March 9th, 2012

「生きた、描いた、愛した~モディリアーニとその恋人の物語」




BS名作選 HV特集「生きた、描いた、愛した~モディリアーニとその恋人の物語」

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チャンネル:BSプレミアム
放送日: 2012年3月8日(木)
放送時間:午前9:30~午前11:10(100分)
ジャンル:ドキュメンタリー/教養 > カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 > 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 > 自然・動物・環境

番組HP: http://www.nhk.or.jp/archives/bs-archives/

番組内容
35歳の若さで亡くなった伝説の天才画家アメディオ・モディリアーニ。彼には、命をかけて愛した女性がいた。モディリアーニの愛と青春の物語を綴る。

詳細
たぐいまれな美男子でありながら、酒と麻薬におぼれ、才能を世に認められる前に35歳の若さで亡くなった伝説の天才画家アメディオ・モディリアーニ。モディリアーニには、命をかけて愛した女性がいた。2人の間には娘もいたが、モディリアーニの死後、彼女は嘆きのあまり、2日後に後追い自殺してしまった。モディリアーニの愛と青春の物語をつづる。

出演者ほか
鴻上尚史, 【キャスター】森山春香

☆モディリアーニと妻ジャンヌの物語展 (美術展) ... 【会期】2007 年4月7日(土)~6月3日(日) 【会場】Bunkamuraザ・ミュージアム ..
ココに行ってジャンヌの絵も観ました。

アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani、1884年7 月12日 - 1920年1 月24日)は、イタリアの画家、彫刻家。主にパリで制作活動を行った。
目次
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* 1 来歴
* 2 エピソード
* 3 作品
* 4 代表作

来歴 [編集]

1884 年にトスカーナ地方のリヴォルノに生まれた、セファルディ・ユダヤ系のイタリア人である。芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家の一人に数えられる。

モディリアーニはヴェネツィアで美術学校に通った後、1906年にパリへ移住した。1907年と1912年にはサロン・ドートンヌ、1908年、1910年、1911年の各年にはアンデパンダン展に出品している。最初は彫刻家を志し、1915年頃まではアフリカ、オセアニア、アジア、中世ヨーロッパなどの民族美術に影響を受けた彫刻作品を主に作っていた。しかし、資金不足と粉塵による健康の悪化などの理由により断念せざるを得なかった。しかし、その間に残した一連のスケッチからは、後の作品の特徴であるフォルムの単純化の過程を知ることができる。

1914 年、パリでも著名な画商ポール・ギヨームと知り合い、ギヨームや友人のマックス・ジャコブの勧めもあって1915年頃から絵画に専念し画業を始める。シャイム・スーティンや藤田嗣治やモーリス・ユトリロとも交友関係にあった。1916年からは、画商レオポルド・ズボロフスキーと専属契約を結び、絵をすべて引き取る代わりに画材などを提供してもらった。

絵画の代表作の大部分は1916年から1919年の間に集中して制作されている。モディリアーニの絵画のほとんどは油彩の肖像画であり(風景画はわずか3点)、顔と首が異様に長いプロポーションで目には瞳を描き込まないことが多いなど、特異な表現をとっているが、これは自身の彫刻の影響が指摘されている。なお、初期にはピカソの『青の時代』やポール・セザンヌの影響を受けた絵を制作している。

1917 年にはベルト・ヴァイル画廊にて、生前唯一の個展を開催したが、裸婦画を出展したのが元で警察が踏み込む騒ぎとなり、一日で裸婦画を撤去する事態となった。同じ年、後に妻となり裸婦像などの絵画モデルを務めた画学生ジャンヌ・エビュテルヌと知り合っている。彼女を内妻とし、1918年に長女ジャンヌをもうけるも、貧困と生来患っていた肺結核に苦しみ、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生で荒廃した生活の末、1920年1 月24日に結核性髄膜炎により死亡した(飲酒については肺結核による咳を抑えるため仕方なく飲んでいたとも言われる)。35歳没。ジャンヌもモディリアーニの死の2日後、後を追って自宅から飛び降り自殺した。この時妊娠9ヶ月だったという。ジャンヌの遺族の反対もあり、二人の遺体は10年後になってようやくパリのペール・ラシェーズ墓地に一緒に埋葬された。
ペール・ラシェーズ墓地にあるモディリアーニとジャンヌの墓石

