March 16th, 2012

瓦礫? その根本を問う・・・善良な人が非難されてはいけない

武田邦彦ブログ・コピーです。
瓦礫? その根本を問う・・・善良な人が非難されてはいけない




民主主義というのは多少の時間はかかっても、決して自分と反対の考えを持っている人を無視せず、罵倒せず、説得し、すべてを民主的手続きで進めることが日本にとって良いことだという確信です。



もちろん、政治体制は民主主義の他にも君主制や独裁制があるのですから、もし反対の人がいるのに十分な説明や説得をせずに「黙れっ!」と言うのなら、まずは外国に移住してから行って貰いたいためです。



瓦礫の危険性について基本的な説明が為されていないことはすでに数回かきましたが、「瓦礫が安全だ」という根拠が「法・規則」ならば、「なぜ、瓦礫以外の法・規則は無視しているのに、瓦礫だけは法や規則を守る」のか、その真なる意味を明確に誠意を持って地元に説明する必要があります。



2300万トンの内のわずか400万トンを多くの人の心配を押し切って実施しようとしているのですから、それなりに強力な理由と、十分な説明が要ります。



政府が事故後、約7ヶ月たった2011年の10月、放射線被曝から国民を守る厚生労働省の「電離放射性障害防止規則」の第28条には、「ある土地の危険性」について次のように定めています。









これは放射性物質を取り扱う企業(事業者)はもし事業者が許可を得て使っている場所(放射性物質取り扱い作業室)以外に漏れたときには、「別表第三に掲げる限度の十分の1」まで下げることが義務づけられています。



別表第三を見ると、その限度は1平方メートルあたり4万ベクレルであることが判ります。私たちの日本は封建制度ではありませんので、政府は「お殿様」ではなく国民の委託を受けた代理人であることは憲法に明記されていて、政府は「法律や規則」で決められたことを守る義務があります。



この規則は放射線の被曝から実質的に国民を守るため、その生活する場所における汚染の程度を示しています。この場所がどこに相当するかはすでに文科省がマップで明らかにしていて、以下に示した図の青、黄色、赤の地域です。

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福島県はもとより関東などに拡がったかなり広い地域が該当することが判ります。しかし、実際にはこの地域についてごく一部で除染が行われているだけでほとんど何も行われていません。汚染が拡がらない措置(再飛散防止)、標識をたてること、それに除染について東電はまったく手をつけていません。



チェルノブイリの時にはソ連はこの地域に相当するところを強制退去としました。ソ連ができて日本ができないという理由も明確ではありません。また、もし「経費がかかるから止めた」という場合は安全性とは無関係ですから、それも明らかにするべきです。



・・・・・・・・・



このことは、自治体が、法・規則で「生活するのには適切ではない」とされている汚染度について「安全だ」としていることを示しています。日本は法治国家ですから、法律で定められた値を自治体が守らないということになると、「新しい安全の基準」が「これまで(事故後6ヶ月後の改正でも同じ)守られてきた基準と何が違っているのか」について、善良な日本国民が理解できるように説明する必要があります。



瓦礫搬出の問題は、「善良でまともな常識を持った日本人が、事故後、突然、民主主義を放棄した人たちによって非難されている」という状況が続いています。私は瓦礫の処理が少し遅れるのと、日本がさらに民主的国家から離れること、瓦礫の安全性が不明なまま「議会が議決したから」というような理由で強行するのとを比較すると、まずは善良な国民が納得できる説明をする必要があると考えます。



私は瓦礫の搬出に疑問を持っている国民は過半数にのぼると思いますが、仮に少数でも健康に不安が生じるような時には、少数の不安を無視しないというのも民主主義の根幹と思います。



関係者の誠意ある態度を希望します。また、常識もあり遵法精神ももった多くの日本の識者が「被災地を助けよう」とか「被災地を助けないとは何事か!」などの前時代的なバッシングを瓦礫搬出に疑問を抱いている人に行うのは、日本人がもつ 誠実さや美徳に大きく反しますので、言動を変えてもらいたいと思います。



(平成24年3月14日)

今日もいい天気!


 この私の「毎日無事生きてますサイン」である食事撮影は、「ニーチェの馬」のじゃがいもをゆでて食べるルーティンと等しい行為でしかない。

 別に料理を見せるわけでもないし。

☆昨日は姑と娘とタクシーに乗る前に、姑の紹介で台所グッズの面白いお店にいった!






