August 2nd, 2012

満月間近!

お月さまがこのベッドからも良く見える。
 月明かりが部屋の中まで明るく照らします!

☆長野、神山でも暑いです。
 この時刻になっても部屋のなかでも蒸し暑いです。

☆満月に祈ることは、やはり人類の幸福です。
 
 いわさきちひろが、「私にできることは絵を描くことだけ」と、最後の日にベトナムの子供たちの絵を描きます。

 人類の幸福のために、あるひとたちは反原発のデモにくでしょう。
また、ある人たちは東北で片付かぬ瓦礫を炎天下のなかで運んでいるでしょう。

 でも、画家は絵筆を取るしかない。

 絵の具を買うお金で救われるアフリカの子供がいるかもしれない。

 キャンバスを買うお金でホームレスの人達の1日の食事代が賄えるかもしれない。

 そんな多くの情報のなかで、評価されないかもしれない売れないかもしれない絵を描き続けるように宿命されている絵描き。

☆この世はどこかフェアだ。

 恐らく最も真剣に絵を描いた人を神さまは時期を見て引き上げるのであろう。

 

黄色のカサブランカが咲いた!

2012-08-02 10.31.02
朝から絵を描いてます!

朝の水やりをし終わって絵の具類を外に出し始めたら、アマゾンで頼んだ本が届いた!

それで、背伸びをして宅配便の人と話していたら、黄色いものがチラチラと見える。

「百合が咲いているかもしれない。」

宅配便のおじさんと観に行ったら、4輪の黄金色のカサブランカが咲いていた!

気がつかなかったけれど1昨日くらいから咲いていたようだ!

これで、百合も描ける!

☆朝顔パートは今日で完成。
 毎日、色々なところで花が開くので今日は横顔を見せてる朝顔を更に描き足せた!

 とにかく暑い!
 お昼近くに部屋のなかに入り、4時まで休憩。

 お昼は昨日のサラダと炒飯!

☆そしてお風呂に入り髪を洗う。
 
 午前中着ていたものは汗でびっしょりなので、洗濯もした。

☆お昼寝できたらいいのだが、できそうもないので読書。

 今は涼しくてとてもいいかんじです!

一日の労苦は一日でたれり!

 3時頃、タカコさんが「道の駅にいこう!」と誘いにきたのだけど、あすは第一スーパーに行く日だし野菜もあるので断った。
 3時45分頃からセブンイレブンにいって氷と新聞、週刊誌、桃等買う。

 冷蔵庫にいれて、着替えをしてすぐ制作に入る。

 自分的にとてもいい感じに仕上がった!

☆テーブルが絵の具で汚れたので白テーブルと青の丸テーブルをペンキで塗っておいた!

 お花に水をやりながら植物の成長には驚くばかり!
 生協で買った種もずいぶん大きくなっているし、ナカジマでかった種も5日目くらいなのに芽が出ている!

 どうしても蚊にさされてしまう!
 それで、もう一度食事前にお風呂に入ることに!

☆今日は満月なので夜になったら庭に出てみよう!

 今晩の食事はカレーライス!
 暑い日にはいいですよね!

満月!

2012-08-02 21.07.51
今日は4冊の本が届いた。
3冊はプロテスタントの牧師さんの書いた本で1冊は読んだ。

あとの1冊は浜口陽三の「パリと私」玲風書房。
たくさんの浜口さんの銅版画が記載され、1970年代のパリ通信が記載されている。

☆今、この本を読めて良かった思う。

ずいぶん、回り道をしてきたけれど、芸術のあり方としてフランスの厳しさが好きだ。

だから、この本に出てくる日本人画家たちの気合いの入り方が日本の画壇とはずいぶん違うことに安堵する。

☆普通の暮らしをしていた両親は「芸術なんてとんでもない!画家で食べれるわけがない。」と言う考え方の持ち主だった。
 それで、女子美術のデザイン科(グラフィック)に限って許してくれたのだが、私の大学生活はバブルのただ中で、グ
ラフィックの世界では横尾忠則や宇野亜喜良、演劇に天井桟敷や赤テント、三島由紀夫や野坂昭如が文章を書く面白い時
代だった。


