July 8th, 2012

杏酒!

今朝、ホワイトリカーが届きました!

早速、杏を洗って氷砂糖と一緒にこの間買ったガラス瓶のなかに!

よく見るとアメリカ製でキャップの内側がゴムになって表面はアルミのキャップで空気が入らないようです。

☆ニースの朝市場で買った杏はとてもおいしかったですね。
農業国の豊かさで果実が美味しい!

さて、今朝は北海道産のカマンベールをはさんだサンドイッチに氷砂糖と紅茶にキュウリとトマト!
これで食料がなくなったので、長野にいかねば!

☆昨晩、娘から電話。
フランスのお土産が東京へ届くので、開けてと。
姑との山形旅行をキャンセルしたとか。

 私は咳き込みで家族に迷惑をかけないように長野で静養中。

長野は晴れて!

☆セブン-イレブン前の郵便ポストでは郵便パックが入らない!それで、休日だが郵便局までいって、その前のポストまでいった。
 マラソン大会をしていると思ったらトライアスロン中。公道はひとで一杯。
タクシーを呼んでもらって黒姫駅へ。

 12時55分まで30分くらいあったので、「婦人公論」をかって、喫茶「しなの」へ。パンチ君がいたので、たかこさんのベランダのことを頼んでおく。

☆今日は気だるいけれど動いた方がいい。

東急でチークを買う。
善光寺までいってFlat fileの個展を見に行くけど、昨日からやっているのに今日はお休みらしい。
途中、探していたコスモスの種を買う。

今は「栗の木テラス」でハーブティー「ベルベーヌ」。きれいな白い花のお茶です!

☆東急地下で野菜、くだもの、お肉等買う。
☆6時8分の信越線で帰る。
 黒姫駅に着いたらタクシーがなかったので、喫茶「しなの」に行く。
 大津のいじめ自殺がブログで炎上していること知り、日本人の体質に怒りが!

大津の中学生自殺強要はざらある日本人のいじめのひとつ!

 私はこの事実を知って、その中学生にはどうして絶望せず生きててほしかった。
生きてて大人になれば知的に復讐する道はたくさんあるのだから。

☆64歳の私。
 こうして山のなかで静かに人生を終えたいと思っているものの、こうした質の悪い苛めが未だに行われているのを知ると、一肌脱がなければいけないかなと思われるてくる。(ため息)

☆この中学2年生に行われたようなことは普通にある。

 先生に相談しても助けてくれないことも普通のことだ。

 この中学生は絶望し過ぎたのだろう。

☆暴力、金銭のたかり、辱しめ。
 これも苛めのスリー-セット!
 そして、教師たちの自己保全の「なかったこと」。
 これも卑劣の常套手段である。

☆私はいじめられっこが自殺する度に、嗚咽するくらい涙が出る。
 悔しさ、やりきれなさ、世のあり方の不純さに涙を流す。

☆苛めて、自殺に導いた中学生(殺したと同じ)たちの顔写真も名前もネットで流されている。

 親は名士達でその隠蔽に回って、自殺した家族を責めるばかりだという。
 卑劣さも極めり。

 学校関係者も教育委員会もぐるになって死者を貶めてる。

☆しかし、中学の同級生たちは見聞きしたことをアンケートで語った。
 傷ついているだろう。
 自殺まで追い込まれている同級生を救えなかったから。

☆☆☆☆☆
 私はまるで「苛め」をなくすことが大きな使命であるかのように、「苛め」を自分自身と娘に体験してきた。

 そして、私も自殺こそしなかったものの死の淵までいったこともある。
絶望するとき、人間の体は無意識に自殺に向かうのだ。
歩けなくなり、食べ物が口に入れなくなり、立てなくなった。

 他人を死の淵まで追い込んだ加害者はそれでも、身の保全だけを考えていた。

 憤る体力も気力も失っていた私は、この自殺させられた少年の生きることへの絶望を多少はわかる気がする。

 私の場合は3歳の娘が幼稚園で男子に首を絞められて「幼稚園にいきたくない。」と言ってから、わかった男児の執拗な苛めだったのだが、玩具のブリキの機関車で頭を殴る(どれだけ痛いか)とか、お弁当にお茶を流して食べれなくする
と言うことへの驚きよりも、園側の「他言しないでくれ。」にショックを得て歩けなくなったのである。失歩症と言う病
名がちゃんとあるらしい。

