September 14th, 2011

宮芳平

P491.
人間は拍手されなければ自信は生まれて来ないものだ。誰も応じてくれない所に長く自分を保つことは困難だ。
 無風と無関心の中に自分を成長させることは難しい。
 それなら拍手されるにはどうしたらいいか。
 そのようなことを考えてはならぬのだ。
 自然と拍手が起こるまでじっと辛抱しなければならないのだ。
 辛抱とは何だ。
 内心への忠実を守ることだ。
 内心とは何だ。
 それが拍手されるとすれば拍手しなければならないのだ。
 「おい、しっかりしろ!」
とふらふらしているわたしをぶん撲ってくれる人をわたしは欲しいのだ。
 それがわたしの友達なのだ。 
 わたしはまだ思春の世界を尊しと思っている。
 聖しと思っている。
 私はその世界に帰らなければならない。

P492.
若し人間に神の世界があるとすれば、それは思春の世界だ。
 嘘のつけない世界だ。
 こうしてわたしは絵を描こうとする。
 一旦、智恵の実を食った私は、神の掟を冒したわたしは、蛇の誘惑に従ったわたしは、神を忘れたわたしは、中々わたしの本然の姿に帰れない。
 神こそわたしへの拍手者だったのに。
 拍手者を失ったわたしは心ばかり焦って、いつまでもいつまでも、覚束ない絵ばかりを描いている。
 稀薄な絵ばかりを描いている。

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宮芳平

P530.
恩寵

 こうすればよくなるということは、神様が知っている。

 けれどもわたしは知らない。

 盲蛇ものに怯ず、ということがある。

 わたしは蛇ではない。

 けれども盲だ。

 事毎に盲だ。

 絵を描くことも盲だ。

 何をどう描いたらいいか知らない。

 神様の恩寵があれば、

 わたしの突く杖の先が、

 よい方向へ向く。

 それだけが頼りなのだ。

 そしてわたしはとぼとぼと行く。
 

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爽やか!

ようやく「宮芳平自伝」を読み終えた

彼は50歳のときに、妻を亡くし、貧乏で、子供を亡くしもした。
63歳の時に、銀座の兜屋画廊で個展を開く。それまでは、絵が売れたことはなかったが、個展の初日では、教え子や知人が絵を買ってくれた。貧しかったので、新品のスーツを用意して着せてくれた人もいたし、案内状の配布や費用も、知人の紹介分も書くように指示してくれた人もいて、幸福が始まった。
京都のアトリエも教え子がお金を出し合って、建築してくれたものだ。
72歳で松坂屋画廊での個展では売り上げが黒字になり、73歳の3月にはイエルサレムやローマに巡礼旅行へ行けた。
77歳で松坂屋で個展。諏訪や岡谷で個展。
78歳で受洗。翌日の3月30日、永眠。10月には回顧展。

彼は貧しくて、経済的には迷惑をかけたこともあったのだという。しかし、教え子がこの本も出したので、愛されるような先生だったのだろう。

彼の日記のような文章の中に、親類がフランスへ行かせようとお金を出す気だったり、森鴎外家族が絵を買ってくれたりと、それなりに恵まれた一生。奥さんを亡くした後も、再婚など考えもしなかった。彼の絵は彼女の犠牲で生まれたのだった。

宮芳平(みや・よしへい 1893年-1971年)
諏訪二葉高校を中心に、長年、諏訪地方の高校の美術教師を務めた。純粋、孤高 の「美の探求者」として、生徒たちに慕われた。彼の生涯はテレビにも取り上げられ、近年、脚光を浴びている。
568ぺーじもあるので、時間がかかった。
野の花のごとく生きた「天寵の画家」。宮芳平の個人雑誌『AYUMI』に遺された、画家の自伝的物語!

☆今日も天気!
窓を開けると爽やかな秋風が来る!
洗濯を2度して、室内と庭に干し、お布団も2階のベランダから干した

パジャマはサマータオルケットと同じ柄になって、まくらカバーやテーブルクロスなども持っているが、今はもう寝具類は作られていないのだそうだ!

