January 2nd, 2012

晴れてますねえ!

 私はまだ体調が戻ってないのでゆっくり起き、お昼に2階から降りて来たら、娘が買い物から帰って来ました!
 
 初売りで靴を2足、寝具セットを買ってきました!

 かわいいケーキも買ってきました!


☆ご飯前に1個!
 帝国ホテルのドリアをオーブンに入れてお昼にしました!

☆私がかなりの重症の風邪のせいか、主人は洗濯や皿洗いはしています。
いつの間にかそちら方面の技術がついていて、自分のことは自分でします。

 娘が姑にプチケーキを持っていったら凄く喜んでいたそうです。
私も娘も個展や旅行で忙しかったので、姑のことは忘れていたので寂しかったのかもね。

 おまけにいつも招待するうどんすきとおせち料理が私の風邪でパスになったので気が抜けたお正月だったかも!

☆今年使われなかったお正月用の食器!
3月の地震で2個割れてました!
それでパックして小さな段ボールに入れておきました!


☆一説には1月3日は関東大地震が起きるとあります。
東京におりますが、せめて、割れ物を布や紙で包んでおこうと思います。

ものはものでしかない。
東北の震災で多くのものが壊れ、中には本当に貴重なものもあったでしょう。

中国の文化革命では古い時代の書物や工芸品も燃やされ壊されました。

新しい時代に公平な民の幸福を創るために格差の象徴的なものは消されたのです。
人も学問も文化も、、、。

しかし、どれも一期一夕ではできない。
一族かけて培われてきた文化遺産も蘇らせることは簡単ではない。

現代美術の中国作家のウェイウェイが明時代の陶器を次々と割って行く作品を見たとき、とても愚かしいと思ったのです。

私たちは東北の震災のあの荒涼とした津波の跡の海岸をどう見るでしょうか?
それぞれの家庭の日々の営み。暖かさ。希望と家族の夢が厳しい冬の漁も雪の暮らしを耐えさせていたでしょう。

復興には本当に気の遠くなるような年月がいるでしょう。

瓦礫の中からプラスティックの壊れ物を拾って加工してキーホルダーを創って売っている青年が昨日テレビで紹介されてました。仮設住宅の住民たちがその加工を手伝って600円のうち、100円もらえるそうです。
暇つぶしの生きがいを見つけて1日5000円くらいの収入になるそうです。

それは、フェアトレードに似てますね。ホームレスさんのビッグ・イッシュー販売にも似てます。

紅白を観ていた時、世界中からの応援メッセージを観ていて、「私たちの日本って、こんなに世界中から可哀そうで、頑張れって言われてる程気の毒な国なんだね。」と思ったのでした。

☆深夜には愚かしくもたわいないテレビ番組もありました。
誰かが、日本人を弱く愚かしくしようとする大きな力を感じるといったことがありました。

お正月からアンコールの番組が多く、若者にこの時代にどう生きるか指針となるような番組はなかったように思えます。

☆昨日、たまたま、アンコールアワーで「美空ひばり誕生物語」をしてました。
まだ、若かった森光子さんが芸者の音丸になって元気で出てましたので、相当前に作られたのでしょう。

実空ひばりというのは昭和史そのものですね。
いくつか耳の覚えている音楽。「りんご追分」。

敗戦後、貧しくいて焼け野原の風景は今の東北震災の被災地とだぶります。

歌の好きな上手な魚屋の女の子。

時代が求めていた生きる活力と同じように成長していったのですね。

庶民の女の子がキラキラと光を放つ。多くの貧しく厳しい生活を生きねばならなかった人たちにはそれは神の光のようなものであったでしょう。

平凡な生活価値と厳しい芸能界で生き抜ける母と娘の価値でどこにでもある夫婦のいさかいやほかの兄弟たちへの不公平がある。

誰でも完全には生きれない。
しかし、どれほど多くの人を喜ばせる人生であったでしょう。

☆今は、たまたまつけたチャンネルで明治維新の隠れた英雄のことをしてます。
「山田顕義物語」
山口県萩が舞台です。
松下村塾の生徒だったそうです。吉田松陰の塾は本当に狭い2部屋で成り立っていてだれでも受け入れ農業などもしていたのでした。誰でもが先生で修得した者が次に学びたい者に教えたそうです。
分け隔てなく老人も若者も武士も農民も女も男も。ずいぶん開けていたのですね。

