February 11th, 2012

職業と収入!

震災失業の雇用にたいして、ボランティアの寄付が瓦礫運びなどに給金を与えているという。

 テレビで現在は仙台の「笹かまぼこ」をやっている。
会社は1億円の貸し切れ金があり、借金ができないが返す必要のない寄付金や理解あるファンドのお陰で可動が早かったという。

 私も少しでも東北のものは買うことにしている。
 12万人にも及ぶ失業者の根幹的な解決ではない。

 今年は復興元年。夜中の2時頃のドキュメントは多くの人に見られない時間帯で残念。
☆お風呂上がりの今、テレビを観ているのだが、8時頃から2時までは仕事。

 多くの「発言小町」の常識人によると、好きな仕事で収入を得るのは甘いということであった。

 もう、64歳の私は来年は年金をいただける。
 
 この震災後の日本の若者は気の毒だ。
 もう、絵を描いて食べられるという甘い夢はみられない。

☆しかし、私たちの若いときでも、「絵描きって何だろう?」と思うことが多かった。
個展にいくと、
 「貧乏で、夫に浮気され出てかれ、女一人で子供を育てねばならない。」と画家が言うとき、私たちは絵が好きかどうかというよりも、インドの手足を切られた子供のように「絵を
買って助けなければいけないのではないか。」と思わされる、絵描きってお情けを頂いて食べ
ていく仕事なのか?

☆私の母の父、つまり祖父は絵描きだったという。なんでも7つの蔵を潰した穀潰し画家だった。それでも、そこそこ絵が売れたりはしたそうだ。
 しかし、そんな経験によって、母は絵は売れないものと思い込んでいた。

 それで、手に職をと言うことでデザイン科に限って受けさせてくれたのだった。
将来、独身でいても夫に死なれても離婚しても食べていかれるようの。

☆若いというのは世間知らずの怖いもの知らずで、大学出て直ぐ勝手にフリー-ランサーのグ
ラフィック-デザイナーになった。

 バブルの只中で、そんな私でも生きてこられた。

 景気がよくて、活気溢れたあの時代は大人たちが大人たちらしかった。

大人は若者を助けるのが普通だったし、大人たちも甲斐性があったのだ。

☆私の20代は世の中の景気が良く、誰でもが多少は潤っていた。
貧乏も恥ずかしいものではなく元気溢れる若者の気負いのようなものにも見えた。

 産業デザイン科で、工業デザイン、インテリアデザイン、グラフィックデザインの基礎を学んだのでレタリングもできたし、青図もレンダリングもパースも描けたのだった。

 私は版画も作ったので、実験的に民芸品屋やクラフト-ショップに持ち込んだこともある。お金がないときはアルバイトもしたが、どこでも記録的に売り上げてしまうので向こうも絵や陶芸作品を買ってくれたりした。

 当たり前に親からは1円ももらえなかったので、沼部の図書館で本を借りたりもした。

 少しでもお金ができるとフランス語を習いにお茶の水に通った。キリスト教会館というところでフランス語を学んだときは、5,6人のクラスだったが私以外は医者の奥さんで優雅なたしなみのようだった。絵描きは貧乏なので、彼女たちから見たら「お気の毒な方」だっただろう。スイス人の宣教師の先生もきれいな独身の年配の女性だったので、差別などされずサイン帳を買ってくれたり生き方をちゃんと受け入れてくれた。

 独身でいることは私の選択だったのだ。

 好きなことをしてお金を得ていた私は、常に罪悪感を持っていた。
アルバイトで裏方の報われない仕事も見てきたからだ。
表具屋で掛軸の裏打ちや箱作り。決して納得のいかない仕事をしている人も賃金を得るために黙々と仕事をしていた。それでも、喜びがあって「娘が大金もちに嫁いんだよ。」とか「息子が麻布に通っているのよ。」と家族のために働く誇りがあったのだ。

 人間は何かひとつでも希望と誇りがあれば、仮にもっと卑しい仕事でも頑張れるのだ。

 逆もたくさん見てきた。大金持ちの誰でもが知る大企業のオーナーで美男美女のエリート夫妻にもどう頑張っても夢の持てない子が生まれたりもする。

 それもずいぶん悔しく辛いことにちがいない。

☆私はあまりにも普通だった。身長158センチ。お洋服サイズも9号。
健康で泣き虫のいじめられっ子で人を傷つけるよりは自分が傷ついた方が楽なタイプ。

 それであまり自己主張しないタイプ。
現実の世の中では損なタイプらしい。

 それでも、生きてこれた。
 どこかで辻褄があってるのだ。

☆少し才能があるとしたら、それを得る方法をしっているということ。
他人のために無償で働くときに、目に見えないランクが上がるということ。

天(あめ)の妃、乙女マリア!震災から11カ月後。


雪が降っているのでろうそくの火がすぐ消えてしまうのです。吊りがたのキャンドル-スタンドが思いもがけずやくにたちました。中軽井沢の「ハルニレテラス」で半額だったものです。





2時46分 黙祷。

雪が屋根から落ちるたびにすごい音がするので、聖母様は大丈夫かなと外に見に行くのですが、ろうそくの火も無事でした。
テレビでは陸前高田市や福島の三春の方のうつされた仮設住宅や気仙沼の商店街の復興模様を
を放映してました。ショックだったのは、三春市では直接震災の被害はなかったものの、仮設住宅に移ってからストレスで17人も亡くなられたニュースでした。私も室内温10度の暮らしで心を合わせてますが、仮設住宅の不自由を思うと甘い感傷です。(恥)






原爆投下は5時間前に軍は知っていたそうだ!

 今、NHKスペシャルで放映してました。
「今も同じことが起きているのではないか?」
 政府は知っていて、国民の命を平気で無にする。









☆国民を犠牲にして日本国の中枢部はなにを得たのだろう?
東北の震災もこれほど犠牲を強いる復興費を払うより前に防げなかったのか?

 福島の子だって、せめて1週間内に疎開させてあげたら食べ物の体内被爆からも免れたはずだ。

 国は守ってくれない。
 国は騙すのが身に付いている。

この頃は魚を買うときの表示「太平洋」。
50%引きのお肉のバーゲンセールは、群馬、茨城産。
挽き肉は表示がない。

 さあ、仕事!

鶯きなこ餅とチョコ-シュークリーム!
夕飯がわり。


昨日からエジプト-マトリョーシカを作り始めてますが、これが難航中。