とにかく安い。
食堂経営など始める人が買う店なのかもしれない。
昨日は見るだけ。

帰りのタクシーは5000円出てしまったが、それは足が悪い姑がいるので無駄遣いではない。

☆5時頃家に着いたのであったが、内容が内容だけに疲れた。
姑が真珠のイヤリングとネックレスと黒いコートを貸してくれたのでお返しした。

友人の一人がお香典を送って来てくださったので、電話をしたり現金書留を受け取る手配をしたりとか。
(全員にお断りしていたのですが)

私も用意が悪い人で、靴は娘が貸してくれた!
私の喪服を娘に譲り、私は上着とスカートを買い、ワンピース喪服があったので葬儀用と通夜用とができたのだが。黒の下着一式は買いましたね。やはり、まさかと思うほどの展開でしたから。

そうだ!
母が正式は着物を作ってくれたからだった。
この前の葬儀は舅だったと思うけど、大姑の時も着物を着たのであった。

☆私たち兄弟は父が亡くなってからそれぞれ眠れなかったらしく、私も昨晩も5時まで起きてしまった。
地震があったりもしたので、検索したり。

☆名古屋から来た叔父夫妻は「東京は地震が多いね。」という。
東京にもマンションを買っているので叔母は半分半分行ったり来たりだそう。

☆娘が仙台に越した後に送ってあげた小さな俎板で野菜を切っていたので、「使っているのね。」と言ったら、「この小さい俎板しか使わなかった。」ということだった。

 娘も自分で食べる分はチョコチョコっといためたりしているので、その程度には台所仕事をしていたのかもしれない。

 そんなわけで、家事というのは普通の暮らしの普通のことで、その上アートやお出かけが入ってくるので、結構忙しいとなるのかしら。

4号機の奇跡(ダンディ・ハリマオさんのブログ・コピー)

Thu.2012.03.15

原発・放射能
4号機の奇跡


あらためて戦慄が走る4号機のカタストロフィー

2011年の今日(3月15日)、午前6時過ぎに福島第一原発4号機の原子炉建屋が水素爆発を起こしました。

その瞬間、日本国民のみならず、世界中の、特に北半球の人々の眼の前には、本当の意味でのカタストロフィーが迫っていました。

それでも私たちは、今、こうして生きています。

これは、偶然に偶然が重なったからです。
ハリウッドの映画制作者なら、これを奇跡的な出来事と呼んで、早速、脚本家に仕事を依頼したかもしれません。

3 月15日の水素爆発から、3月20日頃までが、この大災害のクライマックスでした。

まず、アメリカでは、日本政府からの情報を元に、NRC(米・原子力規制委員会)の技術者たちによるタスクチームが編成されていました。これは日本時間で17日の午前0時過ぎのことです。

3月18日の深夜から、自衛隊と米軍の消防車による注水作業が行われました。少し後になってからですが、敷地内に散らばった瓦礫の撤去のために、陸上自衛隊の戦車まで出動しました。

次に、3月19日の深夜からは、東京消防庁のハイパーレスキューによる注水活動が行われました。
このうち、ひとつでも失敗していたら、日本は、もう無かったのかもしれません。

3月8日の朝日新聞が、4号機の使用済み燃料プールが壊滅的なカタストロフィーに至らなかった本当の理由について、原子力安全・保安院の幹部からの聴き取りなどから、明らかにしています。

朝日新聞は、この“4号機の奇跡”について、3月8日に二回、ネット上に記事を上げています。
一回目は、4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
二回目は、一回目に加筆した震災4日前の水抜き予定が遅れて燃料救う…です。

この記事は、そのまま転載すると、どうも著作権法に抵触しそうな雰囲気があるので(通常は、ソースをしっかり出せば「引用」ということで、クレームは出ません)、両方の記事を読み込んだ上で、さらに周辺で起こった事実などで肉付けしながら新たに書き起こしたものが以下の記事です。

3月15日、4号機の使用済み燃料プールに大量の水を注水したのは誰か?

日米両政府が、3月12日の最初の水素爆発以来、もっとも警戒していた4号機建屋の使用済み燃料プールの崩壊ですが、原子炉内の大掛かりな工事をする際に使用する器具の不具合と、すでに工事のために大量の水を入れてあった工事用水槽の仕切り壁が壊れたことによって、カタストロフィーを免れたことが分かりました。

4号機原子炉は、2010年11月から定期点検に入るために、すでに原子炉の運転を停止。震災が起きた翌年の2011年3月11日には、原子炉の中にあった 548体の燃料棒はすべて取り出され、使用済み燃料プールの中に移されて冷却されていました。

今回の定期点検では、営業運転開始以来初めての大工事となる原子炉圧力容器内にあるシュラウドという隔壁(高さ6.8メートル、直径4.3~4.7メートル、重さ35トン)を新しいものに交換するため、あらかじめ、作業用水槽に水を満杯になるまで入れていました。


原子炉のほとんどの作業は、作業員が被曝しないように、水の中で行われるのですが、それが、作業用の水槽です。

この作業用の水槽は、図-1のように、原子炉の上蓋の部分から上を水の中に浸すための原子炉ウェル(680m3)、その隣のDSピット(760m3)の二つで、シュラウド交換の作業をする前に、両方の水槽に、合計1,440m3の水が入れられていたのです。