 ただの美術学生だったが、現代詩人の加藤郁乎や天沢退二郎や白石かずこの文に挿し絵を描く仕事をしていたから、それなりに時代の波に乗っていたのだろう。

 アングラ演劇や舞踏のポスター。タージ・マハル-トラベラーズの演奏のポスター。

 ジョン-ケージの音楽を聴き、小杉武久が「易カルタをジョンケージに渡してあげる。」と持っていった。

 時代に抵触して楽しく生きていた。無視されることもなく幸福なアーティストの出発だった。

☆しかし、今思うと罠に嵌められて地獄に突き落とされたのが1979年くらいのことだった。

  パリに行きながら、デッサン教室にも通えず悪質な日本人たちの食い物にされてしまったのだ。
 そんなときでもパリを拠点にイタリアやスペインや北欧の美術舘を訪ね歩いた。

  そんなときでも、時間に追われるように仕事をしていた私の20代の反省をしていた。

  駄目だ。このままではいけない!
  10年単位の仕事をしなければいけない。

  程度の低い人間の食い物にされるのもやめなければいけない。
  
  本物の絵を描かなければ。

 私はパリからニューヨークを経て帰った。

 嘘みたいだが、私は絵を買う人達のお金でアメリカ滞在を可能にしたのだった。

 スペインの列車で会ったアメリカ人の青年(28歳)が絵を全部買ってくれ、ニューヨークは集金旅行だったのだが、そのときに彼が教えてくれたのが「MOMAでジョセフ-コーネルの遺作展をやっているよ。」だったのだ。パリで、コーネルの人気は凄かった。草間彌生さんの彼氏だと知ったのは大部、あとのことだった。

☆日本に帰国して栄養失調になっていて、祖母の献血に同じO型なのに輸血できなくて烈火のごとく父親に叱られた。母親からは「もう2度とパリにいかせない!」と嘆かれた。

 私は丸で世間知らずでたま出版の故瓜谷社長が次から次へと送り込んでくる人々の餌食にされ絵を描くために行ったパリでとうとう絵を描けなかったのだ。

 私はそれまで、人の善意を信じて生きてきて「お役に立つことがあるなら。」というスタンスで絵を描きながらも人様の為にも働いてきたのであった。

 しかし、悪意と言うものがまるで見えなかった。
 若い、ようやく20代の終わる頃のアーティストに何の理由で多くの異性(10代から70代)を電話番号を教え、こさせるのかわからなかった。

 私の信じる善意は若いアーティストへは応援するなら、絵を買うかどうしたらより良くなるかアドバイスするか、せめて制作の時間を妨害しないようにするというのがマナーだったので、何かをねだる人たちを次から次へと押し掛けさせる意味がわからなかったのである。

 30歳の時に見えなかったものも、64歳の今は見える。

☆殺しだったのだ。
 苛めだったのだ。

 精神病院に通う人からの電話は母親は本当に嫌がっていた。
 「気持ちが悪い。」と言うのだ。その青年は26歳くらいで私と4歳ぐらいしか違わなかった。
 何の為に瓜谷社長は電話をかけさせたのだろう?

 人権と言うなら、怖いことが起きてからどう責任をとるのだろう?

 今はわかる。不快なことを体験させるのが目的だったのだ。

 ここの縁で現れた人たちはタダ働きさせるか、お金の無心かだった。

 アーティストへのリスペクトどころか、大津の苛めっ子中学生のように、

集団で女性からお金の無心、タダ働き、セクハラ、パワハラをしたのだった。

 故瓜谷社長は東大を卒業した人であったので、私が見抜けなかった。

しかし、瓜谷社長は他人を使っての苛めに成功した。

 今までの人生で縁のなかった瓜谷社長の送った大学生たちは、パリに来て私が風邪を引いているときを選らんでアパートの乗っ取りを謀ったし(階下のボザール《パリ国立美術学校》の学生が助けてくれた。)ような人間で少しでもいい人間にするために私は絵どころでなくなり、絵を2年間も描かなかったのであった。

 そうだ。
 殺しに成功したのだった。

☆目の前に酷いことがあると正しくものが見えなくなる。
 多くの心ある人のアドバイスで大学生たちを帰国させ、自分も後片付けをして帰国した。

 仕切り直しだ。

 常識では考えられないことだが、私は一生自分達のために犠牲となって働いてくれると思っていたようだ。

 私のアートや家族や人生の大切さをこの集団は考えもしない苛めっ子集団であった。

☆私もどうかしていた。

 罪悪感を植え付けさせられたのだ。
 
 虐められて自殺した中学生のように「自分のたちの面倒を看ろ。前世は姉だったのに弟の自分の世話をしなかったつけを今世払え。」と執拗に凄んできた秋田の大学生は19歳だった。

