March 6th, 2012

1年前の予言アート!「再生」


Installation by Ruiico 6.7.8 March 2011
Location;Kamiyama Shinano-machi Nagano prefecture Japan
このビデオは昨年2011年3月11日前に撮影されたものです。
この最後の場面に出てくる焦げたバスケットから麦の穂が出てくる作品は、そのとき既に「再生」というタイトルがついてました。
なぜでしょう?
黒姫高原に住む若いアーティストの松田朕佳さんに誘われて2011年3月5日(土曜日)に、3つの作品をだしに持って行きました。焦げたバスケットから色鮮やかなチューリップで出ているものと、焦げたバスケットから麦の穂とキノコが出ているものと、キティちゃんの顔になっているバスケットです。
これは、松田朕佳さんのYOU TUBE「雪の上の遊ぶ」に貼りつけられたものです。
証拠というわけで、私の作品には「Rebirth」というタイトルがすでに付けられていたのです。





この麦の穂はフランスのゴッホの終焉の地の美術館で戴いたもの!

ねこバスケット!これは雪の上で遊ぶ子供たちが喜んだらいいなと思って作ったもの。


☆不思議ですね!
 3月11日の前に、焦げたバスケットから「再生」して花や麦やキノコの発生まれる作品を公に作っていて、こうして記録も残っているのです。

 そして、自分が自分の神山コテージでインスタレーションをして撮影したビデオも3月11日前でした。
インスタレーションしたものはLovely Coffinsというタイトルの100個の陶芸で作った棺桶なのです。
その棺桶に詰められたのは人類の罪のシンボルです。

 2年間かけた陶芸で作ったものです。

そしてボストン美術館付属スクールで4月に1カ月かけて発表された「100 Lovely Coffins and One empty Cradle」はPrie-Dieu (フランス語で神に祈る)という祈りの椅子の前に、インスタレーションしました。

 本当はこの上に大きな蚊帳を吊る予定で9月に日本に帰国し滋賀県の蚊帳会社にオーダーして持ち運んだのですが、展示2週間前に急に美術館規定で防炎防水加工してないものは展示できないとボストン美術館側に言われたのです。半年前からどのような作品を作るかキューレーターに報告していたのにもかかわらず、展示直前で蚊帳の防炎防水加工の時間はなかったのです。

 今、思うと、これがよかったのかもしれません。
 ボストンで展示していたら日本で蚊帳は吊らなかったでしょう。
 これも神の意図なのですね。

 その作品も半年後の9・11の予言になったのでした。

それで、日本に帰国以降3度「蚊帳教会」をすることになったのです。
アメリカの奴隷船やインディアン虐殺を作品にしたので、妨害もたくさんあったのでした。
日本で2010.8.11に神山コテージでしたインスタレーション「蚊帳教会」です。

2010年8月11日に長野県信濃町の神山で行われた画家・縷衣香(Ruiico)さんのインスタレーション・アート。第3回「蚊帳教会」の模様を収録したショート・ドキ­ュメンタリー。
かって私たち日本人は夏になると寝間に蚊帳を吊り、家族全員がその中で眠った。蚊から身を守るためだが、麻で編まれたそのヴェールの中には家族の温もりと日々の労働から解­放されて心安らかに眠りへと誘う神秘的な空間が存在した。しかしやがて経済の発展に伴って日本人の居住環境も変化し、現在では蚊帳を吊る家庭はほとんどなくなってしまった­。
世界の各地で頻発する宗教や民族間の紛争、人種差別や経済格差、家庭崩壊、そして自然破壊などなど、山積する課題を背負って生きる私たち。このような過酷な現代社会ゆえに­ こそ、たとえ一夜ではあっても、人々が互いに心を許し合い、地位や人種、年齢や性別の垣根を越えて、この蚊帳の中で共に平和を祈りながら心安らかな眠りに就くというかって­の日本人の生活スタイルを体験しようという試み。
信州信濃・野尻湖畔の美しい自然...林の中に吊られた蚊帳とそこに集う人々のささやかな安穏の記録。
This is a short documentary of an installation and an event "Kaya church the 3rd" by a painter, Ruiico in Shinanomachi, Nagano, Japan in August 11, 2010. In Japanese tradition, we used to hang a mosquito net in a bedroom at night and slept
☆☆☆
 2001年4月にボストンで発表した「100 lovely Coffins and One Empty Cradle」は、その半年後の9.11の予言になりました。

「万里の長城を棺桶に」世界中から境界が無くなりますように!