 私はひとつの分別として、その男子のしたことも園側のしたことも母親のしたことも黙った。
園側も抜け目なく「加害者の児童が生きていかれるように黙っていてほしい。」と脅かし強要したし、加害者の母親は「自分のこが悪いイメージに見られている。洋服のおしゃれもできない辛い思いをしている。」と3時間にわたる抗議電話。

 誰も女の子の首を絞めた非を見ない。唯一、「息子が迷惑かけて申し訳ない。」と謝った父親はその息子が4年生の時に湖に釣りにいっったまま返ってこなかった。

 その母親は、最後まで「自分の子は園を辞めないでいいでしょうか?」と園にすがった

 私は歩けなくなり送迎が無理なので、不可抗力で園を辞めざるを得なかった。
勿論、3カ月ばかり前に払ったばかりの入学金30万円も返ることはなかった。

 「自分は少しも悪くないのに、なぜ幼稚園、辞めなければいけないの?」と娘の問いかけに、
「H君がいい人間になるためよ。人の首を絞めることは普通でないことを知ってもらうためよ。被害者をなくすため。」と、言い聞かせたものである。

 娘はそのことを作文に書いてコンクールに入選した。

 それからも、地域が同じである私には情報が入り、その男子のために小学校を転校して私立の編入に移った女児2人と幼稚園を転校した男児がいることを知った。

 園長が私たちの犠牲を生かして、しっかり男児を教育してくれたら、生まれなかった犠牲児童である。

 他の園ではどうかと、愛育病院の園長にきいてくれた人がいて、「その園長を辞めさせよ。」とのことだったが、独身の園長から、無認可幼稚園(自宅で経営していた)の職を奪ったらどうやって食べていけばいいかとまで考えると、私は気の毒になり曖昧にしているのである。

 ☆しかし、正義と言うのもあるのであった。
娘が小学校2年生になり、南平台のドミニク教会にガールスカウトで通うようになると、その幼稚園出身の上級生がいて
面識のない人であったが、その母親が園長と小学校からの同級生で、園内で話題になっていたらしく「縷衣香さんに酷い
ことしたあなたとは食事を一緒にできない。ちゃんと謝ったら一緒に食事をしてあげる。」と、園長からの食事の誘いに答えたと言う。

 それで、私の娘が辞めてからその園に入った娘を持つ母親Kさんと仲良くなった私たちの友情を利用して、園長はその娘と私の娘で幼稚園に遊びに来てと申し出た。Kさんも、同じ体験を持っているので話はツーカーで、娘を園に連れていく役割を引き受けた。

 私も娘もなかなかなのは、園長が「先生のこと覚えているわよね。」と訊くと「知らない。」と答えた。
「本当は覚えているけどね。」子供だって友達と幼稚園に通う権利を奪った園長に憤っているのであった。

 運命と言うのは面白いもので、アトランダムの教会の連絡網も私の家の次が園長。いつまでも、いつまでも園長の心に何年の前の不実が思い出されたことだろう。

 だから、中学2年生の少年にその神の復讐を体験してもらいたかった。

苛める人間は賢くない!

苛める人間は愚かだ。
後先のことを考えなさ過ぎる。

☆私には記憶がないのだが、母親に言わせると小学校低学年のときに魚屋のY子ちゃんにいじめられてよく泣いていたのだそうだ。Y子さんは独身で今も魚屋は同じところにある

 私は小学校の同級生と結婚したので、住む地域は同じなので姑はその魚屋から出前をとっているが、私はそこからは魚を買わない。行き着けのスーパーに行くとき、魚屋の前を通るのでY子さんのお兄さんとそのお嫁さんに顔を合わせれば挨拶はするが、魚はそこで買わないので「苛め」は営業面でこのように永久に損失するものだ。