モディリアーニの生涯は半ば伝説化しており、映画化もされている。

* 『モンパルナスの灯』(1958) 監督:ジャック・ベッケル、主演:ジェラール・フィリップ、フランス映画
* 『モディリアーニ 真実の愛』(2004)監督:ミック・デイヴィス、主演:アンディ・ガルシア、6カ国合作

だが、近年になりジャンヌの写真や絵画が再発見されるとともに、伝説と化した彼らの生涯の再評価が始まっている。
エピソード [編集]

* ピカソに12年前の借金を返済されたとき、100スー(5 フラン)の借金に対して「利子」と称して20倍の100フランを請求したという。

* 1歳2ヶ月で両親に先立たれた娘ジャンヌはモディリアーニの姉フローレンスに引き取られ、フィレンツェで育てられたが、はじめは両親をめぐる事実を知らされていなかった。後年、自らも美術に携わり、ドイツ表現主義やエコール・ド・パリ、ゴッホなどの研究を経て、父モディリアーニの研究にも従事し1984年に死去した。

* モディリアーニはしばしばカフェで臨席した客の似顔絵を描いて、それを半ば無理やり売りつけて得た金を酒代にして夜の街を徘徊していたといわれ、それを身重のジャンヌが一晩中探し回ることもあったという。

☆★☆「伝説抜きのモジリアーニ」娘の書いた本も読んだことがありました。
「モディリアニ ~人と神話」<原題:Senza leggenda(伝説抜きのモディリアーニ)>の著者で、モディリアーニ の実娘 ジャンヌ・モディリアニ(Jeanne Modigliani)

 今日のテレビの解説では、ジャンヌもモジリアニと同格の才能があったので、ふたりは夫婦にならなければジャンヌはつぶされなかっただろうという鴻上尚史さんの意見がジャンヌの不幸を惜しんだ気がしました。

 女流アーティストは、上手に伴侶を選ばないと才能があっても発揮できない。

 どこの国でも男の人に仕事のほうが優先されて、女性の才能を潰してしまう。
まして、娘を残して夫の後追い自殺をしてしまったジャンヌには哀しいイメージが付きまとう。

☆自分も絵を描く身であれば、考えることが多いです。
絵を描くのには自由が必要。

そして、貧困で栄養が取れないようでも病が酷くてエネルギーが出てこないようでもいけない。

妨害されることは少ないようにしなくてはいけない。

才能はもちろんだが、聡明でなければならない。

時代はなんて、いいほうに向かってきているのだろう。
絵を描く女性でも男性と同じように生きていかれるのだから。

然しながら、そんなに人を愛せたジャンヌはやはり幸せだと思いますが。

寒いけどいい日!


さあ、元気でお食事を頂き、掃除をしましょう!

娘が帰ってくるので食材を買いにお出かけもしなくては!
やや風邪気味です。
お片付けが終わったので「ニーチェの馬」を、見に来てます。




ニーチェの馬!


淋しいような!
1889年トリノ。
ニーチェは鞭うたれた疲弊した馬車馬を見つけると、欠けより卒倒した。
そのまま精神は崩壊し、2度と正気に戻ることはなかった。。。
どこかの田舎、石造りの家と命をつなぐ古井戸がある。
そして、疲れ果てた馬と、飼い主の農夫と、その娘がいる。
暴風が吹き荒れる6日間の物語。







ストーリー(あらすじ)