学びたくでもその機会に恵まれなかった者に門戸を開いたというのは凄いことですね。
試験など要らないのにといつも思います。学びたいか学びたくないかだけですよね。
日本の教育はずいぶん歪んだものになって来ている気がします。偏差値。いじめ。ドロップアウトしたら這いあげるのに大変そうです。

萩の郷土料理の紹介してますささなみ豆腐、わかめむすび。
高杉晋作も好みだったとか。

☆「この国の将来を頼む」教育。
吉田松陰の正しく行動する生き方。そのためには狂わなければならないという。
世が正しく生きるのは過酷すぎるほど抵抗がある以上。

今の時代でも、日本のあちこちで志のある青年たちを育てている塾があるでしょう。
逼塞していても、正しく生きる青年たちを導いている人はたくさんいるはずです。

この夜を動かしているのは人です。(テレビのセリフ)

☆松陰が山田顕義に送った扇に書いた言葉というのがとても素敵でした。
今も残っています。

人と異なることを恐れてはいけない。

百年の時は一瞬にすぎない。

君たちはいたずらに時を過ごすことが無いように。

☆松陰先生の遺志を継ぐために倒幕のために戦った青年たち。
松下村塾で学んだことを次の世代に伝えなければならないと。

日本はまだまだ発展途上です。(テレビのセリフ)

山田は軍人となり、法治国家を夢見る。
法の精神を正しく理解することが日本の幸福に。日本法律学校成立。

☆皆が幸福になるのには誰にでも同じように幸福になる権利が開かれていなければならないと思います。
生まれも
育ちも
学歴も
人種も
姿かたちも
問題なく。

私たちが超えなければならないものは多いですが。

☆こんなニュースも見つけました。

<吉田松陰>獄中から兄宛ての年賀状 下関の収集家保管

毎日新聞 1月2日(月)10時34分配信
<吉田松陰>獄中から兄宛ての年賀状 下関の収集家保管
拡大写真
松陰が獄中から兄に出した賀状=山口県萩市椿東の松陰神社で、尾垣和幸撮影
 幕末の思想家、吉田松陰(1830~59)を祭る松陰神社(山口県萩市)所蔵の文書類のうち散逸していた賀状とみられる書簡が同県下関市の男性方で保管されていたことが分かった。獄中から実兄の杉梅太郎に宛てた1855(安政2)年1月1日付で、縦23.4センチ、横33.5センチの和紙に「雑煮満腹腹雷鳴」(雑煮で満腹になり腹で雷が鳴る)などの漢詩もつづられている。同神社は「特徴などから本物に間違いない。獄にいても明るさを失わない松陰と家族の強い絆が感じられる」と再会を喜んでいる。

 古書収集家、長岡完治さん(53)が約10年前、東京都内の百貨店であった古書市で購入した。新年のあいさつで始まり「今朝食雑煮」(今朝雑煮を食べ)「山亭ニての如し 是戯謔之初、初笑々々」(昔の杉家の事のようです。これはおどけの始めです。初笑い初笑い)などと書かれている。

 同神社によると、写しや文言は「吉田松陰先生遺墨帖(いぼくちょう)」(1926年、山口県阿武郡教育会発行)や「吉田松陰全集」(35年発行、山口県教育会編)にあり、和紙のほつれやシミなどの特徴が一致した。投獄先は一種の隔離施設で、差し入れや書状のやり取りなどは自由にできたという。賀状は40年代前後にかけて紛失したらしい。

 松陰は1854年、下田港(静岡県)で米艦船に乗り込み密航を計画したが失敗。出獄後、高杉晋作(1839~67)ら多くの志士を育て、明治維新の原動力となったが、59年に老中暗殺を企てた罪で処刑された。

 鑑定した同神社宝物殿「至誠館」学芸員の近藤隆彦館長は「松陰が兄や父母に支えられている様子が伝わり、優しさとユーモアにあふれている」。長岡さんは「困難な状況でも前向きな姿勢を失わない姿から学ぶところは多い」と語った。

 松陰の恋を描いた小説「野山獄相聞抄(のやまごくそうもんしょう)」などの著書がある下関市在住の直木賞作家、古川薫さん(86)は「松陰にとって獄中生活は静かに読書のできる精神的に安定した時だった。書簡は約620通残っているが、元日の物は唯一。貴重な発見だ」と関心を寄せている。【尾垣和幸】