 芸術とは何か?
 芸術は神のメッセージの代弁者です。

 私が20歳の4月7日に、神にあった。
 神と契約を結んだ。
 「真理と愛と美はひとつ。同じもの。」だと神は言った。

 「人類が不幸なのは、目に見えるものしか信じられないからです。
 だからあなたは美を使って人類への愛のために真理を目に見える形にしなさい。」
 と神は続けた。

 その日以来、神の意志を生きるアーティストとして生きた。

 棺桶には人類の罪が詰まっていた。
 飢餓、原爆、差別、奴隷化、、、。

 そして、2001年の4月には、100個の棺桶の上に空のゆりかごを数千個吊るした。

 私たちは揺り籠に中に何を入れなくてはならないか、知らないのである。
 
 それを探すためには祈らなければならないと。

 謙虚に神の前にひざまずかなくてはならないと私は「Prie Dieu」という椅子を置いたのだった。
 神の前に祈るための椅子だ。
 それも不思議にガウディのカーサ・ミラのドールハウスにあった小さな椅子の人間の使い椅子を求めて、偶然パリの蚤の市で探すことができた奇跡の椅子だ。

 もっと おまけに言えば 北軽井沢のドームハウスでの「蚊帳教会」で撮影したときに、聖母マリアが手を広げた光の画像がこの椅子の前に現れた。

2007年8月11日







2010年8月11日




以下詳細は「マリア・コード」で


アートスタディ!



アートスタディーズも9年間続けていて、
いよいよ最終段階になって来ています。

本日は1965年からの10年間です。
1970年に万博があり、そしてニクソンショック、さらには石油ショックが起きるのですが、美術で言えば、日本に反芸術が台頭し、さらに非芸術が花開くという、モダニズムアートの最終段階に至る時代です。

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1965年~(1974年)の美術 反芸術の自立化の幻想

 65年のアメリカの北ベトナム爆撃(北爆)の開始を背景に、ベトナム戦争反対の反戦運動を主軸に反体制運動が広がり、物質文明と言われた近代の産業社会の文明的な秩序が壊れていくプロセスとなる。。
 
 この中でアートテロリズムが花開いたが、その代表は赤瀬川原平であった。1月27日、赤瀬川原平の千円札模型などが検察証拠品として押収されて、千円札裁判がこの年から67年にかけて行われる。
 
 加藤好弘と岩田信市のゼロ次元もアートテロリズムを先鋭に示して、「なにを出しても、なにをしても可」を合い言葉に活発なパフォーマンスを展開する。その一つは東京の路面電車・都電を借り切って全裸の男女を乗せて走らせる「電車内寝体儀式」であった。

 こうしたものは《原-芸術》《芸術》性はないのだが、《反-芸術》という概念に依拠した表現であった。
 
 高松次郎の「影」のアートパネルとも言うべき作品が、やはり65年に登場する。アートパネルといったのは、高松の作品には《原-絵画》《絵画》性はなくて、「不在性」のイラストレーションとも言うべきものであったからである。

 そしてゼロ次元同様に《原-芸術》《芸術》性は無いのだが、《反-芸術》があることでこの時代特有の文明的な崩壊状況を表象した。
 
 産業化社会の物質文明の崩壊は、シニフィアンとシニフィエの分離というシーニュの原理的な解体まで及んで、美術作品は一方で物質的な存在に還元される一方で、非物質的なバーチャルな非在性に還元された。
 