アーティストの仕事は残る。
その人生の中の苦しみが最もいい作品を生むという。
イヴ・サンローランの作品も片割れで見ていた人が、最も苦しんだ時から生まれた作品が素晴らしかったという。

人生は公平だ。
愛した人と学生時代から生活を始めて、それが原因か走らないが、中退となった。

それゆえ、中央画壇では評価はされず、落選した。審査員の先生は、病気で審査をしなかったが、「この作品が落ちるなら、来年は自分は病気を押してでも出て、審査をする。」と言った。どこまでが、情実か?

しかし、本物は神様が引き揚げてくれる。

最もいい時期に。

イヴ・サンローランが名声のストレスと競争相手とのストレスで精神を病んでドラッグやアルコールにおぼれたのに比べ、宮芳平にはそれはなかったのである。宮芳平は、1893年(明治26年)新潟県堀之内町に生まれた。日本海に沈む夕日の美し さに感動して画家になることを決意し、上京後、東京美術学校に入学する。1914年(大正3年)第8回文部省美術展覧会に作品「椿」を出展するも落選、審 査主任であった森鴎外を訪ねたのが縁で、以後、知遇を受けるようになる。文豪と画学生とのさわやかなこの交流を、鴎外は短編小説『天寵』に著した。

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健康の秘訣!

☆よく食べて、よく歩きます!
 どんなものでも、決して残しません。

 朝起きですが、夜更かしです。どうしても夜に寝るのがおしい!
 夜は、涼しくて、精霊がたくさん集まって歓びをそよ風に乗せて運んでくるんですよ。


 9月12日 お月見のお飾り

 9月13日 朝。お月団子の残りを食べる!

        夜。お刺身が食べたくなりました!


 9月14日 朝。遅めにいただいたので、ほぼお昼も兼ねてます!
へちまは黄色い花をたくさんつけてますが、実はなりませんでした。



☆朝顔が折れていたけれど、自然現象でしょう!


☆楽天家なんでしょうね。
厭なことは人並みにありますが、はるかかなたに追いやってしまいます。
見えない遠くに!

動物たちと一緒!

ねこ4匹,ブタ2頭、羊1頭、熊1頭がいます!

夕食は、アサリとタラコ、オクラ、オニオン、トマトのパスタ!
あさりのお味噌汁に、コーン、ポテト、きゅうり、人参、ぼたん胡椒、トマトの温野菜。
巨峰。

 ☆
 トウモロコシは黒姫の名物でとても美味しいのですが、そろそろ店仕舞い。副業が他にあるので、その仕事を、するそうです。

 85歳のお母さんの介護で、ヘルニアになり傷み止めの注射を打ってきたそうです。

 人間として、○の生き方は、
よく働き、子供をきちんと育て、家を建て、親の介護をするということだと思うのだけど、信じられないほど大変になってきた。

 節約、節電、増税!

 若い時は夢を見る。

 未来は無限の可能性があって、若い日には、無謀な企てをたてても、世間はその失敗に、やさしい!

 気がついてみると、常識を求められる年齢になり、分相応な結婚をする。

 社会人ルールが取り囲み、主義主張など言ってられなくなり、生活のために働かざるをえない。

 子供だって、生きているだけでいいとは言ってられない。

 誰にとっても、生きることはたいへんだ。

 それがわかっていながら、アートのために、極貧の暮らししかできなくなり、妻も子も若くして病に死ぬ。

 苦しくないわけがない。

 哀しくないわけはない。

 それで、絵筆をおる人がほとんどで、描気続ける人がほんの一握りになる。

 社会的には大きな負け犬!

 そんな道をわかっても、選ばずにはいられない人の人生の賭け!

☆私もそんな道を選んでしまったのだ。

 芸術とは神を描くこと!

 神を知るものだけが、本物の絵を描けるのだろう。
 

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