July 23rd, 2012

小雨で過ごしやすい!12時には晴れました!

21日、地獄谷まで行く道にあたあずまやのお蔭で雨宿りができました!





今朝は早起きして、お片付けを始めました!

☆庭の朝顔は花が10くらい咲き、鉄砲百合も雨に濡れて本当にきれいです!

☆部屋のなかも荷物に溢れているので、少しでもスッキリとしたいので、パンフや季節ものの案内葉書など終わったものは処分です。

 4月に届けたキャンバスと絵の具や筆洗油の段ボールを開けました!
新しい白のキャンバスは本当に輝かしい無限の夢の大地!

☆涼しいので今日は分別ごみをだしにロッジにいきましょう!
そして、ロッジから第一スーパーのバスに乗りましょう!
クリーニングに出したい衣類が4枚くらいあるのです!

☆ロッジにゴミだしにいこうと分別ごみをか-とにのせて出ようとしたら、軽トラックにのってきたロッジの管理人の中林さんがロッジまで運んでくれる言う。

 それで、第一スーパーの時間を確かめにロッジに着くと2時20分ということだった。

☆朝はフランスパン、コーヒー、サラダ。
 お昼はトマトクリームソースに蕎麦パスタ!

 トマト、胡瓜のサラダにアイスコーヒーと巨峰。

苛めは劣等感の裏返し!

朝、テレビを視ていたら、尾木先生と乙武君が出ていた。

 川で溺れるまで水につけ溺れさせたり、高所から自殺させて重症を負わせたりのいじめが日本全国からの訴えで表に出てきた。

 私もいつも「苛め」がどうしたら無くなるのか考えているのだが、大津の苛めでマンションから飛び降り自殺していた中学生の顔はとても端正で整っていた。
苛めっ子達は少し難しい女の子のナンパを彼に強請した。
自分達では相手にしてくれないであろうきれいだったり可愛い女の子をナンパするように脅しをかけた。
その女の子がどんな酷いことをされるかもしれないと双子の姉を持っている自殺した青年は思ったであろう。
毅然として断り、酷いいじめがエスカレートした。


☆苛めは劣等感から起こるのではないか?

☆私が大学の時に言葉で苛めていた同級生のAは、大柄で皮膚がアレルギー性で全身被れていた。
 私が黙って見詰めると、「劣等感の塊!」と吐くように言った。

 毎日のように食事をたかっていた芸大生も、私が異姓としての気持ちは何もないのを感じたときに、「劣等感の塊だ!
」と放った。

☆苛めっこは弱いのだ!
 集団で暴行したりお金を集ったりしなくてはならないのは、劣等感をそんなことでしかごまかせないほど弱いのだ。

☆いつも書く、田園調布の駅から午後2時頃引き摺って、自分の経営するスナックで働かせて時給130円で働かせた台湾人は「召し遣い」という言葉を使った。
 私はその頃、版画がよく売れて別にスナックで働く必要がなかったので、
「私がここで働きたいと頼みましたか?」と声を強くして詰った時に、その慶応大学を出た経営者(35歳くらいだったと思う)、そのひとは「君は強いよう!」と思い通りにならないで
ガラスの塊の灰皿を投げてきたのである。

 私はかなり気をつけて他人を侮辱しないように言葉を選んでいる人間である。
別にスナックを馬鹿にしているわけではない。スナックで時給130円で働かさせられると制作の時間がなくなるし、私は美術学校を出ていて美術家になるために生まれてきたので、
嫌味なことは一切言わなかったが、私の両親も喜ばないだろうと思った。
「人間は平等だよう。差別だ!」と続いた。
誰も、その台湾人を下だ等といっても思ってもないのである。
「アメリカの大学にいっている弟の嫁に。(なれ)」
「私は絵を描きたいのです!」
「なにをー。」
 私は恐怖で泣き出し、大声を上げて助けを呼んだのだが、そういえばその前に奥さんは学歴とかいろいろ聞き出していたので、黙って聞き耳を立てていたのだろう。

 つまり、この家族にとって正攻法をとらず、引き摺ってただ同然で働かせ、「召し遣い」という言葉で陥れて、得たいものは嫁として一生、ただ同然で使ってやろうと言うことであったようだ。

 これは、こどもの苛めとやり方が一緒だ。

晴れてハーブの苗を植えました!

 
 21日行った渋温泉


さて、雨も上がった今日、2時20分にロッジまでいって第一スーパーのバスに乗りました!
大学村を通って来るバスで私も含めて乗客は3人!

  コメリで炭、植物たて棒、胡瓜、アップルミント、オレンジミント、ルッコラサラダ等。
 第一スーパーでブラウス2枚、カーディガン2枚。今週の金曜日にはできるそう!

☆晴れて涼しくいい日なので、コテージに帰ってすぐに植えました!

☆第一スーパーで果実酒用の瓶を2個買ってきたので、この間長野電鉄の駅で買った梅一袋をホワイトリカーと氷砂糖で果実酒に!