図-1

これは使用済み燃料プールに入れられている水の量=1,425m3と、ほぼ同じ水の量です。

原子炉ウェル、DS ピット、使用済み燃料プールの三つの水槽のうち、使用済み燃料プールの深さだけは、他の二つの水槽よりは深いものの、この三つの水槽は、直列に並んでいます。

シュラウド交換の作業手順は、原子炉の中に満杯に入れられた水の中で、大きな工具を使ってシュラウドを切断し、その分断された残骸を、原子炉の真上にある原子炉ウェルの水槽まで引き揚げて、さらに、高い放射能を帯びた機器を一時、仮置きしておくためのDSピットに移して、ホッと一息つく、という手順。

普段は、原子炉の真上の水槽である原子炉ウェルには水が入っておらず、こうした部品の交換工事をするときだけ水を入れるのです。
作業時には、隣の仮置き場となるDSピットとの間には、水槽を仕切る「仕切り壁」は設置されおらず、作業が終了した後で、原子炉ウェルの水を抜くときになって仕切り壁を落とします。

つまり、原子炉ウェルとDSピットは、つながっていて、ひとつの大きなプールになっているのです。

もうひとつの「仕切り壁」は、原子炉ウェルの水槽の隣にある使用済み燃料プールとの間に設置されており、この仕切り壁を取りはずせば、この三つの水槽の水は、自由に行き来することができるような設計になっています。

これを真横から描いたのが図-2です。
(図-2は、図-1と向きが逆になっています)

図-2

原子炉ウェル(同時に、DSピットにも)水を入れ、いざシュラウドの切断作業に取り掛かろうと、作業員がシュラウド切断工具を原子炉内に入れようとしたところ、はて?となったわけです。

ジュラウド切断工具は大変大きいので、その工具自体を原子炉の所定の位置に入れるためには、別の補助器具が必要なのですが、その補助器具の寸法が4号機原子炉に合致しないサイズだったのです。

それで作業員は、この補助器具を改造しなければならなくなり、工程が遅れてしまったというわけです。

工程どおりシュラウドの交換作業が進んでいれば、すで切断されたシュラウドの残骸は、原子炉ウェルに引き揚げられ、いったん隣のDSピットに移されて、作業に当たった現場の人たちも、いったんは極度の緊張を解いていたはずなのです。

そして、作業が終了したので、DSピットと原子炉ウェルとの間に仕切り壁が入れられて、原子炉ウェルの水が抜かれていたはずなのです。
これが工程表の上では3月7日にやるべきことになっていました。

しかし、こうした手順の狂いから作業全体が遅れ、震災が起こった3月11の時点では、原子炉ウェル、DSピットの中には、満々と水が入れられたままになっていたのです。

これが、日本列島が壊滅し、北半球にカタストロフィーが訪れるかどうか明暗を分けたのです。

3月11日、午後2時46分、東北を未曾有の巨大地震が襲いました。
間もなく福島第一原発の全電源が喪失して、各号機の循環冷却システムは作動を止めました。

4号機に関しては、原子炉の中にあった548体の燃料棒は、すべて使用済み燃料プールに移されていたので、原子炉に注水ができなくなっても問題はありませんでしたが、一方の使用済み燃料プールには、新たに移動してきた 548体の燃料棒が入れられて、計1331体の使用済み燃料がありました。

この1331体という、他の原子炉に入っている3倍近い量の燃料棒は、崩壊熱を出し続けているので、もし使用済み燃料プールに冷却された水が送り込まれなくなれば、水は蒸発する一方。やがては空炊き状態になり、プールで放射能火災が起こるはずです。そうなれば、すべて終わりです。

しかし、使用済み燃料プールの水は、3月11日以降も、燃料棒の上まで満ちた状態を維持しており、結果として燃料棒は、ほとんど無傷の状態のまま保たれたのです。

これは、3月11日に地震が起こったときに、原子炉ウェルと使用済み燃料プールとの間を仕切っている壁が、地震の震動によってズレて、そこから原子炉ウェルの水が使用済み燃料プールに流れ込んだからです。

これは、東電や政府の後の調査によって分かったことです。

もし、シュラウドの交換作業が工程表のとおり終了していたら、そして、原子炉ウェルの水が抜かれていたら、使用済み燃料プールへ水が回ることなく、“蓋の無い炉心”である使用済み燃料プールからは、かつて人類が経験したことのないほどの量の放射性物質が大気中に放出されていたのです。

それだけでなく、福島第一原発の敷地内には誰も立ち入ることができず、冷却できなくなった1、2、3、5、6号機の原子炉では、次々と別の水素爆発が起こり、各号機建屋の使用済み燃料プールの水がすべて蒸発して、空炊き状態になるのも時間の問題だったでしょう。
そして、原子炉、プールともに核燃料の溶融が始まるのです。

