって、結婚式が行われていた。花嫁さんの姿も緑の高原には美しいものだ。








 石畳を通って、こだわりの「石の教会」にようやく行けたのだが、これも建築家のこだわりがあって、遠方から美しく見えるようにぐるぐる回って辿り着くようになっていていろいろな姿が見えるのである。


 しかし、内村鑑三の英語のメッセージの書いてある石碑を読んで、私は呼ばれたのだと思った。


 「私は日本のための
  日本は世界のために
  世界はキリストのために
  そして、すべては神のために」




















 地下は資料館になっているので、内村鑑三の生涯や手紙が展示してあった。
空気が澄んでいて、洞窟から空が見えるような教会で、内村鑑三自身は無教会主義なので教会というのは自分に体にという考えだが、水と緑と光があふれていて(礼拝堂の中には水が流れ緑が壁沿いに植えられている)オーガニックの教会とか。

 タカコさんに携帯が通じないので、(晴れにれテラス)の14軒の店をくまなく探したが、いらっしゃらなかったのでパンやキッシュを買って駅まで歩き始めた。

 建物は黒で統一されていて9棟あり、店は全部で14軒ありました。
 


 シーツもフランス製の山地方で製作されたものが売られていたのですが、1枚17000円くらいで、手が出なかったです。

 川が流れていて緑あふれるいいところでした。

 帰り道には浅間神社も。

 1時間に1度のバスが運よく来て、旧軽い沢で下りて牛乳を飲みました。

 それから軽井沢駅まで歩いて、作品の材料を売る店に偶然であいました。2か月前に越してきたそうです。イギリスで勉強してブレザーフラワーやプラスティックをカットしたアクセサリーを売ってました。


 夕焼けがきれいでした!


 タカコさんと待ち合わせていた電車も1分前について、二人仲良くタクシーをシェアして帰ったのは10時前でした。

夕食は家で、買ってきた牛筋肉のキッシュで食べましたが、おいしかったです。

8月31日(水)晴れ。

 疲れているんだけど、朝7時には起きてしまう。
昨日買ってきたおいしいパンとマスタードで朝食!


 この妖精はドリルで地面を掘っているんだろうか?宝探しか?


 「沢村」のパンはくるみと干しブドウが入っていた。


 プチトマトとプチポテトは自家製。


 マスタードはオーストラリア製でスパイシーな辛しだそうだ。


 ガイガー・カウンターが朝1にヤマト運輸で届いた!