February 14th, 2012

春を待つ!

今日は曇りです。
少しづ雪が溶けてます!
ストーブのおかげで屋根の雪が落ちやすいです。


湖の氷も溶けはじめてます。


お花は満開!


昨日買った御寿司は半額でしたが賞味期限は今日!


今日はケニア-マトリョーシカを完成させて、室内で読書とビデオ-タイムです!
夕方までに雪が降ったりやんだり!




5時30分頃です。
ご飯を炊いて、ぶりを焼いてる最中です。

マトリョーシカを塗っている間は乾かしタイムにいろいろなことができます。
ケニアのお母さんマトリョーシカは赤ちゃんをおんぶしてます。ケニアのひとはとてもスリムなので、マトリョーシカ体型で表現するのは難しいですね!

 次はアメリカ-マトリョーシカでネイティブ-インディアンです。

「無言歌」

「無言歌」ワン-ビン(王兵)監督作品



表紙の写真のひとは実際の生存者で種を拾って食べてるところ。

プログラムよりコピー
P3.
1949年、毛沢東の革命は希望だった。
1956年、毛沢東は自由な批判を歓迎するといった。
人々は未来を思い、はつらつと発言したものだ。しかし、その数ヶ月後ー
彼らを弾圧する「反右派闘争」が始まった。
彼らは騙されたのだろうか、彼ら自身の政府に。

1960年10月 中国西部甘粛省。
反革命思想の右派と呼ばれる人たちが「労働改造」を命じられ、木ひとつ生えていない地に、ほとんど水だけの食料を与えられ農業に苦役させられる。妻たちから次々と「離婚」証書が送られてくる。餓えと過労で死者が続出で3分の1しか働けない。
氷点下20度。配給は1日ひとり250グラム。ロンジンの時計を持っていても食料にならない。
玉蜀黍をなまで食べて吐いて死ぬ。その吐いた種を食べるもの。ネズミを捕まえて食べるもの。飢餓は極限に達しペンを取る力もなくて、代筆の手紙で家族に食べ物を求める。
人肉を食べて処刑されるものも。

 ある医師だった人が死期を感じ友に妻が上海から来たら遺体を上海に持っていってほしい
頼み、共同の墓地に埋めないことを頼むがばれてしまう。
妻も医師だが上海から来て遺体を教えて暮れと頼むが「知らない。」と嘘をつく。なぜなら、死ぬときのためにとっていた新しい衣服を剥ぎ取ったものがいて、ももや脹ら脛は食べられてしまったからだ。妻に見せたくなかったが、妻は一人で墓を掘り起こして見つける。遺体は見つかり、焼いてその骨をもって妻は上海に帰る。

 主人公の李は脱走を試みる。師の老(ルオ)教授は一緒につれてってくれという。それで病弱の師をオブって脱走する。砂漠で「もう自分は無理だ。師の言うことを聞け。」と教授は残ることを宣言する。李はたった一枚の上着を脱いで師にかける。「私は若いから。」と。

 囚人たちがあまりにも死ぬので郷里に返す運動になった。
人が死ぬと布団も衣服も盗むものがいるが、看守は「死ぬものより生きているものが大切だ。」と言う。看守はそっと「君はここで自分の手伝いをしないか?」と帰るうちのないものに言う。「郷里に帰っても右派は右派だ。」と。

 逃げのびた李は、教授に自分の名が書いてある上着をかけていたので、死体を発見した看守もボロボロに風化した遺体を李だと思い追わなかった。