 物質の存在そのものへの還元は、戦前の斎藤義重にみられたものだが、多摩美術大学での斎藤の教え子であった関根伸夫らによって過激化されて、もの派というグループと作品様式を成立させた。

 これらは《非-芸術》であった。《非-芸術》の台頭が、反芸術運動の息の根を止める。
 
 もう一方の芸術の非物質化は、64年「オブジェを消せ」という啓示を受けて概念芸術家としての活動を始めた松沢宥に代表される。

 これもまた《非-芸術》であって、《原-芸術》《芸術》性は無かった。

 アメリカにおける概念芸術家であるコスースが、《原芸術》《芸術》《反芸術》《非芸術》《無芸術》の全領域性を持っていたのに比して、日本のそれは痩せ細っていた。
                             (彦坂尚嘉)

3.11万葉集 復活の塔!


昨日アートスタディで著者の彦坂さんのサイン入りの本をゲットできました。
本屋さんに並ぶ日も近いようです。


和歌というものはいいものですね。
日本人の心に刻まれる5・7・5・7・7
P1より抜粋。
「万葉集」とは7世紀後半から8世紀にかけて編纂された日本最古の歌集で、天皇、貴族、有名歌人ほかに約半分が庶民から集められたものです。
P2より抜粋。
この「3.11万葉集 復活の塔」は南相馬市牛河内に建てられた仮設住宅に住む63戸の住人と南相馬市立鹿島中学校68人の生徒と詩人、歌人よ今上天皇美智子妃殿下の歌を集めて本にしたもの。

                  
P34                   とき
      わざわいを福くる島に興す秋
                                   大富梅
P60
      毎日を一日一日大切に 輝く光へたどりつくまで
                                   佐藤優衣(中学2年生)
P64
     夕飯を家族そろって食べられる 当たり前でも幸せなこと
                                   鈴木志帆(中学2年生)
Family gathered
Eating supper together.
Something so mundane,
Something so joyful.
Shiho Suzuki

☆仮設住宅も大変立派なもので五十嵐太郎氏の心意気を感じる木の声が伝わってくるようです。
自然は味方でもあると。

 また「復活の塔」と命名された和歌の塔のデザインも素敵ですね。
高さ8メートル10センチ 福島県南相馬市牛久被災者住宅地

「復活の塔」という作品は、アーティストの彦坂尚嘉のポスト・ミニマリズムからサントーム・アートへの探求に根拠をもつものです。(ご本人の記述より)

東京の生活はやることがたくさん!

クラムチャウダー(サンジェルマンで購入)と、家にあるもので!



☆やはり妙な疲れがあります。
姑は2日3日と京都に宿泊したようです。

娘から大きなトランクが2個届いてました。
それで、収納が可能なように私が何とか片づけるわけです。

おやつ?

夕食!



今日は夜更かしで疲れが出て、あまり家事を頑張れなかったです。
でも、夕方目黒駅まで買い物に出て、野菜やパンなどいろいろ買って帰りました。

スープはできあいのオマール海老のスープです。

☆父の様子を弟に電話をして尋ねたら、もうベッドから起き上がれないらしい。
風邪を少しでも弾いていると遷したら命取りなので、少し我慢して訪問を遠慮。

娘のほうは段ボール10箱送ったそうで、明日はいえ部屋片づけをもう少ししないと!

☆テレビで福島原発の7キロメートルいないに店舗を構えていたコンビニ経営者の家族や店舗を使えなくなった百貨店がインターネット販売を始めるところや浪江街の住民暮らしを紹介していた。

 東京の自宅の近所の道路があちこちひび割れている。自宅の壁の塗り替えもひび割れを修復した意味のようである。

 子供たちの被災による転校も辛い体験だ。

 私の子もずいぶん転校したものだった。理由は被災ではなかったが。

 人間力が試される。