地震が起きたら!さとなおのいろんなブログのコピーです。

震度7の真上にいた人間として、どうしても伝えたいことがあります。

それは「地震がおこったらどういった行動をとればいいか」ということ。

経験者にしか語れないことってあると思います。どんなに想像力豊かな人でもその場にならないとわからないことってあるのです。

いろいろありますが、箇条書きにしていきますね。「家自体は倒れなかった」「火事に巻き込まれなかった」ことを前提として話をすすめます。


●「まず火を消せ!」のウソ
震度7級の地震だったら、まったく動けません。
近くの家具につかまって身体を支えるのがやっと。183センチの大男でスポーツをわりかしやっていたボクですら、ベッドから一歩も動けなかった。
とにかく「一歩も動けない」と思っておいた方がいいです。
だから火なんか消せません。第一、四方から家具が倒れてきます。下敷きにならず怪我しないのが精一杯でしょう。んー、机の下に隠れるくらいはできるかな、どーかなぁ、というレベル。火事にならなかったらラッキーなのです。(もちろん揺れがおさまったら火は消しましょうね)

●「まず水をためろ!」これがポイント


揺れがおさまったら、まず水。これは覚えておいてください。

特にマンションに住んでいる方、揺れ終わったらすぐに、風呂、バケツ、シンク、桶…なんでもいいですから出来る限り水を貯めましょう。揺れてすぐに水道管が壊れて水が出なくなるけど、マンションだったら屋上の貯水槽にまだ水がある。それを貯めるんですね。

火を消すためではありません。飲用でも料理用でもありません。「トイレ用」です。いやホントこれが死活問題になります。
都会の地震ならなおさら。小学校に行こうが公園に行こうが、どこに行こうが水洗便所しかありません。ってことは水が出ないと流せない。汚物は溜まる一方。地震後どこ行っても便器はてんこ盛りで、しゃがんだらお尻につきそうでした(汚)。地震当日の夜でその状態。もう自分の家でするしかありません(都会だと野糞する場所もない。特に昼間。そして都会人はなかなか野糞など出来ないものです)。

普通の水洗で1回にどのくらい水を使うか知ってますか? バケツ2杯分でちょっと足りない。そのくらい使うのです。自衛隊の給水に長時間並んでもいいところ1人で運べるのはバケツ2杯。そう、1回並んで(1時間くらい)トイレ1回分しかもらえないのです。
10階に住んでいたら、重いバケツを階段で必死に運んで(エレベーターもちろん止まってます)やっとトイレ一回分なんです。20階に住んでたらどうなると思います? 高層マンションの上の方に住んでいる方はマジやばい。ご老人や身体が不自由な方、体力のない方など、まじ死活問題です。

ですから、「まず、水をためろ!」

一軒屋の場合でもすぐ近くの水道管が切れない限り少しは出ると思います。でなければ近くの公園とかに出かけていって公共の水道から出来るだけ多く水をもらっておくことです
そんなの利己主義だと思う方。地震後の辛さを知らないからそんなこと言えるんです。地震は戦争。まず自分の分を確保してから分けてあげればいいのです。確保してから「水あります」と貼紙した家がありました。正しい態度です。

●屋内でも靴を履く
1日の半分は夜です。暗い中で地震に遭遇する確率は1/2なのです。大地震が起こったらすぐ停電しますから、夜の7時であろうが真の闇になります。
何が言いたいのかというと、暗かったら足もとが全くわからないということです。グラスやガラスや食器がそこらじゅうで割れまくっています。ですからガラスの破片で怪我をする確率が高いんです。
いいですか。
水がでないから傷口洗えない。清潔にたもてない。病院はもっと重症の患者で一杯。ざっくり切った日にゃ大変です。足の裏を切ると歩けません。火事から逃げるのもヨタヨタです。
高層マンションに住んでいる方。エレベーター止まります。止まったきりで当分動きません。水とか食料とか近くの避難所にもらいに行くのにいちいち階段を上り降りしなければなりません。足の裏の怪我は致命傷なんです。
ですからまず玄関にそうっと足怪我しないように歩いて行って、とにかく靴を履きましょう。床汚すの嫌なら新品おろしましょう。

●家を離れるときは、必ずブレーカーを落とす
「通電火災」って言葉知ってますか?
電気はガスや水と違って半日~3日くらいでかなり復旧します。一応電力系の会社が各家を回って人がいるのを確かめてから通電するのが原則らしいのですが、そんなもの不可能なので勝手に通電されることも多いのです。で、その時に起こる火事が「通電火災」。実際、阪神大震災での出火原因の6割は通電火災であるとすら言われています。