さらに、当然のことながら、福島第一から南方20kmに位置する福島第二原発も全面撤退を余儀なくされ、ここも時間の問題で、福島第一原発と同様、破滅的事態に陥っていったでしょう。

さらに、東海第二原発、女川原発にさえ、大量の放射能が襲い掛かり、とんでもない数の作業員の人たちが犠牲になったでしょう。
そして、最後には、こちらのほうも撤退ということになるのかもしれません。

福島県の浜通りの住民は、語ることさえ恐ろしい結果になっていたはずです。

4号機の使用済み燃料プールの崩壊は、日本列島、そして全世界の破滅の序章に過ぎなかったでしょう。
本当に世界が終っていたのです。

すでに出てしまった犠牲者のことを思うと、これを無闇に奇跡と呼べないかもしれません。

しかし、シュラウド交換時に使用する補助器具の寸法を作業員に錯覚させ、原子炉ウェルと使用済み燃料プールの仕切り壁が開いた原因を、「たまたま偶然が重なった」で切り捨ててしまうには忍びないのです。

普通なら、私たちの多くは、今頃、今までのような日常的な活動ができなくなっていたかもしれないのです。
そうだとしたら、私たちの受けた恩恵は、実はとんでもなく大きいものであったかもしれません。

彼らがいなかったら、あなたも、私もここにいなかった

今、初めて書くことですが、この時、私のところには、クリスチャンの方々からの情報が寄せられていました。
内容は書くことはできないのですが、原発作業員の決死隊の中に、数名のクリスチャンがいるとのこと。

「どうか、捨て身になって志願した、その人たちの作業が成功するように祈りを捧げてください」という内容でした。
私はクリスチャンではないので、もちろん、まともな祈り方はできないのですが、それでも心の中で手を合わせていました。

さらに、クリスチャンの方々は、素晴らしい動きをしていて、周囲の子供たちを募って、バスに乗せ、数日の間、関西以西のキャンプ場やバンガローに避難したのです。二度も三度も。

避難したのは、クリスチャンの子供たちだけではありませんでした。その呼びかけに縁のあった子供たちがバスに乗ったのです。
その素早い行動力には唖然としたくらいです。

そのとき、胸騒ぎの高鳴りのまま、子供を連れて避難しようとしていたご家庭もあります。しかし、“人生経験豊富な” 姑の「避難だなんて、何を寝ぼけたことを言っている」という一喝で避難することができなくなってしまったのです。
無知ほど恐ろしいものはありません。

このように不思議な采配によって、使用済み燃料プールには原子炉ウェルから新しい水が流れ込んだものの、依然として電源は回復せず、いよいよ使用済み燃料プールの水面から燃料棒の頭が出るかもしれないという局面に入ってきました。

命を捧げようとしていた人々は、誰に言われるでもなく、最終的な重苦しい決断をしたのです。

東京消防庁のハイパー・レスキューと、Fukushima50(フィフティー)が、恐ろしい被曝にさらされながら、電源のない暗闇の中で、にわか照明だけを頼りに外からの注水作業を行い、電源の復旧工事を行っていたのです。

真っ暗闇の中、自分が浴びている線量も分からず、放射能の水蒸気でスチームサウナ状態の建屋の中にヘッドライトの灯りだけを頼りに入っていったのです。

それは、まさにコッポラの「地獄の黙示録」以上の光景であったことでしょう。
彼らは、完全に死を覚悟していました。

結果は成功でした。

訳知り顔の一部の評論家たちは、このカタストロフィー手前の事態を、1年経った今になっても理解できません。
彼らは、「Fukushima50を英雄視し過ぎだ」という意味の評論をしていました。
とても悲しい哀れな人々です。

これは日本ではなく、世界が称讃していることなのです。
彼らがいなかったら、あなたは、私は本当にここにいなかったでしょう。

そのとき、官邸にいた、この国の首相と官房長官は… 特に官房長官は、3月13日の午後6時過ぎ、原子力安全・保安院の技官が記者会見で「メルトダウンしている」と発表したことは無用な混乱を引き起こす元になる、という理由で、すぐに更迭してしまいました。

そして、その罪深い官房長官は、「ただちに」、「いますぐに」を繰り返したのです。
彼は、とっくに福島第一原発が、このままいけぱ世界を破滅させるかもしれないことを認識していたのです。

彼は国民に何度も嘘をついて、人々から避難する機会を奪い、大勢の子供たちを被曝させました。

テレビ、新聞などのマスメディアは、何ら根拠もなしに、「ネットの情報を信じないでください。政府の発表だけが正しいので、惑わされないように」と視聴者に向かって叫んでいました。
マスメディアは、今になって、これと正反対のことを言い出しました。

