April 18th, 2012

今日も佳き日!幸福の形はさまざまあれど。

 今日の気温は適温!
食べ過ぎなのでアップルパイとコーヒーで!

 94歳で現役で絵を描かれている堀文子さんと、若くして癌のために子を遺して亡くなった34年生きた母と。
ふたりの人生を見て、どちらも幸福だと思った。

 私にも娘がいる。
 母親ならだれでも娘は自分より幸福であってほしいと願うものだ。

☆堀文子さんはお父様が学者でお母様がお茶の水大学を出た知的な家庭で、女子もただ主婦だけでない人生を送るよう育てられたらしい。それで、女子美術で日本画を学んだ。
 安武千恵さんも教育大学の大学院を出た音楽教師。

 女子の育て方のひとつは、結婚してもしなくても一人で生きていかれるようにというのがある。

 将来、離婚しても死別をしても生きていかれるように。

 私の母親も戦争中、大学を出て小学校の教師をして学童疎開に連れていったりした。それで、将来、食べていかれるように美術学校はデザイン科に限って許してくれた。
☆千恵さんのご主人は新聞記者で、彼女が乳癌であることがわかって摘出手術が必要なことがわかった後で、結婚した。

 素敵だ!
 本当に愛してくれる人と結婚するにはハンディがある方がいいと常に思っている私はそう思う。
しかし、ご主人の両親は反対したそうだ。そして、不治の病がわかってから破談になるケースは多いらしい。
誰が責められよう。

 堀さんのご主人は外交官。育ちがいいのだろう。
☆千恵さん夫婦はカトリック信者で結婚式も教会であげた。
(乳房摘出手術の後)。ご主人は結婚のため改宗した。
 小学校での勤務も結婚した後にやめた奥さんと腎臓の入院後自宅にいたご主人は、新婚旅行でカナダにいき、赤ちゃんを身籠った。
 抗がん剤の服用後での妊娠は想定外で体力のことを考え、みな、悩んだ。
医者の「生んだらどうかね。あなたのような立場の人は皆諦めるから。」実父の「死ぬ気で産め。」との発言で出産を決意。
 カトリック信者でならではの考えだ。

 堀文子さんにはお子さんはいらっしゃらないようだ。いろいろな選択があっていい。
☆生まれた赤ちゃんは、3380グラムもあり母親の乳房摘出の半分の乳房から乳をのみすくすく育ったという。
名前は「はなちゃん」。9ヶ月間、父親と母親の体調はよく、とても平穏で幸せだった。

 子供が乳を飲まなって調べたら癌の再発だった。
肺への転移で悪性だった。

 ブラックジャックのような医者にあい、体温をあげ、玄米と味噌汁の暮らしを始める。
  
P50.
「病気になることは、その人の生き方が間違っているサイン。生き方そのものが原因なのです。」新潟大学大学院教授安保徹の言葉。

 自然治癒力を高め、病の根本原因を取り除く。ブラックジャックのような医者の考え。









人間は幸福になるために生まれてくる!

「薬で一旦容態が収まったかのように見えても、生き方を改めなくては、いずれ、同じ病気を繰り返すことになる。」P50.
「あなたが今、やらなければならないことは食べることです。痩せては行けいけませんよ。すこしぐらい太った方がいい。太りながら死んでいく人はいませんからね。」
「夜8時以降の食事は毒。」


ホルモン治療の間に副作用で子供に当たる行為が妻にあったようだ。
抗がん剤は脱毛、おうど。ホルモン治療は精神に弊害を来す。
併用でガンが消えた!
再びガンが発見されて1年後。
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☆高取保育園の園長先生は玄米和食の給食で知られる方。
今の子供たちに必要なのは「私は望まれて生きている。」自己肯定感。

☆「ホールフード」タカコ ナカムラさん。
食や環境、オーガニックに学ぶ。
マクロビ創始者 桜沢如一の奥さんリマさんに学ぶ。

自分の健康だけでなく地球全体の健康を求める生き方。

☆若いときから活躍されていた堀文子さんは42歳のときにご主人を亡くされている。それまでは看病で大変だったときも。
それで、海外に旅行へいくようになり、49歳のときに大磯に移住。
人との付き合いで絵がおろそかになる不安も。
「ものを創る人間は都市に住んではいけない。」と大磯に移住。

 3年の部屋に引きこもりがちだった千恵さんは社会との繋がりを求めて西日本短期大学で非常勤講師として保育かの学生たちに音楽を教える。

☆「あなたのせいで癌になったのよ。」と言ってしまった千恵さん。
頬を殴ってしまったご主人。

神さまは日々試している。

千恵さんの癌は肝臓と肺、骨に転移。

ブラックジャックからは、「あなたが千恵さんを叩いたりするからだ。」と言われる。

同じ苦しみを味わっているガン患者のために自分も日とのお役に立ちたいとブログを立ち上げた千恵さん。

「早寝早起き玄米生活 がんと娘と、時々、旦那~」



「4歳の彼女が自立できるまでどんな形であれ、生きていかねばいけない。」


 私の娘はもう大きいけれど、母親である私はいつ死んでも彼女が幸せに生きていかれるように工夫をしている。

☆さて、3時のおやつ!
 アップルパイは2個買ったのですが、美味しいのでお3時も!
頂き物の蜂蜜といっしょに!朝はコーヒーでしたが!

「人生は7割りでよし!」大いに賛成!