「ヴェルクマイスター・ハーモニー」「倫敦から来た男」で知られるハンガリーの名匠タル・ベーラが、ドイツの哲学者ニーチェの逸話を題材に荒野に暮らす男とその娘、一頭の馬のたどる運命を描く。1889年、イタリア・トリノ。ムチに打たれ疲弊した馬車馬を目にしたニーチェは馬に駆け寄ると卒倒し、そのまま精神が崩壊してしまう。美しいモノクロームの映像は「倫敦から来た男」も担当した撮影監督フレッド・ケレメンによる。2011年・第61回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員特別賞)を受賞。
キャスト・スタッフ
キャスト: エリカ・ボーク、ヤーノシュ・デルジ
監督: タル・ベーラ
脚本: タル・ベーラ、クラスナホルカイ・ラースロー
撮影: フレッド・ケレメン
音楽: ビーグ・ミハーイ
作品データ
原題: A Torinoi lo
製作国: 2011年ハンガリー・フランス・スイス・ドイツ合作映画
配給: ビターズ・エンド
上映時間: 154分
タル・ベーラ 深遠な世界観で人間の終末を描く最後の作品

哲学者ニーチェの逸話を下敷きに、寒村に住む貧しい父娘と疲れ果てた馬の最期の6日間を描き、第61回ベルリン映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞を受賞した「ニーチェの馬」。モノクロームの画面が映し出す彼らの生活は、人間が生きることの厳しさを見る者におのずと悟らせ、そして静かにしのび寄る終末を眼前にする――。ハンガリーの鬼才タル・ベーラ監督は、自身の映画哲学を貫き通した本作を“最後の作品”と明言した。(取材・文・写真/編集部)

34年間の映画人生を振り返り「非常に長い道のりでした。今回の作品に入る前に、これが最後の作品になると予感していました。自分の仕事は終わったと感じています。言いたいことはすべて語りつくしました」と話し、こう補足する。

「私たちはこれまで人生について語ってきました。これが、最後の言葉です。何かそれについて、本質的なことを伝えたかったのです。人は人生を生きる中で、朝起きて、食事をとり、仕事に行く。いわばルーティーンというような日常を歩むのですが、それは毎日同じではないのです。人生の中で、我々は力を失くしていき、日々が短くなっていきます。これについて、人生はどう終わるのかについて触れる映画を作りたかったのです」
画像2 (C)Marton Perlaki [拡大画像]

1889年トリノ、ニーチェは鞭打たれ疲弊した一匹の馬車馬に駆け寄り、そのまま精神が崩壊していった……というエピソードの馬のその後を描く本作、馬の持ち主である貧しい父娘は、寡黙に単調な毎日を生きていた。そして質素な石造りの家の外では、いつ止むとも知れぬ激しい風が吹き荒れている。

父と娘の間に、会話はほとんどなく、観客は彼らの日々の生活と家の窓から見える外の様子を凝視することしかできない。セリフについてはこう捉えている。「セリフはふだん書きません。状況から立ち現れるべきものだと思っているのです。言いたいことがあるから言葉が出てくる、それが人生です。通常は俳優に自由に演じてもらうので、沈黙やセリフの指示は一切しません。ただ唯一の例外がモノローグです。我々の作品では、最低1つのモノローグが出てきますが、これは共同脚本のラースローがすべて書いています」

起床、着替え、ジャガイモひとつきりの食事、馬の世話、井戸への水汲み、そして就寝……これらを繰り返すだけの生活が過去からいつまでも続いていることを示すような長い1カットで映し出され、人間の存在の意味を問いかける。長回しを好む理由を聞いた。

「(長回しは)私の映画の言語です。俳優が逃げることができずに状況の囚人となるのです。スタッフ、キャストの全員の集中力、ベストな状態が求められ、カメラが回るそのことが何かを生むのです。また、映画は自分にとって、絵であり、リズムであり、音であり、人の目、動物の目であったりします。こういう長回しの映像を見ている観客はストーリーを追うのではなく、空間、時間、人間の存在を追い、それをすべて集約してその場で起きていることを感じる。そういうアプローチをすることによって、人間はより近づけると思うのです」
画像3 (C)Marton Perlaki [拡大画像]