☆☆「苛め」に「金銭のたかり」が多いが、それは極めて愚かなことである。
「金銭のたかり」は、実は得をしない。実力を失うのだ。

 「金銭のたかり」は形を変えて「無心」「騙し」「恐喝」「同情」とあるが、私は体験する度に、お金を与えながらも「可哀想に。」と思うことが多い。同じお金でも「労働への報酬」「行為への感謝-御礼」で受けとる時のような実や正
 当性がない。

 「たかり」で得た収入のツケは身体や不運、不幸で支払わなければならないことが多いのである。
 であるから、「たかり」に関しては腹がたつと言うことはなく、ただただ気の毒。
 
 苛める人間はなぜ「たかる」のか?
 苛める側の欲心か?(ただ、お金がほしいのか?)
 虐められる側がお金を所望されることの欠乏をみるのが楽しいのか?
 苦しむ顔を見たいのか?

 他人のこつこつと貯める努力を嘲るのが快感なのか?

 私の実体験によると何か複雑な人間感情があるように思われた。

 ○お茶の稽古で、頼みもしないふくさや茶道具をボンと置いて「貴方のために買って来たわよ。」と、高価なもを買わせた茶道の先生は他の生徒に言わせると「取れるだけ取ってやろうという腹。」だそうだ。同じ着物は絶対着ないという主義の先生の収入獲得の方法のようでもあり、私が貧しい画業で得た収入で週に3度も(強制されて)通う授業料だけでも苦しかったので、困らしてあげようと思ったのかもしれない。

 ○同級生からの「たかり」は、美術学校に入ってから経験したのだが、4年間、お茶代、食事代を払わせる級友が男女2人いた。私は働きながら学校へ通っていたのだが、それを惜しいとは思ったことはなかった。男性の方は今振り替えると、「△△のところへいけば食事にありつける。××おところにいけばただで食べれる。」と言っていたので、単なる経済の節約だったような気がする。女性の方は「虐め」の方も混じっていて、今でも思い出すのは奢った紅茶をこちらのスカー
トにこぼして火傷をさせ、「紅茶がもったいない。」と言ったことが思い出される。

 低次元と言っても、この人間心理は「苛め」の鍵に思える。

○福祉、宗教、美術界からの「たかり」は、権威を使ってであるからさらに質が悪い。
ある位置の人が集中的にその利益を独占する。若く無知なものはその好餌であり、年齢とともに素直な気持ちで出資できなくなる。悪くすると保全のため若者の被害に見て見ぬふりなどしてしまうかもしれない。

☆「死ね。」と言うのは「殺し」と同じである。
 自殺に追い込むのは「殺人」である。
 私が大学の教授に言われた言葉。
 「まだ、生きていたのか?」

 そうだ。
 高校3年生の時に秋の11月になって美術学校を急に受験することにしたとき、美術の教師は「受かって恥をかかせるんじゃないよ。」
と言った。

☆「暴力」は「殺し」の一歩手前である。
 
 私が大学の時、廊下を歩いていると、いきなり、平手打ちをしてきた。

 芸大の学生がいきなり拳骨で殴りかかってきたこともあった。

 スカートに煙草の吸い殻で穴を開けられたこと1回。

 ワンピースのオーガンジーの袖に煙草の火で穴を開けられダメにされたこと1回。

 人の家にいきなり来て(名古屋から)、玄関で殴る蹴るを始め「お上がりください。」と、薦めても暴力をやめなかった大学の同級生。

 有り金残らず取り上げられて、5時間もかけて深夜、自宅に帰ったことが幾度あったか

☆☆☆
 私はこう言う体験によって人間にはがっかりさせられっぱなしだったので、大津の中学生に起こったことは山のように今も全国にあるのだろうと思う。

 だから、自殺しないで。

 この暴力やたかりをした人たちは今、とても惨めな状態になっていて、「軽蔑しないで。」「馬鹿にしないで。」「付き合ってくれ。」と言ってきますけど、無理でしょう。

 64歳にもなると、実に正しく運命が展開してきたかわかる。

 同級生を殺してしまったような青年たちは一生自縛から解放されることはないのだ。

 忍耐すれば、それが見える日がくる!