ご飯を遅めに食べて!
今は霧でお外は寒い!





遺言は書いたほうがよいらしい。
娘には家事を仕込むべきのようだ。

私は今も満足に家事ができないが、これは問題。
この間、娘が掃除を趣味のようにするにはどうしたらいいのだろうといっていたが、この頃、ちょっとでもごみが出たらすぐ片付けるようにしているのだが、そうするとかなり忙しいのだ。
奥さんの命があと3週間と言うとき、旦那さまは100万円もってブラックジャックの前に頼み込んだ。
「諦めなさい。」
「亡くなった方たちに共通することは、私との信頼関係をなくしてしまったこと。」
「良質な魚や肉等を調理し、しっかりと栄養をとりなさい。」

千恵さんはマクロビオティックの食事療法をとりはじめて、動物性たんぱくを取らなくなっていた。
嘘をついて、妻を飛行機にのせたりしてませんと言ってしまったご主人。見破られていたようだ。

 癌患者の臨終は厳しい。

苦しみ、暴力行為や記憶が飛んだりする。

 小さなはなちゃんは、「ママはもうだめかもしれないね。」と言ったそうだ。
60過ぎのふたりの母親も自宅に連れてきた千恵さんの介護でへとへとになり、最後はプロの助けを借りた。

☆素晴らしい千恵さんさんははなちゃんにパパとふたりでも生きていかれるように色々なことを教えていた。
「一物全体」のお料理。皮も根もいれる。お味噌汁。
 5歳の子供が。昼間は元気でも母親の遺影を見ながら線香をたてて、声をあげて泣くはなちゃん。

 最近、父を亡くした私も、「中華粥」の看板を見るとお父さんに食べさせてあげたいと思うもの。
 私の娘もパパっこなので、これでも2人で生きていかれるようにひとり神山にいるというのもある。
私がいないと主人が父の役目をするのだそうだ。

「49日でママ、天国にいったの?」
 追悼ミサではなちゃんは訊いたそうだ。

 私の父の宗教では死んですぐに極楽浄土にいくのだそうだ。

命への感謝!生きている限り輝いて。


「老後は米と野菜をつくる土地があればいい。」
「お金は全部、家族の命に投資しようね。」
 夫婦はそう言う同じ「豊かさを計るモノサシ」を持っていた。

☆5歳の子供と言うのは実に優秀だ。
保育園の遠足でお弁当を作ってくれたパパに、「世界一おいしかったよ。」と言う。

 私も幼稚園で、娘が男児に首を絞められたショックで寝込んだことがあり、2年くらい歩けなくなったので痩せ細り、誰もがこのまま死んでしまうのではないかと思った。

 そんなときに、意識のある母親は切ない。
この子のために生きていたいと思ったものだ。

 首を締めた男児も母親も自分たちの保全ばかりで園長までも、幼稚園内で起こったことなのに、責任を回避することしか考えないのだ。

 この国では、死に損なのだ。
 放射能からも地震からも食べ物からも、自分で自分を守るしかない。

 「そんなに心配だったら、幼稚園の教室で子供を見張っていればいい!」と言った園長。
 「それじゃあ、教育でないじゃないの。」

 私にはもはや立っているだけの体力もなかったのだ。

 雅子さまは、それをやってのけた。誰に批判されても。
自分の子供をを守るのは親のつとめなのだもの。
マリリンモンローの悲劇も母親が子供を守れなくなったときから始まったような気がする。

☆この本の巻末には玄米ご飯やゴマ塩の作り方や干し椎茸がいかに栄養があるか等、書いてある。
 テレビで紹介されていたので、すぐアマゾンで取り寄せた本。

☆堀文子さんの絵の表現は色々あって、初めてみたのだが女性らしく可愛らしい作品もある。

 経済的にも豊かなのでしょう。軽井沢の別荘と大磯の家をいったりしたりや、イタリアでもアトリエを持たれていて、日本とイタリアを行き来したり、ヒマラヤで青い罌粟の花を見つけたり。





☆立派な教育を受けた子供を残した人と素晴らしいアートを描き続けている人は、素敵だ!

ほかいびと!


古来、寿、祝人
   乞食

日本の精神文化 放浪者、遊行者

有りし世の憂さをもをも語れ鉢叩き 井月

鉢叩き 平安時期の空也を崇める放浪のひとたちで旧11月13日から大晦日までの48日間、 持ち物は瓢箪と杖。
死者たちの鎮魂と悪霊払いに各地を回る。
井月も生涯杖と瓢箪を持っていた。

☆生ぜしもひとりなり、死するも獨なり~一遍
空也の「捨ててこそ」の放浪は西行に引き継がれ、さっらに中世の一遍の旅に繋がる。
井月の持ちもの 芭蕉の七部集と小さな芭蕉像、矢立と筆、替えもない一枚の着物、瓢箪と杖。

妻持ちしことも有りしを着衣始 井月
年々や家路忘れて花の春 井月

☆いつしか伊那のひとたちに俳句、書の達人として知られ、あのいえ、このいえと俳句を好む人たちの家に2日、3日と世話を受けることになった。

 折口信夫の乞食者は、祝言、壽詞を唱える神事から生まれた最も古い旅芸人、門付けをする旅芸人と言う。

ほかいびとは神や精霊と一体化し、その神、精霊のしかくで寿歌とともに村を歩き豊穣を寿うもの。