その一方で、アメリカ大使館は、日本在住のアメリカ国籍の人々に、原発から半径80km以内には絶対に近づかないようにと警告し、安定ヨウ素剤を配布していました。

ドイツ、フランスなどの大使館は東京から関西方面に移動、中国人は飛行機で本土に帰っていきました。
東京から一気に外国人が消えたのです。

「彼らが日本を救い、世界を救ったのだと思います」

アメリカの著名な原子力技術者、アーニー・ガンダーセン氏が、2 月20日、東京・内幸町の日本記者クラブでプレスに対して会見を行いました。

ガンダーセン氏の今回の来日は、同氏の近著「福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書)」の日本でのプロモーションのために版元である集英社が招いたもの。

同時に、作家・広瀬隆氏との対談などもブッキングされ、まだまだ気の抜けない福島第一原発事故収束について語りました。

ガンダーセン氏は、ご夫人と二人で運営している原子力関連の分析・評価サイト「fairewinds Accociates」で世界的に有名になりました。

当初、私は、ガンダーセン氏には、何らかのスポンサードがあって、こうした活動を続けていると考えていたのですが、実はまったくの個人の独立サイトで、視聴者からの少ない浄財によって運営していることを知って、余計に、その情報に重きを置くようになったのです。

どちらかというと、原子力推進派にとって、耳の痛いことも指摘しているので、当然の事ながら、さまざまな妨害にも遭ってきたようです。そのせいか、大切なご自宅も手放したということを他の記事で読んだことがあります。

この動画は、すでに何人かのブロガーさんが文字起こしされています。

2月20日/アーニー・ガンダーセン氏記者会見:『福島第一原発~真相と展望』

Arnie Gundersen:日本政府は #東電 を守る事を最優先し国民を­守るのは二の次


ガンダーセン氏は、大勢の記者を前にして、冒頭でこのように述べています。

「まず私の話を始める前に申し上げておきたいのは、今回の事故で福島第一、そして第二発電所で、まことに勇敢に事故に対応するために働かれました男性、女性のみなさん、主に男性だったと思いますけれど、まことに勇敢なお仕事をしてくださった方々に感謝の気持ちを捧げたいと思います。

事故直後からの一週間、二週間、本当に見事な勇敢な戦いぶりだったと思います。

彼らが勇敢にも戦ってくれたということは、私個人の意見ですけれども、日本という国を救ったと思いますし、それだけではなく世界全体を救ったともいえるのではないかと思います。

ですから、我々全員は彼らに負うところ大であると、彼らに対する感謝の気持ちを本当に持たなければならないと思っておりますし、また、あのように本当に酷い条件の中で、大変な仕事を成し遂げられた現場の人々に対しまして、私は個人的に本当に感謝をしたいと思います。

彼らが日本を救ったと思っております。

本当に勇敢な人たちでした」。

ガンダーセン氏は、繰り返し、決死の覚悟でカタストロフィーを止めるために戦った“戦士”たちに感謝の意を表し、「世界を救ったのは彼らである」と力説しました。

あの時、彼らには、何かとても善い存在が宿っていたに違いないのです。



福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書)
アーニー・ガンダーセン (著), 岡崎 玲子 (翻訳)  集英社
735円  配送無料


神々のおせんべ!と「読書の定義」!

浅草で昨日買った「神々のおせんべ」です。おいしかったです。

☆今日は面白い物を見つけました。
「読書の定義」
「積ん読」をどうにかしたい!そんなあなたのための読書日記サイトです。

買ったけど読んでない…。そんな本を効率的に読みこなして行けるように支援します。そして、読み終えた本の想い出を残すことができます。
何ができるの?

* 読書の様子をTwitterでつぶやけます

すでにTwitterのアカウントをお持ちであれば、そのアカウントであなたの読書の様子を呟くことができます。
* どのくらい「積ん読」にしているのか分かってしまいます

買ったけど読んでいない、読んでる途中でほったらかし。そんな本を記録しておくことができます。バーコードリーダーで簡単に手持ちの本を登録できます。
* 読んだ本のページ数、冊数が分かります

何冊読んだのか、何ページ読んだのかが簡単に分かります。読み進み具合をグラフで確認することもできます。携帯電話 (docomo,au,sb,iPhone)にも対応しています。
* レビューをブログに簡単に貼付けることができます

