October 5th, 2012

麗しい朝!晴れて暑くなるそうです!

2012-10-05 09.41.59 早速洗濯物を庭に干して!

 朝食は簡素に!
 柿のたねふりかけと昨日の温野菜の残り。

今日のお茶はcosmosさんアレンジのお茶のなかからその日のインスピレーションから探します!
☆デトックスティースペシャル
 マリーゴールド、エルダーフラワー、ローズピンク、ペパーミント、ヒマラヤンオーガニック紅茶。
ジプシーの万能薬&イギリスの万能の薬箱を組み合わせスペシャルなミントにしました。とコメントがついてました。

後味がすごいいいお茶です。
デトックス効果が期待されます!

これから第一スーパーのバスに乗るためセブンイレブンのまえのバス停迄いきます。
百合の球根のための土を買いに!
☆今日は地元のかたのための日なんですが5人でした。
携帯に電話がかかり、運転手さんが一人乗り落としてきたのでこれから迎えに行くとか!
秋刀魚、大根、カボス、鶏肉、ケチャップ、油揚げ、豆腐等を買う。
球根用の土14リットル2袋。水仙の球根2種。
バスソルト。台所洗剤2種。

お昼は秋刀魚!

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 テーブルを絵の具とキャンバスに占領されているので今は椅子の上において食事です!
 さっぱりと美味しい食事でした。

☆今日は暑いくらいなので、よく休み2時から百合の球根と水仙の球根を植えようと思います。
 
 今日はバスの運転手が携帯でpick upし忘れた一人を乗せるために戻ったのですが、その男性の方は湖沿いに住まわれていたので、湖の周囲をずっとドライブしたのでした、

 湖はきれいで、太陽を浴びてキラキラと輝き私たちはその回り道を歓迎したのでした、
 明日は秋桜園でもいこうかな?
 そんな気にさせる黒姫の秋が始まっているのでした。

☆づっと「岡田謙三の生涯」の本を読んでいるのですが、日本画だんへの批判と藤田がフランスに帰るのを妨害した人のはなしが出てきます。藤田の渡仏を妨害した人たちの話も出てきます。嫉妬のある世界なんですね。 岡田謙三はそんなに有名と言う人ではないと思うのですが、奧さんもご自身もとても育ちのいい人。品性が高い。それで藤田と交流があったのですが、この本を読んでいても藤田の勤勉さと面倒見がいいと言うか人への愛情の深さにさすがと言う感じがします。

 岡田謙三さんの奧さんは10歳下でご主人が80歳の時に亡くなられると周囲が後追い自殺をしないかと見張っていたほどいい夫婦愛だったようです。子供がなかったので絵を子供として晩年をその保護に勤めたそうですが昨年5月に97歳で自由が丘で亡くなられたそうです。

☆私はこういう真面目なアーティストの成功物語は大好きなんですが、我が身と比べると傷つくんですよ。
自分はもっと頑張らなければいけないと。

 この方が80歳まで生きたそうですが、私ももうじき65歳ですからあと15年ですか?
やはり、自己責任ですからこれからは厳しくいきたいと思います。


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先程、土と球根を庭に置いた時に、赤とんぼがトマトの支え棒の上が気に入ったらしく長い間留まっていたのです。

球根を植え終わりました!

暑いので手短にしたつもりですが1時間20分かかって終わりました。
チューリップ15球。
カサブランカ16球。
ミニ水仙15球。
水仙15球。
鉄砲百合8球。
ヴィオラの種 白、黄、紫。各8粒づつ。

土は14リットル2袋でしたけど足りないかもしれません。
☆ジャガイモを少し掘りました!
今日のポテトサラダに使いましょう。

☆前に頼んであった本がアマゾンから届きました。
「日本人はドラコニアン《YAP(-)遺伝子》直系!だから、[超削減」させられる
」高山長房著 ヒカルランド
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☆読後感

 ざっと読み終えました。
 近日、10月22日には続編が出るそうです。
 直感的に頷ける部分もあり?の部分もありますが、さて、それならどうしましょうと言うのが知りたいです。
 続編も読むことにしましょう。

夕食は秋刀魚の残りで!

2012-10-05 20.07.36暖かい日なのでヘアダイをして、待っている間に夕食!
お昼の残りですが、美味しくいただきました!

お風呂もいい湯でした。
熊笹ってまろやかなんですよ、

今日、買ったバスソルトは眠れない日にいいようだ!
2012-10-05 21.03.23

☆「岡田謙三の生涯」をとても変な読み方をしているのだが、父親は画家になるのは反対だったと言う。
芸大時代に父親が死に1年半で止め、パリに行くことになるが、月50円の送金は長兄がしてくれたという。
それは帝大をでた兄の全給料だったという。50円では足りなく、最低100円は要ると言うのが常識だったと言う。


裕福な育ちかたをしたが、パリで貧乏をずいぶん経験したようだ。
芸大に入るまえの川端学校に1年通った。芸大では、教授が「ここにいる50人の生徒のうち、画家になれるのは1人だけだ。それも誰かに連れてってもらうのでなく自分で精進してなるのだ。せいぜい勉強するように。
」と言う意味の事をいったと言う。

 本当になんと険しい道だろう。

 パリでも送金が家族から送られてこない家もあるそうで、皆、貧乏だったと言う。
4年で帰国したが、サロンで入選した1品以外は処分してしまったと言う。

☆父親は幼いときに両親をなくした人だが、やはり若いときにアメリカに行き働いた人である。
謙三が7年の滞在のアメリカで成功したのも、父の若いときの在り方と重なる。
時代はアメリカ現代美術の台頭の時。
彼はその歴史に参加したのだ。