☆「あんな人間の屑なんかの世話するなんてルイコさんのお母様はどうかしている。もったいない!」
「どうして、あの人たちはルイコさんのアパートにいるの?」
「驚かされているのよ。前世の償いをしろと。」
 「わあ、ひどい!」

「君の周りは人間の屑ばっかりだ!」
「あの子達は人間の屑でない!」
 愚かしくも私は彼らを庇った。
 立派にして日本に返してやりたいと思った。

 今となれば、それも甘かったのだ。
☆大津の中学生虐め自殺した少年の父親は、
 「今なら間に合う。ちゃんと反省して償う必要がある。」と裁判に持っていく気持ちが私には痛いようにわかる。

☆「人間の屑を相手にしない。」という考えもある。
 「人間の屑から逃げる。」という生き方もある。
 でも、人間の屑と言われないように正しい方向づけをするという考えもある。

☆そして、それは絵を描くのと同じくらい大切な心のあり方だと今も思う。

☆帰国して結婚して私も母親となった。
 生身の子育ては絵を描くより大切なことに思えた。

☆それは絵を描くことに良く似ている。
 細心の注意とおおらかな遠い視線をあわせ持つ。

 子供も転んで覚えなければならない。
 辛いことも大切だ。

☆いろいろ学んで1995年、あの阪神大地震のあとのサリン-ガス事件の少し前に家族でボストンに行くことになった。

☆英語がアレルギーが出るほど嫌いな私はサマースクールで英語を学ばずデッサンや油絵を生まれて初めて習った。
私は美術大学受験に2ヶ月しかなかったので基礎教育を受けてない。

 そこから、アメリカの大学でファイン-アートを学ぶという幸運に導かれた。

☆セザンヌがピサロと言う良い師に恵まれたように、私も最高の二人の教師からパレットに絵の具を並べるところから、キャンバスを張るところから油絵を学び、厳しいデッサンを学ぶことができたのだ!

 私は47歳で、日本でいい師に恵まれなかった私はそのありがたさに一生懸命ついていったのだった。
 二人とも真摯で最高のアーティストだった。

 油絵を一人の先生にしっかりと3年学べた。

 厳しい先生に怒鳴られながらまなんだデッサン。
 ロンドン-ロイヤル-アカデミー出身の正当派のデッサン。
 教えることが何より大好きと言う油絵の先生。

 それは人生の半ばに訪れた幸いな出来事のアメリカでの美大経験。

 あれから、20年。
 自分で判断して絵を描き続けるしかない孤独な私の制作で自分を信じて続けるしかない。

☆芸術は誇り高く命がけの仕事!
 
 満月の日に頼むのはいい絵が描けること!

☆☆☆

 浜口陽三さんの本を読み終わり、幸せな人だと思った。
やまさ醤油の御曹司。フランスやアメリカで人生の大半を過ごして、きちんと国際的に評価された。
91歳までの長寿。世界中の美術館に収まっている絵。
俳優の上原謙さん(加山雄三の父)とは立教の同級生。
19歳で日本を出て20歳でパリについたとか。芸大の彫刻を中退して(退屈だったとか)パリに行けた幸せなひと。

 パリのいろいろなカフェのなが懐かしい。
 とてもグルメのようだ。

 版画は今までの観ているようで観てなかった。
素敵だ!とても静かで澄んでいる気がする。

 彼は他人の個展は見ないそうだ。
 日本画壇はかなり前のことだが、海外の流行をいち早く受け入れたものが評価されて、オリジナルを追求しないと批判。

 クレーのことは心に邪念がないと評価。

☆色々な画家がいていい。
 彼は豊かな家庭に育ったプロのアーティスト。

 この文章や対談を集めた本は死後、奥さんの南佳子さんの許可を得て出版されたようだ。

 画廊に売り込みなどもしたようだ。
 南佳子さんの版画も帝国ホテルの全部の部屋に飾ってあったそうだから、国際的に評価された版画は受容があるようだ。
 テレビでは、版画家の山本容子さんが南佳子さんの4人の子を置いて芸術を選らんでパリで暮らした生き方を「本物のアーティスト!」と熱を込めて評価していた。

 常識的な平凡人ができない生き方を山本さんもしているので応援したのだろう。

 その佳子さんを受け入れた浜口陽三さんも大きな優しい人だったのだろう。

☆私は平凡をとても評価する人間なので、そんな風に飛べないとは思いますが厳しいパリで夫婦で切磋琢磨して伸びていっただろう夫婦は羨ましく思います。