くわしくはこちらから
読書の定義 on Twitter

「読書の定義」というのがあるらしく「みんなのサッカクラウド」とかいう人名欄に私の名前が出てたのでした。
それで前後をコピーしてみました。

タレントさんの名前も出てるのですが、原文は名前のバリューによって書体の大きさが違うのです。
私のは小さく小さく記載されてるのですが、周囲の名前にびっくり。

・・・・・ジュール・ヴェルヌ デビット・ゾペティ 小峰 元 梶井 基次郎 蘇部 健一 穂村 弘 早川 いくを 井上 雅彦 加門七海,福澤徹三,中山市朗,伊藤三巳華, 小池壮彦,安曇潤平,松村進吉,牧野修,岩井志麻子 工藤美代子 ロバート・ジェームズ ウォラー 彬 聖子 奥富 啓之 尾崎 紅葉 乃南 アサ 速水 敏彦 飯倉 晴武 団 鬼六 コレット 綾辻行人 坂東 眞砂子 井伏 鱒二 長嶋 有 C. S. Lewis 大江 健三郎 中野 京子 W.E.グリフィス カント デカルト 岡崎 京子 浅羽 通明 クロード・ボリロン 山口 祐弘 ヘルマン・ヘッセ 藤嶋 昭 吉野 源三郎 デューイ 林屋 辰三郎 渓 由葵夫 小此木 啓吾 五味 文彦 蔡志忠 J.S. ミル J.J. ルソー 葉鳥ビスコ 葉鳥 ビスコ 高橋 英夫 童門 冬二 酒井雄哉 バルバラ・ベルクハン 大下 英治 水野宗徳 銀色 夏生 藤原 正彦 伊藤 元重 小林 秀雄 水上 洋子 木村 早苗 Paul Krugman Robert T. Kiyosaki 山本 真司 ナオミ・クライン 鈴木 亘 和田 吉弘 潮見 佳男 縷衣香 ホイチョイ・プロダクションズ オブジェクト倶楽部 岡村 敏弘 山崎 亮 マックス・ウェーバー 中根 金作 毛 沢東 ほしの ひかり 周 恩来 濱崎仁詩 with チームおもちゃばこ 乙武 洋匡 田原総一朗 安部 義彦 鈴木 義幸 グロービス 藤田晋 今里 禎 高階 秀爾 金井 寿宏 加地 伸行 国末 憲人 実 験太朗 エイドリアン・J・スライウォツキー チェーホフ・・・・

☆皆の本棚にある縷衣香の本

*ちいさな字の縷衣香をプッシュして見たら「二十四孝物語」の絵本が出てきました。
    つい最近の3月5日。父が薦めてくれて父が3年前の亡くなった旗の台の脳神経外科病院に入院しているときに「出版しろ。」と言ったので、親孝行だと思って急いで描き、書いたのです。
父も極楽で喜んでいることでしょう。


絵本 二十四孝物語

なみえいさんの本棚 [総ページ数:54] 2012/03/05 03:00:19 更新

☆「二十四孝物語」wikipediaよりコピー。
『二十四孝』(にじゅうしこう)は、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物である。儒教の考えを重んじた歴代中国王朝は、孝行を特に重要な徳目とした。ここに紹介された中には、四字熟語や、関連する物品の名前として一般化した物もある。日本にも伝来し、仏閣等の建築物に人物図などが描かれている。また、御伽草子や寺子屋の教材にも採られている。孝行譚自体は数多く、ここに採られたものだけが賞されたわけではない。

☆関連書籍
* 『日本古典文学全集』第36巻 御伽草子集、大島建彦校注・訳、小学館、1974年9月。
* 東洋文庫・日本古典文学会監修・編集 『岩崎文庫貴重本叢刊』近世編 第1巻、貴重本刊行会、1974年。
* 『御伽草子』下、市古貞次校注、岩波書店〈岩波文庫〉、1986年3月。ISBN 4-00-301262-3。
* 『奈良絵本絵巻集』第7巻 釈迦一代記・二十四孝、中野幸一編、早稲田大学出版部、1988年5月。ISBN 4-657-88505-7。
* 『日本古典文学大系』御伽草子、市古貞次校注、岩波書店、1991年12月17日、新装版。ISBN 4-00-004481-8。
* 「大字絵抄二十四孝」(安永5年刊)・「絵本増補二十四孝」岡田玉山画(江戸時代後期刊)、『往来物大系』第38巻 教訓科往来、石川松太郎監修、大空社、1993年3月。ISBN 4-87236-262-4。
* 縷衣香 『絵本二十四孝物語』 而立書房、2009年3月。ISBN 978-4-88059-351-7。
* 『21世紀版少年少女古典文学館』第16巻、興津要・小林保治・津本信博編、司馬遼太郎・田辺聖子・井上ひさし監修、講談社、2010年2月。ISBN 978-4-06-282766-9。

関連項目 [編集]

* 『日本古典文学大系』〈第38巻 御伽草子、二十四孝詩選〉岩波書店、1977年。
☆こういうブログがあったので、ここから検索なさったのかもしれませんね。
コピーです。

2012年03月01日00:30

カテゴリ
噺の話

二十四孝って知ってた?
m13767今日は「二十四孝」と言う噺です。

原話は、安永9(1780)年刊の笑話本「初登」中の「親不孝」。
これは、中国・元代(1271~1368)の教訓的説話から、王祥と孟宗の逸話を採ったものを主にし、それらに
呉孟のくだりほか、いくつかの話を加えて作られました。