☆夕食は海老を買ってきたので、お昼のパスタソースにあえる。
☆巨峰の皮をむいてサイダーを入れたら美味しいジュースに!

☆アサリを買ってきたのでクラムチャウダーにしよう!
☆とても快適な日です!
(朝から片付けを始めたからかも)
 段ボール箱もたたんでごみハウスに持っていきました!
 床を雑巾がけして寝ましょう。

セザンヌの言葉。

2012-06-02 17.32.52
2012-06-02 17.32.18
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P47.
エミール-ベルナールはセザンヌの言葉として
「厳密な本物らしさに満足をしてはならない。自分固有な方法で事物を見た結果として、画家が行う成形の過程が、自然描写に新しい興趣を産み出すのだ。画家は画家として、今まで誰も見たことがないものを露にし、それを絵画という絶対概念、事実以外の何ものかに翻訳するのだ。」
P60.
セザンヌは年をとるほどに、シャ-ド-ブーファンの離れ家にひきこもるようになる。
「私には孤独がふさわしいのだ。一人なら少なくとも誰の罠にもかからないからね。」
P67.
セザンヌは自然を認識するやり方を作家のジョアシャン-ガスケに語る。
「成し遂げるべきなのはこういうことだ。握るところが高過ぎても低すぎても万事収支がつかなくなる。ほどけた網目や隙間をたったひとつでも許したら、そこから高揚、光、真実がすり抜けていってしまう。私はカンヴァスの各部分をすべて同時に操っているのだ。私はばらばらに広がってゆくものを、同じ衝動、同じ信念で再びひとつに寄せ集める。我々の目に見えるものはすべてちりじりに分散し、消滅するものではないか。自然は常に同じだが、目に見える所現象は何一つ持続するものはない。我々の芸術は、自然のあらゆる変化の諸相、諸現象とあわせて、持続という衝撃を自然に与えなければならない。我々の頭のなかで、芸術は自然に永遠性を付与しなければならない。自然の背後に何があるのか。なにもないかもしれないし、すべてがあるかもしれない。すべて、というのをわかっていただけるであろうか。つづく。」
P75.
「自然は表面にはない。奥深いところにあるのだ。色はこの深さの面における表現である。色は世界の根っこから立ち上がる。色は世界の命、諸々の理念のいのちなのだ。」

 セザンヌにとって、色が唯一の構成要素である。イメージのかたちは色をどう塗るかによって定められる。色と色との境界線は形と形の間の境界線でもある。

P78.
美術評論家ギュスターヴ-ジュフロアは、ヴォラールの画廊で開かれた個展を称える記事を書いた。

「通りがかりの人々がラフィット通りのヴィオラール画廊に歩み入ると、50点ばかりの作品に遭遇する。人物あり、風景あり、果物、花等いろいろだが、ここから人々はついに、我々の時代におけるもっとも優れた、もっとも偉大な人物のひとりがここにいるとの結論を引き出すことだろう。そうなれば、そして今こそそのときだが、セザンヌの人生にまつわる暗い昔話はすべて消え失せるだろう。そして残るのは、厳格でありながら人を惹き付け、練達でありながらしかも純朴な人間が生んだ作品である。彼は真実を求めてやまない偉大な熱狂家、激烈なお素朴、峻厳かつ繊細な精神である。彼の未
来はルーブルにある。」

 P83.
 真実目指すところに到達したことは一度もなかった。ただそれに近づき得ただけであり、人生は絶え間ない闘争と探求の過程だった。
 1906年、なくなる5週間前、彼は息子にこう書き送っている。

「最後にお前にいっておきたいのだが、画家として、自然を前にした私の眼差しは一段と明晰になっている。だが自分が認識した内容を実現するのが、私にはいつも大変難しいのだ。自分の眼の前に展開するこの強烈さを達成することができ
ない。自然を活性化するあの素晴らしい色の豊かさが出せない。」

 セザンヌは、諸相の無限な多様性を抱える自然こそ、真の教師であるとみなした。先ずもって検討に値するのは自然である。

P89.
セザンヌは美術商アンブロワーズ-ヴォラールにこう書き送る。
「私は脇目もふらず仕事をしてます。約束の地は目前に見えてます。私はあのヘブライの民の偉大な指導者モーゼと同じ運命をたどるのか、それとも約束の地に入ることができるのだろうか。」

P92.
1905年、彼は「美術新報」の編集者ロジェ-マルクスに書いている。
「この年で健康状態も悪く、私が生涯かけて追求してきた芸術上の夢を実現することは、もう無理でしょう。けれども、自分の芸術を刷新するために私が試みたかったことを、私自身の動揺にもかかわらず予感してくれた聡明な美術愛好家の皆さんには、いつも感謝の念を抱いてます。思うに、人間は過去の自分を今と人を替えることはできず、ただ時間の鎖に新しい輪を繋ぐだけです。大衆に理解され、美術史に相応の地位をしめるには、画家としての感性や芸術の理念(つまり自然にたいする構成力)とあわせて、十分な表現手段が必要だったのでしょう。