父親役のデルジ・ヤノーシュは、前作「倫敦から来た男」にも出演したハンガリーのベテラン俳優。一方、娘役のボーク・エリカは、児童養護施設に入っていた11歳の時に、7時間半に及ぶ大作「サタンタンゴ」に出演。以来、タル・ベーラ作品のみに出演し、ふだんはパートタイムの仕事で収入を得ている女性だ。キャスティングは、演技経験のあるなしにかかわらず、その人の人格だけを見るという。馬のキャスティングもまったく同様だった。

「仕事をしたくない馬をキャスティングしたのです。ルーマニアの国境近いある村で、雨の日曜日に見つけた雌馬です。非常に哀愁を帯びていて、持ち主は『仕事をしたがらないから売れもしない、今日売れなかったら肉屋に送りだしてソーセージになる』と言っていました。私は即座にこの馬だ! と思ったのです。馬を含めすべてのキャストはカメラの前で何かを演じているのではなく、存在するだけなのです」

最後の作品として、何か観客に対してメッセージを込めて製作したのだろうか。

「メッセージはありません。これはただ映画であり、もしそれが観客の心に触れて動かすようなことができれば、我々はパーフェクトな仕事をしたと思います。で、結果がでなければ我々は間違っていたのだと思います。私は予言者ではありませんし、友人とともに我々の見る、感じる世界を描いています。黙示録(アポカリプス)は、テレビや映画では業火がでてきたりしますが、本当の終末というのはもっと静かな物であると思います。死に近い沈黙、孤独をもって終わっていくことを伝えたかったのです」








娘が帰って普通の家族!

今日は親子3人、父親の帰りを待って自宅で中華で夕食を終えました。

娘は徹夜で仙台の部屋の片づけをしたらしく、今はベッドで寝ています。

あまり、かまってあげない母親ですが、現在の時代は若者にとって楽な時代ではないでしょう。

☆午前中に父の介護をしている末の弟から電話。
 何もしない上の弟が彼の介護に文句を言った上、父がそろそろ危ないので委託書類を置いて金庫の中の現金を全部持っていったそうです。

「まあ、あきれた。」ということと、「因果応報、めちゃくちゃなことは通らないよ。」と末の弟と私はなぜか平穏な気持ち。

「妹から、春休みに帰る必要ないよね。」と電話が昨晩8時頃あり、末の弟が「いや、いつ死んでも不思議でない状態でもう歩けないよ。」と答えたら、そのあとで上の弟家族が家じゅうを荒らして泥棒が入ったのかと思ったようです。

兄弟4人の私たち家族。でも性格はずいぶん違う。
私と末の弟は親の介護を母親のほうも父親のほうも請け負っているので、細かい父の状態を知っているけれど、真ん中の2人は顔も出さずに、文句ばっかり良く言える。

「でも、お父さんは全部知っているんだよね。」
「そういうこと。」
「囲碁の達人だった父は、実に将来を見越して、先手を打って、正義が勝つようにしてくれた。」
「そういうこと。父の僕へのプレゼントみたい。」
「私へのまなざしも父は安心していたもの。きっと法律が守ってくれるよ。」
そんな風に末の弟と話して、明日は父の家に行くことにした。

こうして、ブログをマメに書いてきたので、過去のどの日のできごともわかるようになっている。

☆人生って、不条理でもあるし、善も悪のないように見えるけれど、だれかをきちんと愛したり誰かを守ったり、美しいことだけは永遠に地上に輝いて残る。

 昨日のモジリアニのテレビで、モジリアニの娘は「父は人間でなく☆から来た人。」と言っていたが、私たちの父もとても非凡で見ず知らずの人から感謝の言葉をたくさん頂いたが、それが同じ子供でも見えない人もいる。

 人間には限界があるのだ。

 今日の映画のように、日々の務めを黙々と果たしながら、見えるものがそれぞれ違うのだ。

 私も幸いというか、怒りが無く、日々の務めを果たすのみ。