乱暴者の熊。のべつ女房や母親とケンカをしています。
見かねた大家が、中国の親孝行者・二十四人の行いを伝える「二十四孝」から例をとって説教します。
池の氷の上にねそべって氷を溶かし継母のために鯉をとった王祥や、寒中に涙で雪を溶かし母親にタケノコを食べさせた孟宗の話などなど。
孝行すれば大家が小遣いをくれることになった熊、これを機会に小遣いを稼ごうといさんで家に帰りますが、途中で会った友達にはとんちんかんな説教を始めます。

そんな中、呉猛(ごもう)の「自分が裸になって親のそばにいて自分が刺され続けることで親を蚊から守り続けた」という話に、「酒の匂いに蚊は誘われる」といううわさを合わせたものとして「全身に酒を吹き付けて母上のそばにいることで母上を蚊から守ろう」という少しはマシな行動に出ようとするのですが、
口に含んだお酒を間違えて飲んでしまってからはついつい歯止めがきかなくなり、挙げ句の果てには酔いつぶれて寝てしまいます。

あくる朝、八五郎が目を覚ますとあれだけ酒まみれでしかも裸で寝ていたというのに、蚊に刺されている箇所は一ヶ所もありませんでした。
これも「親孝行の徳」だと思い、喜んでいると、そばにいる母親が
「何言ってるの。私が一晩中寝ないであなたを仰いでいたんだよ」

取り入れる逸話の取捨選択や順番は、演者によってまちまちですが、総じて親不孝の噺です。
喜多八師や文治師とか金馬師や柳朝師等数多くの演者が演じています。

江戸時代は儒教の教え(朱子学)が盛んだったので、この噺の故事は皆馴染み深い事柄だったので、
笑いも多くとれたそうです。
今はどうなんでしょうね?
音源は三代目柳好師で聴いてください。唄い調子と呼ばれた口調です。


忙しいので娘に買ってきてもらいました!


お昼は冷蔵庫にあったもので!



☆末の弟からの電話で明日は実家に行くことにした。

 父の4冊のアルバムを全部預かることにして持って帰るのと、重いので当分は実家に置いたままで放置しておくけれど、大黒様を形見に頂くことにした。私は父の家を掃除するたびに大黒様をよく磨いていたので、大事に扱われないところに行くのは嫌だということ。
 母の末の弟(叔父)に、「絵描きだったお祖父さんが7つの蔵を潰したって本当ですか?」と尋ねたら「本当。」と言う。
それで、いつも母から「絵描きは、ゴク潰し」と言われてきたので、大黒様に守られないと!(ところでどこに持っていくのか?)

 父の父(祖父)が、嘘みたいだが、家1軒買える値段で買った大黒様で、祖父の家から同居していた父の弟の家に置かれ、父の弟が亡くなった時に、お嫁さんから父の家に送られてきたのである。

 それで、「私にくださいね。」と、父に予約をしていた我が家の家宝。
大黒天(だいこくてん)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(サンスクリット語:Mahaa-kaala、音写:摩訶迦羅など)のことである。

* 密教の大黒天 - マハーカーラが元になり出来た密教の神である。
* 仏教の大黒天 - 密教の大黒天が元になり出来た仏教の天部に属する神である。
* 神道の大黒天 - 密教の大黒天が元になり、大国主命と神仏習合して出来た神道の神で、七福神の一柱としても知られる。神の化身であるマハーカーラは、インド密教に取り入れられた。“マハー”とは大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒)を意味するので大黒天と名づく。あるいは大暗黒天とも漢訳される。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした護法善神である。

密教の伝来とともに、日本にも伝わった。日本で大黒天といえば一般的には神田明神の大黒天(大国天)像に代表されるように神道の大国主と神仏習合した日本独自の神をさすことが多い。
ヒンドゥー教 [編集]

マハーカーラは、戦闘・財福・冥府という3つの性格を持つ。破壊・戦闘を司る神としては、尸林に住み隠形・飛行に通じて、血肉を喰らう神で、この神を祀れば加護して戦いに勝つという。財福としてはヴィシュヌや地天の化身として、インドの寺院にて祀られる。冥府としては、焔摩天と同一視して塚に住むという。

その他、ヒンドゥー教の大黒天については「マハーカーラ」を参照
インド密教・チベット仏教 [編集]

シヴァ神のマハーカーラがそのまま密教に取り入れたため、初期の大黒天はシヴァと同様に四本の手に三叉戟、棒、輪、索をそれぞれ持った像として描かれた。さらには、ブラフマーとヴィシュヌをも吸収していき、ヒンドゥー教の三神一体(プラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ)に対応した三面六臂の憤怒相の大黒天(マハーカーラ)も登場した。