ボクの家の前など、アスファルトにあいた地割れ穴から、カゲロウになって向こうが見えないくらいガスが吹き出していました。通電の際の火花がこのガスに引火するケースがあります。また倒れた電気ストーブに再び火がついちゃったり(転倒感知システムがついていても倒れた後その上になにかが被さると働かないこともある)、落ちた裸電球も紙の上に落ちたりしていた場合危ない。熱帯魚用のヒーターもかなり危ないらしいです。
その時家に誰かいるのならなんとか「通電火災」を食い止めることが出来るとは思います。でもいなかったら無理。地震後何時間も経ってから火事になった家なんて掃いて捨てるほど神戸にはありました。ほとんどが「誰もいない間の通電による火災」。

そう、もうわかりますよね。ブレーカーを落としちゃえばいいのです。
地震後、家をなにかの用事で離れるときは、それがほんの短い時間でもブレーカーを落す。忘れないでね。
※震度5以上で自動的にブレーカーが落ちる装置も売ってますね。

●電話はすぐに。最低限の人だけに


時間帯にもよるけど、揺れがおさまって30分くらいは電話も繋がることが多いです。電話する余裕なんかない人も多いし、地震があった地域以外の人はまだニュースを見てなくて知らないことが多いから。
だから、両親・親戚・恋人、心配してくれそうな友達、会社関係にまず電話しましょう。
無事を知らせるのです。それだけ。
とにかく最低限の人数に、無事だけ知らせる。
そして、知り合いの誰彼に伝えておいて、と一遍に伝言しておくことです。

繋がらなくなり始めたらもうダメです。当分無理。それと、「こんなにすごかった」「もう死ぬかと思った」などの長電話は迷惑です。電話は文字通りライフラインになるので、くだらない話で電話線をふさがないようにしましょう。ケータイなんてもっと繋がらなくなるでしょう。

なお、新潟大地震では、ケータイ電話は通じなかったけど、ケータイ・メールは繋がったらしいです。メールはパケットだから時間掛かっても届くみたいです。連絡はケータイ・メールでするのが正解かもしれません。

●街を行くときは、電線と地割れに注意
道も地震直後はすいています。車で脱出するなら決断は早いほどいいです(ただし道が壊れたりビルが倒れたりしていて脱出できないことも多い)
あ、東京みたいな大都市なら車は避けましょうね。すぐ大渋滞になり救助の甚大な妨げになります。それに、逃げる途中で立ち往生したら家にも戻れないし先にも進めないという地獄状態になります。

これはモラルの問題でもあります。地震後1~2時間たったらもう車を出してはいけません。常識です。緊急救助作業車や消防車、救急車が渋滞で立ち往生しているニュースを繰り返し見たでしょ。
地震直後ならぎりぎり許せます。どうしても!な理由がある場合はすぐ決断してください
ただ東西南北どっちに逃げるかは判断すごく難しいけど(どこどこの被害がスゴイとかの情報って地震直後は全く入ってきません。ラジオでも情報確定するまで 2時間くらいかかります。阪神大震災でも、直後1時間くらいは「大阪で大地震」って報道でした。大阪なんて震度5程度だったのに。まぁいいやと見切り発車しても、逃げた方向の被害の方がもっとスゴイ場合だって十分考えられるのです)。

で、逃げる際なにが怖いって高圧線と地割れ。電線はいたる所で切れて垂れ下がっています。地面は「うそー」というくらい割れています。アスファルトがもう鉤裂き状態なんです。スクーターが地割れに突っ込むのを何度か目撃しました。
運転も注意。地割れってわりと見えにくい上に、まわりの家の倒れ方の凄まじさに目を取られて注意が疎かになるのです。ゆっくりゆっくりカタツムリのように運転しましょう。



とにかくね、体験的に一番辛かったのはトイレの水。
え~、そんなの極限状態になったらなんとでも我慢できるぜ、流せなかったらそこらの路地でしてもいいし、なんて思った方もいるでしょうね。
でもなかなか野糞は出来ませんよ。都会では。
それに人間、我慢できる部分と出来ない部分があるんです。なってみたらわかります。特に共同生活している人。夫婦とか、両親と住んでいるとか。そういう人はどうしてもなにがあっても「うんこ」を流したくなるから。

ということで。
少しでもお役に立てたら幸いです。

97.3.1記(02.9.1、一部だけ改訂)