後期密教を継承したチベット仏教では、大黒天(マハーカーラ)の像容は多彩であり、一面ニ臂・一面四臂・一面六臂・三面ニ臂・三面四臂・三面六臂などがある。(シヴァに由来しながらも)シヴァとその妻パールヴァティー、もしくはガネーシャを踏みつけてヒンドゥー教を降伏させて仏教を勝利させる護法尊としての姿が主流となった。チベット・モンゴル・ネパールでは貿易商から財の神としての信仰を集め、チベットでは福の神としての民間信仰も生まれた。
日本の仏教・密教 [編集]

日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神または厨房・食堂の神ともされる。ただし、日本で福徳相が多いのは、中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられたことによる。

本来の像容は、一面二臂もしくは三面六臂で、青黒(しょうこく)か黒色で忿怒(いかり)の相で表現される。胎蔵界曼荼羅での大黒天は、シヴァとその聖なる白牛ナンディン(白い水牛が中国や日本で認識されずに、山羊や兎の姿で誤描写)を降伏させている憤怒相で描かれている。なお唐代成立の偽経とされる「大黒天神法(嘉祥寺神愷記)」には、烏帽子・袴姿で右手の拳を腰に当てて、左手で大きな袋を左肩に背負う厨房神・財神として描かれている[1]。また二臂の立像で身の丈は通常は五尺であるが不定である。この姿は鎌倉期の頃までとされる。

像容はほとんどが一面だが、日本で信仰が広がると毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒天も誕生した。また、まれに観世音寺(福岡県)にある大黒天立像のように憤怒相の像も見られる。

「大黒天神法(嘉祥寺神愷記)」によれば、大自在天(シヴァ)の化身とも[2]、地天の化身ともされる[3]。また、三年間専心して供養すれば、富貴または官位爵祿を授けるとも説かれる[4]。胎蔵界では「摩訶迦羅天」と号される[5]。また、孔雀王経が説くとして、摩醯首羅(マヘーシヴァラ)の化身であり[6]、勇猛で必勝の戦闘神であるとする[7]。

密教を通じて伝来したことから真言宗や天台宗で信仰された。室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰された。ちなみに大黒のシンボルでもある袋の中身は、七宝[8]が入っているといわれている。
神道 [編集]
土蔵に描かれた大黒天
神田明神の大黒天像
(千葉県市川市大野町 本光寺)の金大黒天

日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。室町時代以降は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在よく知られる像容となった。現在においては一般には米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。

袋を背負っているのは、大国主が日本神話で最初に登場する因幡の白兎の説話において、八十神たちの荷物を入れた袋を持っていたためである。また、大国主がスサノオの計略によって焼き殺されそうになった時に鼠が助けたという説話(大国主の神話#根の国訪問を参)から、鼠が大黒天の使いであるとされる。

伊豆山神社(伊豆山権現)では、夫が大国主大神で妻が神須勢理毘売命(すせりひめのみこと)である夫婦大黒天像がある。
大黒と恵比寿 [編集]

日本一大きいえびす、大黒の石像は舞子六神社にあり商売繁盛の神社とされている。 大黒と恵比寿は各々七福神の一柱であるが、寿老人と福禄寿が二柱で一組で信仰される事と同様に、一組で信仰されることが多い。神楽などでも恵比寿舞と大黒舞が夙(つと)に知られ、このことは大黒が五穀豊穣の農業の神である面と恵比寿が大漁追福の漁業の神である面に起因すると考えられている。また商業においても農産物や水産物は主力であったことから商売の神としても信仰されるようになっていった。


 アルバムも同じ理由で、88歳のお祝いに父に私の友達の中国の山水画の画家が般若心経と山水画を描いた立派な扇を描いて贈ってくれたのだが、上の弟が勝手に処分(古道具屋か?)してしまったので、友人にとても話せそうもない痛みを持っているのだ。

 妹は2匹の猫の骨を庭に埋めたので、掘り起こして自分が死ぬときに一緒に焼くとか骨壷に入れてほしいのだそうだ。
それは自宅を売るときだろうけれど。

 個人的には父の家は建築的にとても好きな家なので、宝くじが当ったら、買い取りたいけど。
まあ、母も生きているので、そんな時はいつになるかは知れないのだけど。

☆娘が定期預金が満期になったので、私のカードから引き落とした衣装代を一部帰してくれ、私の口座に振り込んでくれたそう。
(これで、今月は何とかやりくりができそう)

☆主人が帰って来て、姑が疲れてもう寝ているというが、彼女は6時頃からパジャマで疲れてなくても8時頃にはお布団の中にいるのだ。

☆私は娘の膨大な普段着を洗濯し、干し、畳んだので何とか自分のものの段ボール詰めにいけそう。
 衣類はどうするのか?と尋ねたら、私にほしいのはくれるそうなので、選びましょう。

 先ほど、検索したら木嶋佳苗容疑者は、毎日衣類に差し入れがあり、少しでも毛玉ができたものは捨てているという。

 私も捨てることも学ばなければ。
☆金柑に似たちいさな柑橘類を娘が買って来たので、熱湯と蜂蜜で頂きました!